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親鸞会は本当に本願寺に勝ったのか・1

投稿を紹介させて頂きます。この内容は、以下のサイトで既に公開されているものです。

http://shinrankai.jugem.jp/

        *         *         *

【親鸞会は本当に本願寺に勝ったのか】


かつて親鸞会と本願寺は激しい教義論争を繰り広げました。



何度かの書簡のやり取りや書籍の発行、また本願寺への直接の抗議行動を経て、最終的には本願寺は親鸞会を事実上「無視」し、この教義論争は終焉を迎えました。



その後親鸞会は「本願寺を完膚無きまでに論破した」と主張。この教義論争の経緯は会員に広く伝えられ、親鸞会の教義的正統性を説明する根拠となっています。



私自身は、本願寺が途中で論争を放棄した以上、親鸞会がこのように主張するのは仕方がない思っています。



ただ、その論争の経緯を双方の資料を元に客観的に検証して見ると、「本当に親鸞会は本願寺に勝ったと言えるのだろうか?」という疑問が沸いて来ました。



何事もどちらか一方の情報や主張だけ聞いていると、公平な判断が出来なくなります。ぜひ私は親鸞会の方に虚心坦懐になってこのブログをごらん頂き、高森会長や親鸞会のあり方について再考して頂きたいし、本願寺派の関係者の方は「論議を放棄する」事の結果と影響について、考えて頂ければと思っています。





1.宿善論争とは何か


> 法論の発端は、本願寺の学者紅楳英顕氏が、『伝道院紀要』第24号(昭和54年12月20日)に、「現代における異義の研究――高森親鸞会の主張とその問題点」と題し、「親鸞聖人の教えに反する、全くの謬見であり異義である」と、親鸞会非難の論文を掲載したことに始まる。20周年大会からちょうど1年が過ぎたころだった。
>
>
>
> 本会は即座に質問状を送付。かくて親鸞会と本願寺との法戦の火蓋が切って落とされた。
>
>
>
> その後の法論の経過は、後で詳述するが、これは「宿善論争」と呼ばれ、争点は、「親鸞聖人のみ教えに善のすすめは、あるか(親鸞会)ないか(本願寺)」にあった。
>
>
>
> 「善を勧める親鸞会は間違いだ」と主張する本願寺に、高森先生は、反論文を『顕正新聞』紙上に連載された。
>
>
>
> 25周年大会直前の本紙(昭和58年10月15日号)には、「修善をすすめた文証など、あろうはずがない」とタンカを切る本願寺に、高森先生は弥陀の十九願文や、釈尊の『観経』の教説を明示し、本願寺を完膚なきまで論破なされている。
>
>
>
> 【顕正新聞 平成16年1月15日号】





浄土真宗親鸞会の歴史を語る上で、本願寺との教義論争は避けて通れません。



「教義論争で本願寺を完膚無きまでに論破した」との記述は、親鸞会発行の書籍や機関誌『顕正新聞』の随所に見られ、親鸞会の栄光の歴史として語られ、親鸞会教義の正当性の根拠としても大きな意味を持っています。



しかし、本当に親鸞会は「本願寺を完膚無きまでに論破した」のでしょうか。



筆者はこの件について公正な判断を得るために、本願寺側が発行した『伝道院紀要』『現代の教学問題』『派外からの異説について』を入手して読んでみました。



親鸞会の主張では、争点は「親鸞聖人のみ教えに善のすすめはあるか、ないか」であり、本願寺は「親鸞聖人に善のすすめはない」「善を進める親鸞会は間違いだ」「修善をすすめた文証など、あろうはずがない」と非難したと言われています。



しかし、不思議なことにこれら「本願寺の非難」は、筆者が入手した「本願寺側の論文」のどこにも見つけることはできないのです。



では一体この「親鸞聖人に善のすすめはない」という「本願寺の非難」は、どこから来たものなのでしょうか。



2.歪曲された「本願寺の非難」


この宿善論争の経緯を親鸞会側から著したのが、高森顕徹著『本願寺なぜ答えぬ』です。この中で高森会長は本願寺側の論文を「本願寺頭脳の浅知恵」「無責任本願寺」「批判のための批判、読むだけ時間のムダ」「手間のかかる、やんちゃぶり」と評しています。



なぜそこまでの非難を浴びせる必要があったのでしょうか。同書から引用します。





> 次に、本願寺が、親鸞会を非難する、第二条は、こうである。
>
>
>
> 「親鸞会は、宿善として自力諸善を積むように勧めているが、当流では他力の信心を獲るために、まず自力諸善を積まねばならないなどという説示はない」(回答書(A)P・142)
>
>
>
> 先述の、一条にも、
>
> 「高森親鸞会では、未信の者は、信心決定をめざして、今生において、善根を積み、宿善を厚くせよ、と勧める」
>
> と、いやに、力説なさる。
>
>
>
> 【本願寺なぜ答えぬ p80】





『回答書(A)』とは、灘本愛慈氏『現代の教学問題・宿善について』のことです。これらの灘本氏の指摘は、高森会長がその著書で、





> 過去世に仏縁薄き者、宿善浅きものは、現世に於て宿善は求められねばならない。でなければ、宿善開発の時節到来ということはあり得ない。
>
>
>
> 【高森顕徹著 白道燃ゆ】
>
>
>
> 宿善というものも待っていて来るものではなく、努力精進して求めてゆくものである。かかる人にこそ宿善到来ということがあるのである。
>
>
>
> 【高森顕徹著 会報3集】
>
>
>
> 布施は実に尊い宿善になることは判っていても欲深い我々には仲々出来難いことなのである。
>
>
>
> 【同書】
>
>
>
> 仏法を知らないものに対して当然法施は出来るし、またしなければならない。それは大きな宿善となるからである。
>
>
>
> 【同書】






と書いているように、極めて真っ当なものと言えるでしょう。(「宿善到来」「宿善開発」というのは、「他力の信心を獲る」「信心決定」と同じこと)



ところが高森会長は、この灘本氏の指摘を、





> 「諸善さえやれば、信心決定できる。まず、自力で善を励め」
>
> 〝これが親鸞会の主張だ〟と、印象づけたい思惑が、みえみえである。
>
> しかし、真実の歪曲は、許すわけにはゆかない。
>
>
>
> 【本願寺なぜ答えぬ p80】





ここで、いつの間にか本願寺側の主張がすり替わっているのに、読者は気づかれたでしょうか。



「他力の信心を獲るために、まず自力諸善を積まねばならない」という文章と、「諸善さえやれば、信心決定できる。まず、自力で善を励め」という文章は明らかに意味も主張も異なるものです。



ですから高森会長は「印象づけたい思惑が、みえみえである」とあえて曖昧な表現を用いています。さすがに灘本氏が「諸善さえやれば、信心決定できる。まず、自力で善を励め」と主張しているとは言えないことを、分かっているからでしょう。



しかし、この表現はこのあと徐々に変わって行きます。同書には、





> これら善知識方の仰せを、そっくりそのまま、説き続けている親鸞会を、
>
> 「まず諸善をつめ、諸善さえつめば、信心獲得できるとすすめる」
>
> と、非難なさる、のである。
>
>
>
> 親鸞会を少しでも、知っている者は驚き、かつは呆れるのも、無理はなかろう。
>
> もっともらしく、書きつらねてある、回答書のすべてが、こんな調子で、事実を知るものからすれば、噴飯ものなのだ。
>
>
>
> 【本願寺なぜ答えぬ p103】
>
>
>
>「親鸞会は、諸善さえつめば、信心獲得できるとすすめる」
>
> という、本願寺の非難が、いかに、デタラメな中傷か、ということを。
>
> あまりにもひどいウソを、とりあえず指摘し、本願寺の注意と責任を、喚起しておく。
>
>
>
> 【同書 p105】
>
>
>
> 「善さえ励めば獲信できる」〝これが親鸞会の主張だ〟
>
> こんな本願寺の中傷を縁として、親鸞会は、聞法に勝る、獲信の因縁(宿善)のないことを開顕し、〝仏法は聴聞に極まる〟ことを、力説してきた。
>
>
>
> 【同書 p105】
>
>
>
> 「親鸞会は、善さえつめば獲信できるとすすめる邪義」と非難なさる。
>
>  保身の為とあらば、シロを、平気でクロと断言して、はばからない、したたかさに、溢れている。
>
>
>
> 【同書 p110】





いつの間にか「印象づけたい思惑が、みえみえである」という文章は消え。あくまで「親鸞会は、諸善さえつめば、信心獲得できるとすすめる」と本願寺が非難したと断言されています。



しかしいつそんな非難を本願寺がしたのでしょうか。灘本愛慈氏の『現代の教学問題』を熟読しても、その他の本願寺側の論文のどこをみても、「諸善さえつめば、信心獲得できるとすすめる」との指摘どころか、似た文章すら見つけることはできません。



しかしこれほど露骨な歪曲をしていても、何度も繰り返し「善さえ励めば獲信できる」と書かれては、読者は本願寺が本当にそうした非難をしていると、錯覚してしまうのも無理はありませんし、それが高森会長の意図したところだと言われても、仕方がないのではないでしょうか。


(続く)
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COMMENTS

チューリップ企画の法論と変わらないですね。

No title

これも2chでやったことあり。

「仏法を知らないひとの親孝行は散善ですが
本願寺側のひとはすすめるんですか?すすめないのですか?」
という問いに
「散善には2種類ある」とか
「散善は往生行でないからすすめてよい」とか
「(自分で)よく考えろ」とか
迷答が続出しました。
その後、お答えは無かったと記憶しております。

またソースは2chですか(笑)

>これも2chでやったことあり。

またソースは2chですか?
2chで誰が何を書き込もうと、ここで高森が散々ごまかしに満ちた法論をして、
「かったかった」と子供のようにはしゃいでいる事実は変わらないしね。

ちび丸さんへ

>これも2chでやったことあり。

退会者のあなたがやったところで、
親鸞会が勝ったことにはならないの。わかる?

No title

最近ばかげた、話があります。なんやら、一万年堂やらに浅草の東本願寺(親鸞会は、なんでもかんでも同じ本願寺は寺だと、思っている不思議な集団)からT会長へ、執筆の依頼があったと、補佐級が、10月10日にすごいことが起ると、示唆して会員を驚かしてまわっていて(何が起こるのかと、実際は、本願寺の新聞に載る、とまで、会員は聞かされていた)それが、おめでたいことに、見事に浅草本願寺から、振られて←当たり前
実際は掲載されず、しかも、10月11日まで、講師が知らんかった、というから驚き!!一大方向転換やら、本願寺との共存やら、と言って書籍まで、削りまくる作業を、大がかりにやっいて、この有様。外部のうわさには、目が無いのに、阿弥陀様は信じられない、という不思議な、自称浄土真宗、呆れてものがいえん。しかし、言いまくって歩いた、補佐、講師、浄財使って歩きまわって、えらいことです。情けない。

No title

馬鹿丸出しですね。最近の親鸞会は

No title

たしか浅草の東本願寺は、統一教会との関係もうわさされている真宗寺院の
カルト的存在。その浅草の東本願寺にさえあいてにされない、統一教会以下の
扱いの親鸞会。教祖一族が私物化している、ド田舎の弱小カルト教団と組む
メリットは何もなし、というところでしょう。

50周年の目標は達成率は半分ほど、しかも幹部講師部員の突然の退部
問題もあり、相当内部は同様している様子ですが、崩壊がいよいよ始まった
のでしょう。

No title

本当に情けない会ですね。

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