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親鸞会教義の相対化・33

清森義行様


『会報』の五巻に関して述べさせて頂きます。


『会報』vol.5p.20~善知識(32)

>>>
聖道門自力の仏教徒の多くの者が、最も信奉している経典は『法華
経』であろう。
(中略)
勿論『法華経』にも「誰でも仏に成れる」とは説いているが「どう
したら仏になれるのか」という大切なことが明示されていない。
>>>

いいえ。

『法華経』には、「どうしたら仏になれるのか」という大切なこと
が明示されています。


1)釈迦牟尼仏に会うことができたら、即身成仏できます。

【根拠】
『法華経』提婆品「龍女の成仏」

 そのとき、長老シャーリ=プトラがサーガラ竜王の娘にこのよう
に言った。
「良家の娘よ、そなたが「さとり」を達成しようと志し、
 ひるむことなく努め、測り知られぬほどの理智をもっているとしても、
 完全な「さとり」は誠に達成しがたい。良家の娘よ、
 婦女子が努め励む心を挫かせることなく、幾百劫・幾千劫のあいだ
 福徳ある所行をし、六波羅蜜を完成したとしても、
 今日に至るまで仏の境涯は得られない。
 何故かと言えば、婦女子は今日に至るまで五種の地位を得たこと
はない。
 五つとは何であるか。
 第一はブラフマン(梵天)の地位、第二はインドラ
(帝釈天)の地位、
 第三は四天王の地位、第四は転輪聖王の地位、
 そして第五はひるむことのない求法者(=仏)の地位
である。」

 さて、そのとき、サーガラ竜王の娘は、ひとつの宝珠をもっていた。
 その値段は三千大千世界の価値に相当した。
 サーガラ竜王の娘はこの宝珠を世尊に献上した。
 世尊は彼女の心根をめでて、それを嘉納した。

 そこでサーガラ竜王の娘は求法者プラジュニャー=クータと
 シャーリ=プトラ長老にこのように語った。
「妾はこの宝珠を世尊に献上しましたが、
 世尊はそれを早速に嘉納されましたでしょうか、
 嘉納されなかったでしょうか」と。

 長老が言った。
「そなたはそれを早速に世尊に献上し、世尊はそれを早速に嘉納さ
れた。」

 サーガラ竜王の娘が語った。
「シャーリ=プトラ尊者よ、もし妾が大神通力をもっておりますならば、
 世尊がこの宝珠を嘉納されるよりも一層速く、
 完全な「さとり」に到達しているでありましょう。
 そして、この宝珠を受け取る方はいないでしょう。」

 そのとき、サーガラ竜王の娘は、世間のすべての人々が見ている
ところで、
 また長老シャーリ=プトラの眼前で、
 彼女の女性の性器が消えて男子の性器が生じ、
 みずから求法者となったことを示した。

 そのとき、彼女は南方に赴いた。
 そこで、南方にあるヴィマラー世界にとどまり、
 七宝づくりの菩提樹の根元に座り、
 みずから「さとり」をひらいて仏となり、
 三十二種の吉相(=三十二相)と八十種の福相
(=八十種好)のすべてを具えて、
 光明で十方を照らして教えを説いている姿が見えた。

 このサハー世界にいる人々はすべて、神や竜などの八部衆や、
 人間や鬼霊たちに崇められて、教えを説くかの如来の姿を見た。
 如来が説く教えを聴く人々はすべて、この上なく完全な「さと
り」を求めて、
 ひきかえすことはなかった。

 そして、かのヴィマラー世界とこのサハー世界とは、六種に振動した。
 そして、尊きシャーキャー=ムニ如来の許に集まり会合した三千
人の人々は、
 この世に存在するものはすべて生じたり滅したりすることがない
 という真理(無生法忍)を会得した。
 そして、三千人の人々は、この上なく完全な「さとり」を達成す
るであろう
 という予言を授けられた。

 そこで、偉大な志をもつ求法者プラジュニャー=クータと
 シャーリ=プトラ長老は沈黙した。

(『法華経〈中〉』 (岩波文庫) pp.222-225 
岩本裕サンスクリット和訳)


2)ただし、煩悩を断じなければ釈迦牟尼仏には会えません。

【根拠】
『法華経』如来寿量品の、

「衆生、すでに信伏し  質直にして意柔軟となり
 一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまざれば
 時にわれ及び衆僧は  倶に霊鷲山に出ずるなり。」

上記の記述に対応する文が、サンスクリットでは、

 「この世の人々が心ただしく、おだやかで、 愛欲を離れた
者となったとき、
 そこで余は弟子の集団を集め、ここグリドゥラ=クータ(霊鷲山)
に余は姿を現す。」
(岩波文庫 「法華経」下巻 31頁)

となっています。

「愛欲を離れた(utsr.s.t.a-kAma)者に衆生がなった時」な
ので、
「カーマ(愛欲)」を離れることが、衆生が釈尊に会う条件になっ
ています。


3)しかし『法華経』の一部を読んだだけでも、『法華経』を修業
したことになって、いつになるかは不明だが、成仏できることが釈
尊によって授記されています。

【根拠】

 妙法華経の一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜せん者には、
 我皆記を与え授く。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。
(『法華経』法師品)

このうち「乃至一念も随喜せん者には」は、
岩波文庫本のサンスクリット和訳で言うと、

「あるいは信心の心をほんのちょっと起こして、
 この経典を有難いと思っただけでも」

となっており、それだけでさとりに到達すると述べられています。

この文からは、いつになるかわからないけれど確実に成仏することが、
『法華経』という経典そのものによって保証されています。


4)だから上記の高森先生の記述は、『法華経』の記述を歪め、
『法華経』の価値を貶めを誹謗することになります。そして『法華
経』を誹謗することは、阿鼻獄地獄に堕ちる恐ろしい行為です。

【根拠】

 舎利弗よ、驕慢懈怠我見を計する者には此の経を説くことなかれ
 凡夫の浅識深く五欲に著せるは聞くとも解すること能わじ
 亦為に説くことなかれ
 若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ぜん
 或は復顰蹙して疑惑を懐かん汝当に此の人の罪報を説くを聴くべし
 若しは仏の在世若しは滅度の後に其れ斯の如き経典を誹謗するこ
とあらん
 経を読誦し書持することあらん者を見て軽賎憎嫉して結恨を懐かん
 此の人の罪報を汝今復聴け其の人命終して阿鼻獄に入らん
 一劫を具足して劫尽きなば更生れん是の如く展転して無数劫に至らん
(『法華経』譬喩品)

頑固な人々や、高慢な人々や、正しい修行をしない人々に、お前は
これを説いてはならない。
愚か者たちは常に愛欲に酔いしれていて無知であるから、説かれた
この教えをあしざまに言うであろう。
仏陀の導きとして常に世の中に確立されている私の巧みな方便を誹
謗し、眉をひそめて(教えの)乗り物を捨て去る、このような人が
この世でうける果報がいかにきびしいものであるかを、お前は聞け。
私がまだこの世にいるあいだにせよ、完全な涅槃にはいったのちに
せよ、このようなこの経典を誹謗し、あるいは比丘たちに対して苛
酷な振る舞いをして彼らがうける報いがいかなるものかを、いまや
私に聞け。
これらの愚か者たちが人間としての生を終えてから住んでいるとこ
ろは、一劫が滿ちるあいだ、アヴィーチ(阿鼻)の地獄である。
そののちさらに多くの中劫のあいだ、彼らは幾度も死んでは再びそ
こへ落ちていく。
(『大乘仏典5』p.117)


5)ちなみに法然上人は、「釈尊の教えはどれも素晴らしい」とい
う立場を、終生貫いていかれました。

【根拠】

 どの経や論も、釈尊が説かれた、経とそれに基づく教えである。
 だから『法華経』や『涅槃経』などの大乗経典を修行して、
 仏になるということに、どんな困難があるだろうか。

 それに『法華経』は過去・現在・未来の時に、
 世におられる仏たちもこの経によって仏となられ、
 十方の世界におられる如来もこの経によって完全な覚りを得られた。
 それなのに『法華経』を読まれていただくのに、何の不足がある
だろうか。

 このように言っている時代はまことに素晴らしいことであったが、
 今の我々の器量ではこの教えについていくことができない。

 その理由は『法華経』では菩薩や声聞と言われる、
 優れた境涯の人を相手とするからである。
 我々凡夫では、それに適わないと思うべきなのである。
(『念仏往生要義抄』昭法全六八二頁)


このように『法華経』に説かれる内容の素晴らしさを称賛する一方
で、菩薩や声聞のような、素晴らしい人を相手に説かれた教えであ
る『法華経』が、今の時代の三学非器である自分には適さないとい
う厳しい自己反省と自覚に立っておられます。

経典は、全てが仏様の説かれた衆生救済のための素晴らしい教えで
あって、それに対して愚かな人間が、勝手に計らって、 優越
をつけることなど決してできないことですし、そのようなことは許
されることではありません。

そして、その修行に自分が適わなかった場合は、釈尊が説かれた教
えや修行に欠陥や問題があると思うのではなく、そんなに素晴らし
い教えがありながら、その修行に叶わない自分自身を、大いに恥じ
るべきです。



清森問答をご覧になっている皆様には、高森先生のように『法華
経』を誹謗し恐ろしい罪を造ることなく、法然上人のように、己の
至らなさを恥じる謙虚な人間になって頂きたいと切に願います。



* * * * *



最後に、私の尊敬する浄土宗の布教師の先生が書かれた、ある本の
前書きを紹介させて頂きます。

====以下引用====

 小著は、法話集というより一布教師のざれごと集のごときもので
す。はずかしい限りですが、私にとっとは布教十年の総決算。持ち
ネタを出しきったものです。(中略)
 もともと私のネタの多くは先徳・先輩より、本を通してあるいは
直接話を聞いてまねたものです。先輩にお断りせずに使わせていた
だいているネタもあります。申し訳なく思っています。ただそのネ
タをそっくりものまねすることは決していたしません。所詮、もの
はねはものまね。それでは個性が出ません。だから私はいただいた
ネタは十分に咀嚼して、自分のものにしてからお話をするのです。

====以上引用===

既に高森先生の著作に、伊藤康善先生や大沼法龍先生からの盗作が
多数あることが指摘されています。

高森顕徹氏の著書のルーツ
http://shinrankai.hp.infoseek.co.jp/index_pkr.html

布教というものは、あらゆる手段を使って最も効果的な方法で行う
べきであると思いますから、他の方の著書や言葉でも、よいものは
どんどん取り入れていったらいいと私は思います。

しかしその際には、多くの方に素材を提供していただいたことに感
謝し、その上で十分に咀嚼し自分のものにしてから使用するべきだ
と思います。

十分に咀嚼を行うこともなく、無断で盗作を行った上に、更に盗作
元を読むことを禁じ、盗作の事実を隠蔽する行為は、大いに信用を
失墜してしまうものであると思います。


『会報』を読ませて頂いて、問題点はみつかりましたが、全体とし
ては決して悪いものではなく、浄土真宗の教えがとても要領よくま
とめられたものであることは間違いありません。

参考文献・引用文献を明確にし、出典・典拠の確認もきちんと行
い、十分相対化を加えた上で使用するのであれば、とても有益なの
ではないかと思います。
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COMMENTS

悲しいわ

あれから、過去の親鸞会教義の相対化や私の白道を見たけど、清森さんのコメントは少ししか見当たらないんだけど。
清森さんは、何で浄土宗の人のコメントを載せているのかしら?
清森さんは浄土真宗のはずじゃないの?。
わたしも、元会員なんだけど、いまの親鸞会と清森さんとのやりとりを見ていると、なんか悲しくなってくるの。
NNNさんや、ああさんへさんは、悲しくならないですか?
NNNさんは、上田さんや清森さんを守りたい、という気持ちではないということなの?
もしそうなら、昔と変わんないとおもうんだけど。

No title

高森会長が謗法罪を造っていることが根拠に基づいて明らかになりましたね。
だけど極楽往生間違いないから、造ってもいいんですよ。

no title

>高森会長が謗法罪を造っていることが根拠に基づいて明らかになりましたね。

高森会長は、法華経を誹謗するのではなく、「(法華経の)教えは非常にすばらしいのであるが、我々のような機根の劣った者にとっては、機がついていかず、あたかも高嶺の花のような教えだ」というスタンスを堅持しなくてはなりませんでしたね。

>だけど極楽往生間違いないから、造ってもいいんですよ。

2つ疑問がありますのでよろしかったら教えてください。

1)高森会長が「極楽往生間違いない」のは何を根拠としているのでしょうか?

2)「造ってもいいんですよ」というご発言は造悪無碍的で、どうかと思いますが。造悪は真宗においても「毒を消す薬があるからといって好んで毒を飲んではならない」と厳しく戒められています。
「信心決定したうえは、たとえ悪業をつくったとしてもそれは今度の報土往生の妨げにはならない」のような説明でしたら認められるのではないかと思いますが。

No title

マジレスされると思わなかったのですが…

>1)高森会長が「極楽往生間違いない」のは何を根拠としているのでしょうか?
本人の思い込みが根拠じゃないですか?

>2)「造ってもいいんですよ」というご発言は造悪無碍的で、どうかと思いますが。造悪は真宗においても「毒を消す薬があるからといって好んで毒を飲んではならない」と厳しく戒められています。
親鸞会では嘘つき勧誘しても良し、不倫しても良し、往生の障りにならないと教えているようです。

No title

>マジレスされると思わなかったのですが…

なるほど、痛烈な皮肉をこめられたというわけでしたか、どうも失礼しました。

根が真面目なので冗談がわからないことがあり、なにとぞご容赦願います。

No title

上田さんとは直接お話をしたこともありませんが・・・。
清森さんには学生時代に大変お世話になりました。

同時に親鸞会にも大変お世話になりました。高森先生をはじめ、講師の方々やお世話になった会員の皆様たくさんいらっしゃいます。今でも大変感謝しております。

ただ、布教局長の不倫騒動前後から、親鸞会内でいがみ合いというか、いざこざが多くなり、一連の除名騒動でいがみ合いが頂点に達したように感じました。それで嫌気がさして辞めました。
ほんとに悲しいですね。同じく仏法のご縁にあったのですから、仲良くできればと思います。除名した親鸞会に非があるのか、除名された上田さんや清森さんに非があるのかは私には分かりませんが・・・。

ただ、私は一連の騒動を機に、親鸞会から離れましたし、清森会・上田会なるものも別に結成されていませんし、誰に遠慮することなく疑問は疑問として調べたり、他人に聞くことができるようになりました。親鸞会を辞めた最大の収穫だと思っています。ちなみに、清森会や上田会が結成されても入会するつもりはありません。誰かや何かを守るために、仏法の理解が妨げられるのはもう懲り懲りです。高森先生の御法話にはまた参詣したいなと時々思いますが、参詣すると再入会を勧められるのは間違いなく、それが煩わしいので二度と参詣することはないと思います。

浄土宗の学者の方の見解を掲載されていることについては私は違和感ありません。
親鸞聖人も、浄土真宗の開祖は法然上人だと仰っています。
また、高森先生は以前浄土宗の方と法論をされたこともあります。法戦5だったかに収録されていたと記憶しています。
ですから、浄土宗の方から誤りを指摘されたら、それに対して反論できるのではないでしょうか。
それに、浄土宗の学者の方は、経典や法然上人のお言葉に基づいて、親鸞会の誤りを指摘されています。その指摘が誤りであるというのであれば、教典や法然上人・親鸞聖人のお言葉に基づいて反論されればよいと思います。浄土宗の学者の方に対する反論は、前のブログでは少しありましたが、現在はないですね。浄土宗の学者の方のご指摘に対する親鸞会からの反論も是非お聞きしてみたいと思っています。そういうやりとりがあれば、さらに教義を深く学べると思いますので。

ごめんなさい

NNNさんのこと、清森さんのグループだと思っていました。
人のこと、言えませんね。ごめんなさい。
わたしは学生時代、教学が全然だめで、みんなからバカだといわれてました。
「一文不知の尼入道なりとも」じゃないの?と言ったら、「聞き間違いだよ」といわれて、嫌になり、やめてしまいました。
わたしはバカだから、浄土宗の人が言っていることがわかりません。
清森さんが、わかりやすく書いてくれたら、と思うの。

ああ様へ

横レスですが一言だけ。

>「一文不知の尼入道なりとも」じゃないの?と言ったら、「聞き間違いだよ」といわれて、嫌になり、やめてしまいました。

あなたが正しいのであって、あなたに対して「聞き間違いだよ」と指摘された周囲の方々こそ、きき間違っておられるように思います。

周囲の方々は、きっと法然上人の一枚起請文もご存知なく、蓮師の「あながちに智慧、才覚もいらず」とおっしゃられた『御文章』もまったく味読されたこともなく、祖師の「無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ 」のご和讃もご存知ないのでしょう。また、祖師の著作である『唯信抄文意』には、

>「不簡下智与高才」といふは、「下智」は智慧あさく、せばく、すくなきものとなり。「高才」は才学ひろきもの、これらをえらばず、きらはずとなり。

とあります。ただし、もちろん、「一文不知の尼入道」が卑下慢や一種の開き直りの意味であってはいけないと思いますが。

祖師は比叡山を下りられて法然上人のもとに日々通われたとされていますがが、必ずしも「たちどころに」信心決定されたわけではないようです。比叡山教学や修行経験がかえって自力に執し、他力心を獲るにあたって邪魔をした可能性があります。
教化することを使命とする親鸞会の専任講師であることは、未信者が他力信仰を獲るためには、実は非常にリスクが高い道であるのかもしれません。

こちらこそ失礼致しました

こちらこそ失礼致しました。そもそもは私が勝手な思いこみで書き込みをしたことが発端でしたので・・・。

よく分からないのですが、「清森さんのグループ」って何なのですか?
清森さんと連絡を取ると、そのうち上田さんが作った会に勧誘されるとか、そういうことでもあるんでしょうか?何か新たに会ができたのでしょうか?以前のブログでは現役の会員の方が「清森さんの一派」という表現をされていました。「一派」って何なのでしょうか?

私も浄土宗の学者の方の書き込みは難解です。
でも議論になって、そのやりとりを見ていると対立点や論拠がよくわかり、とても勉強になります。
私も教学は少しはしておりましたが、残念ながら浄土宗の学者の方や清森さんの足下にも及びません。
ですので、親鸞会の教学部の講師の方や教学好きな会員の方が書き込みをされないかと思っているのですが、最近はあまりないですね。以前のブログでは、「脊髄反射レベル」と酷評されてしまってましたが、たとえ脊髄反射レベルであっても親鸞会教学との違いが浮き彫りになりますのでとても有り難かったです。

親鸞会のネット対策員の方もきっとこのブログを毎日チェックされていることと思うのですが、なぜ親鸞会がここまで誤りを指摘されて黙っているのかが不思議です。清森さんは親鸞会ではかなりの悪党になっていますが、それならなおさら正々堂々と法論で論破すればいいことだと思うのですが。

会員向けに清森さんの悪評を発信するというような内輪の自己満足ではなく、正々堂々と公開法論を申し込んでもらいたいものです。

No title

親鸞聖人自身浄土宗の教えに従って信心決定されたわけですし、
法然上人の教えを学び、実践することは親鸞学徒としてもおかしなことではないと思います。
私は浄土真宗を尊び、親鸞聖人の教えに従うつもりですが、親鸞聖人が善知識と仰いだ法然上人がどういったことを教えられていたのかについても非常に関心があります。

皆さんもご存知だと思いますが、高森先生の教えには「独自の解釈」がたくさんあります。
高森先生曰くは「もし親鸞聖人が生きておられたとしても、怒られることはないでしょう」と。
そして、それが親鸞会教学となっています。
本当に親鸞聖人が生きておられたら怒られることがないのかどうかを探るには、
親鸞聖人の教えに合っているのかどうかも重要ですが、親鸞聖人が師と仰ぐ法然上人の
教えにも反していないかも併せて確認しておく必要があるのではないでしょうか。

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