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質疑応答89

【質問】

 機の深信は、現在の自己がハッキリする。深信決定すれば、深信因果するので、未来がハッキリする。つまり、地獄行きがハッキリする、という三段論法は成り立ちませんか?



【回答】

 機の深信のお言葉では、「常に没し、常に流転して、出離の縁あることなし」という未来がハッキリしています。

「没す」とは、一般的に「三悪道」を指しますが、現在、人間界に生まれている状態も「没す」だと説かれているので、「五悪趣」と理解した方が良いかも知れません。
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COMMENTS

清森さんは、今まで五逆罪を造った事がないのかな?

善導大師は、今まで五逆罪を造った事がないのかな?

No title

現在、人間界に生まれている私たちは、一つ前の過去世では五逆罪を造らなかったのでしょうか?(もし造っていたなら、今生は人間界でなく無間地獄に生まれたはずです。)

独り事にしては長くなるのは、朝書くから。

こんな文もある。こんなお言葉もある。

そのお言葉を読む者の信仰の程度で読むのだから、

「信もなくて大事の聖教を所持の人は、幼き者に剣をもたせ候様に想召し候。
その、故は、剣は重宝なれども、幼き者持ち候えば、手を切り怪我をするなり。」
(御一代記聞書283)
のお言葉をよくよく心にしなければならない。

三悪道で苦しむ身が、せっかく生れ難い人間に生まれてきたのだから。

「それ人間界の生を受くることは、まことに五戒を持てる功力によりてなり。
これ大きに稀なることぞかし。但し人間界の生は僅かに一旦の浮生なり。
後生は永生の楽果なり。」
(御文章二帖目七通)

不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の五戒を持ったから、
人間界に生を受けたと蓮如上人は仰せられている。

五逆罪は無間業だから、論外だ。

素直に、
「ああ私は五戒を持ったから、人間に生まれたのか、有り難い」
と読む人もいる。

「蓮如上人の言われることだから、嘘ではないのだろうが、とても、
自分がそのような者と思えない。阿弥陀仏のご恩によらねば考えられない」
と、思う人もいる。

「仏光照耀最第一 光炎王仏となづけたり 三塗の黒闇ひらくなり。」

「阿弥陀仏の光明には、三塗の黒闇をひらくお力があったのか、そのお力あればこそ、生まれ難い人間に生まれられたのか」と、喜ぶ人もいる。

それは、信後の事だと切り込む人もいる。
それが知らされるのは信後でしょう。それまでは受けたご恩を知り切らないから、合点で通るのです。

「五逆を造り、因果を撥無し、大乗を誹謗し、四重禁を犯して、
虚しく信施をくらえる者、此の中(無間地獄)に堕つ」
(観仏三昧経に依る。往生要集)

自分を知れば知るほど、どうして人間に生まれられたのか、有り難く思わずにおれない。

過去世で、五逆罪を造らなかったどころでない。
今現在も造りどうしではないか。
無始より已来、変わることない人間の相は、穢悪汚染と親鸞聖人は教えられている。一切の群生海の事だと教えられている。

往生要集には、
「先世の造れる所の一切の、能く那落迦を感ずる悪不善の業、
未だつきざるときには、未だ出でず。」

とあるから、無間地獄に堕ちたら、業が尽きるまで出ることはない。
その業を果たして、やっと地獄の苦から逃れられたのかと感慨深い。

ならば、「この世に生まれたら、悪業はないのか」となるから、
信仰の未熟な者に大事の聖教を読ませてはならない。

地獄の苦は説けないと言われながら、地獄の実相を、釈迦はなんとか分からせようと、人間の言葉で譬えをもって説いたのである。
地獄に生まれる因が尽きるまで出られないということで、地獄で造る業は、また次生ということかもしれないね。まあよく分からないけども。

それはともかく、このような苦しみの世界を逕歴し、人間に生まれてきたのだ。
もしまた、このたび疑網に覆弊せられなば、またもとの古巣の大苦悩の世界にかえらなければならないぞ、早く聞き抜きなさいよ、と親鸞聖人は、
「聞思して遅慮することなかれ」と、叫んでおられる。

その叫びを遠くに眺めて、弥陀の御心に直入しない。

これがこのまま、謗法の相ではなかろうか。
「弥陀も仏法もあるかい」の無仏無仏法の相ではなかろうか、と恐れたこともなければ、反省したこともないのに、自分程お聖教を忠実に解釈している者はいないと自惚れているから、仏の正意にかなっていないのではなかろうか。
「人我自ら覆うて、同行善知識に親近せざるが故に。」
自分の事ではないのか、とつくづく思わされるのです。

地獄・餓鬼・畜生でも五逆罪を造ることがあるのか否かは、知らねども、
五逆罪を造れば地獄です。
今人間に生まれたことを考えるに、地獄・餓鬼・畜生から這い出たか。
阿弥陀仏の光明によってか。五戒を持った功力によってか。
各々の信仰の知るところです。

五逆の私、三途に堕つる者は十方世界の土の如しと説かれる中、今、人間界に生を受ける事が出来た、ことは大きなるよろこびです。
その仕組みは、もう知ることは出来ないが、阿弥陀如来のお力かと、有り難く思っております。

弥陀の本願に帰しぬれば、仏恩がハッキリ知らされ、
二種深信が体得されるのだから、どのような立場でも一味の世界まで、
聞法求道したいと思います。

No title

光炎王光が縁となって今生は人間界に生まれたということなら、
なぜ後生では光炎王光の作用がないのでしょうか?
「必堕無間」では、その可能性が完全に否定されてしまいます。
それはかえって、阿弥陀仏の光明を過小評価していることになるのではないでしょうか?

No title

>「仏光照耀最第一 光炎王仏となづけたり 三塗の黒闇ひらくなり。」
>
>「阿弥陀仏の光明には、三塗の黒闇をひらくお力があったのか、そのお力あればこそ、生まれ難い人間に生まれられたのか」と、喜ぶ人もいる。


 これがどうして、「人間に生まれさせる力」になるの?

 仏の三不能で「決定業を転ずることはできない」と教えられている通り、仏様と言えども、因果の道理を曲げることはできない。

「三塗の黒闇」とは疑情のこと。「三塗の黒闇ひらく」とは「疑情を晴らす」という意味であって、「人間界に生まれされる」という意味ではない。

 お聖教に無いことを、勝手に言わないように。

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 では信心決定の一念に晴れ亘る疑心とは何か、信忍の心とは如何なる疑心の晴れた境地なのか、今から詳しく明らかにしよう。
 この疑心には実に多くの名称がある。
 千変万化するからであろうが、決するに阿弥陀佛の本願を疑っている心であり、後生とふみ出して暗い心なのである。
 これを『大経』には「不了佛智」と説かれ「本願疑惑」「佛智疑惑」とも呼ばれ、
曇鸞大師は「若存若亡」とか「千古の暗室」と教え、
法然上人は「疑情」親鸞聖人は「疑情」とか「疑網」とか「三塗の黒闇」とか「無明長夜の闇」と教えられている。

(会報2集)

No title

>阿弥陀仏の光明によってか。五戒を持った功力によってか。
>各々の信仰の知るところです。

蓮如上人の信仰は「五戒を持った功力によって」だったようです。

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