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私の白道・7

「私の白道」7
元親鸞会講師部



○高森先生へ年賀状

 数年ぶりに高森先生に年賀状を出しました。

 賀正
 「まかせよと 聞こえたこのまま摂取不捨
  不思議 不思議の南无阿弥陀仏」

  高森先生に諸善を勧められ
  増井先生に第十八願六字の心をお聞きして
  従仮入真、捨自帰他、今こそ明らかに知らされました。
  ご恩忘れず、称えつつ、六字の心をお伝え致します。
  お身体大事にして下さい。
 南无阿弥陀仏

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 今回は40年聞かせて頂いたことを振り返り、ここをお読みの皆さん、親鸞会とご縁ある皆さんに、なぜこんな年賀状を出したのか、お話して、求道の問題点を考えてみたいと思います。


○高森先生との出会いは41年前でした。

 18歳の高校時代、東本願寺、仏教青年会、仏青に入り行事に参加していた私は、近所の親鸞会、青年部会員と話する機会があった。
「人間の実相」の話をして、藤ヅルにぶら下がっているのは誰かと聞いて来た。私やと認めると、じゃ仏法聞かずにどうすると言ってきた。
 渡された「顕正」を読みショックを受けた。
 仏教用語が多く、難しく理解出来ぬところがあるが、本願寺をボロクソに批判してある。
 寺の住職に相談すると「あれは、真宗の創価学会みたいなもんや、近づくな」と言われた。しかし「顕正」が気になり寺に隠れて夜聞きに行った。
 2、3ケ月ほど聞いて、御法話が終わってから、高森先生の控え室へ勝手に入った。40年前は在家の御法話が、ほとんどで夜の参詣も40人ほど、今では考えられないほど、自由でした。
 氏名、仏青を名乗り、なぜ本願寺の教えではいけないのかを聞いた。
 すると、親鸞聖人と本願寺の教えの違いについて、4つほど挙げてこれでも同じかと言われる。後生の一大事、救いは今か死後か、他力自力の念仏、法事と説法など。
 根拠あげての話に私は顕正されてしまった。高森先生が顕正者だったのです。

 寺へ行って住職に高森先生からこんな話を聞いた、どこが間違いですかと聞いた。 あれほど行くなと言ったのに、行ったのか、んーと言うだけで返答しない。これはあかんと思って家に帰った。
 かつてこの寺でも高森先生を招待していたが、本願寺の柏原祐義氏の非難のパンフレットが問題になり、反対するようになったことを後で知った。反対理由が分かり、親鸞会に入会し、仏青との縁を切った。


○後生の一大事に驚き、真剣な求道を決意する

 ある日、高森先生から「人間の実相」の説法を聞いた数日後、私は夜中に自分が死なねばならぬ夢を見た。実に生々しく、今もハッキリと思い出せる。
 二匹の3メートル位の鬼が迎えに来た。あわてふためき「どうか助けてくれー」と泣いて哀願するが、だめだ、今すぐだ、と拒絶された。
 両手、両足つかまれた。1日、いや半日でもいいから許してくれと更に必死に哀願する。何をすると鬼が言った。
「仏法聞きたい、真剣に聞くから許してくれー、半日くれー」というが、今すぐ連れれてゆくと引きづり出した。
 回りをみると、多くの人が同じように、泣き叫びながら昏いトンネルのような中に引きづられてゆくのだ。
「大命将に終らんとして、悔懼交々至る」の大無量寿経のお言葉が本当だったと知らされるばかりで、泣き泣き、堕ちてゆくしかない。
 その時、目がさめた。
 あー助かった、ー夢だった。よかったー、夢で。枕が涙で濡れ、全身12月というのに汗をかいているのに驚いた。今すぐ寝るとまた続きを見るのでないかと恐ろしく、早く朝がこないかと布団の中で待った。
 怖い思いは色々したが、心底恐れたのは、この時が初めてだった。
 理屈抜きで、全身が死にたくないと叫ぶのだ。
 そのうち、今回は夢でよかったが、しかし何時か必ず現実のこととなるのだ、さあどうする、鬼に仏法聞くから許してくれと泣いたではないか、さあどうする。聞くしかない、後生の一大事解決するしかない、聞こう、今なら高森先生から聞けるのだ、今度は絶対聞きぬこうと決心した。
 23歳になっていた。
 毎月、高森先生の御法話、座談会8回地元の講師部御法話夜7回、月に15回の聴聞を始めた。
 教学も導師、大導師、講師とやりだした。
 しかし3、4年と仕事しながら時間とお金を全て費やして求めていると、将来のことが心配になってきた。実家へ行くと結婚、将来をどうするのかと言われ、少し控えようとした。
 この動きがすぐ講師から高森先生に伝わり、突然葉書が届いた。

 合掌

「無理非道飲まず食わずに金貯めて
 仏法聞かずに死ねる馬鹿者」
 にならないように


 これに感動し、反省した私は更に活動に邁進していった。


○講師部の道と「宿善まかせ」の活動

 私は講師部の道を決意したのは、後生の一大事が自分にあり、この解決をしたいと思ったからです。それは「宿善まかせ」の道であり「宿善は待つに非ず、求むるものなり」と教えられたからです。
 生活の全てが求道、宿善を求めることになる、獲信が早くなると思ったからです。それ以外ありません。
 36歳、妻、子供2人いましたが決意して飛び込みました。
 いろんな任務につき、その時その時、他の講師部員と同じように精進してきました。

 非常任参謀、青年部副部長、本部制度の青年部長、副本部長、本部長、光教育担当、光選隊、支部長、です。


・本部長の辞令が下りた時は、どこの本部より発展させたい、高森先生のご期待、ご恩にお応えせねばならないの思い一杯でした。
 担当講師に毎月の目標を与え、それが達成出来るか、見てゆく。
 御法話回数、参詣、財施、顕正、教学試験受験、聴聞録、そしてアニメ販売目標。
 目標がきつ過ぎると、達成出来ず、3ケ月、それが続くと本部長の指導能力が問われる。
 年3回ほどの地元高森先生ご法話には、参詣誘い、財施、準備に全力をかけて担当講師、会員さんと臨みました。
 光戦(アニメ頒布)に本会あげて熱が入ってきた。
「アニメ以上の布教は無い。アニメの親鸞聖人が顕正されるのだ」
の言葉のままに目標本数達成に必死になり、研修会を開き、作戦を練る。自分も訪問販売に回り、セールストークを磨く。

・光クラブの教育担当の辞令が下り、19名の青年部男女と全国へアニメ販売に回ることになった。
 支部、青年部、学生部の参加者も受け入れ、大変なことになった。

「アニメで本願寺が大津波に飲まれる。変わる」
と言われ、真受けにして、九州、中国、四国、近畿、東海、北陸、北海道と3年半、○万本のアニメを販売した。
 光クラブ19名は皆、本当に頑張った。参加者の世話も見ながらの販売である。本部へ帰ると、光研修会、光セミナーと休む間が無い。
 カンカン照りの名古屋、雪の中の北陸、凍る中国山間部、インターホン断り連続の大阪。1週間回っても1本も出せないこともある。
 だけど皆、頑張った。これが真宗を変えると信じて。宿善と思って。


・顕正専門の光選隊の辞令が下りた。

 アニメ顧客を回って、見られているか、話が出来そうな人を見つけるのに半年かける。
 しかし見てない人も多い。見ても1回切りとか。
 親鸞聖人はご苦労された、偉いお方じゃのーという印象がほとんど。
 教えを聞き得る人は、ほとんど無い。
 予想外の反応に驚いた。分からないのだ、見ていても。
 私達は聴聞をして見ているから、分かるが、聴聞していない人にはただ親鸞聖人物語にしか見えないのだ。
 こんなことで、本願寺が大津波に飲まれるのか、初めて高森先生の言葉に深い疑問を持ち始めた。(誰にも言えない、批判になる)
 年が替わって、顕正目標が高森布教局長から下った。50名だった。
 50名。現状を余りにも知らなすぎる。(言葉に出したら、上司批判で除名)
 50名顕正するには5倍、250名の対象者がいなければ難しい。
 半年で仲良くなって話の出来そうな人は20名位しかないのだ。
 担当本部長に現状を話し、本年は30名に下げてもらった。しかしこれでも難しいことに変わりない。法領(給与)も4割、前より少なくなって、心配した本部長が、文化講座を5,6回分許可してくれた。
 本当に助かった。これで顕正対象者が次々と現れ、20名の成果となった。
 次の年は30名で、2年で50名達成出来た。
 無理がたたり、糖尿病になったり、五十肩に苦しんだが、そんな事は言っておれない目標だった。いかに厳しい目標か、やった人にしか分からない。

○講師部の退部。会員の退会、そして華光会との出会いと獲信

 そんな親鸞会一筋の私でしたが、その後「私の白道2、3、4、5」に書きましたように、高森先生の導き方に疑問を持ち、親鸞会、講師部の実態に失望した私は、講師部を退部し、会員を退会しました。
 数々の体験を通して華光会、増井先生と出会い「私の白道6」で申し上げたように、南无阿弥陀仏の真実に貫かれました。

 不思議な不思議な身の幸は言葉になりませんが、南無阿弥陀仏の六字を称えずにおれません。

○阿弥陀仏は18願に誓っておられます。

どんな極悪人でもーー十方衆生(五逆、謗法)ーーそのまま
  本願を信じて--至心信楽欲生我国  ーーー弥陀におまかせして
   念仏申せば--乃至十念      ---念仏すれば
    仏に成る--若不生者不取正覚  ーーーたすかる


 その願い通りにさせるはたらき、力が成就して南无阿弥陀仏の仏と成られたのです。この願い、この心、分かってくれ、受け取ってくれ、聞かせにゃおくまい、迷わせてなるのもか、届けてみせる、信じさせてみせる、お願いだから助けさせてくれ、早く来い、まかせよ、たのめ、と十劫の昔から叫びずめ、待ちずめ、のやるせない御心が南無の心でありました。
 罪業がどれほど重くとも心配するな、全部引き受けた弥陀ぞー。必ず我が浄土に生まれさせて私と同じ仏にしてみせる、もう迷いの衆生でないぞ仏と成るべき身、正定聚だぞ。摂取不捨、この弥陀に任せたからには、抱き取ったからには、何が起ころうとこの弥陀だけは捨てはせぬぞーの阿弥陀仏でした。
 お前が仏と成るべき願も行も五劫、兆載永劫と全部この弥陀が成し遂げた、六字の中にすべて成就した、親の全財産は子の財産、お前にやりたい、喜ぶその顔見たさに今日まで待ったが、よー受け取ってくれた、有難い、嬉しいぞ、今日からお前のものだ、さあこれで遠慮せず我が浄土へそのままで来い、と光明無量、寿命無量の仏の功徳全てを一念で私に下さったのだ。
 お礼は乃至十念、催促されず、恩に着せられず、乃至とはーーーどこどこまでも真実まことのお慈悲に泣かずにおれない、称えずにおれない。
 南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏

 阿弥陀仏の木像、絵像のお立ち姿は、浄土で座って待っておれず、浄土から私を済度に、迎えに来られているお姿なのです。
 右手を挙げて招き、左手を下げて落としはせぬぞと仏心、大慈悲心を示して、横から見ると前に傾いて、前のめりになって如何にやるせない御心であるかが知らされるのです。それを知らずに私は絵像では助からんなどと平気で言っていました。本当に申し訳ないことでした。

「会報」2集52P
「仏像を通じて仏心を受け取り、仏の真実を聞かねばならない。今も同じで南无阿弥陀仏の六字にこもる仏心をくみとらなければ名号の尊さを殺すことになる。それ故に、名号六字は、無量無限不可思議絶対の功徳を私達に受け取り易いすがたにせられたものであるから、我々は六字の名号を通して、阿弥陀仏の仏心に直入しなければならない」

 高森先生も以前は、廃刊にされた会報に教えておられた。

「信心数え歌」のもこの心を教えてある。

「四つ 能く能くお慈悲を聞いて見りゃ 助くる弥陀が手を下げて
    任せてくれよの仰せとは ほんに今まで知らなんだ」

「六つ 無始より以来(このかた)此の世まで
    憐れみたまえる弥陀仏を 真実大悲の御親とは
    ほんに今まで知らなんだ」

「九つ ここに居ながら正定聚 光明摂取の網の中
    逃げても逃がさぬお慈悲とは ほんに今まで知らなんだ」

「十  称うる御名のそのままが 連れて帰るぞ待っている
    間違はさぬの仰せとは ほんに今まで知らなんだ」

 この歌のひとつひとつを心から歌える日が来るとは、親鸞会会員時代は他人事のようだったのに、本願力はまことです、不思議です。

○仏法は聴聞に極まる

 私は親鸞会を退会して増井悟朗先生やご縁で知った先生方の聴聞だけの求道をしました。聞法だけです。(勿論、お勤めはしました)
 親鸞会で「宿善が厚くなる」と言われていた顕正も財施もせず(華光会では一切強要されません)ただ聴聞(参詣、ビデオご法話、テープご法話、仏書を読む)だけに徹しました。

 阿弥陀仏の18願の御心を釈尊は「本願成就文」に明らかにされました。
 どうしたら、本願の通りに救われるのか。

「聞其名号信心歓喜乃至一念至心廻向願生彼国即得往生住不退転」

「其の名号を聞きて信心歓喜せん」ーーその名号を聞け、とあります。

 親鸞聖人は「名号を聞くとは」
「聞と言うは、衆生仏願の生起本末を聞きて疑心有ること無し
 これを聞というなり」と教えておられましす。

聞けば、疑心、疑いは無くなる、救われると教えておられるのです。


「仏願の生起本末を聞け」と示してあります。それは「大無量寿経」に詳しく説かれている。
 私は読まずにおれなかった。聞かずにおれなかった。
 そして、深く重く阿弥陀仏の御心を知らされるばかりでした。


◎生起---誰の為に、何の為に本願は建てられたのか

 十悪、五逆、謗法、闡提の地獄行きの私の為であります。
 三世の諸仏が助けられぬと逃げた極悪人です。
 明日をも知れぬ、無常迅速の命しかないのです。
 それなのに悪を悪とも、業を業とも思わず、因果の道理もはねつけ、し放題、無常と言われてもオレだけは大丈夫、まだまだ死なん、それより飲みたい食いたい、楽して暮らしたいの欲一杯、怒り、愚痴の生活をして何とも思わぬ。
 後生など全く気にかけず、仏法など聞きたくない、我が身、可愛い、己れ正しい、我執しかない私です。
 しかし日頃そうでも、臨終に死にたくないー、暗いー、助けてくれーと泣き叫びながら地獄へ堕ちる、後生の一大事を抱えた私がお目当てのなのです。

◎本---何をなされたのか。

 三世の諸仏に見捨てられ、後生は地獄一定、六道輪廻を繰り返し迷い苦しむ私を見られて、法性法身の阿弥陀仏が私を助ける為に仏の座から下りられて世自在王仏のお弟子となられた。法蔵菩薩となられて修行のやり直しをして下さったのだ。
 どうしたら、極悪人を迷わぬ仏にさせることが出来るのか、諸仏の浄土を長い間かけて見て回られた。この仏の浄土はどんな世界か、そこに生まれる衆生はどんな者達か、どんな修行をしたのか
「諸仏浄土の因、国土、人天之善悪を覩見して」と正信偈に聖人はそのご苦労を書かれている。
 そして、五劫が間かけて私を救う四十八願を建てられ、師の世自在王仏に重ねて誓われたのが重誓偈だ。
 どんなに苦しく、時間がかかろうとこの願必ず成就して、衆生を救う仏に成ってみせますと。
 それから後、兆載永劫の修行に入られたのだ。
 それは想像に絶するものであり、言葉にかからない。
 仏になるのは願を建て、行を積まねば願行具足しなければ成仏は絶対出来ない。例外はない。
 しかし、私には五欲はあっても仏になりたいの願は無い、勿論、行、真の功徳善根は積めない、願も行も持ち合わせていないのだ。仏になる種は無い、闡提、断善根の衆生と言われるは、そこを指して言うのだ。
 法蔵菩薩は見抜かれておられるのだ。
 私の知らない私の実態を、すでに知り尽くしておられる。
 迷い自惚れている私には、それが分からないだけだ。

 願も行も自分が替わって成し遂げ、その全功徳をやりたい、廻向して、救って見せると願われた。
 こんな願は、かってなかった。三世の諸仏の想像を絶する願だから
「無上殊勝の願を建立し稀有の大弘誓を超発せり」と親鸞聖人は褒め称え、「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なり」と感泣なされたのだ。

蓮如上人は御文章3帖目1通に

「この阿弥陀仏と申すは如何なる仏ぞ、又如何ようなる機を救いたもうぞと云うに、三世の諸仏に捨てられたるあさましき我ら凡夫女人をわれひとり救わんという大願を発したまいて五劫が間これを思惟し、永劫が間これを修行して、それ「衆生の罪に於いては如何なる十悪五逆謗法闡提の輩なりというとも救わん」と誓いましまして、すでに諸仏の悲願に超え勝れたまいて」
と説かれている。

◎末---何ができたのか

「その願成就して、阿弥陀如来とは成らせたまえるを即ち阿弥陀仏とは申すなり」。
 願行具足して、十劫の昔に法蔵菩薩は南無阿弥陀仏の仏となられた。一切の人が受け取る一つで本願の通りに救われる南无阿弥陀仏の大功徳が成就されたのです。
 それを善導大師は有名な六字釈でどんな極悪人でも、救われる名号であると教えて下された。

 釈尊はそれを「至心廻向」と教えられ、親鸞聖人は「至心に廻向せしめたまえり」と喜ばれた。
 南无阿弥陀仏を受け取る者は「信心歓喜」し「即得往生住不退転」させられるから、全く阿弥陀仏の一人働きであります。
 他力廻向の信心です。

 それを教えた歌が、
「たのませてたのまれたもう弥陀なればたのむ心もわれとおこらじ」
 阿弥陀仏から賜る真実信心は凡夫がおこす信心でなく、阿弥陀仏より与えられる信心であります。

○仏願の生起本末を聞くと知らされる疑いの心

 私は一度聞いて疑いの心が無くなったのでも、救われたのでもありません。
 半年余り聞けば聞くほど、阿弥陀仏のお慈悲が知らされ、真実に出会えた喜び、六字の心を説き切られる増井先生とのご縁を感謝せずにおれず、涙し、念仏も称えずにおれなくなりました。

 しかし、ここまでなのです。これ以上進めない、後生は依然として暗い、分からないのです。
 それは阿弥陀仏の本願を疑う心が原因なのです。
 この心にぶち当たり、途方に暮れました。困り果てました。


この心を次のように教えてあります。


・「還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入」正信偈

・「もろもろの雑行、雑修、自力の心を振り捨てて、一心に阿弥陀如来、我らが今度の一大事の後生、御たすけそうらえと、たのみもうしてそうろう」領解文

・「八つとせ 益にも立たぬ雑行や 雑修自力は捨てもせで 弥陀仏泣かせて居たことは ほんに今まで知らなんだ」

・庄松同行は
「合点ゆかずば、合点ゆくまで聞きなされ 聞けば合点のゆく教え 合点したのは信ではないぞ、それは聞いたの、覚えたの合点せよとは口では言えど 不思議不思議のほかはなし」

・おかる同行は
「こうにも聞こえにゃ聞かぬがましか 聞かにゃ苦労はせまいといえど
 聞かにゃ堕ちるし、聞きゃ苦労
 今の苦労が先での楽と、気休め言へども気がすまぬ
 済まぬまんまと、済ましにかかりゃ
 雑修自力とはねだされ、どうして他力になるのじゃろ」

・仏願の生起本末を聞いて、合点し、お慈悲に涙を流すことはあっても、それは真の信心ではありません。
 私達の腹底には恐ろしい、雑行、雑修、自力の心、疑情があるのです。これは微塵もあっても助かりません。
 自力の心、それはどんな心でしょか。

○それには三つの心を知らねばならない。
「会報」64-67Pにも書かれている。


・衆生性得の機---悪業煩悩--信前信後、死ぬまで無くならぬ心
 (黒い心)    捨てられた機 久遠の実機 墜つる機
          負けぬ機 己ながら愛想の尽きる機
          お許しの機 お目当ての機

・自力計度の機---弥陀の本願を疑う心、後生暗い心
 (暗い心)    これ一つが、流転させる最も恐ろしい心です。
          南無廻向の機によって殺されて                       一念でツユチリも無くなります。

          本願疑惑 若存若亡 千歳の闇室
          疑情 三塗の黒闇 無明長夜の闇
          自力の迷情 雑行雑修自力の心
          二心 無明業障の恐ろしき病
          三塗の業障 ツユチリの疑い 不定の心
          ひょっとの心 どうもの心 ハッキリしない心
          なりたい心 喜びたい心 安心したい心

・南無廻向の機---阿弥陀仏のまことの心
 (白い心)    阿弥陀仏から直の呼び声聞こえたとき
          聞其名号、聞即信の一念、
          南无阿弥陀仏にぶち当ったとき、知らされるハッキリした心
          まかせよー早く来いわれをたのめー
          助けさせてくれーの叫び、久遠劫からの呼び声


○阿弥陀仏に救われるとは

◎信前、救われる前は、衆生性得の機(悪業煩悩)と自力計度の機(本願疑う心)があります。

・衆生性得の機

 悪業煩悩に何とか聞かせようと一生懸命になりました。
 真面目に、真剣に、善人になって聞こうとしましたが全く聞かない心です。
 聴聞中も他のことを思ったり、勤行中も今日の仕事のことを思ったり、何度、叱って叩いてもびくともしませんでした。治らない。
 無常、罪悪を思いつめてゆきましたが、へらへらしているばかりです。
 今、死ぬと思わん、悪人とも思わん、でーんとして平気な奴です。
 オレはこんな者なのかと段々、絶望感で暗くなります。
 しかし、それさえも続かない、どうしょうもないのです。掴み出してたたきつけたいのに、仕方ないさで許してしまう、己れ可愛いに勝てないのです。

・自力計度の機

 阿弥陀仏のお約束が信じられない心です。
 真剣に聞かぬ悪業煩悩が知らされほど、こんなものが聞くことが、助かることがあるのかと本願力を疑いました。
 素直に聞こうとしますが、格好だけで、分かったけれど、分からん、どう思ったら、どう信じたら、どう聞いたらいいのか、なぜハッキリしないのか、早く楽になりたい、安心したいばかり。自分の心ばかり詮索して少しも阿弥陀仏の御心を聞こうとしていないのです。
 自惚れ心でもあります。
 自分で自分を助けようとあろこれして、阿弥陀仏におまかせ出来ない心です。最後まで何とかなると思っている心でもあります。


◎信後、救われたら南無廻向の機に自力計度の機が殺され、無くなって、衆生性得の機が南无阿弥陀仏と一体になり、即ち仏凡一体となるのです。

・「本願や行者行者や本願」(覚如上人)

・「頭たたいても南无阿弥陀仏、お尻たたいても南无阿弥陀仏座った姿も南无阿弥陀仏なら立った姿も南无阿弥陀仏」と、お軽同行は喜んだ。

・「自力さらばと、いとまをやって
わしが心と手たたきで、たった一声聞いたのが
その一声が千人力四の五の言うたは昔のことよ何も言わぬがこっちのもうけ
そのまま来いの勅命に如何なるお軽も頭が下がる」

・それには「今ここで私が」と聞かねばならぬ本願だ、また聞けると思うな、と聞かせて頂く以外ありません。
 泣き泣き、分からんまんま、そのまま阿弥陀様に飛び込んで行くのです。
 仏法は聴聞に極まる、これだけです。
 衆生苦悩我苦悩衆生安楽我安楽と必ず、必ず、阿弥陀仏の南無の心に貫かれます。
 私はそう言い切れます。

(続きます)
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COMMENTS

質問です。

元講師の方に質問です。もしよろしければご回答頂ければ幸いです。

1,華光会では三願転入についてどのように教えられているのでしょうか。
  19願・20願についてはどのように教えられているのでしょうか。
2,親鸞会で長年求道されていたことと、救われたことの関係はどのようにお考えでしょうか。
3,仏願の生起本末、南無阿弥陀仏の六字のみ心については、高森先生も教えられていると思います。「私の白道」に書かれていることは、いずれも高森先生からお聞きした記憶があります。華光会で教えられていることは、高森先生が教えられていることとどのように違うのでしょうか。
4,以前、清森さんが親鸞会の問題点として書かれた目標等は枝葉の問題であると書かれていました。結局親鸞会の根本的な問題とは何でしょうか。ご指摘の「自分の心情を率直に話すことができない」という点は分かりましたし、その通りだと思いましたが、その他に「根本的な問題」と仰る点はどのような点なのでしょうか。

よろしくお願いします。

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