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質疑応答99

【質問】


「遠く他所に到れば能く見るものなし、善悪自然にして行を追いて生ずる所、窈々冥々(遠く、くらくしてたよる道なし)として別離久しく長し、道路同じからずして合ひ見ること期なし、甚だ難く甚だ難し、復相値ふことを得んや」【大無量寿経】

 後生の一大事について書かれている、とのことですが、この文章は、現代語に訳すと、どういう意味なのでしょうか。



【回答】


 これは怒りの業について教えられたものであり、怒りを起こすことが、如何に虚しいことであるかを、私たちに教えるために、特に後生の寂しさを強調して教えられたものです。

ですから、この意味は

 いよいよ後生を迎えたら、どこへ行ったか分からない。死後どこへ行くかは、一人一人生きている時に、蒔いた種まきの結果であり、一人一人がその結果を受けねばならないし、どこへ行ったかは分からない。今、どんなにいがみあっていても、今だけで、死んだら、もう会うことは出来ないのですよ。憎しみあっているものと行く道は違っており、もう会うことはないでしょう。

この後に

 どうして、生きている時に、くだらない怒りに振り回されて、元気なときに努力して善をしようとしないのでしょうか。そして、頑張って苦しみのない世界に出ようとしないのだろうか。
 そうやって、相手を憎しみ、愚痴をいっていて、何か安心できるところがあるのだろうか。何か幸せがあるのでしょうか

という意味です。

 ですから、ここでは怒りを起こすことが、如何に空しいことであり、そんなことをしないで、善を修めなさい、と勧めておられるところです。

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