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私の白道・9

「私の白道」・9

元親鸞会講師部


○親鸞会の活動していたら助かるのか


 私がこの県、この市へ来て36年が経ち、その間に親鸞会に入会された人は1000人を越えるでしょう。また同じ程の方が退会され現在○百人の方が求めておられます。
 仕事で16年、講師部で20年、この県の地理は隅々まで知り、幹部、会員さんの顔は忘れてはいません、
「宿善まかせ」ーーー宿善さえ厚くなれば助かる、と信じ、会員さんに活動を勧め(参詣、顕正、財施、アニメ販売、教学、その他)、その結果「私は救われました」と言う人は、私の親鸞会在籍中はありませでした。
 私が退会してからあったでしょうか?


 極難信の法ではありますが、仏願の生起本末、南無阿弥陀仏の御心を聞けば一人居て、一人救われる法であります。
 私は講師部の時、この事が分からず、話しすることが出来ませんでした。
 本当に申し訳ありませんでした。心よりお詫びせずにおれません。



○18願を聞くと、三願転入の心を知らされる

 増井悟朗先生より聞かせて頂き、18願を聞く、仏願の生起本末を聴聞するままが、三願転入させられる心の道であったと知らされました。

 生起で私の相、値打ち聞かされても、自分ではそんな悪い人間とは思っていない。まだましな方だと自惚れていたが、食べて生きることが既に殺生罪の一生だ。よく自分を見れば、十悪五逆謗法は毎日犯しているではないか。
 心から親切が出来ない、名利の心で、損得で動いているだけと知れてくる。
 善はやっても「おれが、あいつに、してやった」では泥足で雑巾がけをしているようなもの。拭いた後に汚い足跡がペタペタと残っている。仏教では真実の善とは言わない。雑毒の善と言う。

「一切凡小、一切時の中に貪愛の心常に能く善心を汚し、瞋憎の心常に能く法財を焼くーー虚仮雑毒の善を以って無量光明土へ生ぜんと欲す、これ必ず不可なり」(化土巻)

 雑毒の善では助からないと、19願の人を親鸞聖人はこう教えられた。

 お浄土どころか、このままでは因果の道理で後生は一大事。しかも無常はいつやって来るか知れない。今晩かも。どうすればいいのかと、心は自力の諸善から阿弥陀仏の本願力に救いを求めるようになってきた。

 本末を聞かされて、こんな私目掛けて命がけの阿弥陀仏の五劫兆載永劫の願行のご苦労があり、名号六字を成就して呼びずくめを知らされ、申し訳ない、称えずにおれなくなる。
 しかしこの諸善万行の収まった念仏の大功徳で、何とかしようの心で称えているから、称えている時は助かるように思うが、称えられなくなり、続かないと不安になる。

「大小聖人、一切善人、本願の嘉号を以って己が善根とするが故に、信を生ずること能わず、仏智を了らず、彼の因を建立すること了知すること能はず、故に報土に入ること無し」(化土巻)

 20願の念仏の人を親鸞聖人は厳しく戒めておられる。



 称えても後生は暗い。ハッキリしない。不安になる。
 おまかせ出来ない疑いの心、どう聞いたら、どう思ったら、どうしたら、どうしたら、ハッキリしたい、判りたい、助かりたい、何とかなりたい、墜ちると思えぬ、まかせられない自力の心にあせリ出す。

 私は真の善も出来ぬ、念仏も続かぬ、そして頑とある自力の心、疑う心に苦しみました。この心が最後に大問題になって来た。
 毎日このことばかり思うようになりました。どうしたらこの疑いがなくなるのか、無くそう、捨てようと努力しました。
 しかし、どうやっても無くなりません。それでまた苦しむの連続でした。

 ・「仏智疑う罪深し      この心おもい知るならば
   くゆるこころをむねとして 仏智の不思議をたのむべし」

 ・「八つ 益にもたたぬ雑行や 雑修自力をすてもせで
   弥陀仏泣かせていたことは ほんに今まで知らなんだ」

 ・「富士の白雪朝日で溶ける  凡夫の疑い思案じゃとけぬ
                晴れたお慈悲を聞きゃ晴れる」

 増井先生、華光会の先生より仏願の生起本末を聞き、阿弥陀仏にここへ照育せられ、導かれていったのです。

 それが南無廻向の心、「まかせよー」の一声、聞こえたまま、疑いの無い信楽の心になってしまいました。
 不思議としか言い様の無い、南无阿弥陀仏の本願力でありました。


「大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず」


 何と楽な世界か。願船に乗せられると往生の当てができて楽になってしまった。こんなことやったのかー。知らなんだー。

 「九つ ここに居ながら正定聚 光明摂取の網の中
  逃げても逃がさぬお慈悲とは ほんに今まで知らなんだ」

 南无阿弥陀仏を聞信する一念に往生は決定し、そのご恩に念仏を称えずにおれない身とさせて頂きました。

・阿弥陀仏の18願「至心信楽欲生我国」の誓願を、
・釈尊は「聞其名号信心歓喜乃至一念至心廻向願生彼国」と説かれ、
・親鸞聖人は「聞と曰うは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」とお示しにならました。

「仏法は聴聞に極まる」本当に聞くひとつでした。
「18願を聞け、生起本末を聞け」
 聞けば「三願転入」の心も知らされるのです。



真宗宗歌

 1 深きみ法にあいまつるーーー18願、仏願の生起本末、南无阿弥陀仏
   身の幸何にたとうべき
   ひたすら道を聞きひらき
   真の御胸いただかん

 2 永久の闇より救くわれし
   身の幸何にくらぶべき
   六字の御名を称えつつ
   世の生業(なりわい)にいそしまん


 そうとも知らず、19願の自力の諸善を積み上げて、20願、18願と進んでゆくぞー。「光に向って」頑張ってゆく道だと聞き間違って、30年、40年と求め、やがて歳や病や、お金が尽きて泣いて後生へ出かけて行く会員さんを、余りにも多く見てきました。
 講師部の時、これが求道だ、国に一人、郡に一人の厳しい道だ、宿善浅ければ助からなくても仕方が無い、どうにも出来ぬと見ているしかありませんでした。

 阿弥陀仏は泣いておられます。
 ようやく人間界に生を受け、聞きがたい仏法、しかも阿弥陀仏の本願を聞きながら、聞き間違いをして、またも流転してゆく相に、血の涙を流しておられます。
 お前はもう私の心が判ったからには、早く伝えてくれ、懈怠な心、非難を嫌う心しかないことは判っている、しかし伝えてくれ、の阿弥陀仏の御心に押し出されて、私は、「私の白道」を書かせて頂いています。
 阿弥陀様に書かされているなと感じます。
 早く南無阿弥陀仏に遇って頂きたい、救われて頂きたいの心を忘れず、これからも書かせて頂きます。


真宗宗歌

 3 海の内外のへだてなく
   御親の徳の尊さを
   わがはらからに伝えつつ
   御国の旅を共にせん


 懈怠な私への阿弥陀如来のお勧めです。



○聴聞と信心の沙汰の大切さ

「仏法は聴聞に極まる」は最も大事です。次に「信心の沙汰」ご示談、談合、座談も大事であることを、蓮如上人は何度も教えておられます。


蓮如上人仰られ候、「物を言え、物を言え」と仰られ候。「物を言わぬ者は恐ろしき」と仰せられ候。「信、不信ともにただ物を言え」と仰せられ候。「物を申せば心底も聞こえ、また人も直さるるなり。ただ物を申せ」と仰せられ由候。
(御一代記聞書87)


 一方的に話をしていても、どう聞かれたのか、何が分からないのか、聞き心、受け心を無視していては南无阿弥陀仏は届きません。
 聞き間違い、思い違い、疑問は必ず起きるのです。
 だから蓮如上人は、そこが大事だから「物を言え」、信心の沙汰、談合、ご示談、仏法讃嘆をせよと厳しく教えられたのです。
 此れは廃立の精神でもあると思います。



○なぜ信心の沙汰が無いのか。

 親鸞会で長く求めていても信心決定が難しいと思われる原因の一つが、この信心の沙汰が余りにもなされていないからと思います。
 では、なぜ信心の沙汰が無いのでしょうか。
 今回、問題にしたいのがここなのです。
 信心の沙汰が無い。なぜしない。なぜ出来ない。ここを知って頂きたいと思います。



◎親鸞会の体質を問うーーー自由に物が言えない。これでは沙汰は出来ない

 親鸞会は明るく元気に、上司に素直にハイと従って聴聞、活動することを求められます。何か、疑問、質問、本音を言うと注意されたことはありませんか。そんな発言は周りに悪を撒き散らせ影響を与えるから決して言ってはならないと・・・。
 たとえ教えに関する疑問でも、こんな事を言ったらまた注意されるのではないか、指摘されるのではないかと恐れ、建て前しか言わなくなるのです。立場のある人程それは強いのです。
 教え、活動、言動にまで、じっと上司の指示に無批判で従うだけの人間になってしまい、本音、疑問は胸の奥深くに押し込んでしまう。これが求道だと思って、孤独地獄に落ちて悶々とした日となってゆくのです。違いますか。なぜこんな雰囲気なのでしょうか。
 私の体験をお話してその原因を知って頂きたいと思います。
 少し長くなりますが、親鸞会の真実の姿を知る為に読んで下さい。



○高森先生に初めて上司指摘の手紙を書く

 平成14年4月に高森先生へ手紙を出しました。
 出すのに1週間悩み、覚悟して書きました。
 それは長男の高森布教局長に対する内容であり、講師部となって17年目で初めての上司の指摘を書いたのです。

 親鸞会講師部を知らない方には、そんな手紙位と思われるでしょうが、これは講師部の首を掛けないと書けない内容です。
 なぜなら、

講師部聖則(学院生も同じです)

一、親鸞会講師部は、会長先生の御指示に無条件で従い、信心獲得を本と致します。

一、親鸞会講師部は、上司の指示は会長先生の指示と心得ます。

一、親鸞会講師部は、いかなる場合も仏法最優先とし、破邪顕正に命をかけます。

一、親鸞会講師部は、常に求道の姿勢を正し、会員の模範となります。


 この聖則が講師部の求道の規範になっているからであり、これに反する言動は、講師部不適格者であり、除名、顕真学院再研修、任務解任、役職解除、降格等の処罰が課せられます。
 まして、高森先生、又は身内への批判は厳罰であり、許されない行為として、徹底しています。
 しかし、書かずにおれない事態が起き、決意しました。



 平成14年に支部長制度が始まり、これまでの本部制度は廃止となり、東総本部長であった高森総本部長は、布教局長となりました。

 高森布教局長ー4名の部長(布教部長)ー○百○十名の支部長 の組織となった。

 しかし、布教局長、部長は、支部長とは上下関係が無く、支部長がやってゆけるように補佐する立場と高森先生が言われた。
 これまでの様に、高森布教局長は上司ではない、公共の会場では御法話をしない、組織を使ってご法話に誘うことはしない、月に2日しかご法話ができないと規定が発表され、支部長は自分の支部会員への法施、活動に専念せよ、と言われて自由な活動が約束され、皆喜んだものです。

 しかし、私の県で高森布教局長をそれまで招待していた会員さんは、続けて招待ご法話を続けられることになりました。それは自由ですから、問題はありませんでした。
 参詣は自由。その日、支部長は自分の布教活動に専念していいはずなのに、同じ県の他の支部長7名は、本部制度の時と同じように高森布教局長のご法話に参詣しました。参詣しなかったのは私、一人です。
 4月の北陸支部長会合の朝、用事で高森布教局長の部屋へ入ると、頭から
「ワシのご法話に参詣しないのは君一人だ、遅れるのが分からんのかー」
と大声をあげてきた。私は内心、「遅れとるのは、そっちだー」と叫んでいました。
 大分、興奮しているのが分かる、この4ケ月間頭に来ていたのだ。
「組織が変わった途端に勝手なことしやがって、先生がどう言われようと、ワシを無視したらどうなるか分かっているのか」、という強い憤りを感じた。

 私と高森布教局長は30年近くの長い付き合いです。
 高森青年部長時代、私は上隊長で局長は私の上司だった。
 36歳の時、電話で講師部に入らないかと誘ってきたのは高森青年部長だった。
 青年部担当時代が最も親密な間であり、青年部員の結婚式も、司婚が高森青年部長、私が準備兼司会で相当の数をした。
 副青年部長、青年部参謀に任命され、本願寺への批判本を配布する「イナズマ作戦」の担当、「全国青年部ご法話」の会場係も担当し、信頼を受けていた。
 しかし、いつも感じていたのは、その強い「自己顕示欲」だった。
 約束、時間、整理整頓に厳しく、尊敬する点は多々あったが、「ワシがー」だけは、何年たってもなじめなかった。謙虚さなんか無縁の人だ。

 また人の指導方法にも嫌な思いを何度もした。
 人のミスを細かくメモし、よく覚えていて、人の集まる所で指摘を始める。
 始末書、詫び状の提出も確認して、遅れると又指摘だ。
 段々と人の弱点、引け目を握って服従させてゆく。そのやり方は本当に嫌でたまらなかった。皆、嫌っていた。

 大好きなのはお礼状だった。
 ブラジル布教に行くとき、日頃読めないから、トランク一杯のお礼状をつめて飛行機の中で読むのだと言ったとき、これでは大きな男になれないと思った。若い時から、自分への称讃、感謝の言葉に埋まっていたら、自惚れてしまい、自分は特別な人間と錯覚するだけだ。
 他人は叱り、自分は称讃が欲しい、我執丸出しの性格が出来てゆくだけだ。

 最も絶望したのはご法話への姿勢、仏法への姿勢だった。
 青年部、婦人部、一般部、学生部の活動組織が本部制度に変わった時だった。
 それまで関東の青年部が高森青年部長を招待してご法話をしていたが、制度が変わったので、他の10講講師(当時7名)にも来てもらおうという話が出て、それが高森青年部長の耳に入った。
 すぐ副青年部長が集められ、関東青年部担当講師に、「他の者を招待するそうやな。それなら今月のご法話、ワシは行かんぞ」と言い捨てた。
 本当に驚いた。講師部にとってご法話は命のかける所、釈迦如来の代官として務める聖使命でないか。それを、自分以外の者を招待するなら、約束してあるご法話まで行かぬとは何ごとか。こんな程度か、この男にとってご法話は。心底怒りが出てきた。
 担当講師はひたすら詫びていた。その後、変わりなく関東ご法話は続いていった。私はこの時から評価が変わってしまった。

 もう一つ、ご法話に「遅れ」があってはならない、もしあったら厳罰が講師部の決まりだ。その場の会員さんに土下座して謝罪し、参詣者全員にお詫び状を書くことになっている。処罰は勿論ある。
 私が光教育担当としてアニメ販売で九州熊本市へ行った時、高森総本部長のご法話があった。10時からの日程なので、会員さんも九州中から担当講師が誘い集まっておられた。
 しかし10時になっても10時30分になっても来ない。
 会場では10時から、アニメ上映が始まっていた。
 10時40分過ぎ、タクシーから下りて来て、11時過ぎから法話が始まった。
 担当講師に聞くと、本部長は事前に了解だからと言う。
 遅れることが分かっているから、アニメで時間稼ぎして法話をさせる。なぜそうまでして高森総本部長に来てもらわねばなならいのか。
 九州本部長は自分で法話をせよ。九州の責任者でないか。
 それで、ご法話に絶対遅れるなと日頃、担当講師へ指導していて何になる。
 あってはならぬ事でも、高森総本部長は特別な方、仕方ない、皆、目つむれと教えているようなものでないか。馬鹿なことをしている。
「はらからよ、姿にかけた法を説け」の当時の高森先生の指導を、活動部門最高責任者自らが無視していることになる。何をやっとるのか。
 特権を見せ付けてるのか、そんな根性なら来るな。

 次に北海道へ光クラブ員19名とアニメ販売で移動した。そこでも北海道の本部長が高森総本部長を招待してご法話をした。
 今度は昼から1時間ほど話して飛行機の時間に間に合わせるため、後はアニメ上映にして本部長が総本部長を乗せ運転し、会員さんを会場に残して飛行場へ行ってしまった。会員さんをほっといて何をしてるのか。
 どこも、ここも、皆、高森総本部長の都合に合わせて、やってならないことを、担当講師に見せている。こうして腐っていくのだ。
「遅れとるのは、そっちだー」と内心叫んだのは、こんな怒りからです。

 今後も参詣しないと、「まだ懲りないか」と言うに決まっているので、そんな気持ちで説法している話は聞きたくないから、高森先生に九州、北海道のあったことを書いた。
 これで、上司批判と判断されて除名されるなら、それも仕方ないと腹をくくった。何も連絡は無かった。

 次の北陸会合の時、終わり際に高森布教局長は、「ワシのご法話に参詣しろとワシは言っとらんからな」と強く念を押して退場した。他の講師には何のことか分からなかったろうが、私は高森先生から叱責があったなと分かった。本人からは一言もなかった。
 必死で書いた手紙も、親子の間だけの話で終わり、表には出ず、しかも高森布教局長の言動を見る限り、反省など無く、こんな姿勢では何か問題が起きると予感された。

 そして、全講師部を揺るがす、前代見聞の不倫疑惑事件が起きた。

(続く)
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COMMENTS

No title

講師部時代の○○さんを彷彿とさせる、すごい文章ですね。
それにしても、M晴氏の言動の酷さは噂には聞いていたが、本当に筋金入りだー。
次回は、不倫事件の真相ですか?
楽しみです。

心配です

前半は有難く拝読いたしましたが、後半、義憤から発せられた言葉とは思いますが、見方によっては、どこか私怨からの人物攻撃とも受け取られうるようなところもあり、ただでさえ火宅の世界に、さらに油を注ぐようなことにならないかと、心配です。義憤も、立場が違えば私怨に映り、その表明はかえって逆効果になります。どうか、慎重にお書きくださいますよう、心より念願いたします。

心配ですに同意

前述の華光同人さんの意見に私も同意です。
義憤のようにも見えますが、私憤の部分が大きいのではないでしょうか。次の文章でそれも分かると思いますが、かえって、投稿者の評価を下げてしまうのではないかと思います。
華光会で信を得られたとのことですが、元恩師に「私は信を得ました」と年賀状を送ったりするのが、本当の信仰でしょうか。
救われるも救われないも、すべて弥陀のお計らいであり、以前所属していた団体だったから信を得られなかったというのは、他力の信心を得られた方の言動とはちょっと思えません。
腹底に、ものすごい私憤が渦を巻いているのを感じますが、獲信体験記も、アニメ世界の光親鸞聖人第一部の獲信場面に、自分の体験をすりあわせているように読めてしまいます。
華光会では、たとえ自力の信心であっても、機関誌等に発表することを止めたりしないのは、それが批判され、多くの人の目に触れれば、また間違いを正されるからだそうですが、投稿者が、後々あの体験文章は間違いでしたと、いわれることがあれば、いいことだと思います。

No title

>義憤のようにも見えますが、私憤の部分が大きいのではないでしょうか。


 義憤と見るか、私憤と見るかは、読む人の立場によると思います。
 親鸞会に長くいた身としては、ここで親鸞会の膿を出し切ってしまわねば、未来は無いと思いますし、高森先生も布教局長も反省の機会を失うと思います。

 私は、元講師の方の報恩の叫びと思わずにおれません。

私は義憤とおもいました

親鸞会の問題を取り上げようとしたら、組織の腐敗に踏み込む事が絶対に必要なのです。高森親子がお互いに秘密事を共有し、会員に秘密で組織の拡大と権力の維持を図っていることをどうしても知らせなければなりません。
これが親鸞会の一番の癌であり、偽装サークルをはじめとした様々な問題も全てはここに端を発しているのです。元講師はそのことをわかっているから、あえて高森布教局長のことを取り上げているのでしょう。
私も長く親鸞会にいて、高森一族の腐敗しきった姿を見てきました。信仰の問題、社会の問題、全ての源がここにあります。同じく講師部員として親鸞会を見てきて、元講師部員氏の気持ちが痛いほどわかります。恨み辛みでかける文章ではありません。

山も山って・・・なんか変。S会擁護しすぎやで?

山も山って・・・なんか変。S会擁護しすぎやで?

>元恩師に「私は信を得ました」と年賀状を送ったりするのが、本当の信仰でしょうか。
>救われるも救われないも、すべて弥陀のお計らいであり、以前所属していた団体だっ>たから信を得られなかったというのは、他力の信心を得られた方の言動とはちょっと思えません。

いやいやいや、S会の教義に問題があるのは言い尽くされてるんだが・・・。

なんで不自然な擁護してんの?


>腹底に、ものすごい私憤が渦を巻いているのを感じますが、獲信体験記も、アニメ世>界の光親鸞聖人第一部の獲信場面に、自分の体験をすりあわせているように読めてしまいます。


考えすぎちゃう?

別に体験をすり合わせてるように見えへんかったで?

あんたが体験ないからそう言ってるだけやろ。


>華光会では、たとえ自力の信心であっても、機関誌等に発表することを止めたりしない>のは、それが批判され、多くの人の目に触れれば、また間違いを正されるからだそうで>すが、投稿者が、後々あの体験文章は間違いでしたと、いわれることがあれば、いいこ>とだと思います。


これ・・・「お前は未信のはず、後で恥かけや」と言ってるようにしか思えへん。

丁寧な言葉で書いてある文章やけど、ものすごく人を攻撃してる文章や。

この「山も山」ってやつ、ほんまにおかしいで?

No title

本当に残念ですね。私は親鸞会を離れてから10年以上の月日が経っていますが、これほど組織が腐敗していたのかと驚くばかりです。
私が当時の学生部員だったころは、企業社会以上の強固な組織であると誇りに思っていましたが、もう先が見えている感じがします。
講師の方々の無念さが言葉では表現できないくらい痛く感じます。
親鸞聖人の教えを本当に正しく伝えるべく、新しい組織(教団)、生まれ変わる
新生親鸞会の出現を心からやみません。
その際はぜひとも再度の求道をさせて頂きたいと思います。

私怨ぽいよ

悪いけど、幹部連中のいざこざにしか見えない。
この人もある種加害者なわけだけど
その責任を高森家になすり着けようと
している感じがする。
「私も高森家にだまされていた。もう反省している。
いっしょに打倒しよう」、は虫が良すぎる。
「自分がやったこと、止められなかったことは
償えようがないが、新たな犠牲者を出したくな
いから声を上げる」とか「高森先生には感謝し
ている、布教局長は友人として同僚として部下
として側にいながら横暴を止められなかったこ
とは申し訳なく思うが、もはや親鸞会を正すに
は外から変えるしかない」といった謙虚な態度
が見られない。
この人は第二の親鸞会を作りそうで怖い。

暴双属って・・・頭悪いの?


この暴双属って・・・頭悪いの?

>「私も高森家にだまされていた。もう反省している。 いっしょに打倒しよう」、は虫が良すぎる。


はあ?どこが虫がいいんだ?

「私も高森家にだまされていた。もう反省している。 いっしょに打倒しよう」

事実そのまんまじゃね?


立派なことじゃないか、自分がだまされていた組織の問題点を公表するなんて、勇気あることだよ。

普通、復讐が怖くてなかなかこんだけ文章を公表できないよ?

おれが退会すると言ったとき、下宿前に先輩がいたのはマジビビったが、何するか分からん団体なんだよ?


>「自分がやったこと、止められなかったことは 償えようがないが、新たな犠牲者を出し>たくな いから声を上げる」とか「高森先生には感謝している、布教局長は友人として同>僚として部下 として側にいながら横暴を止められなかったこ とは申し訳なく思うが、も>はや親鸞会を正すに は外から変えるしかない」といった謙虚な態度 が見られない。


はー?この元講師は

「自分がやったこと、止められなかったことは 償えようがないが、新たな犠牲者を出したくないから声を上げ」てるんだろ?

「もはや親鸞会を正すに は外から変えるしかない」からこうやって告発してるんだろ?

ちゃんと文章読んでるか?


しかも、なんでそこに

「高森先生には感謝しているが・・・」なんて高森マンセーの態度を強要してんの?

普通、あんなウソばっかついてる男に感謝はできねえだろ。

あの男は講師部にすら、何十年も華光の「ケ」の字も出さなかったんだぞ。

普通、恨んで当然だぞ?




>この人は第二の親鸞会を作りそうで怖い。


まともに文章読むことすらできないお前こそ、第二の親鸞会作りそうだよw


私怨かと思いましたが・・・

 体験談が強烈なので最初は私も私怨をぶつけておられるだけかと感じましたが、

>◎親鸞会の体質を問うーーー
>自由に物が言えない。
>これでは沙汰は出来ない

 この点を親鸞会の問題点としてご指摘で、そのための布教局長批判ですよね。
 もう一度読み返してみて分かりました。
 まだ途中のようですので、私怨なのか義憤なのか、続きの記事を楽しみにお待ちしております。

 しかし、あの不倫事件以前から、「親鸞会では自由に物が言えない」のは同じだったように思います。あの事件以来、さらに物が言えなくなりましたが、本質は以前から変わっていないように思います。

 自由に物を言ってよいのは新入生のときぐらいでしたね。あの頃は疑問に思ったことは何でもぶつけていましたから、仏法聞くのも楽しかったことを思い出しました。先輩になってからは、疑問でも述べようものなら、何を言われるか分かりませんでしたから、指摘の雨嵐を受けるリスクをおかしてまで、質問しようと思うこともなくなったように思います。

 高森先生の布教局長擁護は不倫事件が初めてかと思っていましたが、それ以前からあったんですね。
 善知識というお立場より、布教局長の父親という立場を優先されていたのは昔からだったのですね。
 親鸞会という公式の場で、「光晴をいじめないでくれ」と私的なお願いをされたことも、我が子かわいさからですよね。

 それが布教局長の悪行を助長させ、講師部を崩壊寸前に至らしめた不倫事件を誘発し、親鸞会衰退へと導いたのであれば、親鸞会衰退の元凶は布教局長ではなく、やはり高森先生ご自身であるということになります。

 親鸞聖人の善鸞義絶のお話や、高森先生のお母様が、高森先生に特に厳しくなされたというお話もお聞きしておりました。それだけに余計に布教局長に対する特別扱いは残念です。

講師部が責任のがれはじめちゃった気が・・

俺は幹部にならなかったから知らないんだけど、
講師部の空気が悪いのって講師部の責任じゃな
いの?部室の雰囲気が悪いのだって部員全員の責任だし。
高森一人がそんなに部室の空気まで操作可能なのか?
俺はそこまで責任転嫁するほど恥知らずじゃないよ。
誘った後輩に対して、「俺は親鸞会にだまされ
ていたんだ。俺は悪くない。あの時個室に一人
軟禁したのは先輩の命令でしかたなかったんだ
。すべては高森が悪い」今勇気出して言いまし
た。こんなこと言えないよ。ヒトラーをまつり
あげたのは国民であったように、高森をまつり
あげたのは私らでしょう。高森をスケープゴートにする前に枕詞がいるでしょ。
被害者であることを強調したいなら加害を詫び
ることが必要だし、加害を認めず、教えのみに
純粋に報いようとするなら、道義に順じなけりゃならんでしょ

忘曽賊・・・シッポ出したな(笑)



忘曽賊・・・シッポ出したな(笑)


さて、あんたもなんかおかしなこと言ってるね。


>高森一人がそんなに部室の空気まで操作可能なのか?
>俺はそこまで責任転嫁するほど恥知らずじゃないよ。


なるほど、高森1人が部室の空気まで操作可能じゃないはずだ、と。


じゃあ聞くが、


>あの時個室に一人
>軟禁したのは先輩の命令でしかたなかったんだ


ここだ。

なんでマトモな思考ができるはずのお前が、


「後輩を個室に軟禁」


なんていう、異常なことやっちゃったんだい?


あのなあ、個人の意志なんてモロいもんなんだよ。




ワンマン社長が率いる会社を見りゃ分かるじゃねえか。


社長のカラーでその組織の空気・雰囲気・文化まで作られることはよくあるんだよ。

(たまに他の役員や参謀のカラーだったりするが)





特にマインドコントロールのスキルを持ってるS会みたいな団体なら尚更だ。


お前の言いたいことは分かるが、もうちょっと落ち着いて自分のS会体験を思い返してみ。


そうすれば、この元講師の言ってることも十分理解できる範囲のことだと分かるはずだよ。




少し疑問です。
結局、会長を直接批判出来ないから、その息子を非難してるだけじゃないの?
あと、会長以外に、講師長もその元講師の上司にあたっていたのでは?
一回手紙を書いて駄目なら二回三回書くぐらいの勇気があれば、違ったかもしれませんね。

今こういう人多いの?

こういう人見ると、M晴もゆるさなあかんわって思う。

俺かわいそうやんの殻に閉じこもってる間は同じ穴のムジナ

誰の味方でもありませんって、偉いなー


誰の味方でもありませんって、偉いなー


じゃあお前は「自分の後生が永久に解決できない」というリスクをかけてまでも、

「一回手紙を書いて駄目なら二回三回書くぐらいの勇気がある」ような勇者なわけだよな?

すげえな。そんなやつ見たことねえわ。



なんで他人をそこまで容赦なく批判できるのかね。



冷めた目で客観的に見ても、この元講師は誠実で勇気あるやつだと思うが。



後生の解決どころか、クビ覚悟の直訴すら社長にできないおれには、とても真似できないことだがね。



いやー、ほんと「誰の味方でもありません」ってやつは偉いやつなんだろうな。

どんなやつか一度会ってみたいね。

呆僧俗ってM晴?



>こういう人見ると、M晴もゆるさなあかんわって思う

呆僧俗ってM晴?

呆僧俗さんへ


なんで「後輩を個室に軟禁」なんていう犯罪をおかしたんですか?

もうその後輩の方とその家族に謝罪と和解はしたのでしょうか?

もちろんしたのでしょうが・・・


もししてなければ、即刻するべきです。

今すぐにでも。

それがあなた個人の責任というものです。


「もう過去のことだから」で済まされることではありません。

あなたの責任なのですから。

華光同人さんへ、あのなあ・・・


「華光同人」さんへ




あんた、華光同人ちゃうやろ?

同人やったら、こんな自分の後生と関係ないこと書かへんもん。

なんや、この文章?


「心配です
前半は有難く拝読いたしましたが、後半、義憤から発せられた言葉とは思いますが、見方によっては、どこか私怨からの人物攻撃とも受け取られうるようなところもあり、ただでさえ火宅の世界に、さらに油を注ぐようなことにならないかと、心配です。義憤も、立場が違えば私怨に映り、その表明はかえって逆効果になります。どうか、慎重にお書きくださいますよう、心より念願いたします。 」



なんじゃこれ。

「不倫のこと書かれたら都合が悪い」と言ってるんか?



ほんまに華光同人やったら、自分の汚い腹底知ってるから、こんなお化粧したような文章書かへんよ。


カタリもええ加減にしいや。



宿善とは

やれやれ、個人攻撃がはじまったよ。
華光にいったとたんこれかい。
除名になった清森・上田らと一緒。忘恩の輩だな。

だいたいな、獲信したと告白しているあんたは
振り返って見れば親鸞会での活動もすべて「宿善」だったなぁー、とは思わんのかい。

思われんのでは、親鸞聖人の信心とは異なる。
親鸞会での活動もすべて「宿善」だったと思っていても
親鸞会に利することは書かん、というのは信仰に不正直。
不正直な者の言うことは信用できぬ。

どちらにせよ、あんたの書いてることは根本から狂っている。

聴聞とは

>「仏法は聴聞に極まる」本当に聞くひとつでした。

親鸞会で言ってることも同じ。
他人に「それでよい」と認定してもらう信心か否かが違う。
華光の創始者の信心は、他人に認めてもらってはじめて安心できる信心だそうだね。

だいたい、親鸞会で最も重要視されてるのが財施と破邪顕正であるかのように書いてるだろ。
そういうウソ言ってるから信用できんのだよ。

信を獲るコツとは

>私の白道・5
>
>5  高森先生は18歳で獲信、このご示談は2年後ですが
>2年ほどの布教で村人5名も獲信されたことになります。
>
>どうしてこのように早く獲信出来る話をされないのですか

とあんた書いてるよね。
信心の沙汰は大事だよ、親鸞会でも教えられてる。
でも華光の「信心の沙汰」は、機を責め立てるというアレだろ。
あんたの場合は違うのかしらんが、華光では一度もそういうことがないと言えるのか。
「早く信を獲るコツ」があると華光は言うね。どんなコツなんだか。

親鸞会では聴聞以外の「コツ」は教えてないよ。

No title

>振り返って見れば親鸞会での活動もすべて「宿善」だったなぁー、とは思わんのかい。

 親鸞会の活動も「宿善」だと思うから、元講師の方は、親鸞会会員を救おうと、必死に書いておられるのではないのですか?
 私には、親鸞会の洪恩を思えばこそ、問題点を正し、救おうとしているようにしか読めません。

No title

>親鸞会の活動も「宿善」だと思うから、元講師の方は、親鸞会会員を救おうと、
>必死に書いておられるのではないのですか?
>私には、親鸞会の洪恩を思えばこそ、問題点を正し、救おうとしているようにしか読めません。

増井、華光会への感謝はあっても、高森先生にはうらみしか吐いてないだろ、よく読め。
どこに、振り返って見れば親鸞会での活動もすべて「宿善」だったなぁー、と拝んでおるかい。
阿闍世、提婆をも拝み倒した韋提希夫人とは違うのだよ。

No title

>増井、華光会への感謝はあっても、高森先生にはうらみしか吐いてないだろ、よく読め。

 貴方の目には、そのようにしか映らないのですね。
 悲しいことです。

 救わねばならないのは、親鸞会の会員の皆さんであって、組織ではありません。
 高森先生への盲信を晴らさない限り、親鸞会会員の救いの道は無いと思います。

No title

「私の白道」筆者が、自分の体験をもとに、今の親鸞会の人に伝えたいことがある。
また、華光会で体験したことを伝えたいことがある。

それを、周りの人が親鸞会vs華光会の図式にしようとしてる気がする。
親鸞会のことを問題にしたい人はそう読めばいいし、華光会のことを知りたいならそう読めばいいけど、ごちゃ混ぜにすると良くないよ。

はっきりいって、親鸞会の問題に華光会を引き合いにされるのは迷惑です。

まぁ、黙っているのが一番かもしれんが…

No title

>また、華光会で体験したことを伝えたいことがある。

例の「早く信を獲るコツ」だろ。

>はっきりいって、親鸞会の問題に華光会を引き合いにされるのは迷惑です。

そりゃ、『佛敵』の後、華光の創始者の信心が崩れて、植島やえさんに
まーた安心さしてもらいにいったとバレるもん。

信後の悩みって・・・「宿善とは」さまへ


「宿善とは」さま、貴重な情報ありがとうございました。

さっそく、そんな怪しいことが!と思い、自分の目で見て検討するべく、華光会のホームページを見せていただきました。


http://homepage3.nifty.com/keko-kai/top_menu/menu.htm


>そりゃ、『佛敵』の後、華光の創始者の信心が崩れて、植島やえさんに
>まーた安心さしてもらいにいったとバレるもん。


この部分が気になって・・・

これはどこに載っているのか、それともやはり知られたくない極秘事項か!?と思ったのですが。



なんとも信じられないことに、ネットで公開されていました(!!!)。

なぜ!?

知られたくないなら隠すはずなのに???


つまり知られてもいいことなのでしょうか?




本のページの「善き知識を求めて」のページで読めました

(さらに、ネットで文章が読めるというのも驚きましたが)。



題名は「信後の悩み」で、そういう言葉を聞いたことがなかったものですから、とても驚きました。



信心を得た後の悩み・・・


高森先生が「信後、どんな心も出る」とおっしゃったことと合致するなあ、と思い、


信後、疑煩悩に悩まされることがあるのか・・・と。



高森先生の「ああ、そのままだった」という求道体験記も同じ感じでしたので、共通点を感じました。



宿善とは様が指摘した「信後の悩み」というものは、あちらの会の方にとっては隠すべきものではなく、

むしろ「そういうものがある」という共通認識さえ持っておられるんじゃないか、と思いました。




なにせネットで公開・・・・ほんと信じられませんでした・・・・・




ご法話遅れ?

ご法話を遅れてでも、切り上げてでも来て下さい、とご法話を依頼した当時の本部長に責任があるのでは?
と思いますが、如何でしょうか?
ご本人にお答えをしてもらう事を希望します。

華光会の「共通認識」

>>そりゃ、『佛敵』の後、華光の創始者の信心が崩れて、植島やえさんに
>>まーた安心さしてもらいにいったとバレるもん。
>
>これはどこに載っているのか、それともやはり知られたくない極秘事項か!?
>と思ったのですが。


あのね、秘密にしてる、なんて言ってないだろ。
本になっててだれでも買って読めるんだから。

華光会じゃ、信心崩れてもだいじょうぶ、あの時にもらったんだよ思いだせ、
後生が不安かい、でもだいじょうぶ、創始の伊藤様も同じだからだいじょうぶ、
そういう信仰の手淫に使ってんだろ。
そういう「共通認識」なの、華光会では。
これのどこが、一念往生なんだよ、疑蓋無雑の信楽なんだよ、おい。
金剛の信心じゃないんだよ。『佛敵』のアレは一念の体験じゃなかったの。

華光会内でやってた不浄が、さわぎになってみんなにバレたね、と言ってるんだよ。
わかったかい。

不信心が明らかになったんなら「よきこと」
『ひとびとの日ごろの信のたぢろきあうておはしまし候ふも、
詮ずるところは、ひとびとの信心のまことならぬことのあらはれて候ふ。
よきことにて候ふ。』
と御消息に親鸞聖人は仰られた。
伊藤や増井や自分の頂きぶりじゃなくて、これからは親鸞聖人の信心を基準にしてね。


>題名は「信後の悩み」で、そういう言葉を聞いたことがなかったものですから、
>とても驚きました。
>
>信心を得た後の悩み・・・

親鸞会で言う「信後の悩み」は「布教活動の悩み」
聖人だと、三部経読誦の「まはさてあらん」
聞いてないの? 「信後の悩み」ってなんども言われてる。
聴聞不足なんじゃないの?
だから、親鸞会で最も重要視されてるのが財施と破邪顕正であるかのような
ウソ言ってるんだよ。

宿善とはさんに質問。一念は「時間的な一瞬」?それとも「一回の念仏」?


>これのどこが、一念往生なんだよ、疑蓋無雑の信楽なんだよ、おい。
>金剛の信心じゃないんだよ。『佛敵』のアレは一念の体験じゃなかったの。


すごく教学に詳しいようなので、質問させてください。

この「一念往生」の「一念」は「時間的な一瞬」?それとも「一回の念仏」?

どっちなのでしょうか。


これがどっちなのかで、「一念でハッキリ」の教義の解釈がガラッと変わるんです。


>華光会内でやってた不浄が、さわぎになってみんなにバレたね、と言ってるんだよ。
>わかったかい。

うーん???ネットにのせますかね?わざわざその文章だけを載せてましたが。

本で内輪だけで見るならまだしも。

バレたら困るもんじゃない感じもしましたが。


まあ、それは個人の感覚の違いでしょうか???




もっと大事で学徒が明らかにしなければならないのは、親鸞聖人が言われた「一念往生の一念」の定義です。

宿善とは何か

あとから、あとから、まあゾロゾロと。
行信論がやりたいなら安居にでもいけよ。
ワシの判決聞いてどうすんの。

ワシはな、宿善とは何かと、この「私の白道」書いた人に聞いてんの。

振り返って見れば親鸞会での活動もすべて「宿善」だったなぁー、とは思わんのかね。

思われんのでは、親鸞聖人の信心とは異なるよ。
阿闍世、提婆をも拝み倒した韋提希夫人とも異なる。

親鸞会での活動もすべて「宿善」だったと思っていても
親鸞会に利することは書かん、というのは信仰に不正直。
不正直な者の言うことは信用できぬ。

そうワシは言ってるの。わかった?

「宿善とは」様

>親鸞聖人の信心とは異なるよ。
>阿闍世、提婆をも拝み倒した韋提希夫人とも異なる。

「宿善とは」さん、偉そうに他人の信心を批評しているけど、その資格はあなたにあるのかね?
あなたは未信なんですか?そうでないんですか?
未信なら必然的に異安心ですよ。

親鸞会講師には頼まれもしないのに、あーだこーだいって他人の信心に対してけちをつける輩が多すぎます。本人がそれでいいならいいんじゃね?ご勝手に、と思いますけどね。

これも「破邪顕正」を言い出した高森さんを講師部というところで縮小再生産してきたひとつの結果なのだろうけどね。実にくだらない。

他人の心配しているヒマがあったら自分の心配したらどうですか?
こういう「自分の救いは棚上げ」「他人の咎はよく見える」講師を量産したのも、結局のところ、信前における法施が佛恩報謝になり自身の宿善になるなどと強く勧め、教え出した高森会長の責任が甚大と思っていますがね。

華光の信心にケチをつけるのならば、高森会長の信心、高森会長のご母堂の信心、深松さんや菊池さん、T岸ばあさんなどの信心にもケチをつけるのでなければ公平ではなく片手落ちですよね?
これらの人々はみな、華光時代に獲信したのだから。

そのあたりはいかがお考えになってますか?「宿善とは」様。

おや、「宿善とは」さんが答えられない!こんな簡単な質問に!

おや、「宿善とは」さんが答えられない!こんな簡単な質問↓に!


『一念は「時間的な一瞬」?それとも「一回の念仏」?』

一念往生

本願成就文の「乃至一念」は「信の一念」だよ。
だから、「真宗の肝要、一念往生をもつて淵源とす」の一念往生は「信の一念」
華光も同じでしょ。

行信論は、話題と関係ないよ。
そういうのは安居でやれよ。

「宿善とは」さんがやはり答えられない!こんな簡単な質問に!

>往生は「信の一念」
>華光も同じでしょ。

これは「一念は「時間的な一瞬」である」ということでよろしいですね?

No title

あのね、「信一念」には、「時剋の一念」と「信相の一念」があるの。

ワシが上で言ってるのは、相続しないのは他力信心ではないこと。
ちゃんとわかってる?
わからんのなら、サイナラ

宿善とはさま、「相続しないのは他力信心ではない」は何が相続するのですか?

宿善とはさま、

「相続しないのは他力信心ではない」 これは何が相続するのですか?

「おれは獲信した、ハッキリ救われた」という「思いが相続」するということですか?


何が相続するのですか?

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