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六字の呼び声 (その3)

 以下は、親鸞会元講師部員である嶋田久義さんからの投稿です。
 昨日に引き続きの内容です。


         *         *         *


追伸


 不思議なご縁により「六字の呼び声」をお読み頂きまして有難うございました。
 驚かれた方、こんなことだったのかーと気付かれた方、不審に思われた方、皆さん感想はそれぞれと思います。
 私の知って頂きたいことは、阿弥陀仏は常に貴方に南无阿弥陀仏を与えよう、真実信心を受け取らせようと十劫の昔から善巧方便しておられます。
 親となり、先生となり、友となりーーー貴方の周りの全てそうなのですが、気付かないだけなのです。
 ただ気をつけて頂きたいことは、私に阿弥陀様は、書きましたように善巧方便してお助け下さいましたが、それは人それぞれ違うということです。機ごと機ごとにお導き下さるということです。
 聴聞を続けて何年、何十年かかる方もあれば、数回の聴聞で信楽開発される方もあります。また説法中の方も、仕事中に、食事中、入浴中、勤行中の場合もあります。
 過去世の仏縁、今生の聞き方もまちまちだからでありますが、救う阿弥陀様は全力あげて早く分かってくれと、呼びづめであることだけは忘れないで下さい。
 そこで知らされてきたことをもう少しお伝えして、皆さんに、南无阿弥陀仏の主に、仏凡一体の身になって頂きたいと思います。



○仏法は聴聞に極まる「仏願の生起本末を聞く」


 親鸞聖人は、法然上人より阿弥陀仏の18願のみ心を聴聞されて救い摂られ、「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」の身となられました。
 その18願を聞きながらまだ疑いの中にいて、19願(雑行)20願(雑修)の心で助かろうとしている380余人の法友に「定散の自心に迷うて金剛の真心に昏し」と見抜かれ、気付いて下さいと三大諍論をなされのです。

 蓮如上人も「雑行、雑修、自力の心を振り捨てて後生助けたまえと弥陀たのめ」と強調され、「南無阿弥陀仏のいわれを聞け」「南无阿弥陀仏のすがたを心得よ」と教えられています。
 ではどう心得るのか、その「六字の心」「仏願の生起本末」を御文章に

「阿弥陀如来の仰せられけるようは、末代の凡夫、罪業の我等たらん者、罪はいかほど深くとも(生起)我を一心にたのまん衆生をば、必ず救うべし(本末)」と仰せられたり」4帖目9通

とハッキリとお示しになられています。一生涯これ一つを教えて行かれたのです。
「どんな悪人も、そのままわれに任せよ、必ず救う」

 信心決定とは、このみ心に貫かれ、疑心なく、明信仏智、信順無疑、仰せにハイとなったことでした。

「いかに不信なりとも、聴聞を心に入れて申さば、お慈悲にて候間、信を獲べきなり。ただ仏法は聴聞に極まることなり」御一代記聞書

 妙好人や獲信した人は皆、この聴聞の一本道、仏願の生起本末を聞いて救われています。



 その18願、生起本末を聴聞すれば「悪人そのままで救う」と言われます。しかし自分はそんな悪人だろうかと最初は疑います。道徳倫理程度で見ているからです。
 だが聴聞すれば生起、誰の為の、どんな者のための本願なのか、聞くほど照らされ見せられてくる。私は煩悩具足の凡夫であるなーと。

 毎日が、俺が俺がの我執丸出しの浅ましい生活でないですか。(黒い心)
 しかし「本当にこのままだろうか」と疑い、遠慮し、もっと欲も抑え、腹も立てず、愚痴言わず感謝の日暮しにならねば助けて頂けないのではないだろうかと、この心を直しにかかりはしませんか。
 極悪人と見抜かれての本願、これがお目当てとは思えず、善人に成ろう、ましな人間になろう、善いことすれば助けて下されるだろう、やれば出来るだろうと思っていませんか。
 これは阿弥陀様仏のみ心に反しているから、そんな心でやる善を雑行と嫌われるのです。(19願、自力の信心)

 なぜ雑行と嫌うのか。阿弥陀様のみ心は、悪人が好きではないが、悪のし放題で六道輪廻して苦しむ私を、哀れだなー、可愛そうだ、見てはおられぬ、助けてやりたいのお慈悲で、仏の座から降りて、修行のし直しをなされて極悪人の私を助ける南无阿弥陀仏になって下さったのです。

 大慈悲心はどうして起こされたのか、自分の正体を知らないから善人になったならば助けて頂ける、と大間違いをしているのです。
 だからやる善を雑行と言われるのです。真実の業と言わないのです。

 私のする善は虚仮雑毒の善だと親鸞聖人は教えられます。
 本当に善が出来るでしょうか。自分の得や利を捨てて親切を本気でやっているでしょうか。私には本心から出来ません。最後は我が身が可愛いのです。親が大事、妻が大事、子供が大事の腹底は自分大事だからです。

 善知識の厳しい真実の自己のご説法を重ねて聞く度に、出来る奴でない、直る根性でないことが分かってきます。生起を知れよ、値打ちを知れよと重ねて説かれるからです。

 善人になって助けて頂こうと思っていたが自惚れであり、浅ましい落第者と段々と分かってきます。
 自分は十悪、五逆、謗法で無常の命ではないかと知れてくると、こんな奴が今死んだらと後生はどうなるか、ただ事ではない、一大事だなとと不安になってくるのです。

 その私に、「そのまま任せよー、必ず救う」と南無阿弥陀仏と呼んで下さっているぞと善知識は説いて下されるのが本末です。
 南无阿弥陀仏になって下されたみ心、五兆の願行のご苦労、十劫の昔から、呼んで呼んで待ち通しのやるせなきみ心、助ける弥陀が手を下げ、頭下げてどうか任せておくれ、助けさせておくれ、信じてくれると信じて下さる真実のみ心を聞かせて頂くのです。

 しかし、この心が分からない。受け取れない。計らうのです。
 そこで自分の方から阿弥陀仏にお願いして助けて頂こうとかかるのです。諸善と比べられない功徳の念仏称えたり、朝晩のお勤めを励んだり、阿弥陀様のことを一心に念じて何とかなりたいとしていませんか。
 これを力として、あてにして助かろうとするから雑修と言われるのです。(20願、自力の信心)

 それも日によって心が変わり安心できない。
 お勤めをサボったりすると、阿弥陀様に見捨てられるように感じて、これではなーと不安になっとことはありませんか。
 すると余計に真剣になろう、真面目になろうと反省して、信じようともがく。しかし念仏も、信ずる心も続かない。Sさんも出来ぬと泣かれたのはここでした。


「それは自力だ、その心を捨てて、弥陀に任せよ」と聞かせて頂くが、ではどう信じたら、どう任せたら、どうたのんだらと計らい、疑い、信心を掴もうとするのです。安心したい、楽になりたい、喜びたいと自分の心ばかりこね回し、苦心して悩み苦しみ、遂に阿弥陀様さえも恨むのです。こんなに私が苦しんでいるのにどうして助けて下さらないのですか、どこ向いておられるのかとまで言い出すのです。
 これが宿善の人の心です。調熟の光明のお育てなのです。
 これ皆、阿弥陀様の十劫以来の想像を絶する種々のお育てなのですが、本人は分からないから、「私は宿善が薄いから助からないのだ」などと言ったりするのです。とんでもないことなのです。
「まことに宿善まかせとはいいながら」と蓮如上人が言われる深いみ心なのです。

 そのにっちも、さっちもならない、助かる縁の尽きたどん底に「南無の心」「任せよー」「はよ来いー」「そのままー」が届いた一念に、ああーいらざることをしておりましたー(雑行、雑修、自力の心が振り廃る)と謝り果てて南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏「遠く宿縁を慶べ」の親鸞聖人と一味の信とならせて頂くのです。(18願、他力廻向の信心)
「南無とは本願招喚の勅命なり」と親鸞聖人は阿弥陀様の直の呼び声、有無を言わせぬ仰せ、ハイとなってしまう、信ぜずにおれない呼び声であるとおっしゃています。
 その南無の心に貫かれた一念で疑い心、自力心は無くなってしまいます。



 世界一の名医が「貴方はガンでありしかも末期です。このままにしておれば命はありません。私に任せて下さい、このガンを必ず治してみせます。治せます」と言ったとします。ところが患者は「私がガン、末期?。先生脅かさないで下さいよ。どこも痛くないし、何を食べても美味しいし、よく眠れます。仕事もあるから入院、手術など、どうして出来ますか。それほど言われるなら、健康食品でも食べて、運動もするようにしますよ」と返事しているようなものです。
 病気(悪業煩悩、後生の一大事)の恐ろしさの自覚なく、名医の言葉を信ぜず(疑い)、良いと言われる健康食品(諸善)でなんとかなると勝手に思っている愚かな患者と同じです。
 この患者お見て名医は何と思うでしょうか。
 信じて、任せてくれないことを嘆き、患者の末路が分かるから悲しまれるのです。
 愚かな患者は私達であり、名医は阿弥陀様です。
 十劫以来、御立ちずくめ、浄土で待っておれず迎えに来られたお姿が、ご木像、ご絵像のやるせない大悲のお姿なのです。

 今、阿弥陀様は何と思っておられるでしょうか。
 疑い、逃げ回り、謗っていることを悲しんでおられます。

「八つとせ 益にもたたぬ雑行や 雑修、自力を捨てもせで
 弥陀仏泣かせていたことは ほんに今まで知らなんだ」


 私も、三願転入だから、19願の諸善をやれば宿善が厚くなってゆく、私は活動に頑張っているから宿善が厚い、あの人よりも、そのうちに開発、などと、自分で積み上げ、出来る筈だと考えていたこともあったが、全く阿弥陀様のご苦労を知らず、とんでもない大間違いでありました。
 宿善とは阿弥陀仏が何とか助けんと念じ続け、自分の値打ち、お目当ての機を知らせ、逃げ続け、疑い続け、謗る自力の心、仏敵も浮かび上がらせ、ご照育下された十劫以来のご苦労であり宿縁、仏縁でありました。



 三願建立、三願転入のみ心は、19願からさあやるぞでなく、18願の救いを聞いても、疑っている19願の人や、20願の人も皆、調機誘引、照育して最後に必ず18願の約束通り、南无阿弥陀仏の大功徳を廻向して往生成仏させてみせようのお誓いと頂きます。
 18願の仏正意を聴聞することで19願、20願の自力心を一念で破って頂けるみ教えなのです。
 三願転入は阿弥陀様の調熟の光明のお育てで通らされる心の道、救われて知らされる心の道と思います。やれば助かると説く教えではありません。
 言葉の意味を間違えては、大変なことになってくるのです。



 高森先生は「顕正」124Pに「然るに、わが浄土真宗は、このような19願、20願に当る浄土宗とは違って、18願の願意である、信心正因、称名報恩の仏意をを弘通する教えであるから、信前の人にも信後の人にも、終始一貫して信心正因、称名報恩の教えを勧めなければならない。
 喩えば、虎の手本を見せて虎を描こうと思っても、どうしても最初の間は虎でなく猫の絵になってしまうが、たゆまず屈せずアキラメず虎の手本を見て描いているうちに本当の虎の絵が描けるようになるように、手本は如何に信心正因、称名報恩でも機執によって、そのようになれず、或いは定散自力の称名となり、称名正因ともなるものもあろうが、たゆまずアキラメず、信心正因、称名報恩の教えを勧めていれば、やがてその真実を諦得出来るようになるのである。
 未熟な人に合わせて信心正因、称名報恩教え以外の法門を説いて信心を得る方法には称名せよ、などと教えれば、あたかも猫の手本を与えて虎を書く方法とするようなものである。故に、教家は常に虎の説法をしなければならないのである」

 18願のみを徹底して説けよ、聞けよ、50年前はそう説かれていたのです。三願転入の一文字もありません。

・「廃立とは、廃とは捨てもの、立は拾いもの、ということで雑行雑修自力は、すてものであり、廻向せられるものは名号六字である。」128P

・「自力計度の心は一念開発、信心決定の一念に南無廻向の機によってなくなるが、悪業煩悩は臨終夕べの一念までなくならない。」66P

自力計度の心(暗い心)疑情
南無廻向の心(白い心)
悪業煩悩  (黒い心)衆生性得の機


 南無廻向の機とは何か、皆さんこれまで知っておられましたか。最も大事なことですが知る方は少ないと思います。
「六字御名号のご本尊」にして朝夕礼拝しておりながら六字の心を正しく知らない。「無上甚深の功徳利益の広大なることその極まりもなきものなり」と言いながら、何が甚深か広大か分からない。
 この大慈悲心を抜きに聞いているから、いつまでたってもハッキリしないのです。



○高森先生は「会報」4集32P

『古来、教行信証は三重廃立を開顕せられたものだと言われている。事実、三重廃立以外に「教行信証」の教えはないのである。まさに聖人が一生の心血を注いで開顕したもうた三重廃立の教えこそ釈迦、諸仏、菩薩の出世本懐である。「一向専念無量寿仏」を鮮明に徹底させ、濁流滔滔たる現代人を救う最高の指針ある。これこそ聖人の精神であり、源流遠く大聖釈尊の真実を伝うるものである。
 我々が信心決定して絶対の幸福を獲得するのには必ず、この「捨てもの」と「拾いもの」とを明らかに理解して、捨てるべきものは速やかにこれを捨て、拾うべきものは速やかにこれをとらなければ、絶対に救われることはないということである。』


 こんなにハッキリと正しく書かれています。


 親鸞聖人は「教行信証」の前5巻に18願のみ心、救いを詳しく著され、最後1巻の「化身土巻」に18願のみ心を疑い、19願、20願を信じる人の心を著されてその心得違いを正されています。

 また、高森先生はこうも言われました。
『「教行信証」の前5巻には18願、信後のことが書かれてあり、最後の1巻「化身土」巻に信前の19願、20願のことが書かれてある。なぜ親鸞聖人は信後のことを先に多く書かれたのか、よくよく考えると、こう教えることが私達が信心決定できるから、親鸞聖人はこのように教えられらのです。だからこのように説かねばならない」

 18願の徹底の大切さを教えられた。聴聞の長い人は聞いて知っていますね。



 高森先生は「会報」5集59P

『一体、どこに19願相応の修行をしている道俗が真宗に見当たるのか。どこも20願相応の念仏をやっているものがいようか。真宗の道俗はさも易く「あれはまだ19願だ」「あれは20願の人だ」と言っているが、願の上からだけなら言えるかも知れぬが、それに相応した行がともなわない人ばかりだから本当の19願、20願の行者は真宗の道俗には、いないと言ってよいのだ』
 これも断言して書かれています。その通りです。19願や20願は落第です。

「いないと言ってもよいのだ」皆さんや、私のことですよ。実行できない、と言われていることを良く覚えて続きをお読み下さい。



 しかし今はどうですか。どう説かれていますか。
 35周年あたり(15年前)から、前と変わってきた。
 三願転入が強調され出した。


「親鸞聖人の教行信証は三願転入が説かれている。我々に19願、20願はいらぬ、18願だけでいいと公然と言う学者もいるが、皆、三願転入を根基として書かれている。御和讃もそうだ。十方衆生が選択の願海(18願)に救われるのは、19願20願を通ってであり、通らねばアリ一匹救われぬ」
(平成18年4月30日の教学講義で聞きました)

「化身土巻」の三願転入を、これが親鸞聖人の教えの全てように言われ、従仮入真と強調して「19願、20願は絶対に通らなけらばならない獲信の道程」と言われています。
 まず19願の諸善から真剣にやらねば信仰は進まない。
 親鸞会の活動(人集め、お金集め等)を強く勧められます。
 前に教えられたことと同じでしょうか、よく読み比べてみて下さい。
 明らかに違っていますね。
 だから「会報」が廃版になった原因かなと思いましたが、違っているでしょか。



○どうしてこうなったのか。

 大沼氏の盗作をしているうちに、反対に心を盗まれてしまったのでしょうか。
 16冊を読んでそう思えてきましたが、無理な邪推でしょうか。
 高森先生のお話、書かれたものの元は大沼氏からの引用、盗作が余りにも多いのに驚きます。
「求道の縦、横の線、卒業がある、決勝点がある」も一緒でした。

「深い御心です」など言っている人は何も知らない人です。


・大沼氏「広大難思の大慶喜」241P
『この三願転入をせず、第18願だけでよいと言う人は、二尊や聖人より偉い人なのです。阿弥陀さまは、いらない願を建てられたか、釈尊は不要な説法をされたのか、聖人自らの体験が三願転入であるが、他の道を通って聖人と同じ報土に往生ができるでしょうか』

・大沼氏「八万の法蔵は聞の一字に摂る」113P
『「化土往生できるか」なんて言えば「われわれのような者は自力の修行が出来ないから、化土に行かれるものか。化土へ行くのは、自力の修行をした人が行くのだ」と言う人がいるだろうが、あなたは自力が出来るか、出来ぬかやってみたことがありますか。ーーーー
まだあなたは、19願の入り口ですよ』

・大沼氏「昭和の歎異鈔」322P
『たとえば、買い物の荷物を子供が持つと言ったとき、持てないことを承知の上で親が荷物の下に手をすけ、子供は真っ赤な顔をしてーーーー』
『自力一杯19願をやって出来ないと知らされた者が次の20願へ行く。階段です』と譬えられています。



 これ皆、高森先生からも聞いた内容ですね。
 まだまだ、こんなものでありません。いかに影響が大きいか、分かってこられましたか。
 だから次のような発言になってゆくのです。



 高森先生は「雑行、雑修、自力の心を振り捨てる」をこう言われました。

「捨てるべき雑行がどんなものか分からねば捨てられないから、雑行を知らねば成らない。知るためにはやらねばならない。子供が重い荷物を持てると自惚れていたら、持たせないと持てたのに、の不満はなくならない。持たせて始めて無理と分かる。納得する、文句言わない。親にまかせる」

 この話に納得して何十年も諸善(活動)をして来ましたが、この話こそ大問題でした。
 自力の善根功徳を積み上げて、これで後生の一大事が助かるか無理かやってみようということになります。
 19願は死ぬまで求道、臨終来迎に遇わねば助かりません。しかも18願の本願を疑いながらの自力の善根功徳ですから、出来る人は化土往生と説かれています。
 これを求めていることになりますよ。

 だから親鸞聖人はこれら19願、20願の人に「和讃33首」を創られ「仏智疑う罪深しーーー」「仏智不思議の弥陀の御誓いを疑う罪、咎を知らせんとあわわすなり」と教えておられます。
 私は18願、六字の心を知って、何ということを何十年もやってきたのか、人に勧めてきたのか、愕然としました。「仏智疑う罪」を知ったからです。
 六字の心を明らかに説かれず、知らないから、罪悪深重、無常の命なのに真仮廃立の心が分からず、方便さえやっておればいつか真に入るのだろうと漠然とやっていただけでした。貴方はどうですか。

 真(六字の心)を知らずして仮が仮と分かりません。
 三願転入しなければ助からないなら、「会報」5集55P「一体、どこに19願相応の修行をしている道俗が真宗に見当たるのか。どこも20願相応の念仏をやっているものがいようか。真宗の道俗はさも易く、「あれはまだ19願だ」「あれは20願の人だ」と言っているが、願の上からだけなら言えるかも知れぬが、それに相応した行がともなわない人ばかりだから本当の19願、20願の行者は真宗の道俗には、いないと言ってよいのだ」

 これでは誰も助からないことになりますよ。
 大矛盾でありませんか。出来ないことを勧めていることになるからです。
 実際、活動、財施は勧めても、20願の念仏を勧めていますか。あなたの支部長、幹部の方は念仏称えておられますか。
 講師部時代、上司も講師部も念仏の人は見かけませんでした。これで講師部も20願の行人でないから、18願の願海へ絶対に転入出来ないことになります。助かりませんよ。

 高森先生自身が19願、20願の通りやって18願の世界に救われた「体験」を聞いたことはありません。
 高森先生の獲信の18歳の「体験」は「華光誌」に載っており、何度も読みましたが、19願、20願の行をしたと書いてありません。
 高森先生が22歳の時「華光社」から出版された「獲信の記録」も読みましたが、5名の方、皆さん生々しく語られ、高森先生のお母さんまで実に詳しく語っておられます。
 高森先生から19、20願の行や三願転入を勧められたなど、どこを読んでも書いてありません。「そのまままかせよ必ず救う」の18願、六字のみ心を聞かれたのです。
 なぜ「体験」の本を出版したのですか。今は隠すのですか。
 しかも本の最後には伊藤先生の「仏敵」と「華光誌」の購読まで紹介し勧めてあります。なぜですか、おかしいですね。



「体験」がよほど都合が悪いのか、最近は言わないようですが、前はよく聞きました。顕正新聞にも出ていました。
「自信教人信」自らの獲信を語り、阿弥陀様の救いは真実であること、その喜び、広大なご恩を話して、お救いの法を説いてゆく、これが本当の説法ではないですか。
 これを皆さん心から聞きたいと願っておられるのではありませんか。

 ゆったりとした会場、安心な弁当、綺麗な宿泊所、広い風呂、高価な絵画、これを楽しみに参詣されるのでしょうか。
 力の入れるところ、心のかける所が違っていませんか。
「一人なりとも人の信を獲るべきならば、身をすてよ。それすたらぬ」。蓮如上人のご催促です。
 皆さんの不満の声が聞こえてきますよ。



●現在の親鸞会の最大の問題はここにあります。


 また高森先生は「善を力一杯やってこそ、悪しか出来ない自己が分かる」とも言われました。私もそうかと思って、悪人と分からない原因はここだと信じていました。これが真実の自己を知る鍵だと思いました。
 では分かったでしょうか。何十年やって本当の自分の値打ちが分かったでしょうか。30年40年講師部の道で精進してる人からも聞いたことがありません。誰か言われでしょうか。
 そんなことが分かる自分でしょうか。素直に認める私ですか。
 自分の座っている座布団は自分では持ち上げれないのです。
 自惚れ一杯の私が、地獄行きの極悪人と知らされたでしょうか。
 やればやるほど、やったー、目標を達成した、俺はやってるぞー、自慢心が一杯でないでしょうか。
「仏願の生起本末を聞く」これ以外に真実の自己を知らされる道はないのです。仏智で照らされないと見えてこない私なんです。

 私も母から親心を聞いて、親不幸の57年であったと思い知らされました。心配のかけ通し、思い続けていてくれているのに、それなのに私は自分のしたい放題の人生を過ごし、一体、1年に何日親のことを思ったことがあったろうか。
 自分勝手で、恩知らず、もらう物はもらい、利用する鬼、餓鬼の心しかない私とやっと気付く大馬鹿者でした。
 親の心を聞いて、知って、ようやく親不孝者、五逆の者と分かったのです。

 自分の値打ちは自分で考えるのでなく、阿弥陀様がどう見ておられるか、仏智に見抜かれた自己を聞かねば正しく分からないのです。
 聴聞に極まるのです。

「やらねば分からない」こんな話に乗せられて、「人集め、お金集め」の活動を頑張っていれば、やがて真実の自己が分かると思いますか。このままでは大変な後悔を残すと思います。



 しかも大沼氏は親鸞会のような活動をすることが19願の行者だからやれとは書いていません。
 18願の聞き損ないだから、そこに座わらず他力になるまで聞けと勧めています。
 ここにも高森先生の独自の三願転入の解釈が刷り込まれているのです。最近、大沼氏を「化土往生の安楽椅子を説いた親玉です」と非難している親鸞会支部長(講師部)の通信を読みました。

 都合のいいところだけ利用して最後はこうです。
 自分の間違いは一切認めず、謝罪せず、相手を非難する、これで皆さんついてゆけますか。



「宿善論争」は「どちらが真実か」分かります。
 本願寺の指摘はその通りです。

(本願寺)「親鸞会では未信の人は宿善の薄い者であるから、信心を獲得するためには自力の善根を積んで厚くしなければならないという」
「当流では他力の信心を獲るためにまず自力諸善を積まねばならないという説示はない」
「宿善とは親鸞聖人が{たまたま行信(信心)を獲ば遠く宿縁慶べとあるように遇法獲信の現在から過去をさかのぼって宿善のお陰であると、その由縁を喜ぶものである。将来の獲信のために積まならないという方向で語られるものではない」

 本願寺は真仮、自他力廃立のみ教えに立って、18願の仏意を述べているのです。正しい指摘です。


(親鸞会)「親鸞聖人のみ教えに善の勧めは有るのか、無いのか」
 これは、三願転入の19願の諸善のことを問題にしているトンチンカンな質問なのです。19願は諸善が勧められているのは当然です。
 いかに噛み合わないことを聞いているか、六字の仏智を頂いてみると、こんな私にもハッキリ分かるのです。
 それを「返答求めて」といいながら本願寺に押しかけて座り込みまでしたのですから、本願寺の方で呆れて、話にならない団体だと、無視されたのが本当だと思います。
 それを返答が無い、勝った、勝ったとはお粗末千万でした。本願寺は100年1000年経とうと返事はしないと思います。
「三重廃立が親鸞聖人のみ教え」、高森先生も昔は書いおられた、皆さんここをよく考えてみれば分かることなのです。
 そして高森先生はこの後、三願転入に力をいれて説かれ、今日のようなってきたのです。


「自力一杯求めたら、自力無効と知らされる、まず諸善を励め」と、19願、20願を頑張ればやがて18願に「入れるように思わせる解釈、教え方」をしておられます。
 どんなに否定しても、会員さんに聞けば事実と分かります。30年間のSさんもそれを信じ、苦しまれました。
「三願転入の根拠を示して教えている、真実を説いている」と言っても18願の阿弥陀仏の本願を正しく説けないようでは、正しい教えではありません。
 18願に当益(往生成仏)は誓われてないとか、若不生者は「信楽」にしてみせるのお約束と言ったり、次々と間違いが明らかになっています。これで18願に転入されるでしょうか。
 何時になったら正しい六字の心を聞けるでしょうか。疑問です。

 母の言う通り、前と話が明らかに違ってきています。
 今のまま求めてゆけばどうなるか、何より、Sさんが身をもって教えてゆかれました。
 自分の後生の一大事です。今こそこれまでの求道を振り返って、今後どうするか静かに考える時ではないでしょうか。



 親鸞会は「親鸞聖人のみ教えを徹底する以外にあってはならない」と公言し、会員さんはそれ一つを誇りとして厳しい道を歩んでこられました。私もこの心で共に求めた同志の一人です。
 しかし、ここまで曲がってしまいました。
 本当に残念です。
 信じていたものを疑うのは苦しいでしょうが、真実かどうか、今こそ熟慮して下さい。私も何ヵ月かかって悩んだ末にようや決心がつきました。
 そんな簡単ではないのです。しかし求めれば真実に必ず出会えます。
「今ここで私が」救われる六字なのです。



 長い文章になってしまい恐縮です。
 そうかと思われる方、、善知識を誹謗していると憤慨される方もあることも承知しています。
 母は「今は言われることが変わられたが、高森さんのお陰で聞かせてもろうた。恩があるでなー」と言ったことを忘れません。私もです。仏教のイロハから聞かせて頂いたのです。釈尊の出世本懐は阿弥陀仏の本願以外にないと。
 だからこそ、十劫より待っておられる阿弥陀様のご恩を思えば書かずにおれませんでした。
 私は何と思われてもかまいませんが、「六字の呼び声」だけは聞いて頂きたい、知って頂きたい。これしかありません。

「あわれ、あわれ存命のうちに、皆々、信心決定あれかしと朝夕思いはんべり。まことに宿善まかせとはいいながら、述懐の心しばらくも止むことなし」
 蓮如上人の御遺言を胸に刻んで終わらせて頂きます。



 若し、読むだけでなく、聞きたいこと、相談したい事などございましたら遠慮なく仰有って下さい。聞かせて頂いたことで迷惑はおかけ致しません。
 私は毎日仕事に出かけますので、日中は時間がとれませんが、事は後生の一大事、出来る限り最善を尽くします。

〒918-8134
福井市下莇生田町27-1-32嶋田久義

メールアドレス simahisayoshi@yahoo.co.jp


電話090-2375-8256

●時間昼12時10分から12時30分まで
夜8時から9時まで

(これ以外の時間は難しいと思います)

○もっと詳しく知りたいと思われましたら
増井悟朗先生の「念仏の雄叫び」(法蔵館)をお勧め致します。
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六字の呼び声 (その2)

 以下は、親鸞会元講師部員である嶋田久義さんからの投稿です。
 昨日に引き続きの内容です。


         *         *         *

○1月 華光会で聞法を始める


 京都の華光会館、3階建ての2階道場へ行くと、すでに全国から同人の方が集まっておられ、福井から初めて参詣した方々と一緒に後ろの方に座った。ご本尊はご木像で、皆さんの服装をみて驚いた。
 楽な服装で、スーツ、ネクタイの男性は私一人だった。
 お勤めも本願寺系のお勤めで静かに聞いていた。
 ご法話が始まり「身体を楽にして聞いて下さい」と言われてまた驚いた。
 正座が当たり前と思っていたが、皆さん自由で私は正座で聞いた。
 S先生のお話だったが、親鸞聖人のお言葉から阿弥陀仏のみ心にについて深いお味わいを述べられたので、親鸞会のお聖教解釈の説法との違いを感じ、ああこれが華光会のご法話なのかと思った。すごく新鮮だった。

 ご法話が終わり、十数人の幾つかのグループに分かれて、座談、ご示談が始まった。
 福井から来た私達は、3階の増井悟朗先生のグループに参加した。
 前に電話でお話させて頂いたが、初めてお会いして、穏やかで、慈悲と信念の強さを感じるお顔だった。
 全員の自己紹介の後、ご法話を聞いてどう感じられたか、一人一人の感想を聞かれた。
 ここでは有難そうな建て前発言や優等生発言は何にもならない、これまで後ろ向き発言をしてはならないと縛られていたが、やっと本音が言える、聞いてもらえる所だと分かってきた。

 私の番になって、「まだよく分かりません」と言った。
 妻も率直な思いを言っていた。やがて部屋の六字の御名号に念仏を称えるように勧められ称え始めた。周りの方達も一斉に称えられ、念仏の声が響き合い、こんな念仏の合唱は初めてだった。
 もう一つ驚いたのが、「これから真剣に聞かせて頂きます」と言った時、S先生から「これから、これからですか。そんな聞き方をしているから何時までたっても解決がつかないんです。今、ここで、私一人の為、と聞かせてもらいなさいよ」とハッキリ言われ、頭を棒で殴られたようなショックを受けた。
「続けて聞かせて頂きましょう」と40年間言われ、言ってきたので一番大事なことが全く抜けていた。

 長い間の聞法姿勢を打ち砕いて頂いた。しかし帰りに、やはり来て良かった、さあこれから聞かせて頂くぞとまた後戻り、そう簡単にこの心は正されない。そのうちに信心はピンピンしている。
 書籍コーナーには、伊藤、増井先生以外の浄土真宗の先生の本が多く並べられてあった。皆、自己の獲信を告白し阿弥陀仏の本願の救いの間違いないことが書かれてあり、他のもの読むなと言われてきたのと大違いだ。早速求めた。
ご法話ビデオの貸し出しがあるのには感動した。過去の行事の時のご法話が聴聞できる。これまでとは考えられないことだった。これも借りた。



○聞法の日々

 毎日、会社の往復時間も惜しくテープ聴聞し、家に帰ってビデオご法話を聴聞し、双書拝読の聞法を続けた。
 南无阿弥陀仏のご名号の尊さも段々知らされ、念仏を称えるようになっていった。
 聞くほど、読むほど、理解して感動する心と、信じられない、分からない、疑い心も強くなってゆくのを感じてきた。
 車の中や、仕事中に一人になると「信心数え歌」を毎日歌うようになりそれにつれて歌の意味が気になってきた。
 歌詞は理解できるが私の心と同じではない。
 勿論、信後の心の歌だからだ。

「四つとせ よくよくお慈悲を聞いて見りゃ 助くる弥陀が手を下げて
      任せてくれよの仰とは     ほんに今まで知らなんだ」

「八つとせ 益にも立たぬ雑行や      雑修自力は捨てもせで
      親様なかせていたことは    ほんに今まで知らなんだ」


 この心が分からない、本当にそうだと思えない。



○3月 華光会館の「講習会」で仏教の目的を知る

 華光会館での宿泊は初めてだった。
 演題は「浄土の荘厳」で、阿弥陀仏が本願を建て五劫思惟、兆載永劫の末に成仏なされ、また出来たお浄土はどんなところなのか、2日間にわたって増井悟朗先生が講義された。
 私はこの時、参加するまで本心は、獲信した方は聞きたいかもしれないが私はまだ未信の者。死んで往くお浄土より獲信をどうしたら出来るかの方が私にとって大事だ、そっちを聞きたいと思っていた。
 丁度、金持ちが今度行く旅行先の案内を聞くようで、金なし貧乏人の私にはあまり関係ない、金持ちになる方が先だのような先入観があった。しかしそれは打ち砕かれた。

「阿弥陀仏は、本願に‘若不生者不取正覚’と、信楽をえた人は必ず往生成仏させてみせますと誓っておられます」「我が浄土に生まれさせて、自分と全く同じ仏にさせてみせると誓っておられます。これが阿弥陀仏の本願です、往生成仏、仏に成ることが仏法を聞く目的ですから」と言われたのだ。

 私は、えっと驚いた。耳を疑った。
 高森先生から40年間も、若不生者の誓いは信楽にさせる、この世で絶対の幸福にさせることであり、不取正覚、若し出来なければこの弥陀は命を捨てると約束なされているから、信楽の身になれると聞いてきた。

「若不生者の誓いゆえ 信楽まことにとき到り
 一念慶喜するひとは 往生かならずさだまりぬ」親鸞聖人

 まさか、このご和讃の若不生者が「信楽」でなく、「往生かならず定まりぬ」とは夢思わなかった。気付かなかった。40年も。
 尊号真像銘文に聖人はハッキリと教えておられた。

「若不生者不取正覚というは、若不生者はもし生まれずはといふみことなり。不取正覚は仏に成らじと誓ひたまへるものりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたひと、わが浄土に生まれずは仏に成らじと誓いたる御のりなり」

 あー何という間違いを聞いてきたのか。ハワイのHさんにも間違ったことを言ってしまった。否、ずーっとそう言ってきた。
 親鸞会の人は全員そう思っている。
 平生業成、信心決定、信心正因、この世を絶対の幸福で暮らすことこそ仏教を聞く目的、人生の目的思っている。
 高森先生がいつも黒板に書かれた縦と横の線で話で縦の線、信心決定、絶対の幸福、無碍の一道になる事が信仰の卒業、決勝点と何十年も聞かされてきたからここしか見えてないのだ。

 死んでからの往生成仏、死んだら仏、死んだら極楽など、信心決定すれば自動的に付いてくるもの。そんなに問題ではない。この世こそ大事。あくまで目的は獲信、絶対の幸福と信じ込んでいる。
 現当二益の教えと言いながら、心は現益、一益で聞いていたことが知らされた。18願は現当二益が誓ってあるのを深く知らされた。

 だから「信心数え歌」のここがなぜそんなに嬉しいのか、ひっかかっていたのだ。

「七つとせ 永の迷いも暇乞い    憂いもつらいも今しばし
      やがて浄土のご果報とは ほんに今まで知らなんだ」

「十とせ  称えるみ名のそのままが 連れて帰るぞ待っている
      間違わさぬの仰とは   ほんに今まで知らなんだ」

 願行具足した南无阿弥陀仏の大功徳の仏種を私に与えて信心として、それで極楽往生させて成仏させ、もう六道迷わぬ身に完全に救いたい、これが阿弥陀仏の最終目的だったのだ。これが仏教の目的なのだ。
 それなのに当益を軽く見て、この世ばかり助かりたいと求めてきた。往生成仏を買い物した後にもられるポイントか、グリコのおまけのように思ってきたのだ。
 もう分かったつもり、親鸞会の間違いに全部気付いたつもりだったが、まだ根本的な間違いをしていた。
 何んてことかと深く反省せずにおれなかった。
 阿弥陀仏が想像出来ないご苦労で成就なされたお浄土を、改めて聞かせて頂こうと受講した。未信の私こそ聞かせて頂かねばならないお話だった。

 夜に懇親会があり、幾つものテーブルに酒や飲み物、食べ物が出て雰囲気が昼と一転して初めての私たち夫婦はすっかり気を許して、周りの人と話し合っていた。
 そこへ増井悟朗先生も来られて和やかに話しに入られた。私の向かい側に座わられお酒を飲まれながら、私の話を聞いて下さったが、その内厳しい顔をされて「貴方ほど、自分可愛い、自己中心な者はない。我執の塊で、周りの者を都合のいいように利用しているだけや。阿弥陀様にもそうや。そんな心では聞けない。謝ってきなさい、阿弥陀様に謝って来なさい。」
と言われてしまった。

 その通りだ、短い会話の中で私のど根性を見抜かれた。
 懇親会の会場のお仏壇の阿弥陀様の前で念仏を称えながら、これまでのこと、受講前の態度、阿弥陀様の深いみ心、思うほど申し訳なく涙が流れる。
 妻もすぐに横にきて一緒に念仏を称えていた。
 酒と話し合いと渾然としている会場で、私達夫婦は30分ほど念仏を称え続けていた。その間、増井先生は私達の後姿を見守っておられたと後から人より聞いた。



○深まる悩み

 毎日仕事しながらテープ聴聞、拝読して華光会の行事、地元の増井悟朗先生のご縁にも全部参詣するが益々、分からない、信じられない、疑いが深くなっていく。
 仏願の生起本末を何と有難いと素直に泣いて合点納得する心と、それがどうした、ふんという心が見えてくる。

「仏智疑う罪深し    この心おもい知るならば
 くゆる心をむねとして 仏智の不思議をたのむべし」

「弥陀の本願信ずべし  本願信ずる人はみな
 摂取不捨の利益にて  無上覚をばさとるなり」

 このご和讃が頭から離れられなくなる。
 仏智疑う罪深しが喉に刺さった骨のように抜けない。
「本願の心」「六字の心」のご法話テープを何度も聴聞するが、お任せできない心、疑情が頑としてある。


・私の心 --衆生性得の機、悪業煩悩・墜ちてゆく因(黒い心) 治らない
・南無の心--廻向の機 真実心 信ずる心(白い心) もらいもの
・疑い心---自力計度の機 流転の因(暗い心) 捨てもの、無くなる

 浅ましい黒い心が見えてくると、これではなー、こんな奴が本当に救われるのか、もっと真面目に、正直に、真剣にならんと救われないのではと思い、心を責め、「そのまま任せよ、必ず救う」の阿弥陀様の本願力、を疑う心、暗い心が出てくる。

 有難い、勿体無い、早く分かりたい、納得したい、安心したい、楽になりたい、ハッキリしたい、任せたい、どうにかしてくれ、全部あるこれも自力だ。
 何を思っても自力でないか。自力以外ないではないか。
 これでは助からない。自力よどこかへ行ってしまえー、消えろー。



○4月 妻の不思議

 4月の華光会館の「永代経」のご縁に参詣して、妻が帰りの車中で「私、さっき阿弥陀様におあいした。自力の心がもう無くなってしまった。不思議や、不思議や」と言った。「えーそれ本当か、本当か、本当か」驚いてしまった。ご示談の最中にそれは起きたと言って話してくれた。
(内容は華光誌に載りました)
 まさか、こんなに早く、妻が、想像もしなかったことが起きた。
 私は驚きと、疑いが入り混じり、何か思い違いでないだろうか、その内崩れるのではないかとも思った。
 そうか、そうかと聞くだけで、あまり良かったなーと言わなかった。感情的になるまいと押さえた。
 妻も1月、華光会へ行ってから真剣に悩み続け、毎日のように私と信じられぬ心、三つの心について話し合ってきた。
 だから、私はおかしなものを握ったら大変だと警戒する心があった。
 妻は私が素直に認めていないことに気付いているが、こんな不思議が疑いの真っ最中の私に信じられないことも承知していた。

 それから妻は毎日、阿弥陀様のみ心について折りにふれ話してくれた。私の思い違いを言ってくれるが、それが分からず落ち込む。
「そのまま任せよ、必ず助けるが南无阿弥陀仏の心だったよ、それ以外に何を聞こうとするの」と言うが、それがそうならないから困っているのだ。
 前まで「お父さんが信心決定して必ず私を導いてや、絶対よ、約束してね」と何十年もしおらしく言っていたのに、今は逆転してしまい、こうも差が出来てしまった。
「もう言うな、分かってる、俺一人で考える、自分のことだから」と男の意地が、もっと聞かせてくれと言わせない。あー俺は馬鹿だ。



○6月 華光会館「壮年の集い」自力建立の信は続かぬ

 最初の自己紹介で「仏智疑う罪深しのご和讃の心をどうしても知りたくて来ました。宜しくお願いします」と皆さんに頭を下げた。
 何としても今回こそと内心力が入っていた。
 ご法話、ご示談が繰り替えされてすすむが、一向に私の心は変わらない。
 夜のご法話、ご示談が終わって懇親会が始まったが私は3階の部屋に一人残って、六字のご本尊の前で正座して念仏称えながら仏智不思議を疑う罪を深く考えていった。
 本師本仏の阿弥陀仏が六道輪廻して苦しむ私をご覧になられた。
 三世諸仏は何とか救おうとご苦労されたが、余りにも私の罪業が重くて手がつけられない。善のかけらの無い奴には力が及ばない。縁無き者と見放されたが、捨てられて当然の私なのだ。文句があるまい。
 阿弥陀仏はそんな極悪人なら尚更見捨てておけぬと、私を救う仏に成ってみせると、仏の座から降りられて、世自在王仏のお弟子、法蔵比丘になって下さった。
 私の罪業の深さ、自性を見抜き見抜かれて、この私をどうして迷わぬ仏に出来ようか、よし、全部この法蔵が代わりに願も行もやろう、五劫が間も考え抜かれて四十八願を建て、師の世自在王仏にこの願必ず成就してみせますと重ねて誓って下された。

「お前のためなら、火の中、水の中、身を八つ裂きにされようと、たとえ諸々の苦毒の中に投げ込まれようと、苦しくないぞ、だから信じておくれ、任せておくれ、助かっておくれ」と兆載永劫の修行して功徳を積み上げ成就して南无阿弥陀仏の仏に成って下さった。
 それから十劫の間、一時の油断なく、こうもすれば聞いてくれるか、分かってくれるか、受け取ってくれるかと種々の善功方便、調熟の光明のお育てを頂いてきたのだ。今か今かと南无阿弥陀仏のこの大功徳、全財産をさあー受け取れよ、任せよと呼びずくめ、待っておられる。釈迦は娑婆往来八千編、このこと一つを伝えようとご苦労なさっているのだ、私の周りの人々も菩薩なのだ、妻もそうだーーーーーー
 ああ、何という大慈悲心なのか、お念仏と共に涙があふれる、止まらない。
 阿弥陀様済みません、済みません。それなのに、疑うとは申し訳ありません、何という恐ろしい奴でしょうか、済みません。
 懴悔と念仏が出てくる。
 しかし、1時間もたつとこの心が続かなくなってしまった。おい、何時まで泣いているのか、もう芝居はやめておけ、お前なんかどれだけ泣いても俺は知らんぞ。しらーとする奴が段々出てくる。
 本願を、大慈悲心を素直に受け取らない奴がまだいる。
 なぜ聞かぬのだ、なぜはねつけるのだ、お前さえハイと信じてくれたら全て終わるのだ。何時まで逆らうのだ、このままなら又しても昿劫流転だそ、分からんのか。
必死に聞いてくれぬ心を責めるが、全く反応しない。
 始末がつかぬ、真面目にならない。
 阿弥陀様のことが思えぬどころか、ああ腰が痛い、喉が渇いた。下では皆さん愉快にやっているようだな。腹がへったな、まだ何か残っているだろうか。こんなことまで思うようになっていった。

 2時間近くも降りて来ないので、妻が気になって様子を見に上がって来た。
 何とも言えぬ格好をしている私を見て、どうなったのと言ったので「あかん、こいつに、もー勝てん」と腹を叩いた。
 逆謗の屍、闡提の本心は全くピクリとも受け付けなかった。
 今思えば、これがお目当てなのに、あれほど妻に「このままやったよ」と言われても、自分でこの心をどうかしよう、なると思って悩んでいた。
 自分の心の中に説法道場を作り、自分が阿弥陀様のみ心分かったつもりで説法して自分に聞かせて感動する、助けようとする。自力建立の信とはよくぞ言ったものだが、それは続かぬ、崩れる。
 益々、聞かない心と聞かそうとする自力の心、計らい心に悩んでいった。



○途方に暮れてゆく

・おかる同行の嘆きが分かってくる。
「こうにも聞こえにゃ聞かぬがましか、聞かにゃ苦労はすまいと言えどー
       ーーーーどうすりゃ他力になるのじゃろ」
・山口善太郎同行も
「味わいどころか苦しくて  無き疑いの起こり出しーーー
 泣いて甲斐なきことなれど 方角立たずに泣くばかり」よく分かる。


・伊藤康善先生は「安心調べ」に厳しく教えておられた。
「十劫の昔の話を素直に信じられる程、我々はお目出度い人間に出来ていないのだ。そこには、生死の断頭台に生首を突き出す苦しみがある。
 払うても払うても後から現れ、奪えるだけ奪って尚、心の底にこびりつ仏智疑情の薄紙を破らねばならぬ。
 だから、説く者も愛想をつかし、求める者も愛想をつかし求道の精も根も尽き果てて悲叫悶絶のどん底から湧き上がる精神的大飛躍の境地がある。一念は断じておぼろではない。今こそあきらかに知られたりと驚き立つ心である。--この一念の体験がなくては何を言っても駄目なのだ」

・増井悟朗先生も「念仏のお叫び」に言われていた。
「真宗のお救いでは、この自力の心が、最も邪魔になる。とはいえ、真剣に聞法してゆく人には必ずこの自力の心が出てくる。そしてそれが、大問題となってくる」



 K先生と一対一のご縁の時、心境を話しすると「貴方はとんでもない頭の高い人ですね。偉い人だ。阿弥陀様の頭の上に上がっている。増井先生の上に上がって聞いている。そんなことで聞けますか。自分を全く分かっていませんね」とズバリ言われてしまい頭がまっ白くなる。
 自分では意識していないつもりだったが、40年聞いてきた、20年講師をしてきた、1000回近く話しをしてきた、何もかも分かってる、知っている、覚えてるの心が言葉の端に現れ、高い頭で聞いているのが分かる人には分かるのだ。
 言われると辛い、逃げ出したくなる。K先生は妻の獲信の時の座談をして下さった方であり、K先生自身がその苦しみを通って来られた方だから、私を見て問題点を指摘されるのだ。
 毎月、妻あてに(私に)我々は邪険、驕慢の者であり、罪悪深重の者である。自分の値打ちを知りなさい、知らねばお慈悲は届かない、心の頭を下げて聞かせて頂きなさいと、ご自身の懴悔を書きながら繰り返し、繰り返し葉書、手紙で教えて下さった。



 8月の鯖江市のお寺の増井悟朗先生のご法話、9月の福井市のOさん宅のM先生のご法話にも参詣するが、依然としてこの心はハッキリせず、座談の席で皆さんの前もはばからず泣いてしまった。
 血で血は洗えぬと言われたが、疑い心で、疑いはなくならないが、疑わずにおれない、任せれられぬ、飛び込めぬ心に困り果ててきた。どうししようもないのだ。

「富士の白雪 朝日でとける
 凡夫の疑い 思案じゃとけぬ
 晴れたお慈悲を聞きゃ、晴れる」

 時々、この歌を思い出す。聞くしかない。

 外にご法話の無い日曜は、家で増井先生のご法話テープを聴聞するが、聞きたい内容が妻と違うので2台のラジカセでお互いに離れてヘッドホンで聞いた。
 妻はハイ、ハイ、そうです、その通りと言って泣きながら念仏称えて聞いている。
 私は黙りこくって目を閉じ、うつむいて聞いている。
 華光会に出会った時は、砂漠でオアシスを発見したような、闇夜に太陽の喜びだったが、今は夕日が沈み沈みの心境になって、途方に暮れてしまった。1月から10ケ月、300日毎日のように聴聞、拝読を続けているが、全く六字の心を受け付けない。はねつける。こうまでもしぶといとは思わなかった。
 邪見、驕慢の悪衆生とは俺のことだ。自分ながら愛想が尽きる。
 ばかやろーと頬を殴ったりしてもちっとも変わらない。何という奴だ。



○10月 この世の一大事が起きた

 10月の中頃、会社で仕事中に急に腰から下が痛み出した。
 最初はしびれ、鈍痛だったが、段々ひどくなってきて激痛に変わり不安になる。
 今の仕事で腰が悪く動けなければクビだ。
 何とか治さないと生活が出来なくなる。家のローンもまだ残っている。
 年頃の娘二人もまだ未婚だ。どうしても働かねばならないのだ。
 どうしよう。しかし痛くて、ゆっくりとしか歩けない。
 50メートル歩くと立ち止まってしまう身体になってしまった。
 家の玄関の5段の階段さえ自分の足で登れず、横の柱にすがってやっと入った。 布団の中でも痛くて足が伸ばせず猫のように膝を抱えて横になる。痛くて夜も眠れない。
 原因は早朝から仕事して、帰ってまたアルバイトした無理かと思うと自分の体力を甘く見たことが悔やまれてならない。

 仕事を2日間休んで整骨院へ行くと、坐骨神経痛ですね、治りますよと言ってくれたのが何よりの救いだった。そうか治るのか。
 朝起きるが、すぐに起きられず、柱にすがって立ち上がり、壁にすがって家の中を歩き、どうにか身体を車に乗せて会社に出かけ、毎日痛い足腰をかばいながら、そのうち治る、良くなる、と信じて仕事を続けていた。上司、同僚には痛みを余り気付かれないようにするのも辛かった。
 家に帰ればクタクタで横になるだけで、テープを聞く気も、拝読する元気もない。情けない心だ。
 しかし毎日のように仕事帰りに通院治療しているのに1ヶ月たっても全く良くならない。心配になり、大きな整形病院で精密検査を受けると、予想以上に悪く「このままでは、そのうち歩けなくなりますよ。」医師の言葉に目の前が真っ暗になった。
 手術の方が良いということになり覚悟した。
 しかし、血液検査の結果、糖尿病の数値が悪く、麻酔が効かないので糖尿病を治さないと手術は出来ないと言われてしまった。最悪だ。そう簡単に治る病気でないことは私自身知っている。
 それまで、この痛み我慢しろというのか、自分のせいなのに腹が立ってくる。馬鹿な私だ。

 1月4日入院、糖尿病治療で血糖値を抑え、上手くいけば2月4日手術、退院は2月末と言われた。
 鎮痛剤、貼り薬で痛みを誤魔化しながら会社へ行き、入院を待つ身になった。
 テープ聴聞もおろそかにしている自分、正座が出来ないのを理由にお勤めもさぼって念仏で済ませている自分。
 身体とお金と仕事と信用ばかり心配している本心しか見えてこない。
 この世の一大事の前には、後生も阿弥陀様のご恩も疑いさえも忘れて、病気の回復を真剣に願う心しかない。
 生きるため、心配なく生きることが一番大事なのだ本心は。主人は。
 殊勝そうに聞いていたのは番頭で、本心は何も聞いていないのだ。
 死ぬとも、悪人とも思っていないのだ本当は。
 あれほど疑い心に悩んでいたのに、1ケ月の痛み苦しみが続くと、今はそれどころでない、どうでもよくなっている。
 おい、このまま死んでいいのか、後生が心配ならないのか、Sさんのことを思い出せ、誓ったでないか求め切りますと。何とか叩こうとするが、
 全く返事しない、やはり屍だ。情けない。
 これが私の実態なのだ。身体も心も辛い日々が続いた。



○11月の「華光大会」私一人の為だった

 11月末の2泊3日の華光大会が迫ってきた。
 さーどうしようか。身体のことが心配になってきた。
 正座は勿論できない、階段も怖い。もそもそしている姿を皆さんに見られたくない。
 3日間も集団生活する自信がない、本気で行きたくない、と思った。
 大分気持ちが弱くなっている私を見て、妻が会社へメールを何度も送ってくれた。
「そうしている内に後生が容赦なく突然やってくるんです。一息一息後生に運ばれているじゃないですか。これ以上長綱はいている時間がお父さんにありますか。そんな余裕が本当にあるんですか。」
 私は返信した。「あー腰が痛い。くそーと思うばかり。昼寝したい。今はそれだけ、煩悩具足だ」すると又妻から「そんな煩悩具足のお父さんが可愛そうと阿弥陀様は泣いておられんですよ。そのまま、まかせるだけ」と来た。私は「分かるけど、そうならんー」と返信した。

 どうしても参加させるつもりだ。少しは同情しろ、菩薩じゃない、鬼に見えてくる。このままでは駄目だ。
 私は増井先生に今の身体の具合、弱い聞法心、浅ましい根性の洗いざらい、妻の言葉まで書いて、宜しくお願いしますと手紙を送った。
 こうしなければ当日に行かんと言い出す心しかないことが分かったからだ。もう後戻り出来ない。
 京都へ行く車中、ご法話テープを聞いて心の切り替えをした。



 1日のご法話、座談では、心を閉ざして聞いているだけの状態だった。絶えず身体のことが気になる。
 夜の懇親会には身体がしんどくて参加せず、待っていたように布団にもぐりこんだ。
 今日聞いた話、座談、ご示談で言われたことを思い出してみる。
 思えば一日中、にこりともしていない自分であったと気付く。
 明るく挨拶する余裕が無くなっている。



 2日目も先生方が真剣に話され、ご示談も熱が入って、言うほうも、聞く方も真剣だった。
 素直に聞けない心があると私は発言して、この心が辛いと言った。
 今日も私の心は変わらなかった。
 懇親会は参加せず、今日のことを振り返っていた。



 3日目、午前中は華光会の会計報告があった。
 私は3日目で疲れが出たので参加せず、別の部屋で横になってスピーカーから聞こえてくる会計報告を聞いていた。
 3枚の収支報告書には1円まで収支が書き込まれ驚いた。すべてガラス張りで不審が出ないようになっていた。
 あーこんな苦労の歴史を刻んで今日の華光会があるのか。
 不思議だなー。高森先生と40年のご縁がありながら、その高森先生の聞法の古里へ私が来ているとは。
 Gさん、Sさんのあの泣かれた姿を見なかったら、母の勧めがなかったら、父があの本を残してくらなかったら、インターネットで華光会のホームページを見なかったら、増井先生がお元気で電話に出て下さらなかったら、華光会の先生が根機よく教えて下さり、妻が今度も絶対行くよと強く言ってくれなかったら私は今、ここに居ないのだ。
 あらゆる因縁がそろって私はこのご法に遇わせて頂いている。
 そう思うと涙が頬を伝って流れる。
 これらの因縁は遠く法蔵菩薩の願心からではないか。
 十劫以来、今も呼びずくめの阿弥陀様の仏心の働きではないか。
 それを、分からん、分からん、だけどーと俺は言いつづけている。
 助かる縁がないのか。また涙が流れる。

 昼からは、増井悟朗先生のご法話が最後だった。
 入院すればこれでもう3月まで会えない、聞けないのだ。
 ところが、増井先生は私も高齢ですから、何時どうなるか分かりませんと言われる。
 私は何と愚か者か。また聞けるつもりでいる。
 私はあぐらをかいて座っているのさえ自信が無くなり、道場の一番後ろの隅の誰 からも見えない処に膝を抱えるように座っていた。
 増井先生に手紙を出しながら、この3日間一度も先生の座談の部屋へ行かず他の、部屋に参加していた。
 逃げていたのだ、心が。

 増井先生のご法話は南無阿弥陀仏の六字の心を、隅っこに隠れる様に座っている私目掛けて話しされているように感じはじめた。50畳位だから丸見えだ。
「凡夫の知恵で阿弥陀仏の心を知ろう、掴もうとするのは丁度、ストローの穴から大空を覗いて見ているのと同じだ」と言われた時、ズキーンとして不思議な心になり、阿弥陀様の愚かな私へのご説法だと聞こえてきた。
 40年間、聞いてきてこんな思いは初めてだった。

 あー俺は馬鹿だった、分かりたい、納得したい、そしたら救われるだろうとは、何と我が身知らずか。自力丸出しだ。
 分かるほど小さな仏智ではないのだ、堕ちることさえ分からぬ俺が、それを自惚れてーーー。聞いたのも、覚えたのも、知ったのも、泣いたのも、称えたのも、信じたのも、何の力にならぬ、すがるものは何もない全部ない。もー駄目だ、俺は助かるものではない、阿弥陀さまー私はもうどうにもならぬものですーとなった。

 その時「まかせよーそのまま救うぞー」呼び声が届いた。あっという間だった。これまで絶対下がらん心の頭が下がって、分かりましたーお任せいたしますー、南无阿弥陀仏となってしまった。
 南無の心に貫かれ聞即信となった。
 南無の心は、早く来い、われをたのめー、まかせよー、助けさせてくれーの叫びだ、呼び声だ。無条件降伏させられ、自力の心が殺された。
 阿弥陀仏は助けるぞー、捨てはせぬぞー、罪業はどれほど重くとも心配するなー、そのまま引き受けたぞー。必ず我が浄土に生まれさせて仏にしてみせるぞーの大慈悲心だった。
 それが一つになった南无阿弥陀仏のお力の大きさが、尊さが口からあふれ出る。南无阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ーー

 救われた私より、阿弥陀様の方が、よく聞いてくれたと喜んで下さるのだ。何という不思議か。こんな私が南无阿弥陀仏の主とは。ああ。

 親鸞聖人が「噫、弘誓の強縁は多生にも値い難く、真実の浄信は億劫にも獲難し、遇行信を獲ば遠く宿縁を慶べ」そのお心が沁みてくる。
 絶対助からぬ者を絶対助けるの本願であった、永い間疑い続け、逃げ続け、謗り続けてきたのに、必ず聞かせてみせる、と六道どこにいようとも何時も離れず護り、育て下さった大慈悲であった、申し訳ないことをしておりましたー。何と勿体無いことか。

 おかる同行が「そのまま来いの勅命に、いかなるおかるも頭が下がる」
 浅原才一同行が「わたしゃあなたにたのまれて、助かってくれよとたのまれて、ご恩うれしや南无阿弥陀仏」と言った心がこのことだったかと分かった。

「たのませて たのませたまう弥陀なれば
 たのむ心も われとおこさじ」

 全く、他力廻向の信心でありました。
 私からは信じる心など持ち合わせておりませんでした。
「ただもいらんただ」「ご注文なし、おかまいなし、無条件」でした。


(十八願)
どんな悪人も--十方衆生(五逆、誹謗)--そのまま
本願を信じ --至心信楽欲生我国  ---弥陀におまかせして
念仏申せば --乃至十念      ---称えれば
仏に必ず成るーー若不生者不取正覚  ---助かる(現当二益)

 これが、今の私の本願、南無阿弥陀仏の頂き心です。
 何の不足もありません。これ一つが火宅無常の世の真実です。
 祖母がこれ一つは残る、一緒や、と言った意味がやっとハッキリしました。
 ばあちゃん、有難う、分かったよ。

 帰りの車中で今度は私が、ご法話中の不思議を妻に話した。
 妻は泣いて喜んでくれた。
 妻は3日間中、どうか、どうかと阿弥陀仏に念じ続けていたことを話してくれた。そうとも知らず、申し訳がなかった。有難う、お前のお陰で六字の主に成らせて頂けた。
 阿弥陀様は総がかりで私一人を助けんとなさっておられのだ。

 実家の母に伝えに行った。突然行ったので驚いたが「阿弥陀様に遇えたよ、助かったよ」と言ったが、後は言葉にならなかった。
 母は泣いて手を握って「良かったなー、そうか、良かったなー」と言ってくれた。
 40年間この日を待っていたと言ってくれた時、また泣かずにおれなかった。
 母には私達が華光会へ行くようになって、ご法話テープ、書籍など50点以上送っていた。
 電話で毎日喜んで聞いている、読んでいる。真の先生に遇えて良かったなー。しっかり聞かせてもらえや、と何度も励ましてくれた。
 増井先生は善知識だから今度こそ聞きぬけ、後生の一大事、自力、他力の廃立を説かれているから聞けば必ず救われるとも言った。私の獲信を聞いて慶び、大恩ある増井先生に法名をお願いしたいと言ったので書いて頂き、見せると大変喜んだ。
 母はそれから半年後に「先に往くぞ」とお浄土へ往きました。
 大変寂しいけれど、悲しくはありません。今ごろお浄土にじっとしていないでしょう。南无阿弥陀仏をお伝えに出かけているでしょう。

「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし」

 親鸞聖人が阿弥陀如来と善知識、お釈迦様、七高僧方のご恩を慶ばれ感泣なされたみ心が知らされてきます。
 私も阿弥陀様、そして増井先生にどれほどご心配をおかけしたのか。そのご恩が知らされ、この喜びと導いて下されたお礼を心から書かせて頂いた。

 私はこれからも聞かせて頂きます。我が身の値打ち、阿弥陀様のご恩の深さをもっともっと聞かせて頂ききます。ご恩をすぐ忘れる私ですから聞かせて頂きます。
 そして今も呼びずくめの六字の心をお伝えしてゆきます。坐骨神経痛はその後、どういう訳か痛みが引いていき、入院手術の必要も無くなり、今では普通の身体に戻りました。これも有難いです。

「われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀 連れて帰るの 親の呼び声」
(読み人知らず)

南无阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

六字の呼び声 (その1)

 以下は、親鸞会元講師部員である嶋田久義さんからの投稿です。
 長文になりますので、3日間に分けて掲載させて頂きます。


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『六字の呼び声』 嶋田久義



「釈迦弥陀は慈悲の父母種々に善巧方便し我等が無上の信心を発起せしめたまいけり」親鸞聖人


 身の幸を思えば思うほど、このご和讃の深いみ心に頭を下げずにおれません。

 私一人を救い摂らんと阿弥陀仏はどれほどの善巧方便なされ、ご苦労下されたのか、私の過去を申し上げて、お育て頂いた洪恩の億分の一なりともをお伝えさせて頂きます。


○私は昭和24年に、満州から苦労して命がけで引き揚げた両親から、この世に生を受けました。はや60歳。父は農家の次男、引揚げて来ても少しばかりの田畑しか相続出来ないので、母と豆腐屋の商売をしながら兄、私、妹と可愛がって育ててくれた。
 特に母は、祖父母が熱心な仏法者だったため仏法を聞き求め、3人の子共の中でも仏さまに関心を示す私を見て、「お釈迦様」「親鸞」の映画を町まで連れて行って見せてくたれこともあった。阿弥陀様に手を合わせていると、なぜかしら見ておられるような、親しい、暖かい思いになった。


 近くの寺の日曜学校や報恩講のお参りに行き、正信偈や歌も覚え、小学生の時、村の住職に4,5人連れられて京都の本山へ行き、おカミソリを受けて法名をもらって帰ると母が大変喜んだことを思い出す。

 又、母に連れられて、村に説法に来られた高森先生の話を初めて聞いた。
 往生要集のスライド上映の後、黒板に字を書いて「後生の一大事」、「地獄」がある、と恐ろしいことを話され、すごい熱弁であったことを今も記憶している。
 まさかこの高森先生が後に親鸞会を創り、会長となり、私の人生に深く関わることになるとは夢思わなかった。


 中学生の時、急性肝臓病で黄疸が出て入院、病棟には死ぬ人が何人もあり、人間は死ぬ、自分もひょっとして死ぬかもしれないと、初めて自分の死を考えた。
 死んだらどうなるのだろう。あんな地獄が本当にあるのだろうか。恐ろしい。

 母がこの時、早く良くなるようにと川に入ってシジミ貝を捕って来ては毎日のように病院へ持ってきた。
「これがこの病気に一番いいぞ」と、三食に必ず食べろと勧めるので、死なせまいと心配する親心を感じた。

 また、吉川栄治の「親鸞」を病院へもってきて読むようすすめてくれた。祖母が小さい時買ってくれた漫画の「親鸞さま」より人間的悩みが描かれていて、自己に厳しい方であることが分かり、親近感をもたずにおれなかったが、どうして南无阿弥陀仏のお念仏になってゆくのか分からなかった。

 死の不安も2ケ月後には回復して学校へ戻ると思わなくなってしまった。


 高校時代、東本願寺の仏教青年会、仏青に入り行事に参加しするようになっていく。
 毎月、持ち回りの講師方の話があったが、その時の講師はほとんど後生のことの話は無く、この世は四苦八苦の人生だが親鸞聖人の教えられたお念仏に励まされ、慰められて感謝の生活、お念仏の生活をしましょう、と仏法を今生ごととしか話さなかった。

 お念仏が生きてゆく為の杖のようなものなら、私にはまだ杖は要らないと思い、段々と仏教を聞く気持ちが無くなってしまった。
(最近になって、東、西本願寺にも後生の一大事、自力を捨てよ、信心決定、往生成仏を説かれる布教使のおられたことを知った。早くから、このようなお方とご縁がなくて残念であった)


 次の冬、欠かさず寺参りを続けていた祖母が84歳で倒れた。
 亡くなる3日前に一人で見舞いに行くと、よう来たと喜んでくれたが、もうすぐ死ぬ祖母にどう言葉をかけていいのか戸惑うばかりだった。
 やっと、「婆ちゃん、84まで生きて長生きやったねー」と長生きを誉めたが「そんなもん、あっとゆう間や、早いぞー。すぐ来るぞー」と切り返えされてしまった。
「そんなに早いんか」と念を押すと「ああ、早い、すぐじゃ」と言った。
 次に「婆ちゃんが頑張って生きて来たから、母ちゃんや俺が生まれて来れたんや、有難う」と言うと、「そうやけど、死ぬ時は一人や誰も付いてこれんぞ、この世のものは皆、置いてゆくもんばかりや」と言った。
 私は困ってしまい「何も無いんか、そこまで生きてきて何も無いんか」と聞くと「一つだけある。親鸞さまのみ教え、南无阿弥陀仏だけが残る、無くならん、一緒や」と言い切った。
 南无阿弥陀仏だけが残る、一緒とは何のことか。
「お前に、どう言うていいか分からんが、これだけは残る、無くならん、一緒じゃ」と又言った。
 今、臨終を前にして祖母が孫にウソを言うはずがない。
 84年の人生の結論を、何とか私に伝えたいのだ。
 やはり仏教は聞かねばならない教えなのか。
 祖母の遺言を心に刻んだ。



○親鸞会との出会い

 しばらくして、近所の親戚の親鸞会、青年部会員と6時間以上話す機会があった。
 彼女は「人間の実相」の絵を出して説明し、今にも切れそうな細い命の藤ツルにぶら下がって、切れたら三匹の毒龍の待つ地獄へ墜ちるのに、五欲の蜂蜜をなめることに心を奪われているのは誰かと聞いて来た。
 初めて聞く「佛説譬喩経」の話に私は何の反論も出来ず、自分のことだと認めると、じゃ仏法を聞かねばならないと言ってきた。

 何と仏青で3年聞いても分からなかった仏教を聞く目的を、こうもハッキリと聞かされて驚いた。
 そして、今の本願寺では本当の仏教、親鸞聖人の教えは聞けない、分からない、高森先生こそ阿弥陀仏に救われた、無二の善知識であるとも言った。

 高森先生、そういえば小学生の頃、すごい早口で黒板に字を書きまくって指示棒を、バンバン叩いて話していた金ボタンの学生服の人を思い出す。
 あの人か、あの人が親鸞会を創って彼女をこうまでさせたのか。

 帰りに渡された高森先生の書かれた「顕正」を読み、強いショックを受けた。
 仏教用語が多く、難しく理解出来ぬところがあるが、本願寺を強く批判してある。こんなに批判する人の本は初めてだった。
 しかし自信と情熱一杯で書かれてあることも感じた。

 寺の住職に相談すると、「あそこには近づくな、私は助かった信心を獲たと強く言われるものだから、多くの人が、早く自分も信心を頂けると思って熱心になっている。気をつけなあかんぞ」」と言われてしまった。
しかし、本に書かれていたことが気になり寺に隠れて夜聞きに行く。
 2、3ヶ月ほど聞いて御法話が終わってから、高森先生の控え室へ勝手に入った。40年前は在家の御法話がほとんどで、夜の参詣者も40人ほど。今では考えられないほど自由だった。

 氏名と仏青であることを言い、「あなたは異安心ですか」と切り出した。すると「異安心って、どうゆうことか知っているか」と言われ、「信心が違っているということでしょう」と答えると「そうだ。誰の心と違っているかが問題だ。親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の信心は一味、同だ。ワシも同じ。本願寺と違っていても異安心ではない。本願寺こそ間違っている。どう違っているか言おうかね」と、4つほど挙げて話された。

 これでも、本願寺は親鸞聖人と同じかねと、根拠を示しての話に私は納得してしまった。
 寺へ行って住職にどこが間違いですかと尋ねると「あれほど行くなと言ったのに、行ったのか、んー」と言うだけで返答がない。
 かって、この寺でも高森先生を招待していたが、本願寺から問題があると連絡があり反対するようになったことを後で知る。
 きちんとした説明が出来ない住職の態度が気になり、小さい時からお世話になったところだったが、悩んだ末に仏青との縁を切り、親鸞会に入会した。親鸞会では掛け持ちが許されず、18歳でした。



○親鸞会で求め始める、

 次のように聞きました。

 私達は、欲、怒り、愚痴の煩悩で毎日、心、口、身体で十悪を造り続けて生きている。その上、五逆罪、謗法罪という悪業を犯している。
 だから因果の道理、悪因悪果、自因自果で無間地獄へ堕ちる報いは逃れられない、後生の一大事がある。
 これ以上の一大事はこの世にないが、皆、知らないで生きている人ばかり。
 救われるには仏教、阿弥陀仏の本願しかない。
「すべての人を絶対の幸福に必ず助ける」
 阿弥陀仏はこの後生の一大事を解決して、絶対の幸福、いつ死んでも極楽参り間違いない身にこの世で救って下される。
 この体験を信心決定といい、これが人生の目的であると。

 ではどうしたら救われるのか。
 蓮如上人は御文章に「五重の義、成就せずば往生かなうべからず」と教えられている。これが揃わないと絶対に助からない。

1宿善 2善知識 3光明 4信心 5名号(念仏)

 まず何よりも宿善であり、「宿善まかせ」「無宿善力及ばず」と聞かされた。船に乗ったら船頭まかせ、病気になったら医者まかせ、これ以上大事なものはない。
 宿善は善が宿るともいい、過去世を含む、今までの善行をいう。
 また阿弥陀仏とのご縁、仏縁でもある。
 宿善のある人は、後生が気になる、仏法を尊く思い、聞きたい心の人である。
 宿善が厚くなると、宿善開発する、信心決定する、絶対の幸福になれると聞いた。
 その宿善はどうしたら厚くなるのか。

1聴聞 2勤行(五正行) 3諸善

 聴聞が一番大事で、しかも善知識の高森先生以外の人の話を聞いても宿善にならない。なぜなら現代の善知識は高森先生お一人であるからである。唯一、無二のお方であると何度も聞いた。
 どんなに疲れていても、毎週日本各地、どんなにお金がかかろうと高森先生のご法話に行かねば宿善は厚くならない。

 その為、家中が反対しても喧嘩になっても、ウソついてでもそこを参るのが「火の中をかき分けて聞くのが仏法」だから尊い。
 正座して一言も漏らさず聞き、聴聞記録をしっかりと書き、覚えていないと真剣な聞き方とは言えない。居眠りなど謗法罪の大罪と言われた。服装もきちんと、男性はネクタイが常識。


 勤行は必ず朝晩しなければ信仰は進まない、宿善は厚くならない、勿論、ご本尊は御名号でなければならず、木像、絵像は他流のご本尊で地獄行きの者である、と特に厳しかった。
 しかし、南无阿弥陀仏の心が分からず、毎日勤行をしていても、なぜか阿弥陀さまが遠くにしか思えない。


 諸善、六度万行をしなければ宿善は厚くならない。
 中でも布施行として法施、人に仏法を伝える、人を誘うことが最高の善と言われ、顕正、入会を勧めることや、参詣者数が活動の柱となり、目標が与えられ、競った。
 また財施も尊い宿善になると強く勧められれた。
 その他、教学の勉強、会合など、皆宿善、宿善と言われて時間、労力、お金をかけて活動に熱くなって行く。


 高校3年の卒業近くに教官の許可をもらい、教室でクラスの50名に3時間程、仏教の話をした。勉強をして知識、技術も大事だけど、生きる目的こそ大事だと「人間の実相」の絵を書いて話をする。
 皆、何を言い出すのかと驚いていたが、やがて真面目に聞いてくれ、学友は今も覚えていてくれた。


 しかし、青年は熱し易く冷め易いと言われるように、2年もすると活動するのが苦痛になってきた。
 高校卒業後、家業の豆腐屋の仕事を両親としているので、朝5時に起きねばならず、今と違って365日休み無し。
 活動で夜が遅くなると本当に身体がきつい。
 何より、指導している講師部にも信心決定している人がないことが分かってきた。
 こんなことを続けていても信心決定など自分には無理だと思えてきてしまった。しかし会員さんは真剣でとても誰にも言えなかった。

 遂に20歳の時、自分なりの生き甲斐探しのために家出をしてしまい、東京、札幌、名古屋、福井と仕事をしながら3年があっという間にすぎた。
 両親の期待を裏切り、本当に申し訳の無い自分勝手なことをしてしまったと思う。どんなにか辛かっただろう。でも両親は責めず、怒らなかった。
 家業は家出中に妹が婿取りをして継いでくれた。申し訳がない。
 福井県へ来て仕事中、道でばったりと親鸞会講師部の人と出会い、声をかけられ近況を話しているうちに、1度位来ないかと言われ、用心しながら無理をしない程度に聞き出した。


○後生の一大事に驚く

 ある日、「人間の実相」の説法を聞いた数日後、私は夜中に自分が死ねばならぬ夢を見た。実に生々しく、今もハッキリと思い出せる。
 2匹の3メートル位の鬼が迎えに来た。あわてふためき「どうか助けてくれー」と泣いて哀願するが、だめだ今すぐだと拒絶された。
 両手、両足つかまれた。1日、いや半日でもいいから許してくれと更に必死に哀願する。何をすると鬼が言った。
「仏法聞きたい、真剣に聞くから許してくれー、半日くれー」というが、今すぐ連れてゆくと引きずりだした。
 回りをみると多くの人が同じように、泣き叫びながら昏いトンネルのような中に引きずられてゆくのだ。
 泣き泣き堕ちてゆくしかない。その時、目がさめた。

 あー助かったー、夢だった。よかったー夢で。枕が涙で濡れ、12月というのに全身汗をかいているのに驚いた。今すぐ寝るとまた続きを見るのでないかと恐ろしく、早く朝がこないかと布団の中で待った。
 そのうち、今回は夢でよかったが、しかし何時か必ず現実のこととなるのだ、さあどうする、鬼に仏法聞くから許してくれと泣いたではないか、さあどうする。聞くしかない、後生の一大事解決するしかない、聞く、今なら高森先生から聞けるのだ、今度は絶対聞きぬこうと決心した。23歳になっていた。

 毎月、高森先生の全国御法話・座談会8回、地元の講師部御法話夜7回、月に15回の聴聞を始めた。
 そして13年の聞法活動の月日が流れ、結婚もして娘二人の父親にもなった36歳の時だった。

 青年部の福井県の責任者になり、会合には親鸞聖人の教えを話し、活動の指示もしているが依然として後生の一大事の解決が出来ない。なぜか。原因は私の宿善が浅いからだ、それ以外に無いと思うのが親鸞会会員としての答えだった。
 まだまだ求め方が温いのだ、これでは間に合わないのではないか、
 どうしたらいいのか、「宿善は待つに非ず、求むるものなり」と蓮如上人は教えておられる、一番厳しい講師部の道へ進もうかどうしようか。
 その時、高森先生の長男の青年部長から、講師部にならないかの電話があり、妻と相談して決意して飛び込んだ。

 そして20年後に、まさか退部することになるとは想像出来なかった。
 今思えば、これ皆、阿弥陀さまのお育てであったなと思わずにおれない



○本願寺からの批判と「宿善論争」

 しばらくして西本願寺と「宿善論争」が始まった。「親鸞会では未信の人は宿善の薄い者であるから、信心を獲得するためには自力の善根を積んで厚くしなければならないという」
「当流では他力の信心を獲るためにまず自力諸善を積まねばならないという説示はない」と西本願寺が批判した。
「宿善とは親鸞聖人が{たまたま行信(信心)を獲ば遠く宿縁を慶べ}とあるように遇法獲信の現在から過去をさかのぼって宿善のお陰であると、その由縁を喜ぶものである。将来の獲信のために積まならないという方向で語られるものではない」と批判してきた。
「宿善まかせ」とだからと顕正、財施に頑張っている私にとって聞き捨てならない大問題であった。

 高森先生は「自力の善が(獲信)の資助になるどころか自力無効、捨自帰他、自力が廃らない限り絶対に弥陀の本願はわからす、報土往生は出来ないと説いている」しかし「自力一杯求めたことのない者に、自力無効と知られる筈がありません」と理屈を付け加えて反論された。
 そして本願寺との文書論争が繰り返され、「本願寺なぜ答えぬ、親鸞聖人のみ教えに善の勧めは有るのか、無いのか」に、いつの間にか論点を高森先生はすり替えられた。

 私はこの時、本願寺の不思議な批判が理解出来なかった。
 また、高森先生の自力の善が獲信の資助にならないというのも強くひっかかった。
 教学的には自力で助からぬが、しかし何かに成る、資助に成ると思う心で全員活動しているのが親鸞会会員の本音でないか。
「宿善まかせ」それを否定したら誰も動かなくなる。
 諸善は「因縁」になると言われたが理解できない。資助とどう違うのか。
 されど私は親鸞会の講師部。「高森先生のご指示に無条件で従い、信心獲得を本と致します」と朝晩、お勤行の時は唱和している者である。分からないのは私がまだ未信だからで、高森先生の教えられることに絶対間違いは無い、と本願寺への座り込み抗議にも参加した。
 本願寺からの反論が無くなり親鸞会は「本願寺を完膚なきまで論破した」と勝った勝ったムードで、教義の正当性に自信を持つようになっていった。

 しかし、この問題が如何に根本問題であったのか、次第に知らされることになる。



○法友の苦しみに何も出来ない、

 福井市で美容院をしていたGさんが癌で緊急入院したと知って、大先輩講師と支部責任者と急いで見舞いに行った。
 腹痛に耐えられず病院に来た時は既に末期で手遅れだと関係者から聞いた。激痛に耐えている姿が可愛そうだった。
 先輩講師が声をかけ励まし、「Gさん、阿弥陀仏を念じなさいよ」と繰り返して言ったが、「念仏称えなさい」とは一言もなかった。
 自力の念仏では助からない、信前の念仏は無効だと、福井市の布教使と法論した親鸞会では念仏を勧めず、称える人はいなかった。

 後日、一人で見舞いに行って心配で心境を聞いた。
 彼女は20年近く高森先生の話を聞き、まだ40代で、いつも後生に一大事がある、地獄に堕ちるとお客さんにも言い、それほど後生を恐れていた。
「阿弥陀仏を念じるように言われたけど、どうや」と言うと、「出来んわねー、辛て出来ん、出来ん、私はあかんのやー、宿善薄いんやー」と泣いた。
 10分おきにやってくる激痛に身体をくの字に曲げて耐えているのを見ると、言葉も見つからず、辛くなって病室を出た。哀れで涙が流れる。
 どうか阿弥陀様、Gさんを助けてあげて下さいと念じるしかなかった。
 殊勝に「阿弥陀仏を念じなさい」と勧めても、そんな立派な心が用意できようか、続こうか。激痛、病苦の激しさの前には、ただ「助けてくれー」しかない。
 私はGさんの姿を、宿善を元気なとき力一杯求めなければ、臨終に自分もそうなると教えてくれたと、そんな受け取り方をしていた。
 阿弥陀仏は、心から信じることも、念ずる心も全くないものと見抜いて、本願を建てておられる深いみ心を、私はまだ知らなかった。
 やるせないみ心を一言も伝えられなかった。
 しばらくして彼女は亡くなり、親鸞会葬儀が行われ、私は進行役を務めた。



○海外布教で見抜かれた信仰

 私の海外布教はハワイだった。
 1年余り、日系人を中心に一人で布教に飛び回った。
 会員さん、購読者を集め法話をしたり、戸別訪問したりのある日、70歳代の病気がちの日系人のHさんを訪ねた。
 毎週参詣される熱心な方で「先生、私助かるでしょうか。こんな身体ですからそう長くはありません。後生が暗いです。何とか助かりたいのでお参りしています。お勤めもしています。阿弥陀さまどうか助けて下さいと朝晩お願いしています。」と言われた。
 この時私は「Hさん、お参り、お勤めよく頑張っておられますね。でも、阿弥陀様助けて下さいは、自力たのみで駄目なんですよ。他力廻向の信心でなければ助かりませんよ」と言った。
 すると「えー、私の信じ方は駄目なんですか。ではどうしたらいいんですか。先生はもう信心決定しておられますか、他力の信心頂かれましたか。それを教えて下さい、お願いします」と強く哀願されれた。
「いいえ、まだです」と答えると、「どうしてですか。先生は奥さんも子供さんも日本におかれてハワイまで仏法のために来ておられます。よく仏教の勉強をして何でも知っておられる宿善のとても厚い方と思いますよ。そんな先生が信心決定まだなら、宿善の薄い私なんかとても無理なんですね」と厳しい顔になられた。
「いや、宿善が厚いか薄いか、人には分かりません。助かるのは宿善まかせですから、仏法は聴聞に極まる、続けて聞いて下さい、必ず助けると阿弥陀仏は誓っておられます、命をかけて約束しておられますから。」と言った。一番痛いところを突かれてしまった。あの時のHさんの不安一杯な顔を今も忘れられない。

 宿善まかせ、と言っていれば本願寺の指摘通り、諸善やお勤めで助かる、聞いておればその内何とかなる、としか思えなくなるのは本当なのだ。
 高森先生は自力の善で助かるなどと説いていないと強調されても、会員さんの理解は違う、自力の執心はそう簡単に承知しない。
 自分のやった善根功徳が多いか少ないか、これで助かるかどうか、宿善の厚薄ばかり問題にして、聴聞さえも何回聞いたか、真剣に聞いているか、苦労して聞いているか、覚えているかばかり大事にする。
 金と時間と身体のカスで求めていないか、と自分の方の求める姿勢、形ばかりを問題にして、助けて下さる阿弥陀様の心を知らない、聞いていない、問題にしない。
 私自身が阿弥陀様のみ心を知らず、本当の仏願の生起本末が説けないから、結局そんな指導ばかりして、Hさんと、あんな愚かなやり取りしか出来ないのだ。
 しかし、この時もまだ自分の根本的間違いがどこにあるのか気付いていなかった。



 帰国してやがて福井県の本部長、責任者となり、法話をしながら担当講師と会員さんの指導や顕正、参詣者、財施目標の達成に他県と競争することに熱心になっていった。
 やがて高森先生の作られた「世界の光・親鸞聖人アニメビデオ」の配布こそが尊い善である、これで本願寺も大津波に飲み込まれてしまうと豪語された。
「真宗の危機は全人類の危機」「真宗改革は我らの手で」「打倒本願寺」のスローガンを思い出し、毎月の目標本数に向って、会員総動員してあらゆる手段で販売促進が行われた。
 私にアニメ販売の専門職が与えられ、20名余りの青年部会員と全国を3年半、アニメ販売の飛び込みセールスに専念した。

 その後、顕正の専門となり2年半、朝、昼、夜と広島、福井県を仏法の話し込みに毎日歩いた。



○講師部の退部

 新しい支部制度が始まり、私も福井県の一支部長となった。
 しかしこの頃、講師部内、特に上司の非常識な仏法者らしからぬ言動を無視出来ず、2度も高森先生に手紙で訴えたが、取り上げられず、反対に30名余りの講師と共に「和を乱した大罪」と糾弾され「除名処分」が下った。
 執行猶予5年付きで許されたが、理不尽な処罰と思うと不審が大きくなっていった。
 やはり清らかな団体は有りえない、皆、煩悩具足、我が身可愛い、自己中心、我執の集まりと思い知らされた。
 お互いに信用して本心も明かせない状況になってきた。
 高森先生といえど身内大事、やはり凡夫、例外でなかった。
 これまでお慈悲で公平な先生と絶対視していた心が崩れ始めてきた。
 何より、自分こそ、そうでないか。会員さんの前では真摯な仏法者らしく振舞っているが、本当に後生が苦になっているか、阿弥陀仏を心から敬っているか、会員さんの獲信を心から願っているか、導けるのか、毎日心配しているのは、生活のことであり、悪くなってきた糖尿病のことでないか。それでも三界の大導師か、自分は。
 もう講師部だから信心決定できるなどと思わなくなっていた。
 しかし40年あまり聞いて来たこの教えだけは間違いない筈だという信念を残し、20年余りの講師部を退部して会員として求めていくことにした。本心は言えないから、経済的理由で続けて行けませんと全講師部の前で言ったら、批判の嵐だった。
 しかし経済的に無理なことは本当で、ウソではなかった。
 会員さんにはただお詫びするだけで、一切理由は言わなかったが、心が張り裂けそうだった。
 講師部の現状に失望し、自身の求道姿勢にも自信をなくした私は、高森先生の説かれる教えだけは真実だから、こんな私が救われるには聞くしかない、後生の一大事がある以上、聞くしかないと思い、働きながら親鸞会の聞法を続けていた。



○法友の嘆き、深い疑問生ずる

 そんなある日、2年半も元嶋田支部会員としてご縁のあったSさんが癌でもう聴聞に来れないと聞いた。
 80歳位で、30年近く求められ、聴聞も県で一番多く、心臓の持病を持ちながら、アメリカ、ブラジルであろうと高森先生のご法話は一度も欠かされたことがなく、支部のご法話、会合も全日程参加でアニメ配布にも真面目に回られた。
 財施も常に県で上位、副支部長として生活の全てを親鸞会の活動にかけられ、親鸞会から、貴方は会員の模範だと何度も表彰を受けた方だった。
 2月に見舞いに自宅へ行くとベットに横になり、変わられた姿に驚いた。私の顔を見て「こんなになって聴聞に行けんようになったー。宿善積めんようになったー。困ったー。弱ったー」と言われた。
 自分の病気に気付いておられるなと直感した。
 もう世間並みの見舞い言葉など言っておれない。
「Sさん、本部で座っているだけが聴聞ではありませんよ。何を聞いたかです。何を30年間聞いてこられましたか。こうなったら、これまで聞かせて頂いたことを話しに来ますから、このベットの上が聴聞会場ですよ。」と言った。
 私はこの時、このSさんにこれまで聞いてきたことを全てお伝えしよう、交通事故で突然亡くなった父と同じ歳のSさんに何とか救われてもらいたいと強く願った。
 それから本棚に積み上げてあった高森先生の書籍を20冊以上を読み続け、何十年間の聴聞記録を読み返し、話そうと思うところをコピーしたり、テープに吹き込み準備して、月2回程見舞いに行った。
 何を話してもSさんは30年余り、3000回以上の聴聞をしてきた方だから、私の話することは全部分かる。話しするのはSさんの体調から1時間が限度でした。
 無常観、罪悪感が大事と話しすると、
「無常をとりつめたら後生の一大事に驚きが立つ、今死んだらどーする、と思うけれど、まだまだ死なんとしか思えん」
「罪悪をとりつめようと、自分の悪をいろいろ思うが、もー悪い奴、地獄行きと本心から思えん、こいつが」と腹を叩かれた。
「こんな者どうすりゃいいんですかー、教えて下さい、助けて下さい」
と男泣きに泣かれ、私の腕にすがりつかれた。
 いつも山が崩れても動じないような方だったのに、恥も外聞もかなぐり捨てたこの態度に、自力の信心の崩れを目撃し、私も動揺した。

「阿弥陀仏が分からーん、本当におられるのかー、どう信じたらいいのや、どう思ったらいいのか。私みたいな者は助からんのか。あー私は宿善が浅いから助からんのや、信心決定できんのや。高森先生、申し訳ありません、もっと宿善積んで頑張ればよかった。済みませんー」とまた号泣された。

 繰り返し三願転入の説法を聞いて、19願の諸善を真剣にやらねば、20願、18願へと進めないと信じ込んいるから、宿善が薄い、どうにもならぬと泣かれる。私はとっさに両手を握って「念仏称えましょう」と言った。
 仏法を聞き始めて40年、私は初めて人に念仏を勧めた。
 Sさんは驚いたように「念仏で助かるんですか、称えていいんですか」と聞かれた。無理はない、信前の念仏は助からんと散々30年聞かされたSさんは、初め躊躇されたが、私はかまわず念仏を称え出した。
 3分、5分と共に念仏を称え続けると、何の涙か分からないが止まらない。一緒に泣きながら称えた。
 Sさんの担当支部長にこんなことが知れたら、注意されるかもしれないが、20願の念仏を勧めて何が悪い、三願転入でないか、という覚悟でいた。

 私はSさんが何度も「高森先生申し訳ありません」と泣かれる姿に違和感を感じ始めた。懴悔する相手が「阿弥陀仏」でなかったからです。助けて頂くお方は阿弥陀仏なのに心が高森先生しか見えてない。
 親鸞会では何十年も、高森先生の「ご苦労、ご恩、み心」を具体的にその都度、繰り返し、繰り返し伝え「感謝しよう、お礼状出しましたか」と徹底したきた。
 だから会員さんには無上、無二の善知識だから「高森先生の深いみ心です」と言えば何でも通じた。反対は無かった。
 阿弥陀仏の「ご苦労、ご恩、み心」はほとんど分からない、知らないこと生起本末を話してみて私自身驚き、大変な心得違いでないかと思った。これでは「善知識だのみ」ではないだろうか。

 病気の進行は早く、Sさんは自宅から病院へ移られ、行くのが辛かった。
 行く度に落ちていく体力。10分程聞くのも辛く、痛みのため話が何度も中断する。しかし痛みが和らぐとまた聞かせて下さいと言われた。
 病気になって諸善のやれないSさんに19願の話をしていても何にもならない、宿善薄いと嘆いていても何にもならんと判断した私は、諸善を切り捨て、念仏を勧め、18願の「仏願の生起本末」に絞って話しをすることにした。
 A3用紙に書きながら、聞き得るだけの宿善、仏縁のある人と思って話し始めた。
 生起。自分は極悪人であり後生は一大事、地獄は必定、流転輪廻を繰り返してきた私であるから阿弥陀仏が立ち上がられた。

 本末。法蔵菩薩の五劫の願、兆載永劫のご修行の末、成仏され、お浄土と南无阿弥陀仏が出来上がった。しかしここまでしか分からない。
 いくら話しこんでも、南无阿弥陀仏が分からない。
 他力の信心一つで救われるが、頂く名号六字が分からない。
 どこが功徳の大宝海なのか、地獄行きが極楽行きにする力がどこにあるのか、そんな力が六字のどこにあるのか、信じられない。どう頂くのか。
 分からない。話ししている私こそ分からないのだ。Sさんも分からん、分からんと言われる。
 話すほど二人とも疑いがどんどん出てくるでないか。
 よく考えてみると、高森先生から諸善は勧められるが六字の心を詳しく聞いていないことに気付く。
「雑行、雑修、自力の心を振り捨てて弥陀たのめ」とあるが、どうしたらこの自力、疑いを捨てて他力に入るのか。
 その方法が「三願転入」で「自力一杯やらねば自力無効と知らされない」と聞いたが、では、自力一杯がどこまでか分からない。
 又、諸善、五正行の善はせねばならないが、「心がけが悪い」から捨てよとも教えられた。
「これで助かりたい、間に合わせようの心を捨てよ」と聞いた。
 Sさんも以前に、この意味が分からない、本当にこんな心を捨て善が出来ますか、私には出来ません、と正直に言われたことがあった。やれば「自力無効、悪い心がけが廃る」と言われるが、Sさんは30年余りを宿善、宿善とやってきて、これ以上の宿善をどう求めよというのか。しかも臨終が迫っている。まだまだ足りぬというのか。

 教学講義で「雑行を分かるだけでも30年、40年はかかる」と言われて驚いた。これでは高齢から聞き始めた人は助からないことになる。
 それなら実際、30年40年以上求めている講師部に獲信した人はいるのか。聞いたことがない。「自力一杯活動して自力が廃りました、疑い晴れました、他力が分かりましたと」言った人を見たことはない。
 私自身、やっても、やってもこれで一杯と思えず、反省を繰り返してきた40年だ。それでも精一杯か、動きが緩慢だ、講師部は19願の入り口にも入っていないと厳しく指導されてきた。
「仏法は聴聞に極まる」と教えながら「19願の諸善を励まねば信仰は進まぬ」と説いていたら、捨てるどころか、諸善で何とか成ると思う自力の信心が強くなってくる。そうでないだろうか。現状が証明している。そして臨終に総崩れになる。

 18願の本願を疑う心、疑情一つが助からない原因とは、皆さん合点している。
 しかし、疑い晴れて無碍の一道に出るのも、そうなるのはやはり宿善まかせと理解しているから、最後に助からないのは宿善薄いからだと、結局ここに泣くことになる。これが親鸞会の現実なのだ。

「他力の信心は20年や30年で獲られるようなものでない」と親鸞会発行のパンフレットに書いてある。
 また「多生の目的です」と言われ、今生だけでは難しいと受け取れるような言い方になった。
 平生業成の本願なのに、これでは死ぬまで求道で一生が終わる。
 まるで火鉢の周りを、周り続けている虫と同じでないか。やがて力尽き、火の中へ落ちるだけだ。
 中には真剣に求めている人は、臨終に観音菩薩の説法にあえると高森先生から聞いて元気が出たと、本気にしている人もいた。


 噫、これで浄土真宗なのか。

 ところが高森先生自身は18歳の時、求めてしばらくして救われたと言われた。しかも19願の諸善に励んだとは聞いたことがない。
 自分がしなかった事をなぜ会員さんに勧めるのだろうか。
 私は朝晩の勤行に御文章80通を30年以上繰り読みしているが、どこにも「雑行、雑修、自力の心を捨てるには、諸善をやらねば廃らない」とは1ヶ所も書いてない。なぜだろうか。
 蓮如上人は高森先生のように教えておられない。蓮如上人は親鸞聖人のみ教えをそのまま伝えられたお方なのに、これはどういうことなのか。おかしいことになる。
 蓮如上人は自力の心を捨てるには「六字のいわれを善知識に聞け」と一貫しておられるからだ。


「自力一杯求めなければ、自力無効と知らされない。」この言い方こそ問題ではないだろうか、自力の内容が違うのでないか、諸善をやっていては一生を無駄に終わるのではないかとやっと気付いて来た。

 なぜなら親鸞聖人は、「聞というは、衆生仏願の生起本末を聞きて疑心あること無し。これを聞というなり」18願の心、ご名号を聞け、南無阿弥陀仏のみ心を知れ、疑心なくなったのが他力廻向の信心と、ハッキリ救われる法を明らかになされているからです。なぜ自分がやっていないことをさせるのか疑問一杯になってきた。


 宿善と疑情、三願転入と自他力廃立どう関係あるのか、分からないまま「真実はここでしか聞けない」と叫んでいるだけではないだろうか。

 これは何かおかしい、間違っているのではないだろうか、と思えてきた。
 本願寺の「親鸞会の宿善論」への指摘の言葉が段々と鈍い私にも効いてくる。

 親鸞会の求道で本当に救われるのか、
 高森先生の言葉に絶対間違いないのか、
 これまで考えたことのない疑問が頭を持ち上げてきた。
「私は真実を説き切っている、聞き切らないのは君達の責任だ」と言われた自信一杯の言葉を信じてきたが、その堤防が決壊を始めた。
 恐ろしいことだった。40年間、求めてきたものに疑問を持つのは何より怖かった。
 これは恐ろしい謗法罪だ、考えるなー、やってきた全部が無駄ごとになってしまう。必死に否定しようとした。
 しかし、聴聞信心、活動信心、教学信心、宿善まかせ信心、そのうちそのうち信心が崩れてゆくのは経験したことのない不安だった。親鸞聖人が比叡山の修行に疑問を持たれ時も、こんなお心だったのだろうか。
 同時に私はこの時、自分の慢心に気付いた。よし俺が導いてみせようとは、何たる傲慢。Sさんは目前の後生に命がけなのに、聞いた話、覚えた教学、読んだ要で何とかしょう、出来るだろうとは、自分こそ後生の一大事を軽く見ている何という馬鹿者だ。
 阿弥陀仏の本願が全く分かっていない。疑情の塊、自惚れるな。
 このままでは私もSさんと同じ臨終を迎えるだろう。会員さんも同じではないか、福井へ来て30数年救われた会員さんを聞いたことがないが、この大きな疑問をどうしたらいいのか心が暗くなるばかりだった。



○母の慈悲と真実の言葉


 8月のお盆に久々に富山県の実家へ帰った。
 80歳過ぎの母が、もう父の墓参りは今年が最後だろうから連れて行ってくれと気弱なことを言った。早いもので亡くなって10年が過ぎ、村の墓場へ行き、墓前で阿弥陀経をあげて母と父を偲んだ。
 家に帰ると母が「こうしてお前とじっくり話しが出来る機会はめったにないから言っておきたいことがあるので聞いてくれ」と静かに話し始めた。
 自分の生まれた時からの、これまで断片的に聞いていたことを、正確に時間的順序で出来事、心情を2時間余り語ってくれた。
 家が貧乏子沢山で東京へ奉公に出たこと、満州開拓団に夢を託し、結婚し男の子2人もいたが、夫は急性肺炎で急死し、子供もソ連参戦のどさくさの惨事で死なせこの世の地獄を味わった。
 戦地で助けてくれた今の父と命からがら日本へ引き揚げてきて、私達兄妹3人が生まれ、苦労して育ててくれた。
 特に私は小さい時病弱で、近所で貰い乳をして育ち、兄妹の中でも親に心配をかけたという。亡くなった子供を思い、その分私達に注いでくれた愛情の数々を思い出すと私はこみ上げる涙を堪え切れなかった。
 今も私の身の幸一つ思っていてくれる母に、私は何をしてきたのだろうか。
 裏切り続け、親をどこまでも利用する心しかないではないか。
 五逆罪の57年だったことがぐーっとこみ上げてきた。
 なのに、それを責めずいつも許してくたではないか。
 ああ私程恐ろしい者はない、浅ましい子供はいない、恩知らずの鬼とは私のことだ。
「悪かったー、俺ほど悪い者はない、堪忍してくれー」と、私は大声あげて母の膝に泣き崩れた。恥ずかしいも何もない、泣くしかなかった。
 母は「分かった、分かった」と背中をなでてくれた。
 泣く心のない私を泣かせたのは母の慈悲だった。聞いて知らされた深い親心だった。

 私が泣き止むと母は話を続けた
「お前は小さい時から仏様のことは関心があったな。
 高森さんと縁があって仏法聞くようになり、講師にもなって苦労しているのを見て、早く信心決定してくれ、まだかまだかとずーと思ってきた。
 生活も大変やし、子供もいるのにどうやってゆくか本当に心配だった。
 講師やめて働いて、生活が心配ないようになったと聞いて安心したよ。
 だけど後生のことは大変だ、このまま高森先生の話を聞いていって信心決定出来ると思っているのか」と聞いてきた。
 本当にドキリとした。見抜かれていると思った。
 どうしてそう思うのか、と聞くと驚くべきことを言った。

「満州から帰ってしばらくして高森さんが村の寺に説法にこられてご縁あった。満州で地獄を見て、人間の本性を知ったから、説かれることは本当だと思って真剣に続けて聞き歩いた。数年して安心できた。お前みたいな者がと言われるだろうから、ずーと言わずにいたけど、何時死のうと母ちゃんの後生は心配してくれるな。分かったか。
 それよりこの間、立派な本部になっていて驚いたが、高森さんの話を聞いてこれではなーと思った。昔の話はもっと腹に応えた、厳しかった。極悪人だから後生に一大事がある、阿弥陀様だけしか助からん、18願の生起本末を話され、自力の心、疑いが有る間は絶対助からんと、自力、他力と何度も、何度も説かれたもんや。
 今は次から次とテレビに親鸞様のお言葉が出てきて若い人(アシスタント)に説明させて、じっくりと話されん。あれではなー。それにお前は三願転入で助かると言うが、昔は廃立、捨てもの、もらいものと聞いた。自力、疑いは捨てて、六字の心を聞け、頂けと言われ、だから安心できた。話が変わってきているように思うな。昔とは。
 善いことしないと助からんように思っているなら、いつまでたっても19願で終わると思う。お前は善ができる善人様か。親鸞様も比叡の山で出来なんだと泣かれた。お前はそんな偉いんか。どう思って聞いている、40年も聞いてきて分からんのか。
まだ19願か。一生なんかすぐ終わるぞ。もうすぐ60でないか。お前、高森さんだけに聞いているがそれでいいのか。一度離れて静かに自分の心を見つめたほうがいいのでないか」

 ガーンときた。母の真実の言葉に私の40年の信心が壊されてしまった。
 私の信念はモタモタになり、聞法の問題点が浮かび上がって来た。
 この世ばかりか、後生まで心配し続けてくれる母だった。
 父の本棚には「本願成就文説法」の本があり、親鸞会以外の本を読んだことのない私は読んで深い解説に驚いた。父は私より深く知っていたのか。

 私はこの日、親不孝を思い知らされ、また何と有難い両親のもとに生まれたものかと感謝せずにおれなかった。
 両親が親鸞会に縛られている縄を解いてくれた。



○華光会との出会い

 高森先生だけが善知識だ、の思いが崩れだし、他にも阿弥陀仏の本願を分かり易く、深く伝えておられる方があるはずだと思うようになった。
 見るな、読むなと言われていたインターネットで「親鸞会」を検索すると、有るは、有るは、紹介や批判のサイトが10以上もあり読み始めた。
 そして遂に華光会のホームページにたどりついた。

 高森先生は華光会に18歳から10年近く関係があり、伊藤康善先生が恩師であると分かった。師は無いと聞いていたが、そうでなかった。
 華光会はどんなところか詳しく調べようと電話で「仏敵」「安心調べ」「念仏のお叫び」「後生の一大事」「親指のふし」「廻心の体験」「われらの求道時代」等を注文した。
 電話に増井悟朗先生が出られたが、申し訳の無いことにそうとは知らないから、事務員さんかと思って注文だけした。

 盗作問題も調べようと、ついでに九州の寺へ大沼氏の本を16冊求めて読んだらそれも本当だった。
 伊藤先生、大沼氏からの盗作はひどいもので、見つけて付箋紙を貼っていくと100枚がすぐなくなった。
 高森先生は、さも自分が書いたように見せかける「盗作のプロ」だった。これがバレた為か「会報」が理由も言わずに廃版になっていった。

 当然、教えにも大きな影響が現れ、「自力一杯求めねば自力無効が知らされぬ」は大沼氏の説の引用であったことが分かった。
 盛んに強調される「三願転入」への説法内容の変更も、大沼氏の影響と分かってきた、だから知れるのを恐れ、氏の本を読んだ清森元講師が厳罰を受けたのだ。謎の部分が明らかになった。
 何ということか、40年間も過去が隠され本当のことを知らずにいたのだ。こんな重大事を誤魔化す方だったとは、何という方だろうと不審が大きくなってゆく。



 読んでいくと驚くことばかりで、闇夜から太陽が昇るような強烈な思いだった。
「仏敵」は伊藤先生の獲信の記録だが、するどい言葉にドキドキして、胸が締め付けられる。目の前の伊藤先生の聞法の苦悩が、呼吸が聞こえるような本だ。信後のすがすがしい心に、こんなことが実際あるのか、初めて知った。
「念仏のお叫び」には、後生の一大事と自力、他力の違い、どうしたら疑情がなくなるのか、詳しく分かるように書かれていた。
「六字のいわれ」に、うーんと唸ってしまった。ここが知りたかったのだ。
「廻心の体験」は教学信心で作っていた一念や、信後の観念が吹き飛んでゆく。
 どれもこれも、これまでの思い込みと、生きた言葉とが格闘して頭がくらくらする。
「われらの求道時代」は、高森先生の当時のことも何ヶ所も書かれていて、よく分かった。知られたくない理由がハッキリした。

 親鸞会からの一方的情報だけを正しいと信じ込み、会員さんに「これが獲信か」のパンフレットを配って、華光会を「土蔵秘事に類するもの」と批判してきたことが悔やまれてきた。
 このパンフレットの為に私は、華光会に警戒を抱き続け、近づくことが出来なかった。

 取り寄せた書籍を読んでいくうちに、質問したい気持ちを抑え切れなくなってきた。若し間違っていたら取り返しがつかなくなる。
 どうしても確認したい。せずにおれない。
 果して増井先生はご健在だろうか。すでに80歳を越えておられる筈、若いとき結核で苦しまれたと本に書いてあった。
 ご健在でも、初めての私と話して下されるだろうか。親鸞会では想像出来ない。
 夕方5時に電話すると出て下さって、自己紹介し親鸞会会員であることを正直に話した。本を読んで尋ねたいことがありますが、いいですかと聞くと、どうぞと言われた。
 読み込んで、6つにまとめておいた質問をする。


1 阿弥陀仏の救いとは、どうしたら救われるのか
2 三願転入の教えについて
3 宿善まかせとはどんなことか、宿善とは
4 ご本尊について、ご名号にしないと救われないのか
5 華光会は土蔵秘事か、違うのか
6 華光会と高森先生の関係について


 1時間以上、時の過ぎるのを忘れて私は質問して聞いた。
 増井先生は一つ、一つ丁重に答えて下さった。
 不審なことが益々、ハッキリして増井先生から聞かせて頂きたいの思いが胸の中に広がった。

 ご法話のテープもあることが分かり、20本ほど注文して聞き出した。
「六字の心」「六字のいわれ」「後生とふみ出す」「誓願不思議」
「二種深信」「光に遇う」「救済の予定概念」「罪悪感、無常観」
「機法一体」「大経の構造」「二河白道」「白骨の章」「法に遇う」等

 聞けば聞くほど、これまでとの違いがハッキリしてきた。
「六字のこころ」「六字のいわれ」は特に、これが阿弥陀仏の御心なのかと思うと、これまで遠い、遠い阿弥陀様が、ぐーっと一気に近くなってきたように感じた。

 噫、遂に弥陀の本願を説かれる善知識にお遇い出来たのだ、喜びがふつふつと沸いてくるのを感じた。


 Sさんにもお伝えしようと思ったが、病状が更に悪化してモルヒネ治療が始まっていた。身内の方から、余り苦しむからこの治療をするようになって意識がハッキリしないので、もう来られても話を聞くことは出来ませんと言われてしまった。しまった、遅かった。
 そして2ケ月後に亡くなられた。
 Sさんの正直な告白のお陰で、私は40年間の大問題を気付かされ、今、増井先生にお遇い出来たのに、何ということか。申し訳がない。
 Sさんは私に、今のままでいいんですか、こうなりますよと身業説法して下された善知識と思わずにおれない。
 家に行き、写真の前でお礼とお詫びを心からせずににおれなかった。
 そして必ず獲信まで聞き求めますと誓った。



○親鸞会を退会する

 11月の親鸞会の本部報恩講に妻と参詣した。
 高森先生は「聞其名号の聞くとは仏教を聞くことです。火の中をかき分けて聞けと親鸞聖人は教えておられます」と話された。
 帰りに妻に、「もう聞きに来ないよ」と言うと「私も」と言った。
 聖人は聞とは、名号、南无阿弥陀仏の心を聞け、仏願の生起本末を聞けと教えられたので、火の中を苦労して聞くことが大事と言われたのでない。どんな苦労をして聞法しているか、いつも話題にするが、大事なことは阿弥陀仏の本願を、六字の心をどう聞いたか、どう思ったかなのだ。
 増井先生との違いが明らかになって、いつまでもこんな話を聞いていてはならないと心は決まった。
 退会することは辛かった。
 40年近くご縁のあった方々との人間関係が無くなることになる。
「なんで、どうして、何をこれまで聞いてきたの、恩知らず」と非難しながら親鸞会は会員が近づくことを禁止するだろう。
 しかしいつか別れていく人との生活を大事にするために生きているのではない。今度こそ本願を聞いて、迷いの打ち止めを致しますと誓って過去世も求めてきたのではいか。もう迷ってはならない。

 12月に増井先生に「親鸞会をやめて聞かせて頂きます」と電話すると、
「親鸞会が助けるでもない、華光会が助けるのでもない。これ皆無常のものですよ、いつどうなるか分かりません。阿弥陀仏の大願業力に救われるのですから。来る人は拒まず、去る人は追わず、ご縁ですから。親鸞会をやめるも、そのままでも自由にして下さい」
と言われた。

 それを聞くと尚更、早く聞かせて頂こうと思った。
 夫婦で担当の支部長に退会の報告に行くと「どうしてですか、高森先生のご恩を何と思っているのですか」と強く批判してきた。
 20年近く同じ講師部の仲だったから、支部長の気持ちは良く分かる。
 しかし、頭が真っ白になっている支部長に今の私の心を話ししても、到底、理解出来ない。何も反論せず、お世話になりましたと言って帰った。

 遂に、阿弥陀様の強縁に引かれ、お育てを蒙り、私達夫婦は華光会1月報恩講に参詣することになった。

私の白道・信心の沙汰(投稿)

「私の白道」・信心の沙汰(投稿)

親鸞会元講師部



○{信心の沙汰}


 生まれ難い人間に生を受け、聞きがたい仏法、中でも阿弥陀仏との御縁ほど尊いことはありません。
 ここを読まれている方は、殆どが仏縁に恵まれた方と思います。
 阿弥陀仏は六道を輪廻し生死の苦海に沈み切っている私を助けんと、唯一仏立ち上がって下された如来様です。
 この阿弥陀仏以外に後生の一大事を解決して、迷わぬ身にして下される仏はありません。
 その仏願の生起本末を聞くことによって救われると、親鸞聖人は教えてゆかれた事を、先回の「仏法は聴聞に極まる」に書きました。


 今回は、次に浄土真宗で大切な「信心の沙汰」について書かせて頂きます。


蓮如上人は

・「いかにも不信の面々は一段の不審をもたてて、信心の有無の沙汰すべきところに、何の所詮もなく退散せしむる条、然るべからず覚えはんべり。よくよく思案をめぐらすべきことなり。所詮、自今已後においては、不信の面々は、相互いに信心の讃嘆あるべき事肝要なり」(御文章4帖目12通)


・「一句一言を聴聞するとも、ただ得手に法を聞くなり。ただよく聞き、心中の通りを同行に会い談合すべきことなり」(御一代記聞書167)

・「もとより我が安心の趣いまだ決定せしむる分もなきあいだ、その不審をいたすべき所に、心中を包みて有りのままに語らざる類あるべし。これを責め相尋ぬる所に、有りのまま心中を語らずして、当場を言い抜けんする人のみなり。勿体なき次第なり。心中をのこらず語りて、真実信心に基くべきものなり」(御文章4帖目8通)

・「物を言え、物を言え」と仰られ候。「物を言わぬ者は恐ろしき」と仰られ候。「信、不信ともにただ物を言え」と仰られ候。「物を申せば心底も聞こえ、また人にも直さるるなり。だた物を申せ」と仰せられ由候。(御一代記聞書87)



1 信前、信後の人はお互いの信心の沙汰をしなさい。聞くだけにならぬように。

2 自分の仏法の理解、聞き方は間違いないか、話し合いしなさいよ。

3 信前の人に、なぜ自分は救われないのか、疑問、不審を尋ねない人がいますが、ありのまま、隠さずに全部言いなさい。心中を残らず話して、真実信心、徹到しなさいよ。

以上のように教えて下さっています。



○信心の沙汰が始まった


 最近の親鸞会の刊行物を読むと、信心の沙汰が必ず載っています。
 これは2、3年前には無かったことで、本来の聞法に近づいたことですからいいことだと思います。

 しかし、読んでみて、聞いてみると、これは、と思えて来ました。
 実際に参加された、何人もの方達から聞きました。


1  信心の沙汰には信心決定した人と、していない人、信前、信後の人があると蓮如上人は仰言っておられますが、親鸞会の信心の沙汰には信後の方がおられない。阿弥陀仏の御心についても、分からない人ばかりで、肝心の沙汰が出来ない。


2  なぜ私は救われないのか、「それは宿善まかせです。三願転入ですから活動がんばりましょう」と答えが決まっているから聞くだけ無駄になる。長年、聴聞していると支部長の答え、皆さんの言われることが分かってしまうので質問も積極的に出来なかった。


3  南无阿弥陀仏の心を知りたいと思っても「信後のこと、絶対の幸福は救われたら分かります」と言われるのでもう聞く気がなくなった。自分には分かりませんと正直に言われない。変なプライドを感じました。


4  宿善の違いは当然あるのに「なぜ19願の諸善ばかり勧められ、20願の念仏が勧められないのか。2千畳に参詣される人は皆同じ宿善の人ばかりと思えない。支部長も念仏を称えていないのはどうしてですか。念仏を称えるべきではありませんか」。こんな質問もしたいが、言えない雰囲気がある。


5  信心の沙汰も高森先生のご法話の内容で、ここはどう言われたか、そのまま言わねばならず、記憶のいい人はいいが私は苦痛でした。言葉づかいばかりにこだわり、もう参加したくなくなった。
  なぜ支部長は言葉づかいより、その話を自分でどう思ったのか言わないのか。お互いどう感じたかがもっと大事と思う。結局、高森先生の言葉を正確に覚えましょう、になってしまっている。「聴聞の復習会」のようだ。


6「求法太子の説法」の後の信心の沙汰も、親鸞会の指示をそのまま信じて苦しくても実行しなさい、という方向へもっていってしまう。求道の覚悟ばかりが強調、確認され、自由は沙汰など出来ず、優等生発言をするだけで、ありのまま言える雰囲気ではない。
 「後ろ向き発言」を意識したら何も言えなくなってしまうのは当然です。本当の信心の沙汰はこんなことでないと思う。これは「活動確認の沙汰」と思える。


7  ご法話が終わり、掃除をしてから同朋の里に移動してから信心の沙汰が始まりました。1時間30分も過ぎています。使用料も必要でご法礼も別です。本部には広い部屋が沢山あり、移動時間もかからず、全く無駄と思うようになりました。



○ されたことと、今言っていることと矛盾しませんか。


 信心の沙汰には談合、讃嘆、ご示談、お領解、座談があり、当然信後の人の自分の領解、信仰を告白する場合がある。

 当たり前だが、ところが不思議なことに親鸞会の刊行物には個人的な体験は「言うものではない」「書くものではない」「こうなった」「ああなった」という話は万人共通でないから、「聞けば聞くほど、知れば知るほど悪い」と書かれていた。「体験至上主義」とも批判してあった。

 そうかと思うと、「K正新聞」9月15日号の石川県のTさんが「夜を徹したご示談あの情熱能登に再び」と能登の真宗門徒の昔を紹介しておられる。

「いろりに幾重も人の輪ができ、その家の主人が口火を切る。“私は法義をこう味わっている”と領解を語ると、参加者も順々に話していく。質問が出れば、同行を中心に納得いくまで語り合う」

 目に見えるような、尊い仏法讃嘆ではありませんか。
 ここに出てくる“私は法義をこう味わっている”と領解を語るのは、その人の獲信体験、信心ではありませんか。昔の能登の同行は熱く、告白していたのです。これは悪いことですか、なぜ新聞に載せたのでしょうか。



●昔、高森先生が「華光社」から出版された「獲信の記録」には5名の人が実に生々しく、具体的に獲信を語っておられます。
 高森先生のお母様もその中のお一人です。高岡会館が本部会館の時も同じ内容を「話して」おられました。私は聞かせて頂き、そんなことがあるのか、頑張って求めてゆこうと思ったものです。本当に良いご縁でした。
 この「獲信の記録」には、伊藤先生の書かれた獲信体験記「仏敵」や会員さんの獲信体験が載っている「華光誌」の購読を勧めてあります。
 この体験を出版し販売されたのが高森先生です。
 これも大変してはいけないことになりますが、どうしますか。


・「せめて念仏修行の人数ばかり道場に集まりて、わが信心は、ひとの信心は如何あるらん、という信心沙汰すべき用の会合なるをーー」(御文章1帖目12通)


 蓮如上人が「わが信心は、ひとの信心は」を語り合えと教えておられるのに、個人的体験は「言うものではない」と親鸞会では指導していますが、これで信心の沙汰になるのでしょうか。
 救われたら分かります、では沙汰になっていません。
 自分の信心はどうなのか、支部長は正直にありのまま会員さんに話したことありますか。講師部らしく「言い抜けて」いませんか。
 長い間、聴聞して来た会員さんは見抜いていますよ

 同朋の里で「信心の沙汰」とアピールしたのは良かったが、肝心の沙汰がこれでは、浄財の無駄になりませんか。



○出来ない無理をしてはいないだろうか

・高森先生の講師部だけの会合に私は20年間の間に200回以上参加しましたが、「信を獲りたるか、獲らざるかの沙汰を幾たびもせよ」の蓮如上人の厳しい教え通りの、信心の沙汰は1回でもあっただろうか。

「君達は後生の一大事を抱えながら、無常の命なのに、何を呑気に聞いているのだ、ワシもいつどうなるか分からん無常の身なんだぞ。
 どんな覚悟で聴聞しているのか今日は一人一人言ってみなさい。
 阿弥陀仏の本願をどう聞いているのか言ってみなさい。
 なぜ信心決定できないのか、どんな自力の心、疑いをもっているのか正直に言ってみなさい。
 誤魔化したら承知せんぞ。
 君達が、はっきりしないでどうして会員さんに法を伝えるのだ。
 まず、総長、講師長、学院長、布教局長、弘宣部長、ここへ来て皆の前で述べよ。
 他の者は、聞いて感想を言って良い。先輩だろうと遠慮はいらぬ、信心の沙汰には、組織の上下は無いのだから。
 他の講師は講に別れて3日間、徹底的にお互いの信心の沙汰をし尽くせ。
 自分の信心の程度を知れ。その結果を知らせよ。
 ワシも回って参加しよう。」


 こんな発言を聞いたことがありますか。
 これが真宗の繁昌、万年の礎になるのでありませんか。
 無理にお金を集め、どんどん建物を建設するのがどうして万年の礎でしょうか。



 長男、布教局長の不倫疑惑の揉み消しには3日間、泣くほど厳しく講師部を詮議、追及されて除名処分30名以上も出しながら、なぜ信心の沙汰が50年間も無かったのか。
 私はここに親鸞会の根本的問題があると思います。
 他の問題もここから派生する問題と思います。
 何が、最も優先すべき課題か、今からでも遅くありません、とことんやって欲しいと思います。
 今のままでは講師部になった意味が無いではありませんか。
 最近、K藤講師が退部したと話題になっていますが、その講師は高森先生の指導の限界を知ってしまったからではないですか。
 このままでは阿弥陀仏に申し訳のないことです。
 仏法の為、一大事解決の為、身も心も高森先生に無条件で従いますと朝晩、誓う講師部は、現在○00名近く、辞めた人○00名。
 やがて法然上人のお弟子に匹敵します。
 どうか、人生をかけている講師部、会員さんを阿弥陀仏のもとへお導き下さい。



・支部長(講師部)が信心の沙汰をしようとしても、講師部自身が信心の沙汰の経験がないから無理なのです。
 説法もすることも大変ですが、信心の沙汰はもっと難しいと私は思います。
 説法は聞いて頂きたいこと、これ一つに集中して原稿を書き、練習して覚えて話をしますが、信心の沙汰は一人一人違う人に何を聞かれるか分かりません。参加者のことを良く知らねばなりません。
 自身の信仰、教学、経験が浅ければたちまち愛想つかされるでしょう。
 一方的に聞いてこられた会員さんの心を開くこと、問題点を知ることはそんな易いことではありません。



○信心の沙汰をする人はどんな人か


・「教化する人、まず信心をよく決定して、その上にて聖教をよみ語らば、聴く人も信をとるべし」(御一代記聞書13)

・「信も無くて人に「信をとられよ、とられよ」と申すは、われ物を持たずして、人に物をとらすべきという心なり、人承引あるべからず」と、実如上人仰せられ候いき。
「自信教人信と候時は、まず我が身が信心決定して人にも教えて仏恩になる」との事に候。
「自身の安心決定して教うるは、すなわち大悲伝普化の道理なる」由、同じく仰せられ候」(御一代記聞書94)



・ここに信心の沙汰の難しさがあるのです。

 蓮如上人は信心の沙汰を勧めておられますが、信前の者に徹底した信心の沙汰は出来んぞとの仰せではありませんか。

「私の信心は皆さんに関係ありません。私のことを聞きたくて来られたのではないでしょう。親鸞聖人のみ教えを聞きに来られたのではありませんか」と講師部はよく言いますが、上手な言い訳のつもりでしょうが、蓮如上人はずばり、誤魔化すなと教えておられます。
 長い間の聴聞と教学で何とかしてゆこう、そんな根性で「光に向って」と言っているから、お互いの信仰が進まないのです。



○まず自身の信心決定こそ大事

・「信をとらぬによりて悪きぞ、ただ信をとれ」と仰せられ候。善知識の「わろき」と仰せられけるは、信の無きことを「わろき」とおおせらるるなり。(御一代記聞書186)

・「一には自身の往生すべき安心をまず治定すべし。二には人を勧化せんに、宿善、無宿善の二つを分別して勧化を致すべし」(御文章4帖目1通)



 蓮如上人は常に、信を獲れ、一日も片時も急げと教えてゆかれました。

「雑行、雑修、自力の心を振り棄てて、後生たすけたまえと弥陀たのめ、たのむ一念のとき、往生一定、おんたすけ治定」と真実信心の体である」

 南無阿弥陀仏の六字の謂れを教えておられます。
 聞いていますか。



○肉の無い「すき焼き」では、お客は来ません。離れます。


 S会食堂の自慢メニューは「すき焼き」。すぐ食べられと誘う店員さん。
 入ると出てきたのは、大皿に白菜、シラタキばかり。
 何でも、これを食べて、次に豆腐、シラタキが出て、最後に肉が出てくるとか。出す順番がある。
 しかも店は広い2000畳が自慢、店長の苦労、恩、心を店員が長々と話す。
 こんな素晴らしい食堂へ来れて皆さん世界一の幸福者ですね、もうすぐ開店50周年と笑顔一杯で話す。
 周りを見ると、皆さん白菜、シラタキを食べまくっているが、中には苦しそうにやっと食べている客もいる。しかも料金が結構高いと評判。
 しかし、そのうち肉が食べられると期待して、一度に食べ切れない白菜、シラタキだから、通いで食べに来られる。
 20年30年も白菜、シラタキを食べ続けているのだから、その根性、執念はすごい。これでこの店はもっているのだと分かる。
 豆腐を食べている人も余り見当たらない。
 そのうち、諦めて帰る人、怒り出す人、お金も続かず来なくなる人、店員さんは必死に、そのうち、そのうち肉が食べられますと励ましている。
 中には、家の肉は世界最高の肉だから、そんな簡単に食べられる物ではない、と説得している店員もいるではないか。
 必ず美味しい肉が食べられる、という宣伝はウソだったと思うようになって来た。
 どうしょうか、このまま白菜食べに通うか、止めようか、迷うお客さんが多くなって来た。


 他所から、美味しい「すき焼き」が食べられる「店」があると話は広まり、店員さんは「あれは肉は肉でも、牛ではなく、犬やヤギや猫のも混じっている、ニセ物です、用心して下さい」と大声で叫んでいる。
 チラシにもそんな事が書かれているから、余程困っているのだろうか。
 おかしいのは、店員さんに美味しい肉の味はどんな味ですかと聞いたら「言えません」「聞くものでない」、食べたとしても「こんな味だった」「あんな味だった」と言わないで下さいと注意された。
 店員さんも肉を食べたことが無いようだ。なのに世界一美味しいと言う。
 この店おかしいなー。
 こんなので繁昌するはずないが、まだまだ店を拡張して万年繁昌させるとか。
 しかも、客の私らにお金、建設費をもっと出して下さいと言って来る。
 怖くなってきた。
 大変な食堂へ入ってしまったものだ。このままでは白菜と豆腐しか出てこないのではないか。
 周りの客が、あちこちで、もう帰ろうかとヒソヒソ話をしている。


・S会食堂---親鸞会
・すき焼き---絶対の幸福
・すぐ食べられる---平生業成、一念往生
・店長---高森先生
・店員さん---講師部
・お客さん---会員さん
・白菜、シラタキ---19願の諸善・自力の心(雑行)
・豆腐、シラタキ---20願の念仏・自力の心(雑修)
・美味しい肉---18願の真実信心・南無阿弥陀仏・他力の信心
・よその「店」---華光会
・ニセの肉---自力の信心


 親鸞聖人は
「自力というは、我が身をたのみ、我が心をたのむ、我が力をはげみ、我がさまざまの善根をたのむ人なり」(一念多念証文)

 白菜、シラタキばかり食べさせられていませんか。



○「雑行、雑修、自力の心を振り棄てよ」の心を沙汰するのが、信心の沙汰どうしたらすたるのか、


・親鸞聖人は阿弥陀仏の本願・18願の仏心、南无阿弥陀仏の心を聞けと教えておられます。

「経に聞と曰うは、衆生、仏願の生起本末を聞きて、疑心あること無し」(教行信証)

・蓮如上人も同じく

「其の名号を聞く、というは、ただおうように聞くにあらず。善知識にあひて、南无阿弥陀仏の六字の謂れをよく聞き開きぬれば、報土に往生すべき他力信心の道理なりと心得られたり。」(御文章3帖目6通)


「仏法は聴聞に極まる」先回に述べた通りです。そして「信心の沙汰」が大事なのです。


 真の善知識にあなたは出会いましたか。
 求めて下さい。必ずお会いできますから。
 真剣に悩んでいる人を阿弥陀仏は導いて下さいます。


○、それだけ言うならお前の南無阿弥陀仏の味はどうなのだ、と言われそうなのでお話します。

「私の白道・6」に述べましたが、増井悟朗先生のご法話中でした。


「40年聞いてきたがこんな思いは初めてだった。
 あー俺は馬鹿だった、分かりたい、納得したい、そしたら信じられるだろうとは、何と我が身知らず。自力丸出しだ。
 分かるほど小さな仏智ではないのだ、墜ちることさえ分からん俺が、それを自惚れて、もー駄目だー、俺は助かるもんでない、阿弥陀さまー私はもう、どうにもならぬ者ですーとなった。
 その時「まかせよー、そのまま救うぞー」の呼び声が届いた。
 あっという間だった。これまで絶対下がらん心の頭が下がって、分かりましたーおまかせ致しますー、南無阿弥陀仏となってしまった。
 南無の心は、早く来い、われをたのめー、まかせよー、助けさせてくれーの呼び声だ、叫びだ。
 無条件降伏させられ、自力の心が殺された。
 阿弥陀仏は、助けるぞー、捨てはせぬぞ、罪業どれほど重くても心配するな、そのまま引き受けたぞー、必ず我が浄土に生まれさせて仏にしてみせるの大慈悲心だ。
それが一つになった南無阿弥陀仏のお力の大きさが、尊さが口からあふれ出る。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。」



1年ほどたったこの心は全く今も変わりせん。



○善導大師が「二河白道の譬」に西岸(阿弥陀仏)から聞こえた呼び声は
「汝、一心正念にして直ちに来たれ、我能く汝を護らん。衆て水火の難に墜ちんことを畏れざれ」

 助かる時は一念のはずなのに、どうしてこんな長いお言葉が聞こえるのだろう、不思議だなーと、ずーと思っていました。

「私の白道・6」には書かなかったのすが、「阿弥陀さまー、私はもうどうにもならぬ者ですーとなった。」その時、この善導大師のお言葉がパッと目前に広がり、その瞬間、同時に「まかせよー、そのまま救うぞー」の大慈悲心に貫かれてしまいました。聞即信でした。


 余りの不思議に、どう言っていいか分からず、ここのところは書きませんでした。

 救われた瞬間に何もかも分かると思っている人もありますが、そうではありません。信後の聴聞によって教えて頂くのです。
 救われた人は皆、即、教行信証、正信偈のお言葉を理解し説明出来るものでありません。庄松同行もそうでした。
 信心数え歌の心も日に日に、本当にそうだなーと深くなってゆきます。



 善導大師のこのお言葉を、よくよく聞いてみると驚きと感動でした。
「直ちに、来たれ」はそのまま、来い、まかせよでした。
 そのまま、ほんにその通りでした。
 雑行、雑修、自力の心が廃るとき、自分の中の一切が崩れてゆきました。
 覚えた、聞いた、称えたも間にあわない、力にならぬ、墜ちるしかない、どうしょうもない、どうにもならぬ、すがる何物も無い、そのままでした。
 ただじゃ、無条件と言われるのもこのことと分かりました。

 おかる同行が「そのまま来いの勅命に、いかなるおかるも頭が下がる」
 本当にその通りでした。



○本当の「信心の沙汰」とはどんなことか。


「伊藤先生のお言葉」吾勝常晃先生(伊藤先生は華光会の創設者)

(仏智の不思議に触れよ)151P

「私は20年、30年仏法を聞いている。わずか、半年や1年、仏法を求めたぐらいで信が得られるはずがない」
などと言う者があるが、同じ聞くにしても、その内容を考えてみなければならない。--
「わずか半年ぐらいで!」と言うが、本当に後生が苦になって求める者は、夜も眠られず悩みぬき、仕事も手につかず考え抜いている。真に、一大事の後生として求める者と、そうでない者とは、仏法を求める深さが違うのだ。
それが、たとえ子供であっても、そうして求めて行った者には、仏智不思議があらわれてくるのだ。その不思議に触れない限り、どれほど仏教のことを聞き覚えても、到底、後生の闇が晴れるものではない。


(重い仏法)177P

 明治以降の真宗でも、幾つかの熱烈な信仰運動があったが、人々が多く集まり、大きな寺でも建てると、それ以後の運動は、みな大体ダメですな。
 内輪もめしたり、金で争ったりしている。
 真実の仏法は、ワラジばきで広められるものであることを、深く心に銘記しておかなくてはならぬ。
 また、真実の仏法というものは、それほど多くの人々に、チヤホヤされるものではありませんぜ。
 やはり「国に一人、郡に一人」と言われるほど、重い仏法ですわ。

(命がけの信)87P

 自力と他力、信疑の白兵戦は、求める者と説く者との、すざましい戦いじゃ。一歩間違えば、生死岸頭に迷うという一大事がかっかっているのですからな。
 説く者も、その一点に命をかけよ、と言われる。
 しかし、その命がけのところに、如来大悲の念力がかかっていることを知らねばならぬ。
 妙なもので、説く者も「早く信をとらせよう」「信者を作ってやろう」
 と焦り、求める者も「早く信を得よう」「喜ぶ身になろう」と焦っている間は、双方共に人間的なもので、法の世界は開かれてこない。
「自力の計らい」は、まだピンピンしているんだ。
 それは、ただ言葉だけのやりとりにすぎない。
 そんなところに、名号不思議おお働きはないのですなア。

(念仏の不思議)89P

 念仏の不思議ということが、ひしひしと、感じられるような信心でなくてはだめだね。
 本を読んだり、話で聞いたりで、念仏をしぼり出すように喜んでみたところで、そんなものは、病気でもして40度ぐらいの熱が出れば、ふっとんでしまいますわ。
自分の中に、入れ込んで得た信は、すべて自力、計らいの信心じゃ。
 他力の信は「仏智の不思議」が働いて下されてある。
 だから、人から何と言われようと、アーも、スーもありませんわ。
「地獄も、極楽もないぞ」と言われても、有難いし、「お前は、だまされているぞ」といわれても、有難い。
「信心が間違っているぞ」と言われても、やっぱりホクホクと念仏が喜べます。
 これを、仏智廻向の信とも言うし、知恵の念仏とも言うし、とにかく念仏の不思議が、その人の中に生きているのですからな。
 これほど強いものはない。金剛の信ですわ。
 もう元のように「自力、計らいの信」に戻ろうにも、戻り様がない。
 腹の中は空っぽですわ。空っぽのまま、無限の念仏が喜べる。
 ホンマに気楽な身にさせてもらますなア。

○高森先生は、18歳から29歳までの約10年間、この伊藤先生を師としておられました。
「獲信の記録」も奈良県から実家の寺へ招待された時の、座談記録です。
「会報」にも多くの、伊藤先生の書籍の盗作があります。



・「仏智疑う罪深し    この心おもい知るならば
  くゆる心をむねとして 仏智の不思議をたのむべし」

・「弥陀の本願信ずべし 本願信ずる人はみな
  摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり」


南無阿弥陀仏。

私の白道・仏法は聴聞に極まる(投稿)

私の白道・仏法は聴聞に極まる(投稿)


             親鸞会元講師部


 私が「私の白道」を書く目的は、こんな私がお目当てと阿弥陀如来が救い摂って下された喜びと、このご恩を思えば阿弥陀如来の本願の尊きことをお伝えする以外にないと思うからです。
 親鸞聖人が「恩徳讃」にそのみ心をお示しになって下さいました。

     如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
     師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし

 常にこの心を忘れず書かせて頂きます。


○{仏法は聴聞に極まる}

 親鸞聖人は両親の死をご縁として、自身の「後生の一大事」死んだらどうなるのだろう、何処へ行くのかに驚かれました。
 解決の道は仏教にあると知られ、わずか9才にして出家なされたその決意は、大変なものでありました。
 だから比叡山での仏道修行は激しく厳しく、自身に容赦なく励まれました。
 しかし、煩悩具足の身、励めば励むほど知らされるのは、仏の覚りに遠い自己ばかり。
 本性は仏性であり、煩悩の穢れ汚れを修行によって清めてゆけば救われると教える聖道門・法華経の教えの限界を20年間の修行の末、身を持って知られました。
 泣き泣き比叡山を下りられた聖人に、「よくぞ参られた、そなたが救われるみ教えは阿弥陀仏の本願だけであるから、よくよく聞きなさい」と法然上人は教えて下さいました。
 雨の日も風の日も法然上人のご説法を聴聞され遂に、「愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、本願に帰す」(教行信証)
 阿弥陀如来に救い摂られたのです。
 信心決定、獲信なされました。
 それからの恩徳讃のご生涯は皆さんお聞きの通りです。

 ではどうしたら、後生の一大事は解決できるのか。
 法然上人から何を聞かれたか、親鸞聖人はどう教えられたのか、この一点こそ最も重要です。

 仏教を説かれた釈尊は、方便の聖道門・自力の仏教と真実の浄土門、他力の教え、阿弥陀仏の本願を教えてゆかれました。

 阿弥陀仏の本願、誓願、お約束には48願があり、18願こそ全ての人がこの世から救われる阿弥陀仏の本心を誓われたお約束であることを、親鸞聖人は法然上人より聞かれました。

  設我得仏 十方衆生  すべての人よ
  至心信楽 欲生我国  本願を信じて
  乃至十念       念仏申せば
  若不生者 不取正覚  必ず仏に成るべし
  唯除五逆 誹謗正法

 では、後生の一大事の解決が出来る、往生して成仏する因となる、本願を信ずるとはどういうことか。
 親鸞聖人は弥陀の18願文を明らかになされた釈尊の18願成就文をお示しになっておられます。

  諸有衆生 聞其名号  諸有の衆生其の名号を聞きて
  信心歓喜 乃至一念  信心歓喜せんこと乃至一念せん
  至心廻向       至心に廻向せしめたまえり
  願生彼国       彼の国に生まれんと願ずれば
  即得往生 住不退転  即ち往生を得不退転に住す
  唯除五逆 誹謗正法  唯五逆と正法を誹謗せんとをば除かん

「聞其名号信心歓喜乃至一念至心廻向」の釈尊のお言葉を知られて、

・経に「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心有ること無し。是を「聞」と曰うなり。「信心」と言うは本願力廻向の信心なり
(教行信証信巻)

・「聞其名号」というは、本願の名号をきくとのたまえるなり。「きく」というは、本願をききて疑う心なきを聞というなり、また「きく」というは、信心をあらわす御法なり。
(一念多念証文)

・「廻向」は本願の名号をもって十方の衆生に与えたまう御法なり
(一念多念証文)

 このように、往生成仏の因となる至心信楽欲生我国の信心は、名号を聞く、仏願の生起本末を聞いて疑いの無くなったことであり、これは阿弥陀如来からの廻向、頂きもの、他力の信心であったと体得さなれたのです。


 蓮如上人もここを教えられて、


・かるが故に、阿弥陀仏のむかし法蔵比丘たりしとき「衆生、仏に成らずば我も正覚ならじ」と誓いまします時、その正覚已に成じたまいしすがたこそ、今の南无阿弥陀仏なりと心得べし。
 これ即ち、我らが往生の定まりたる証拠なり。されば、他力の信心獲得すというも、ただこの六字のこころなりと落居すべきものなり。
(御文章4帖目8通)


・他力の信心を獲るというも、これしかしながら、南无阿弥陀仏の六字のこころなり。この故に一切の聖教というも、ただ南无阿弥陀仏の六字を信じせしめんがためなり
(御文章5帖)

・阿弥陀如来の仰せられけるようは、「末代の凡夫、罪悪の我らたらん者、罪はいかほど深くとも、我を一心にたのまん衆生をば、必ず救うべし」と仰せられたり。
(御文章4帖)

・されば、「南无阿弥陀仏と申す六字の体はいかなる意ぞ」というに、「阿弥陀如来を一向にたのめば、仏その衆生をよく知ろしめして、救いたまえる御すがたを、この南无阿弥陀仏の六字に現したまうまり」と思うべきなり。
 しかれば「この阿弥陀如来をば、いかがして信じまいらせて、後生の一大事をば助かるべきぞ」なれば、何の煩いもなく、もろもろの雑行、雑善をなげ棄てて、一心一向に弥陀如来をたのみまいらせて、二心なく信じたてまつれば、そのたのむ衆生を、光明を放ちて、その光の中に摂め入れ置きたまうなり。
 これを即ち、弥陀如来の摂取の光益にあずかるとは申すなり、また不捨の誓約ともこれを名くるなり。
(御文章3帖目4通)


 ここまで読まれて皆さんどうですか。
 御本尊を御名号にされて朝晩、勤行の時、礼拝されている方は南无阿弥陀仏のみ心を本当に知られて礼拝しておられますか。

 私も、30年以上も前に親鸞会より御名号本尊を御下付され、礼拝してきましたが「無上甚深の功徳利益の広大なることその極まりなきものなり」の御文章のお言葉や、また「他流には名号よりは絵像、絵像よりは木像というなり。当流には木像よりは絵像、絵像よりは名号というなり」の御一代記聞書を根拠にこれこそ正しいの思い以外ありませんでした。

 また「聞其名号信心歓喜」が御名号本尊の根拠であることも知っていました。しかし、深いみ心は今思うと本当に分かっていなかったと知らされます。

 親鸞会を退会するとき、家の御本尊を返却するよう言われたので、文章と口頭で強く抗議し、従いませんでした。
 御本尊は最も大事、命をかけて御護りしろ、と指導しながら矛盾であると思ったからです。

 アニメでも親鸞聖人は、非難して去ってゆく信楽房に御下付された御本尊、与えられたお聖教をお弟子が取り返そうとしたら止められているでありませんか。アニメの聖人のされたことと違いませんか。こんなことでいいでしょうか。

 最近またも、退会をした人に支部長が御本尊を返せと迫ったことを聞きましたが、悲しいことです。六字のみ心がわかれば絶対出来ないことです。
 もう止めて下さい。親鸞聖人が嘆かれています。



○増井悟朗先生「本願の心」より

「聞によって廻向される」

「それでは、その信心歓喜乃至一念の廻向というものが、どのような方法で衆生に起こってくるか、つまり廻向の方法を示されたものが聞其名号ということであります。
 阿弥陀様は五劫の御思案、兆載永劫の御修行によって仕上がった大功徳というものを、全部南无阿弥陀仏のお六字におさめこんで、この名号のおいわれを説く声として、名声超十方と衆生にお与え下さる。
 それで衆生はこれを「聞」という形でいただく。
 声による廻向だから、衆生はこれを聞で受けるわけです。
 こういう仕掛けが聞其名号ということです。
 だから親鸞聖人は願文の「欲生」を解釈なさるのに勅命と廻向の二つの意味で味わっていなさる。如来様が「諸有の群生を招喚したまう勅命なり」勅命すなわち仏の呼び声ですから、衆生はこれを聞くということでこれを自分に受けとることができる。
 欲生の勅命の中に、その声の中に至心も信楽もおさめて廻向して下さるというのです。
 だから聞其名号によって信心歓喜乃至一念が起こってまいります。
 それを親鸞聖人は
「経に聞といふは、衆生仏願の生起本末を聞いて疑心あることなし。これを聞といふなり」
と仰って、ここから聞即信という真宗独特の法門を展開されたのであります。


○いかに仏願の生起本末を聞くことが大事かが分かるではありませんか。


・おかる、庄松、山口善太郎、山本良介妙好人は19願の諸善を励んで、遂に18願に転入したと、いつ高森先生は説法されただろうか。誰か覚えていますか。

おかるーーこうにも聞こえにゃ聞かぬがましかーー
庄松ーーー合点ゆかずば合点するまで聞きなされーー
山口善太郎ーー聞けよ聞けよのお勧めがーー
山本良介ーーー金沢から四国高松、庄松の許へ聞きにゆく

 皆、真剣な聴聞をしているのではないですか。


 蓮如上人は親鸞学徒の鏡と言われますが、蓮如上人はどう説かれているでしょうか。


・それ、当流の安心のすがたは如何ぞなれば、先ず「我が身は十悪五逆五障三従のいたずらものなり」と深く思いつめて、その上に思ふべきやうは、「かかる浅ましき機を、本と助けたまへる弥陀如来の不思議の本願力なり」と深く信じ奉りてすこしも疑心なければ、必ず弥陀は摂取したまふべし。このこころこそ、すなわち他力真実の信心を得たすがたと云うべきなり。
(御文章2帖目15通)


「私の白道」にコメントをする人があり、読んでいるとその方の真意が分かります。
 退会した人を「それに騙される者など、よそ見をしている虚けか、鼻のイカれた病持ちだけだ」と書いて批判する人がありましたが、この人は阿弥陀仏の御心の分からない人だなと悲しくなりました。

・つくべき縁あれば伴い、離るべき縁あれば離るることのあるをも「師を背きて人につれて念仏すれば、往生すべからざるものなり」なんどということは不可説なり。(歎異鈔第6章)


 高森先生も「歎異鈔をひらく」に詳しく書いておられる。
 支部長はよく読んで、今後の退会者に無理な引き止めをしないで下さい。

「親鸞会、高森先生を離れて後生の一大事の解決は出来ませんよ。どうするんですか。絶対に助かりませんよ。」
などと決して言わないで下さい。それこそ親鸞聖人のみ教えに反しますよ。

 阿弥陀仏は十劫の昔から、どうしたら南无阿弥陀仏の心を伝えることができるか、受け取ってくれるか、このことひとつに掛り果てて一時も油断無く調熟の光明をもってお育て下さっている。
 阿弥陀仏のご苦労、ご恩を知れば自分から離れてゆく人を、「聞法の敗残者」とか「よそ見している虚けか、鼻のイカれた病持ち」など言うのは余りにも自分勝手で無慈悲です。
 阿弥陀仏は見放されないのです、決して。救い摂るまで付いて離れたまいません。
 こんなことを言うから会員さんが離れてゆくのも当然です。

 また、

「Sま田よ、昔も今も、少しも変わっておらぬの。「黒い心」の特有の黒さも。自前でこしらえた「白い心」の頼りなさも」

と教えて頂きました。

 親しい言葉つかいは、よほど私を知っておられる方のようです。
 その通り「黒い心」(煩悩)は信前も信後も少しも変わりません。
 変わらぬどころか、光明に照らされ余計に見えて、見えて恥ずかしい限りです。こんな私だから阿弥陀仏は棄てておけぬと、どれほどご苦労して下さったのか、申し訳なく有難い。南无阿弥陀仏。

「自前でこしらえた白い心の頼りなさ」と言えるのは、この人の体験かなと思ってしまいます。自分もそうだったからお前も多分、と思われてるなら随分と思い込みの激しい方だ。
 思い当たる人が一人あるが、今の親鸞会の現状は想定外で、相当あせってその上の発言とも思える。これは私の思い込みになるからやめておこう。



 本県では10月だけでも10名以上が退会していると聞いている。
 しかも、20年、30年の会員暦、幹部とか。
 合計はもう25名以上になるとか。
 原因を真面目に考えず、退会した人を非難したり、私のせいだとののしったりしているようでは、お粗末すぎる。
 自分の後生を真剣に考えてのことだから、現在の親鸞会、高森先生の指導に見切をつけられたことに間違いない。
 会員は何を言っても、善知識高森先生には無条件にハイハイと従うものだと思い込んでおられるようだが、皆さん正邪に自覚を持ち始めておられる証拠だろう。

「深いみ心ですから」は、もう通用しないことに気づいて下さい。
 絵に1億円の募財などと、怒っておられる方があったが、会員の心を無視して勝手な指示を出しておれば残っておられる会員さんも、同じ思いになられるのもすぐではありませんか。

 身を斬る思いの反省と、正しい教えを説くことに専念しなければ、親鸞会の使命は尽きることになるでしょう。



○三大諍論ーー親鸞聖人が法然門下の法友となされた諍論

●体失不体失の諍論

善慧房証空ーーー法然上人は諸行往生の者と言われた。

「諸行往生の機は臨終を期し来迎を待ち得ずしては、胎生邊地(化土)までも生まるべからず。諸行往生は非本願なるによりて定散の機にかぎる。」
(口伝鈔)

「講師部員は19願の入り口にも入っておらん」といわれたそうだから、化土さえ行けない。
 30年、40年、何をしていることになるのだろう。
 私は不安をいつも感じていた。
 高森先生は真面目に活動していれば、臨終に観音菩薩の説法にあえると言われたが、どこが根拠ですか。聞きましたか。
 また何を聞いて何処へ行くつもりだろうか。
 こんなことで安心して死を迎えられるのか、私には無理と思ったものです。
 講師部の皆さん、本当にそんな事信じているのですか。
 会員さんに本気で言えますか。

 阿弥陀仏の18願の救いは疑いながら、高森先生の言われることは疑いませんと言うのは、おかしくありませんか。
 一体どなたに助けて頂くつもりですか。
 とんでもない間違い、方向違いをしていると思いませんか。
 私も長い間、この矛盾に気が付きませんでした。

 親鸞聖人は常に「弥陀の本願まことにおはしまさば」だから弥陀の本願を伝えられた法然上人を心から尊敬なされたのです。
 よーく考えてみて下さい。
 そんなもろい信心なんて続きませんよ。これからも、まして臨終に通用しません、必ず崩れます、後悔しますよ。



 30年間聞いていても助からん者が、他所で1年かからずハッキリした、救われたと言うのはおかしいとトンチンカンな批判をしていることは前回書きました。

 聴聞は30年の時間より内容、聞き心が大事ということが分かったということです。
 山本良介も金沢で何十年聞いたが分からず、四国まで聞きに行って庄松同行の一言で弥陀の救いにあったと高森先生より聞きましたが、私への批判は矛盾していませんか。
 何が不思議なものか。
 おかしいと言う人こそ、弥陀の本願力不思議が分かってない人です、善慧房と同じですよ。
「聞其名号信心歓喜乃至一念」と何十年も聞いていながら、お気の毒な人です。この御文が信じられないから批判してしまうのです。
 平生業成、一念往生が弥陀の救いであることを強く自覚して下さい。



●信心同異の諍論

勢観房、念仏房、聖信房ーーー法然上人は自力の信心と言われた


 親鸞聖人が法然上人の信心と同じと言われたので、大先輩の三人が怒って諍論になった。
 私にも大先輩が沢山おられる。
 私を批判される心に、この三人と同じ心がありませんか。
 あんな奴が、あんな程度の聞き方で、あんな活動で何が獲信か。よく言うな。と。
 他力廻向の信心が分からねば、知恵、才能、学問、経験の三業で信心の有無を判断したくなるのです。
 何十年聞いていても、そうしか思えないのです。
 これが自力の信心です。
 阿弥陀仏の救いには、それは役にたちません。

 相談して来られる会員さんの中には、トンチンカンな批判の間違いをを見抜いておられる方もありました。
 その方は今月退会されたそうですが、気をつけて批判記事を書いて下さい、逆効果ですよ。



●信行両座の諍論

380余人は行の座ーーー法然上人は親鸞聖人の信の座に入られた。


 19願の諸善を力一杯やらねば自力無功と知らされず、20願の念仏、そして18願へ転入だ、だから今は諸善、活動をすればいいと思っている人は皆、行の座ですよ。
 教学に自信のある人は、せめて頭だけ信の座のつもりでしょうが、やはり行の座です。

「雑行が分かるだけでも30年40年かかる」と教学講義で高森先生より聞いたが、行の座に何十年もどっしりと座り続けている自分をどう思いますか。
 死ぬまでそこに座り続けるのですか。
 それでは70歳で初めて仏教聞いた人、聴聞会場に行けない病人は助からぬことになりませんか。

 蓮如上人「白骨の章」の御文章の心が分かりませんか。

・されば人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり
(5帖目16通)

 無常の命の私に阿弥陀仏の本願がかかっている、現在、ただ今間違いなく救われるから聞けよと教えておられるではありませんか。
 どんな聴聞しておられますか。
 こんな間違った教え方に気付いた人が、次々と退会をしているのですよ。
「こんな話をいくら聞いていても助からない」図星です。

 50周年の参詣の誘いに苦慮していると聞きますが、50年たってやっと皆さん気が付き始められたんだなと思います。



 阿弥陀仏、親鸞聖人はあなたをどのように見ておられれますか。それこそ「仏智疑う罪深し」本願を疑う恐ろしい人ではありませんか。
 親鸞学徒と看板を出していても、心は「仏敵」なのです。
 阿弥陀仏を真如法性の仏の座から引きずり降ろし、法蔵比丘にさせてまで五劫の思惟と兆載永劫の修行をさせたのは誰なのか。
 十劫の成仏以来、南无阿弥陀仏、死ぬぞ、堕ちるぞ、危ないぞ、早くまかせよ、我をたのめ、必ず助ける、堕としはせぬ、我が浄土へ生まれさせて仏の覚りをひらかせる、若し出来ねば共に地獄へ堕ちても離れんぞーの叫びが聞こえませんか。
 南无阿弥陀仏は名号、名のりであり、号は叫び、お前を助ける弥陀がここにおるぞー、早く来い、まかせよー、助けさせてくれーと叫び続けておられるのです。
 響流十方、大宇宙届かぬところは無く、今もあなたを呼んで、呼んで、呼びづくめです。

・「南無」の言は帰命なり。「帰命」は本願招喚の勅命なり
親鸞聖人(教行信証行巻)

・「そのまま来いの勅命に、いかなるおかるも頭が下がる」
(おかる同行)

・「私しゃあなたに拝まれて、助かってくれよと拝まれて ご恩うれしや南無阿弥陀仏」
(浅原才一同行)

・「四つとせよくよくお慈悲を聞いてみりゃ 助くる弥陀が手を下げて
  まかせてくれよの仰とは ほんに今まで知らなんだ」


 私もこの呼び声が聞こえたとき、大慈悲心に貫かれ、心の頭が下がり、無条件にまかせられてしまいました。文句も不足もないようにさせられてしまいました。すごい力です。


南无阿弥陀仏




○東京公開講演会の案内です。

日時  10月18日(土) 昼1時~5時まで
会場  全林野会館6階(文京区大塚3丁目3-28-7)
    入場無料
講師  増井信先生(華光誌編集長)
            質疑応答も有り


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