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質疑応答211

【質問】


 親鸞会では、「無理をしなければ、財施にならない」と教えられました、これは正しいのでしょうか?



【回答】


 親鸞会の教えは、仏教と正反対です。
「無理をしたら、財施にならない」というのが正しいです。

 仏教では、私達は執着の心によって苦しんでいると教えられています。ですから、自分のお金や財産に対する執着から離れ、相手の幸福のために出していくことが勧められています。これが財施です。


 では、どのようにすれば、執着から離れることができるでしょうか?
 仏教では、その答えは中道であると説かれています。

 分かりやすくいえば、不足しないよう、過剰にならないようにしていく、ということです。


 私達は、生活に必要なだけのお金や財産がないと、必死になって集めようとして、執着が強くなってしまいます。ですから、不足するのは良くありません。

 逆に、必要以上に持っているのも、執着を強くすると説かれています。このような人は、不安を埋め合わせるために、お金や財産を持とうとするのですが、多く持つほど不安はかえって強くなり、悪循環に陥ります。

 ですから、生活に必要な分は確保し、それ以上のものは貯め込まずに他人のために使っていくことが財施となります。


「無理をする」ということは、必要なお金や財産まで布施をしてしまう、ということになりますから、中道になりません。

「これだけ、お金を出したのだから助かるだろう。」とか、「こんなにお金を出したのに裏切られた!」などと、執着の元になりますので、かえって悪を造ることになります。

 龍樹菩薩も、いやいや布施をするのは「疲厭施」という悪であると教えられていますので、無理のない範囲で布施をすることが大切です。

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質疑応答179

【質問】


「親鸞会被害家族の会掲示板」で高森会長が御法礼の額は設定した事がないという趣旨の発言があったとありました。清森さんは、この高森会長の発言をどう思われますか?
 私が会員だった時は、支部ごとに目標額があり、個人的には御法礼の目標額に足りない人は特別申請という制度を利用しなければならないと当時の担当講師の方に教えて頂きました。
 清森さんは高森会長への御法礼に関してどういう考えをお持ちですか?
 また、高森会長からはどんな指導があったのでしょうか?
 よろしければ、清森問答で高森会長への御法礼に関して、取り上げてもらえないでしょうか?
 お忙しいとは思いますがよろしくお願いします。



【回答】


 御法礼の額を設定したことがない、との発言があったとのことですが、それについては私は参加していないので、真偽のほどは分かりません。
 しかし現実として、普段の御法話であれば5000円、行事であれば3万円くらいの御法礼が設定されていたのは事実です。減免の申請も、何回も出したことがあります。

 貴方は支部ごとに目標があったと記憶しておられるようですが、御法礼は全支部で一律です。おそらく御報謝の目標のことを言われているのだと思います。
 以前の本部制度のときは、御報謝に非常に高い目標があり、その達成は大変でした。何回も会員さんのお宅へ行き、会合を開いて、御報謝を出されるように訴えました。

 御法礼にしても御報謝にしても本人の気持ちであって、目標があったり、減免申請をしなければならない、というものではありません。

 親鸞会では、言っていることと、やっていることが違うことが多すぎます。
 最初から「御法礼、御報謝は、善知識が決めるものだ」と説いているなら、まだ理解できますが、説法では「御法礼、御報謝は自主的なものだ」と説いているのですから、言行不一致もいいところです。

 なぜ、御法礼の額が決まっていたり、御報謝に目標があるのでしょうか?
 それは、その方が沢山集まるからです。自由にしたら3000円の御法礼しか出さない気持ちの人が、5000円と決まっているから、5000円出される。だとしたら、2000円分は「仕方なく」出されたということです。
 仏教では、「仕方なく」やった善は、悪になります。出せば、出すほど悪いです。

 このように書くと、親鸞会の人は「そんなことはない。みんな喜んで出されている」と言うでしょう。しかし、本当に皆さんが喜んで出されるなら、目標なんて必要ないのです。目標なとどいうものが存在すること自体、喜んで出されていない証拠なのです。

 また、親鸞会に対する「財施」を、信心決定と結びつけて教えられることも問題だと思います。親鸞聖人は、「信心決定のために、財施に励め」などとは、どこにも教えられていません。親鸞会のやり方では、信心がお金で買えるかのように誤解させると思いますし、本心ではそのように思っている会員さんが多いのではないかと心配になります。

質疑応答171

【質問】


「さよなら親鸞会」のコメント欄に収支報告をして欲しい事と、領収書の単位がなぜ『福』なのか?分かりづらいので『円』に変えてほしいと書き込まれていました。親鸞会は収支報告ができない理由、領収書の単位が『福』でないと困る理由があるのでしょうか?清森さんはどう思われますか?



【回答】


 領収証の単位が、「福」に変わった理由については、特に発表されていませんので分かりません。しかし、「福」に変わる少し前に、亡くなった会員さんの遺族が、多額の御報謝の領収証を発見し、親鸞会に返還を請求してくるという事件がありました。当時は、「お預かり証」という名称だったため、貸したお金と見なされて、ますます話が複雑になったようです(結果的に返したかどうか分かりません)。
 ですから、推測になりますが、家族・遺族などに見られたときに、親鸞会に幾ら御報謝したか分からなくする為ではないでしょうか。

 収支報告についても、7~8年前に、突然打ち切られてしまったので、理由は分かりません。最近は、不可解な御報謝の募り方(例えば駐車場整備に5億とか)が多いので、何か隠しているのではないかと疑われても仕方ないと思います。

質疑応答146

【質問】


 すでに御存知かも知れませんが、インターネット上に、以下のような情報が流されています。

 親鸞会の内部事情に疎いので判断がつきかねるのですが、清森さんはどのように思われますでしょうか?

 できれば、清森問答で扱っていただければ有りがたいです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私は会員のものですが、高森会長の所得申告に疑義があります。

1998年から2004年までに発表された高額納税者名簿を確認しました。
高額納税者の発表は、2006年より中止されておりますので、それ以前
の分しか確認できませんが、過去の富山新聞に高岡税務から発表され
たすべての高額納税者名簿が掲載されております。

大変驚いたことに、高森会長の名前は一切ありませんでした。

基本的に、概ね所得税額1000万円以上の人が高額納税者として
公表されておりました。これは年間の所得にすると約3000万円
ほどです。
高森会長は、まず親鸞会から、他の講師と同様に法領(給料)
を受けとっています。布教局長が毎月200万ほど受け取っていた
ことから推測すると、ほぼ年収3000万近くは基本法領だけで、
受領していたものとおもわれます。

さらに、毎月の法話の法礼が「現金で」高森会長に渡されていました。
本部の行事では、半分程度が会長に渡されていたと推測されますため
少なく見積もっても
2500円x2000人x月3回x12ヶ月=1億8000万円 が別途法礼として
会長に現金として渡されていたとおもわれます。
当然、この法礼は親鸞会の収入ではありませんので、個人の事業収入と
なりますので、課税対象となるはずです。
正直に申告していたならば、少なくとも毎年6000万~7000万円の税申告
がなされていたはずであり、高額納税者の上位に名を連ねていたはずと
おもわれます。

かつて、顕真会館(11億)、高岡会館(8億)、滋賀会館(5億)
顕真学院(5億)すべて、高森会長のポケットマネーで建築
されたことが、会員には発表され、「先生のお慈悲」と宣伝
されてきました。

ここで、留意すべきなのは、宗教法人親鸞会が建てたのでは
なく、高森会長個人が建てられた、という点です。

しかし、これだけの建物を即金で建築されるのは、当然相当
の個人の所得がなければ到底ありえない話です。
となると、当然、合計で数十億をこえる大きな所得が発生し
ていたはずであり高額納税者に名を連ねてしかるべきです。

過去の富山新聞を確認したとき、高額納税者名簿に名前はある
だろう、しかしどのくらいの金額なのだろうか、とおもって
おりましたが、一切載っていなかった。衝撃でした。

同朋の里事業についても、高森会長がまず施設を買収して、
会員から後付で、財施を集めている様子です。相当額の
金をもっているのでしょう。

親鸞会の申告所得が毎年14億5千万円で、会費収入を差し引くと
正本堂や地下道で集めた100億ほどの金の所得申告がなされて
いないことが読み取れます。

不思議なことに、2003年ころから、正本堂の財施の納入は銀行
振込みではなく、できるだけ現金で、と指示が流れました。
これらの金も会長の個人所得になっている可能性さえありえ
ます。

脱税の時効は、5年ほどといわれます。

マルサの女という映画では新興宗教の教祖が、脱税をしてつかまる
シーンもありますが、親鸞会についても映画の中の話ではないと
いうように感じます。

以上高森会長の所得申告についての疑義を申し上げます。



【回答】


 高森先生の申告所得が3000万円にも満たないのが事実だとすると、私も大変ショックです。

 高森先生の所得は、この方が予想されているより、ずっと多いと思います。


>本部の行事では、半分程度が会長に渡されていたと推測されますため
>少なく見積もっても
>2500円x2000人x月3回x12ヶ月=1億8000万円 が別途法礼として
>会長に現金として渡されていたとおもわれます。


 参詣者は、最近参詣された方から聞く限りでは、もう少し多いようです。

 本部行事の御法礼の一部が、運営費に当てられていると聞いたことはありますが、確か1000円か2000円くらいだったと記憶しています。半分も運営には回されていないと思います。

 あくまで想像ですが、少なくとも毎年2億円~3億円は、高森先生の収入となっていたのではないでしょうか。



>かつて、顕真会館(11億)、高岡会館(8億)、滋賀会館(5億)
>顕真学院(5億)すべて、高森会長のポケットマネーで建築
>されたことが、会員には発表され、「先生のお慈悲」と宣伝
>されてきました。


 私もお聞きした覚えがあります。

 顕真会館については、高森先生が自ら「ワシが出す」と言われるのを聞きました。

 顕真学院は、高森先生が出されたのは、土地と新館建物だけで、本館の建物は御報謝だったと思いますが、金額は5億くらい出されていたと思います。

 これだけのお金を、ポケットマネーで出されるのだから、相当のお金を持っておられると思っていたのですが、高額納税者に名前さえ載っていないというのは、私も驚きのほかありません。

質疑応答132

【質問】


親鸞会ではかつて、あまりにも執拗に財施を勧めたことにより、
ある関西の会員さんが母子共々餓死するという事件があったとの情報を
最近ネット上で目にしました。
この「事件」は事実なのでしょうか?(いつ頃のことでしょうか?)
私自身も近畿本部に所属していたことがありましたが、
そのような話は全く聞いたことがありませんでした。
もし事実だとすれば、大変ショックです。
この件について何かご存じの情報があれば、清森さんの知る範囲で結構ですので、
詳しく教えて頂けないでしょうか?

他にも、若い会員が突然死した事件も複数知っておりますが、その中には、
「過労死」や「過労による不注意が原因の事故死」と思われる出来事も多数あります。

このように、「善知識に無条件服従せよ」との教えに純粋に従って、
猛烈に財施した人や猛烈に活動した人が、結果として【死】に追いやられるというのは、
あまりにも不条理であり理不尽であり、やりきれない思いでいっぱいです。
これは事実上の「殺人」ではないかと思います。

「たとえ一時は苦しくとも、ここ一つ求め抜けば底抜けの幸せ者になれる」
といくら言われても、死んでしまっては取り返しのつかないことであり、
元も子もありません。

親鸞会の問題点は枚挙にいとまがありませんが、その中でも、
会員の【死】に関わる出来事だけは、仮にどのように善意に解釈しようとも、
絶対に許されるはずのものではありませんし、看過できません。

また、このような出来事の最高責任者は、あの「トップの人物」であることは明らかです。
なぜ事実を明らかにしようとしないのか、
なぜ何の謝罪も釈明もないのか、
なぜ再発防止策を打ち出そうともしないのか、
大いに疑問に思います。

そういえば、とある講師部員が突然死した後の追悼法要の法話の中で、
会長からは一言の「お悔やみ」の言葉もなく、それどころか全く話題にも出さず、
いつもどおり、アシスタントとユーモラスなやりとりをしているのを見て、
「何という不謹慎な!」と思ったことがあります。
(さらに、葬式にも参列しなかったという噂も聞きました。)

「餓死事件」の真偽も含め、このような問題点についての清森さんの見解をお聞かせ願います。



【回答】

 餓死の事件については、平成7年頃だったかと思いますが、財施と死亡の因果関係を証明することは出来ませんし、公式に親鸞会からの発表もありませんでしたので、分からないとしか言いようがありません。

 しかし私も当時から、その件については話を聞いており、おそらく事実であっただろうと思っています。

 もしそうだとすれば、幸福を求めて親鸞会に入ったはずなのに、亡くなられるという最悪の結果になったことは本当に悲しいことです。

 私も親鸞会で活動していましたから、余りにも厳しい目標を達成するために、相手が餓死してでも財施を集めたいという気持ちが起きてしまったとしても、理解できないことはありません。

 しかし、これは仏教とは正反対の発想であり、このような活動をしてきたことは、本当に私自身も反省しなければならないことだと思います。

 また、厳しい目標を達成するために、過労死や、過労による事故死などは、私の経験から考えても、有りうることだと思います。これも、親鸞会では、仏法のために死ねれば、それが一番いい死に方だというような考え方があると思います。

 これ以上、このような悲劇が繰り返されないことを念じたいと思いますが、いくら問題点を提言しても、今のところ改善される見込みはないようです。本当に悲しいことだと思います。

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