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私の白道・10

「私の白道」10

(続き)


○高森布教局長の不人気と高森家の危機


 4月の末に高森布教局長の不倫疑惑の噂が流れた。
 私の耳にも入り、すぐ関東担当部長(布教部長)に電話すると、関東では会員さんも知っているという。疑惑は事実だった。大変なことになった。会員さんの耳に入ればどうなるのか。
 すぐ講師長に対処のメールを送り、指示を待った。が何もない。
 高森先生にも手紙を書いた。
 不倫疑惑の事実確認、原因、対処の三つをお願いした。しかし指示は無い。
 同じ県に知らない支部長がいて、時間の問題と思い、3名に聞いたところを伝えた。これが後に除名行為になるとも知らずに。

 5月に高森先生の定例講師部会議が開かれた。
 この時、皆、不倫疑惑について説明があると思っていた。
 しかし何も言われない。4名の部長(布教部長)の問題を話題にされ、必要かどうか聞かれ、わずか6、7名の支部長が部長の存続を望んだが、100名以上の支部長は手を上げなかった。5%しか支持がなかったのだ。
 部長の支持率5%、不必要の意思表示は高森先生にとってショックだったと思う。
 わずか5ヶ月で、高森布教局長ーー4名部長ーー支部長体制の拒否は、そのまま高森布教局長拒否でもあるのだ。
 いかに高森布教局長が全支部長に不人気か、嫌われているか、再自覚させることになった。

 この意思表示に、遂に高森先生は部長は4名とも解任、支部長に降格と言われた。
 しかし会議が終わる15分前になっても不倫疑惑について話題を出されない。
 司会の講師長も避けて通すつもりと分かったので、大きな声で私は手を上げた。不倫疑惑でなく、支部長会合の指導の内容が今の我々の問題と違う事ばかりで、やる気が起きないと爆弾発言をした。
 高森先生、全講師部の前で高森布教局長の批判をした。他の支部長もこれに続き、批判の発言をした。

 講師部除名になった瓜生支部長も、「自分に対するお礼状があるかどうか、そんなことに会合時間をつかっている」と批判した。

 高森恭子部長が、北陸支部長全員の名前を黒板に書き、○△×を書き、「これは何だと思うか」と聞いた。やがて、あることに対する高森布教局長へのお礼状のことで、○は出して内容が良い、△は出したが内容が良くない、×は出してない人。×の者に反省を求められた。

 しかも、全員のお礼状メールが読み上げられた。まだその上に会合記録として、お礼状のメール全員分が会合記録にアップされ、全支部長に送信されてきた。この異常さには驚き、呆れた。自己顕示欲の塊だ。
「支部長制度で上下関係が無くなったと思うな、ワシはあくまでもお前達の上司だ、ワシを無視したらこうだぞ」、という意思表示と皆思った。

 嫌われて当り前だ。

 時間が無いのに、月2回も支部長会合で集められ、何をやるかと思ったら、自分の言いたいことばかり中心に話している。こんな布教局長は要らない。新しい酒は新しい器に入れるべきだ。前の器ではせっかくの新酒も同じ味になってしまう。

 とどめに2年前亡くなった斎藤支部長が「高森布教局長はそのままですか?」と念を押して聞いた。
 高森先生はムーッとした表情になり、あわてて講師長は、「変わりない」と言って解散となった。
 不倫疑惑もあり、長男への批判がこうも強いとは、高森家の最大の危機と受け取られたと思った。



○支部長制度のウソ

 支部長制度は清森さんも「清森問答」に発言があったように、高森先生が講師部に一言の相談も無く勝手に決めて突然発表し、しかも講師部員の自発的希望であると会員さんに偽りの説明をされた。
 非常にショックだった。会員さんまで騙していることになる。
 こんなウソが平気で言える人だったのかと、驚いた。

 しかも、本部長制度から支部長制度の変更原因も、今年の報恩講の参詣人数が昨年と変わりないと聞かれ、激怒して、本部長制度では親鸞会は発展しないからと後で聞かされた。支部長制度の方が会員が増えると思われたからからだ。
 今の支部長の中から、誰が早く200名、300名それ以上の支部になるか、楽しみだと言われた。目的はあくまで親鸞会を大きくする事だった。

 法領(給与)も無くなった。私の歩んだ道を歩みなさい、私の時は何も無かった、君達は恵まれている。ご法話テープもある、アニメもある、なぜ生きるもあるからと言われ、経済的不安はそんな心配ない、やがて困るくらい財施に恵まれる時がくるとも言われたのだ。盲信は恐ろしいと後で思い知らされる。



○高森先生の不倫疑惑もみ消しの指示

 講師部会議が終わって、突然、関東担当支部長から不倫疑惑に関するメールが来た。「これは講師部2名と会員が布教局長を失脚させるためと、講師部を攪乱させるため計画された事だ」とあった。
 メールを送って来た支部長に内容の説明を求め、なぜ私に送ってきたのか電話で聞くが、言えませんというばかり。20年近い仲なのに口封じされている。
 しかし高森恭子部長が指示していることが分かり、高森部長になぜそんなことをするのか聞くと、言ってないと白を切る。メールを送ってきた支部長から聞いたと言っても白を切る。では電話して確認しますよ、と言うとどうぞというので電話して代わって話しさせたら、認めた。

 しかし「会長先生のご指示ですから」とケロッとして、今、ウソを言ったことを詫びない。
 これが親鸞会講師部の価値観なのだ。「高森先生のご指示」なら、法友を騙しウソを言っても問題にならない。
 水戸黄門の印籠と同じで、ははーと平伏するのが講師部員なのだ。
 顕真学院でもこればかり教えている、と言って過言でない。
「高森先生のご指示」ーーー親鸞会で最高の権威なのだ。誰人も文句は言えない。
 世界で唯一の善知識なのだから。間違いない指導者なのだから。
 これを高森布教局長が悪用している事実を、インターネットで暴露した講師も過去にいた。

 このことで、高森布教局長の不倫疑惑は、高森家では親子、夫婦協力体制で全力で取り組んでいることを感じた。
 もし事実となれば、講師部除名処分に相当する。


講師部規定5

「私は親鸞会の講師として絶対に不倫な男女関係は致しません。
 上記の誓約を厳守出来ぬ場合は講師部を退きます。」


 その県で、この問題に熱心な講師の切り崩しが始まっていた。
 私の県は2名だった。もう一人の支部長からは、密会を隠し撮りしたビデオを見せてもらった。羽田空港ロビーから二人が出てきて、バスに乗りホテルへ入り、二人でホテルの朝食の場面が写っていた。写真も出回っていた。


○降誕会に参詣しない布教局長の理由

 関東の別の支部長からメールが届き、支部長の首かけてこの疑惑を追及する、降誕会に局長に会ったら本人に詰問すると送ってきた。これを局長にも送ったとあった。
 男らしく答えるのかと思ったら、実行委員長であるのに1週間ほど前に腰痛を理由に実行委員長を辞退して、1日も参詣しなかった。
 入院も手術もしない腰痛、車で20分ほどの高岡市に居ながら参詣しないとは、こんな講師部の欠席は聞いたことが無い。

 広島県から私のよく知っている癌末期の会員さんは、身内の運転する車に酸素ボンベを持ち込んで本部まで来られたが、体調悪く参詣出来ず帰られた。そして亡くなられた。命がけて参詣されていた。
 高森局長は海外へ行くと「万難を排して参詣しましょう、如来聖人、高森先生が待っておられます」と堂々と誘っていながら、自分のことは、別らしい。
 宿善は聞法心にも現われる。こんな程度なのか



○講師部総会で不倫疑惑事件の総括。除名者、続出、そして誓約書

H14年8月27日(28、29日と追加になる)

 高森先生の講師部会議が朝から行われた。
 講師長から早く席に付けと、いつに無い厳しい叱責が飛んだ。
 高森先生の表情も厳しく、遂に3ヶ月目にして不倫疑惑の真相が解明されると思った。しかし高森布教局長の姿が無い。

●詳細はインターネットで「M晴をあまりいじめないでくれ事件」を検索すれば分かります。この内容は事実です。清森さんも同席して事実と認めています。

 不倫疑惑に関係したり、聞きながら上司に報告しなかったり、他の人に話した講師が30名以上前に出され指摘の嵐を3日間受けた。
 私も、まだ知らなかった支部長3名に話した罪で前に出た。
 罪状は「五逆罪」と言われた。講師部の和を乱した、和合僧を破った恐ろしい無間業、地獄行きの大罪と弾劾された。

 しかし不審が幾つもあった。

1 不倫の事実が有ったか、無かったかハッキリ言わない。
  無かったに決まっているを前提に進めていた。
  問題の女性講師も参加していたが、3日間、一切の発言は無かった。
  事実の確認は全くせず進めたのである。
  3月、4月と東京に行きながら、活動日報には地元にいたように
  ウソの報告がしてあった。このことさえ聞かない。

2 なぜこんなスキャンダルを、講師部2名と関東青年部員が見つけ広めたのか。
  失脚させたいほど嫌われている原因は何か言わせない。
  最も大事でないか。裁判でも動機がまず問題になる。
  明らかになると別の問題にも発展して困るからだ。
  私はすでに聞いて知っていた。嫌われても無理は無い。

3 高森布教局長は大人であり、本人が不倫疑惑について何も言ってないのに
  なぜ親の高森先生が仕切るのか。かばっていい問題か。
  これは仕組まれたもの、ビデオも写真も捏造と言いながら、
  映した講師や青年部員の動きを細かく詰問するのか。
  無いことなら追求する必要がない。
  矛盾したことを聞いているなと思った。

4 高森布教局長は日頃、「李下に冠を正さず」の格言を出して
  誤解されるような言動をするな、と何度も講師部に注意しながら、これは何だ。
  会員さん、講師部に不審で迷惑かけたのは事実だ。
  謝罪、釈明をなぜしない。させない。しなくていい問題なのか。
  こんな事、世間でも常識でないだろうか。(今だに無い)

5 問題を関東担当部長が高森恭子部長に報告した時、
 「彼女が東京へ行ったのは知っています、相談があったからです」と言いながら、
  私が聞くと、そこまで関東部長から聞いて知っていると思わないから
 「彼女が行ったのは、親戚に出産祝いを持って行っただけだから」と
  違った理由を言った。
  なぜ聞く人で理由が変わるのか。
  やはりウソ、誤魔化しが平気な人だ。高森家の家風なのか。
  相談なら、電話もメールもある。高岡まで40分の所に居るでないか。
  なせ忙しい関東地区支部長会合の前の夜に
  3月、4月と高い交通費を使って、相談ごとに一緒に行かねばならないのか。
  不自然すぎる。

6 なぜ五逆罪なのか。問題起こした本人が、無罪で、
  話題にした者がなぜ除名の重罪になるのか。
  理不尽すぎる。明らかにおかしい。

7 講師部もバカではない。私でもこれだけの事を感じている。
  こんな強引な、理不尽なことをすれば、
  皆の尊敬、信頼はどうなるのか分からないはずはない。
  しかし背に腹は代えられないところまで、高森家は追い詰められ、
  100日考え、こんな余りにも愚かしい結論を出した。


 高森先生は顔を引きつらせ、私にも「○○、そんなに面白かったか、楽しかったかー」と言われた。日頃の善知識ではなく、完全に怒り一杯の親の顔だった。会員さんには見せたことの無い顔だ。
 読んでいる方は、なぜ講師部はこんな理不尽なことに従うのか、反発しないのだろうかと思われるのではないでしょうか。
 これこそ親鸞会講師部の問題の体質なのです。
 重大な問題です。


1 後生の一大事がある
2 解決の道である「阿弥陀仏の本願」を正しく説かれる善知識は、高森先生しかおられない。先生から離れたら絶対に後生の一大事は解決出来ない、後生は地獄だ。
 除名になったら、助からない、地獄へ堕ちろと言われたのと同じだ。
 だから、何があっても、何を言われても、どう思おうと、しがみついてゆかねばならない。無条件に服従するしかない。


 講師部は骨の髄までこれが徹底しているから、高森先生はこんなやり方でも、この難局を解決出来る、乗り切れると読まれたのだ。長年教えてきた自信があったのだ。
 私は自惚れの極みと思う。これは「善知識だのみの異安心」と同じ心と言って間違いだろうか。



 私は決して、個人のスキャンダルを暴いて、困らせて追求しようと思って、これを書いているのではありません。
 なぜなら、悪縁がくれば何をするか分からぬ煩悩具足の自分であることは、阿弥陀仏に救い摂られてからは、余計に毎日知らされるからです。
 仏教では身体より心の罪が重いのですから、人のことを言う資格は全く無いのが私です。浅ましい、恥ずかしい、人に見せられない根性しかないくせに、名誉欲で口と身体を何とか慎み善人顔しているだけなのです。
 時間とお金があって、見つからぬとなれば、何でもしてしまうのが私の本性なのです。

 不倫疑惑の事実を白黒つけようと思って書いているのでありません。
 この問題を本人、高森先生、恭子さんはどう対処したかです。
 この3名は親鸞会の最高指導者です。会員全員が影響うける人達です。
 その体質こそ仏法者にとって大事な問題だから詳しく書きました。

「過ちを犯さないことを誇りとするよりも、過ちを直ちに改めることを誇りとしよう」

 一日一訓カレンダーにありますが、その通りにされただろうか。

 仏法の五逆罪を持ち出し、前に出された講師部を3日間、他の講師に徹底的に指摘させた。
 又、高森布教局長への不倫疑惑以外の批判的言動まで暴露するように言い、その講師も前に出させ、過去に何を言ったのか、これも徹底的に指摘した。
 信じて言った相手に暴露され指摘されたら、もう二度とその人間を信じられなくなるのが人情だ。
 息子の批判は今後一切させない、出来ないことを見せつける為だが、これこそ自ら、和合僧を破る行為ではないか。3日間前に座らされていたが、私はそう思った。講師部の人間関係が一気に崩れた。

 3日目に判決が出た。前に出された者は除名、地獄へ堕とされた。
 声を上げて泣いた。
 やがて、「世間にも執行猶予ということがある。どうだろうか、皆んながそれでよいなら、そうしてもいいが」と助け船を出した。

 3日間指摘した側の講師も、除名させようなどと誰も思っていないから、すぐこの提案に乗った。ボードに一人一人名前と執行猶予の年数が書かれていった。
 私は5年だった。長い講師は20年、30年があった。
 インターネットにバカ息子と書き込んだ講師は20年だった。
 これでは終身刑と変わらない。
 高森先生が亡くなっても、息子を非難したことを、ずーっと反省していろということになる。
 これは将来に亘って、息子の批判をさせない、次期会長へ安定移行させたい不安の現れと思った。
 しかし、それだけで済まなかった。


(講師部総会での規約)平成14年8月29日

1 講師部間の悪口、非難は一切厳禁する。
2 講師部の和を乱す情報を得た者は、その提供者と、情報と、その日時を直ちに報告すること。
3 講師部員の言葉遣いや行動で、おかしいと思うことは、どんな些細なことでも直ちに報告すること。


 この誓約書を、その場で署名して提出するように配られた。
 今後このような非難をさせない為の準備が出来ていたのだ。
 完全に講師部の心は読まれ、北朝鮮と同じ密告奨励の組織に変わった瞬間だった。腐敗の始まりだ。
 全員、何も言わず提出した。
 これで完全に口を封じたつまりかもしれないが、息子可愛さ、自分達の保の為に、愚かな判断をしたものだとつくづく思う。
 法友を信じるな、本音を言えば大変なことになる事を身を以って教えたのだ。
 それにしても除名のところを、特別のお慈悲で執行猶予で助けて頂いたなどと当時は思ったが、時間と共に馬鹿げたことだと段々思えてきたものだ。


 私が感じた講師部の裏の規約はこうだ

1 本音で言う者は下の下
2 建て前で言う者は普通
3 建て前を本音のように言える者は上
4 何も言わず、聞いて密告する者は上の上

 これが今後、講師部で生きていく為の規約になった。



 親鸞聖人の「御同朋、御同行」精神から完全に外れている。
 高森先生、局長は絶対批判されない特別の人だから、私がこの「私の白道」で親鸞会の会員さんを「親鸞学徒」と初めから書かないのはこれが理由です。

 高森会の会員さんです。

(続く)
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COMMENTS

一網打尽

「信心決定しても、いかなるふるまいもする私であるから
『これで助かったのだろうか』という疑いの心を起こすことがある」
というのが
上田氏、清森氏の主張であり、教えであることは
いままでの経過で明らかです。
過去にあった
「誰に救われたかわからない」というのは
上田氏が「教え」として言っていることではないという類の
言い訳はもう通用しません。
また「私の白道」の作者である元講師がこの主張を
「知らなかった」ということはこの主張が
掲載されてから随分たっている今の時点で
通用しない言い訳であることを確認しておきます。

この3人は真実信心を知らない異安心です。

No title

ちび丸殿

苦しい言い訳ですね。
元講師が異安心であろうと、清森氏が異安心であろうと、親鸞会および布教局長のやってきた悪事の数々が正当化されるわけではありません。
この期に及んで、このような見苦しい言い訳を書かれること自体、親鸞会の品位を下げるだけのものです。
親鸞会の体質の問題を、安心の問題に摩り替えて誤魔化さないで下さい。

必ず知らされること

「さるべき業縁のもよおせば」いかなる振る舞いもしますが
縁がなければ行為という結果はでません。
信心決定して無明の闇が破れれば、疑情という縁がなくなるので
「これで助かったのだろうか」という疑いの意業はでないのです。

先生のお言葉が云々書いてありますが
「信後でない心」が昔の教学にありましたね。
「でない心」があるのです。

私は御縁をいただいたのはわずかな期間でしたが
それぐらいは聞き分けてましたよ。
清森氏も福徳会員さんも長年聞いていたのに
やっぱりなさけない会員だったんですね。
ましてや40年元講師は何を聞いてたんでしょうか。

私の言動が人を馬鹿にしてますか?
その人の立場によってそう見えるのではないかね。
「こんなことさえわからないくせに」という思いはありますがね。

No title

>苦しい言い訳ですね。

質問があったのでお答えしたまで。
教学でないことは勝手にやってくださいと前からいってますけど。

No title

>疑情という縁がなくなるので
>「これで助かったのだろうか」という疑いの意業はでないのです。

疑情という縁によって、「これで助かったのだろうか」という意業の結果が現れるのですか?
どこの聖教に書いてあるのでしょう?

No title

>「信後でない心」が昔の教学にありましたね。
>「でない心」があるのです。

この教学の問題は、聖教の根拠のな独断であることが発覚したんで削除されたんですよね。
どこかの聖教に書いてありますか?

No title

>また「私の白道」の作者である元講師がこの主張を
>「知らなかった」ということはこの主張が
>掲載されてから随分たっている今の時点で
>通用しない言い訳であることを確認しておきます。
>
>この3人は真実信心を知らない異安心です。

別に元講師さんは、上田氏の信心を認めてるわけじゃないでしょ。
上田氏の話を聞きに行かずに、華光に行ってるんだから。
僕は元講師さんの信心も少々怪しいとは思う。
だけど、ちび丸氏のように、勝手に元講師さんが上田氏の信心を認めているかのように決め付けて、それを根拠に異安心と断定するのは、非論理的思考だと思うね。
ちび丸氏の焦りが感じられます。

No title

>この教学の問題は、聖教の根拠のな独断であることが
>発覚したんで削除されたんですよね。

大沼法龍の著作からの丸写し
であることが発覚したんで
削除したんだろ

No title

> 高森恭子部長が、北陸支部長全員の名前を黒板に書き、○△×を書き、「これは何だと思うか」と聞いた。やがて、あることに対する高森布教局長へのお礼状のことで、○は出して内容が良い、△は出したが内容が良くない、×は出してない人。×の者に反省を求められた。

「あること」とは、「タイヤキを布教局長に御馳走になった」というお礼状です。
毒入りタイヤキと食わされた講師は悲惨でした。

細かいことのようだが

ちび丸さん へ
>信心決定して無明の闇が破れれば、疑情という縁がなくなるので
「これで助かったのだろうか」という疑いの意業はでないのです。

疑情は「縁」ではなくて「因」です、常に。
文脈からは、細かいこととは思いますが、教義としては大事な事なので、一応指摘しておきます。

元講師部さんの信心を、じっくり見定めさせて頂きますよ。
必ず、三業に現れる、その言動を見逃しませんよ。

Own goal again

ちび丸氏へ

RE:
私は御縁をいただいたのはわずかな期間でしたが
それぐらいは聞き分けてましたよ。
清森氏も福徳会員さんも長年聞いていたのに
やっぱりなさけない会員だったんですね。

「福徳会員さん」というのは私、自称福徳会員のことでしょうか?
大口をたたく前に何週間も前から逃げ回っている私の質問に答えてからにしてください。

それに、私は『「これで助かったのだろうか」という疑い』云々についてはコメントしてないはずですよ。高森先生の獲信の記録についてが正しい信心かどうかを尋ねてことはありますが…。
よほど私の質問が核心に迫っているので(親鸞会の活動の根幹を揺るがすものであるため)別件で貶めようとしているのですね。ということで、質問を再掲載させていただきます。
また、Own goalを決めたみたいね。

以下の質問に明確にお答えいただけませんと、「親鸞会のやっていることは人集め、金集め」のそしりを免れないでしょう。さらに集めたお金で、「布教局長が高級車を乗り回し、不倫をしていたのはやはり事実であったのか」と従順な会員さんまでもが思うようになるでしょう。私はそのようなことがないものと切に願います。 追加で質問をいたしますのでそれについてもお答えください。

1.三願転入のご文(「久しく万行諸善の仮門を離れ、永く双樹林下の心…」)で万行諸善と双樹林下=体失往生とセットになっている。親鸞聖人が万行諸善の仮門におられたときは18願・19願に進もうと思われていたのではなく、体失往生を願われて諸善をしておられたという理解で正しいでしょうか?
『親鸞聖人は「善知識方のお導きにより、今生で19願を離れられた」とおっしゃられているのであり、「善知識方のお導きにより、今生で19願で教えられている諸善を励まれた」とおっしゃられているのではない』という理解で正しいでしょうか?

2.「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて」の蓮如上人のお言葉について
親鸞会では『雑行(=諸善)を持っていない者に対し、「捨てろ」といわれるはずがない。だからこのお言葉が「蓮如上人が善を勧めたお言葉である」』と教えています。『雑行(=諸善)を持っていない者に対し、「捨てろ」といわれるはずがない』までは同意します。しかしながら、これは善を勧めたお言葉ではなく、『「信心ひとつで助かる」と聞かされても、それでも出てくる「善で助かろうとする心」を捨てよ』ということではないでしょうか?「新たに持ってから捨てなさい」ということではなく、「すでに持っていることに気づいてそれを捨てなさい」という御心と思いますがいかがでしょうか?

3.「今生で18願の救いを求めているものに対し、今生において財施や破邪顕正を行うことで早く救われる」ということを教えられた親鸞聖人のお言葉をお示しください。なお、ただ、修善を勧めたお言葉だけでは不十分です。 あくまで18願の救いを求めている機に対してのお言葉をお示しください。

4.親鸞会の講師で何十年もまじめに財施や破邪顕正に勤めてこられた方が少なからずおられるのになぜ救われられないのでしょうか?高森先生は講師の方に対し「まだ、19願の入り口までも行っていない」とおっしゃられたとお聞きします。講師のかたがそうであるならば、一般の会員さんはどうなるのでしょうか?実質的に親鸞会の教導では救われないということでしょうか?

一応、餌をまいておきますね。(前回はパンフレットのコピーがつれてしまいましたが…)
不倫局長の不倫の実体のソースはちび丸氏(前任の親鸞会ネット対策委員様)も認定している2チャンネルです。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1203665818/l50x

認定の2チャンネルではありませんがこっちのほうが詳しいです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6979/1158394190/l50

根拠あげて話してね

>疑情は「縁」ではなくて「因」です、常に。

三業を結果とすれば縁です。
疑情は三業ではないのです。

反論あるなら根拠をあげてどうぞ。

いまさらなにを

>別に元講師さんは、上田氏の信心を認めてるわけじゃないでしょ。

上田氏は異安心だと思いながら清森氏と結託してるわけですか。
ここまでやってれば同じ穴のムジナ。

奇異な主張をしてるのは清森氏

>この教学の問題は、聖教の根拠のな独断であることが発覚したんで削除されたんですよね。

○悪そうですね。
先生のお名前出して「いかなる振る舞いも云々」という話してるから
書かれたもので「出ない心がある」という話してるんだろが。
「でないこころ」ならこんなことが知りたいにもありますよ。

本願に対する疑いが信後にあるという奇異な主張してるのは
清森氏上田氏でしょ。
御聖教の根拠をあげるべきなのは清森氏たちでは?
「いかなる云々」という歎異抄の御文は根拠にならないことを
説明しただけですけど。

アンチの作法でお答えします

>逃げ回っている私の質問に答えてからにしてください。

全部答えました。
どこにあるかは自分でさがしてください。
(こういう解答の仕方をしたのはアンチのFWM氏ですから
解答にご不満があればFWM氏にどうぞ)

「三業を結果とすれば縁です。」の根拠は?


ちび丸様へ


「三業を結果とすれば縁です。」の根拠はどこにございますでしょうか?



還来生死輪転家(げんらいしょうじりんてんげ)、決以疑情為所止(けっちぎじょういしょうし)
(生死輪転の家に還来することは決するに疑情を以て所止と為す)


迷いの原「因」は疑情である、という「疑情は因」というお言葉↑なら、毎日おつとめするお正信偈さまにございますが・・・



「三業を結果とすれば縁です。」の根拠はどこにございますでしょうか?

No title

ちび丸さん、まだ答えていただいてない質問がありますので、再掲しますね。

ちび丸さんが書いたことの中に、「高森会長が華光会で得た信心は化城で、その後親鸞聖人の言葉によって救われた」というものがあります。

これは高森会長の公式な発表なのでしょうか。
それとも、ソースは2chですか?
大事なことなので、お答えください。

あと、ちび丸さんに求道の心構えをお伺いしたいです。
他の方の信心を声高に異安心と決め付けるからには、
ご自身は立派な求道をなさっているのでしょう。

あなたは親鸞会のお膝元である富山県に住んでいながら、
なぜ親鸞会に再入会されないのですか?
また、後生の一大事を解決しなければならないとおもっておられますか?
おもっておられるのならば、そのためにどんなことをしておられますか?
聞法はどうしておられるのですか?
教えてください。宜しく御願いします。

頭悪いですね

>全部答えました。
>どこにあるかは自分でさがしてください。
>(こういう解答の仕方をしたのはアンチのFWM氏ですから
>解答にご不満があればFWM氏にどうぞ)

こういうの多いですね。
ちび丸に質問したのはFWM氏ではく「自称福徳会員氏」でしょう。
アンチとひとくくりにしてこういう言い方をするのならば、
過去にちび丸も「自分は退会したアンチ」といっていますよね。

答えられる質問には答えるけど、
答えられない質問には人を見下して逃げ回る不誠実な馬鹿がちび丸とお見受けしました。

あなたが所属する親鸞会でもまともに相手に去れずに、
こんなところで昼間から書き込みして憂さ晴らししているんですね。
かわいそうに…ほんとに哀れだ。

横レスばっかり

>「三業を結果とすれば縁です。」の根拠はどこにございますでしょうか?

疑情はいついかなる場合でも因であり縁にはならないという
主張ということでよろしいでしょうか。

横レスなので本題が終ったらお答えしてもいいですよ。
何で横レスばっかりが多いのでしょうね。
いつも不思議に思います。

No title

>人を見下して逃げ回る不誠実な馬鹿が

「全部答えました。
どこにあるかは自分でさがしてください。」

こういう答えってやっぱり人を見下して逃げ回る不誠実な馬鹿がする
答えということですね。

疑情はいついかなる場合でも縁であり因にはならないという主張ということでよろしいでしょうか。

>>「三業を結果とすれば縁です。」の根拠はどこにございますでしょうか?

>疑情はいついかなる場合でも因であり縁にはならないという
>主張ということでよろしいでしょうか。



ではちび丸さま、

ちび丸さまのご主張は

「疑情はいついかなる場合でも縁であり因にはならない」という主張ということでよろしいでしょうか。


No title

> 三業を結果とすれば縁です。
> 疑情は三業ではないのです。

仮にこの説が正しいとしましょう。
「疑情」という「縁」が無くなれば「これで助かったのだろうか」という「意業」は起こりえないと言いたいのでしょうが、では「疑情」とは別の縁によって「これで助かったのだろうか」という意業が起きる可能性を否定できるでしょうか?

私は元会員ですが、在会時、旧教学テキストの「信後絶対出ない心」(ちなみに私が受験した頃には「真5、絶対出ない問題」になりましたがw)は本当に「絶対出ない」のかという件ついて、「縁さえあればいくらでも出る」と高森先生自身が仰ったということを講師から聞いたのをハッキリ覚えています。(例えば、「これで助かったのだろうか」という文を読んだだけでも、そういう意業が起きる、という意味の説明があったと聞きました。)

では、なぜあの問題を教学テキストに載せたかについては、「自力の信心を崩すため」と聞きました。要するにメンタルテストですね。「獲信したらこういう心は絶対に起きなくなる」と聞いて、「私にはそういう心が起きるのだから、まだ獲信していないのか」と気付かせるための問題だということです。(本当に他力の信心を獲得していれば、そういうことを言われてもその信心はビクともしないはずです。)私はそういう説明で納得しています。

ただ、こういう話をすると「疑情があるままで往生できる」(=疑心往生)と聞き誤る人が出る危険性があるので、きちんとした教学力のない人にむやみに話すべきでないとは思います。(ただ、特定の人物の特定の意業を根拠に「異安心」だと断言する輩がいる以上は、本当のことを知ってもらうために、清森さんはこういう危険な領域の問題に踏み込まざるをえなかったのだろうと思います。)

親鸞会で除名処分。以下3名

1)高森会長
2)高森光晴
3)高森恭子

誰か、文句ある?

「私の白道」の作者を上記3名の誰かが名誉毀損で訴えない限り、不倫隠蔽および事後処理を誤り会員を騙した咎で上記3名は[和合僧を破る」五逆罪を犯した粛清処分としての除名・追放されなければならない。

しかし、布教局長の不倫騒動とその顛末は紛れも無い事実なのだから、作者を名誉毀損で訴えるなど、できるわけがないだろう。

高森一族は「女の浅○○」に引っ張られ、ついに大局を見失って破滅への道を選び暴走バイクのように突き進んでしまったということ。因果の道理ですな。

このような「長期独裁政権は腐敗する」例は中国の王朝の末期に歴史を紐解けば反吐を吐いて捨てるほどあるけどね。

次期会長?選挙にして民主的運営にしたらどうよ?

ていうか、あの維持費甚大な巨大な建造物がある限り、次期会長職を引き受ける人など誰もいないだろう。高森一族だけで自腹を切って払っていくべきだ。

だいぶ私腹を肥やしたでしょう?K子さん?

No title

>ていうか、あの維持費甚大な巨大な建造物がある限り、次期会長職を引き受ける人など誰もいないだろう。

↑そう考えると次期会長に局長が早くなってもらいたい。
もう会長職は貧乏くじみたいなものだよね?

感想

・醜悪というのでしょうか、あきれるほどひどい文章です。こんな人が獲信者とは、皆さん驚かれたでしょう。でも私の体験からすると、華光会で信心をいただいた人には、こんな人が結構いるんです。こんなの読むと、ああ華光やめてよかったと心から思います。

・親鸞会で「王舎城の悲劇」というビデオを見ました。獲信した韋提希は、苦しめた阿闍世や提婆にまで合掌念仏しています。「ようこそようこそ、こうまでしてくださらなかったら仏法を聞けない私でした」と懺悔と感謝になっています。すべては弥陀のご方便であったと知らされるからです。とても涙なしには見れない場面。言葉にならないほど感動した。こんな尊いシーンを描ける方は、高森先生だけでしょう。

・それに比べ、自称獲信者の元講師(ホンと?)。こんな異常な文章を書く人って、たぶん異常な精神状態なんでしょう。うらみ憎しみ怨念のかたまりで、懺悔もなければ感謝も無い。弥陀に救われた東条英機は、アメリカのMPにも合掌したといいますが、この文章はまったく違っています。ちょっと、まともではないな。結局、心の愚痴を吐き出したかったのか。

感想2

・親鸞会の「これが獲信か」の7ページに、華光の特徴として「我こそ信心を獲たり、あんたらはまだ獲信できんのか、と平然と言う」というのがありますが、そのままの標本。いつまでも自分の名前をかくしているのも、「当然だが、堂々とした布教活動はまったく見られない」という指摘どおり。

・華光では、無常と罪悪で責め立てられますが、するとだんだん大声で念仏を称えるようになるひとが多いです。念仏にすがるのです。それしかないから。つらい苦しい気持ちで称えていると、だんだん念仏の声が大きくなっていく。やがてものすごい大声になる。感情が高ぶってくる。
救われたい。早く何とかなりたい。安心したい。何でオレは聞けんのだ、と叫ぶ人もいた。とにかく弥陀のみ声が聞きたい。ああ、おれは助からない、と叫んだりする。そうすると、人間の心は実に複雑です。自分で自分に説法する。つらいつらい、早く何とかなりたい。そのとき、自分の内心の声が叫ぶ。それが聞こえるときがある。それを聞く。ああ助かったと思う。ところが、すべて演技です。自分が自分にだまされている。

化城とは、恐ろしいものです。

・そのあとは、実にさっぱりしたもんです。山を越えたような解放感を味わう。本当に味わうのです。そして、「おれは救われた」と思い込む。
増井悟朗さんの「念仏のお叫び」の中にも、そんな体験談が「廻心の体験」として載っている。そんなのが華光では、いっぱい聞かされます。
これが獲信だと、知らず知らず洗脳されていきます。

・華光では分級座談というのがある。獲信者だけの集りもある。みんな救われたと言う。それぞれのいろんな体験がある。私も実は発表した。
救われたと思っていたからです。みんなそれらしい体験談のようだが、どれがほんとかうそか分からない。だけど今振り返れば、ほとんどうそだったと分かる。よくあったのが、「ああ、このままでよかったのだと気づかされた」というもの。ところが……

・親鸞会で聞かせていただいたのは、黒板のたての線。「信の一念」ここが決勝点。ゴール。完成。ここまで求めよ。「本願に疑心あることなし」と心が晴れるぞ。ハッキリするぞ。これはまさしく

・今になれば、華光がイかにおかしいかよく分かる。願成就文の教えを聞いたから。「心がハッキリした」とか「サッパリした」「慶んだ」とか「念仏が腹から出た」「おどった」ではダメなのだ。「弥陀の本願に疑い晴れた」と叫んでいる人はほとんどなかった。しかも、一念で。

・そして恩徳讃の心が湧いてくる。叫ばずにおれなくなるぞ。ところが高森先生のような激しい布教をしている人は、華光には一人もいなかった。これは断言できることです。やっぱり、みなニセモノだったのか。
とにかく、布教といってもたいしたことはしない。親鸞聖人や蓮如上人の活躍とは比較にもならない。


自称福徳会員さんの質問でわからないところ

質問3つのうち、最初の質問でよくわからないところがありました。

三願転入のご文についての質問ですが、心のそこから言えば、不体失往生の身に救われる前は、やぱり体失往生しかわかりませんから、そういう意味から言えば

「体失往生を願われて諸善をしておられた」

という理解で正しいと思います。

※ただし、最初から死んでから救われようと法然上人から聞かされて、それを目指していたということではありません。あくまで、心の底のことからいえばということです。

ただ、次の質問の意図がよくわかりません。

親鸞聖人は、「諸善を励まれた」ことはない、という意味であるといういみでしょうか?

諸善と弥陀の救いを関係付けようとする心を離れたということで、行いをしたとか、しなかったということを問題にするのは、そのまま、諸善と往生が関係あると思っている心ですから、それをまた自力の心というのです。

感想さまへ

>増井悟朗さんの「念仏のお叫び」の中にも、そんな体験談が「廻心の体験」として載っている。

「念仏の雄叫び」と「廻心の体験」は別の本ですね。
どちらも法蔵館という出版社から出てますね。

華光の関係者であることを騙って、品のない書き込みをするのはやめたほうがいいですよ。
しったかぶりは恥をかきますよ

また体験談批判ですか・・・

親鸞会の方が書き込まれているのに、ことごとく体験談批判ばかりですね。
華光会の批判をしたいのであれば、なぜ華光会の教えていることを批判しないんですか?
三業で信心は判断できないとあれほど高森先生がおっしゃっているのに、なぜ体験談(口業)を根拠に異安心だと決め付けることしかできないんでしょうか。

浄土宗の学者の方が教義上の誤りを指摘されたことに対しても、何一つ反論できないとは、結局親鸞会が教えていることは、誤りを指摘されればたちまち返答に窮する程度の低レベルの教えだったのですか。
ネット対策員の中には弘宣部の方もいたはずです。弘宣部長なら高森先生に直接お尋ねすることもできるのではないのですか。高森先生が目がお悪いなら、弘宣部の方が高森先生からお聞きしたことをそのままネットにアップすればいいだけです。それがまったくないのはなぜなのでしょうか。

執拗に華光会や上田さん、清森さんを攻撃されていますが、問題なのは親鸞会がどうかということです。仮に華光会・上田さん・清森さんが全員誤っていたとしても、だから親鸞会が正しいということにはなりません。このような意味でも華光会攻撃は見苦しい書き込みでしかありません。

不倫をもみ消し、会員にうそをつく。これが仏法者として、釈尊・親鸞聖人の精神にかなった行動なのですか。

教義上の誤りの指摘に対しても反論できず、「不倫をもみ消し、会員にうそをつく」という仏法者としての言動の是非についても何らコメントせず、ひたすら体験談を根拠した異安心攻撃・・・。

親鸞会ってこんな低レベルだったんでしょうか。
「親鸞会でしか真実の仏法は聞けない」「すばらしい団体だ」そう思っている会員への裏切り行為ではないのでしょうか。

感想さんへ

↑の方は品がないとおっしゃってますが、感想さんの書き込みは、いや、なかなかのものです。

感想さんはきっと信を獲られ、人生の本懐を達成されたかたなんでしょうね?
感想さんの人格攻撃書き込みもなかなかのもの、お見事、敬服です。

さすがは親鸞会幹部のかたが書かれるケコウ会関係者を騙った作文はすばらしい。

高森会長やその一家を仏法精神に照らし合わせようとする思考回路は見事なまでに封殺されているところも、なかなか味わい深いものがある。
高森会長の批判をすると、法謗罪になって無間地獄に堕ちちゃうもんね。

ところで、感想さん、あなたもあの弱小教団に分不相応の建造物、冷静に考えればなんともならない浪費と本心では思っているんですよね?

山も山さんへ

質問、ありがとうございます。ちび丸氏がつついてきたらコメントしようと思っていたところです。ちび丸氏が逃げたことが明白になりましたのでコメントしようと思います。しかしながら、長くなり、本日所用のため書き込む時間的余裕がありません。明日中にはお答えしようと思いますのでしばらくお待ちください。

講師部・元講師部は絶望的

●自分達だけが絶対に正しい
●他は全部間違い
●他を批判していないと自分の存在がわからない
●とにかく相手を見下す
●非常にプライドが高い

親鸞会にかかわっている人の多くはこういった特徴があります。
元講師の方、上田氏、清森氏、ちび丸氏も同じくです。もちろん自分もです。

元をたどれば高森先生の排他的で自惚れた性格が原因と思われますが、高森先生を世界唯一の善知識とあがめる親鸞会(高森会)会員が同じような性格になっていくのは当然のことです。

客観的に見て講師部、元講師部は世間では絶対にやっていけません。
10年、20年講師部として活動している人ほど絶望的です。
頭が高すぎるのです。「どう生きるか知らない人々」と見下してきた報いです。

仏法者はどこに行っても愛される存在であるはずなのに親鸞会の中にしか居場所がない。
講師部をやめても同じ。このブログがなによりの証拠です。
お互いを批判しあいながら余計に人間性をねじ曲げていくのです。
親鸞会はカルトであり、かかわった人を悪い意味で大きく変えてしまいます。
排他的になり、自惚れ強くなります。

親鸞会にまだご縁が浅い人はよくよく気をつけて下さい。
講師部を目指している人は、一度社会に出て、十分に親孝行してからでも遅くはありません。これ以上社会不適合者を輩出しないことを願います。

No title

>もちろん自分もです
>
あんたが一番上目線だと思う

No title

ある心理カウンセラーさんが面白いことをおっしゃっていました。

主観的意見を客観的事実のように発言すると、聞いた人はカチンとくるそうです。


あの人はダメだ :主観的意見を客観的事実のように発言
このラーメンはおいしい :主観的意見を客観的事実のように発言
あの人は5年働いている :客観的事実


主観的意見を主観的意見として発言するには「~と思う」とつけます。

「君にこの服は似合うよ」 :主観的意見を客観的事実のように発言

「君にこの服は似合うと思うよ」 :主観的意見


こうすることで、人間関係がスムーズにいくとおっしゃっていましたので参考にしてみてください。

No title

ちび丸さんへ

>三業を結果とすれば縁です。

この根拠をこそ、まず挙げるべきだね。
三業にとって、疑情=無明が、縁にしか過ぎんという。
もしそうならば、三業の因は何なのか。根拠を挙げて示してから、主張しなさい。

>疑情は三業ではないのです。

当たり前のことを言われても、話にはなりません。
根本無明である疑情が、三業の結果であるはずがない。
とっとと、誤りを認めなさい。

会員さん必死ですね

> ・醜悪というのでしょうか、あきれるほどひどい文章です。

どのへんが?私には素晴らしい文章だと思います。
元講師部員で今までに、ここまでバッサリと高森親子を切って捨てた人は
いないと思います。

どのへんが醜悪なんですか?


> ・それに比べ、自称獲信者の元講師(ホンと?)。こんな異常な文章を書く人って、

どこが異常なんですか?

私には会員であるあなたのほうがよほど異常だと思いますが。
親鸞会を守りたいんでしょ。分かりますよ。その必死な気持ち。

一人くらいはあなたみたいな文章書いて、反論しないと会員も驚くばかりで
反論できないですしね。

見方を変えれば、高森会長が恩師である華光会の伊藤氏から去っていったのと
同じではないですか?

No title

> ・華光では分級座談というのがある。…(略)みんなそれらしい体験談のようだが、どれがほんとかうそか分からない。だけど今振り返れば、ほとんどうそだったと分かる。よくあったのが、「ああ、このままでよかったのだと気づかされた」というもの。ところが……

高森会長の著書『獲信の記録』に同じこと書いてありますよ。「すべてはつつまれていたことに気づくのだ…」でしたっけ?

会員

華光会の集まりですが、元親鸞会の人、多いですね。ひょっとしたら偵察で来ている人もいるのかもしれないと思いましたが、上司に報告されて、もう除名になってもいいやと思って、開き直って聞いてました。

戸惑いもあり、正直失望したところもあり、また、感心したところもあり。色々ですが、少なくとも、華光会について親鸞会が悪宣伝しているようなことはほとんど嘘だということは、分かりました。

私にとっては、親鸞会が信用できない団体である、ということが分かっただけで、大きな収穫でした。親鸞会は、本願寺が門徒をとられるのを恐れて、親鸞会のことを悪く言っているのだといいますが、それが事実としても、親鸞会はまったく同じ事を華光会に対してやっている。それが分かって、親鸞会への未練を断ち切れて、すっきりしました。

本当はもっと早くやめたかった。聞法ドメインとか言って、本当にしつこく、会合のたびに、財施の話ばかり。十数年続けてきましたが、どんどんおかしくなってゆく。講師はみな何かにおびえているようで、誰も本音でものを言おうとしない。会の雰囲気もすごくおかしい。それでみんな作り笑顔で、高森先生のことを褒めちぎるが、もうどこかの信仰宗教団体と一緒だとしか、思えなくなっていました。

以前、親鸞会は創価学会と同じだと批判して、除名になった講師がいて、ここでも触れられている人でしたが、私はそんなこと言う人がいるなんて信じられなかったけど、今あれを聞いて、確かにそうだ、創価学会と同じだと思う人は、少なくないのではないでしょうか。何しろ、少なくない会員が、活動もあまりせず、財施にも積極的にならず、実質サボタージュしている。除名になった元講師部員は、何かを上に進言したのだろう。しかし聞き入れられなかった。除名になってよかったのではないか。私はその後3年も親鸞会を続けた。あの時やめておけばよかった。自分が人生をかけようと思った会が、腐敗して沈んでゆくのは、見たくない。

華光会、近いところではないし、今後また行くかどうかは分からない。しかし、親鸞会には戻らないと思う。もう支部長から電話がかかってくることもなくなった。回避が滞納になれば本尊を取り返しに来るだろう。それでいい。

証拠映像について

〈講師部規定5〉に違反する行為があったとされる論拠=動画・画像を、私は観たことがありません。不倫行為は既成事実として語られていますが、まずはその論拠を示すべきだと思われます。「不倫行為が有ったか否か」にハッキリとした結論が出れば、会全体で事実を隠蔽し、言論封殺していると、一般会員でも認識できます。「不倫はあった。しかし、それは忘れろ」だったのか、「不倫はなかった。だから、和を乱すな」だったのか判別できません。判別できなければ、一般会員は会長先生を信じるしかありません。

私も映像は見ていませんが

私も映像は見ていませんが、映像を見たという人が言われることは同じですので、以下のシーンが映っているものと思います。
①布教局長と女性S講師が一緒にホテルに入っていく
②布教局長と女性S講師が一緒に朝食を食べている
これだけでも一般の方がみれば十分アウトだと思いますが、さらに女性S講師はウソの活動報告を書いて、布教局長に同行していたということです。
あと、空港から一緒に出てくるシーンも出ていると聞いた記憶もあります(この点は少し記憶が曖昧です)。

親鸞会にウソをついて密会しているわけですから、常識的に考えれば不倫の事実があったとしか考えられません。ちなみに、講師の方によれば以前にも布教局長は同様の問題を起こしていて、決定的な証拠をつかんだのが最後のS講師とのものということでした。

これでも「いや、それだけでは不倫の事実があったのかどうかは分からない。何か事情があるのでは」と思う方もあるでしょう。私も初めてネットでこの情報を見たときはそう思いました。

ところが、元講師の方も書かれているとおり、少なくとも極めて疑わしい行為があったにもかかわらず、布教局長の弁明も、S講師の弁明もない。布教局長は御法話を欠席。しばらく会館に顔を見せませんでした。この布教局長の態度を見て「火の中をかきわけて仏法を聞け」というのはウソなのかとも思いました。
M野講師らが糾弾を受けている中でも、布教局長は欠席。その後もいまだに一言の弁明もありません。S講師がなぜウソの活動報告を書いて、布教局長と一緒のホテルに泊まったのか。その弁明もいまだにありません。

やましいことがなければ説明できるはずです。「親鸞会にウソついて、一緒のホテルに泊まっている」ということを知れば誰でも不審に思いますから、「そうではない。こういう事情があったんだ。」と説明すればいいだけです。
その不倫事件が問題になった講師の集まりで、高森先生は、映像を捏造だと決めつけられ、その事実の究明もなく、問題にした講師を除名処分にしました。
証拠ビデオをどうやって捏造するのか分かりませんが、たとえば、布教局長とS講師に似た人を雇って、ホテルに行くシーンとホテルで一緒に朝食を食べるシーンを撮影したということなら捏造ビデオです。
ですから、証拠ビデオを捏造したのであれば、撮影者であるI場講師は、どうやって捏造ビデオを作ったのかという説明・懺悔をしなければならないはずですが、説明したのは「どこに車をとめて、どのように撮影したのか」ということです。動かぬ証拠ビデオだということがここでも分かります。それを高森先生はなぜか「捏造だ」と決めつけられたのです。

映像があるという情報だけでは「もしかしたら何か事情があったのでは」と一縷の望みを抱いていた私も、「これで完全にアウトだな・・・。高森先生は不倫を強引に揉み消すという選択をされたんだ・・・。」と思いました。その瞬間、私の中で何かが壊れた感じがしました。
その後すぐに会員を辞めたわけではありませんが、その不審はついに修復できず、退会しました。

映像の情報だけではなく、その後の布教局長・S講師・親鸞会の対応からして、「100パーセント黒」という印象を抱きました。同じように思う方も多いのではないでしょうか。

そういうことで私は不倫の事実があったということを既成事実として書き込みをしております。
もし親鸞会から事情説明があり、不倫の事実が無く、「捏造」したI講師やM野講師が親鸞会を撹乱するために仕組んだものだったということが分かれば、今までの不倫に関す発言は全て撤回します。

お答えいただけなくて残念

>ちび丸さまのご主張は
>「疑情はいついかなる場合でも縁であり因にはならない」という主張ということでよろしいでしょうか。


どう読んでもそういう文脈にはならないでしょ。
「因にも縁にもなります」

>>疑情はいついかなる場合でも因であり縁にはならないという
>主張ということでよろしいでしょうか。

質問にお答えにならなかったので
よろしいということで話をすすめます。
通仏教では広義の縁に因を含みますが
あなたはその立場ではないということですが
どういう立場なのでしょうか。
ご説明ねがいます。
説明できない場合はただの揚げ足取りで
論議の価値無い横レスだと断定しますので
よろしく。

No title

ちび丸さんへ

以下の「横レスですが、ちょっと。」さんのコメントについての見解を聞かせてほしいな。

>「疑情」という「縁」が無くなれば「これで助かったのだろうか」という「意業」は起こりえないと言いたいのでしょうが、では「疑情」とは別の縁によって「これで助かったのだろうか」という意業が起きる可能性を否定できるでしょうか?

>私は元会員ですが、在会時、旧教学テキストの「信後絶対出ない心」(ちなみに私が受験した頃には「真5、絶対出ない問題」になりましたがw)は本当に「絶対出ない」のかという件ついて、「縁さえあればいくらでも出る」と高森先生自身が仰ったということを講師から聞いたのをハッキリ覚えています。(例えば、「これで助かったのだろうか」という文を読んだだけでも、そういう意業が起きる、という意味の説明があったと聞きました。)

ちび丸さま、お答えいただけてありがたい

ちび丸さま、お答えいただけてありがたいです。

>>疑情はいついかなる場合でも因であり縁にはならないという
>主張ということでよろしいでしょうか。

いえ、ちび丸さまと同じですが、「因にも縁にもなります」。


また、私も以下の「横レスですが、ちょっと。」さんのコメントについてのお聞かせいただきとうございます。。



>「疑情」という「縁」が無くなれば「これで助かったのだろうか」という「意業」は起こりえないと言いたいのでしょうが、では「疑情」とは別の縁によって「これで助かったのだろうか」という意業が起きる可能性を否定できるでしょうか?



>私は元会員ですが、在会時、旧教学テキストの「信後絶対出ない心」(ちなみに私が受験した頃には「真5、絶対出ない問題」になりましたがw)は本当に「絶対出ない」のかという件ついて、「縁さえあればいくらでも出る」と高森先生自身が仰ったということを講師から聞いたのをハッキリ覚えています。(例えば、「これで助かったのだろうか」という文を読んだだけでも、そういう意業が起きる、という意味の説明があったと聞きました。)

質問1の解説

1.三願転入のご文(「久しく万行諸善の仮門を出でて(修正)、永く双樹林下の心…」)で万行諸善と双樹林下=体失往生とセットになっている。親鸞聖人が万行諸善の仮門におられたときは18願・19願に進もうと思われていたのではなく、体失往生を願われて諸善をしておられたという理解で正しいでしょうか?
『親鸞聖人は「善知識方のお導きにより、今生で19願を離れられた」とおっしゃられているのであり、「善知識方のお導きにより、今生で19願で教えられている諸善を励まれた」とおっしゃられているのではない』という理解で正しいでしょうか?

親鸞会の教義:すべての人は三願転入して救われる。そのため救われていないすべての人は18願の救いを求めて19願で教えられている諸善の代表である財施や破邪顕正を一生懸命やりなさい。そうすればやがて20願に進み、18願で救われますよ。それが善知識方のお導きにより、親鸞聖人の通られた道であり、それを教えられたのが三願転入のご文ですよ。

異議:「18願の救いを求めて19願で教えられている諸善を行いなさい」という教えはない。親鸞聖人は双樹林下=体失往生を求めて諸善を行っていたと書かれていると解釈すべきである。これはまさしく、体失・不体失往生で破られた心である。
三願転入のご文の導入部は「善知識方のお導きにより、親鸞聖人は過去世も含めて長い間持っていた19願の心(諸善を行って19願で教えられている往生をしようとする心)を離れて、20願に進まさせていただいた」と解釈できる。つまり、三願転入のご文で今生において諸善をしなさいと進めているわけではない、ということです。
なお、私は親鸞聖人に善の勧めがないといっているのではありません。また、比叡の山での20年のご修行がまったくの無駄だったかというとそうとも思いません。仮に比叡の山での20年のご修行がなく、法然上人のご教導に会っていたとしたならば聖人が救われるのにもっと時間がかかっていたかもしれません。しかし、余計にかかった時間が1秒なのか1日なのか、1年なのかわかりません。聖人が9歳で出家されたとき、法然上人はすでに弥陀の救いを説いていたわけですが、仮に聖人が9歳で法然上人に出会われ、比叡山の修行がなかったとしても、救われていたと思いますし、それは29歳の春よりも早く救われていたと思います。
私が主張したいのは「18願の救いを求め、自己の現在の姿を見ていくことがより重要であり、『目標を設定し財施や破邪顕正の活動が足りないとか目標に届くとか届かないとか』と思って求道するのはレールからはずれていますよ」ということです。
それと「18願の救いを求めて19願で教えられている諸善を行いなさい」という教えは真宗にもないし、浄土宗にもないということです。

質問2-4の解説

2.「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて」の蓮如上人のお言葉について
親鸞会では『雑行(=諸善)を持っていない者に対し、「捨てろ」といわれるはずがない。だからこのお言葉が「蓮如上人が善を勧めたお言葉である」』と教えています。『雑行(=諸善)を持っていない者に対し、「捨てろ」といわれるはずがない』までは同意します。しかしながら、これは善を勧めたお言葉ではなく、『「信心ひとつで助かる」と聞かされても、それでも出てくる「善で助かろうとする心」を捨てよ』ということではないでしょうか?「新たに持ってから捨てなさい」ということではなく、「すでに持っていることに気づいてそれを捨てなさい」という御心と思いますがいかがでしょうか?

3.「今生で18願の救いを求めているものに対し、今生において財施や破邪顕正を行うことで早く救われる」ということを教えられた親鸞聖人のお言葉をお示しください。なお、ただ、修善を勧めたお言葉だけでは不十分です。 あくまで18願の救いを求めている機に対してのお言葉をお示しください。

4.親鸞会の講師で何十年もまじめに財施や破邪顕正に勤めてこられた方が少なからずおられるのになぜ救われられないのでしょうか?高森先生は講師の方に対し「まだ、19願の入り口までも行っていない」とおっしゃられたとお聞きします。講師のかたがそうであるならば、一般の会員さんはどうなるのでしょうか?実質的に親鸞会の教導では救われないということでしょうか?

質問2は蓮如上人お言葉に対してですが、意図としては質問1と同じ。

質問3は質問1-2で親鸞会が「18願に救われるため今生で一生懸命善に励みなさい、家を売ってまでも親鸞会に財施しなさい」とする主張の根拠として代表的に引用している親鸞聖人・蓮如上人のお言葉の解釈は怪しいので、「ダイレクトに親鸞会の主張を支持するお言葉を提示しなさい」ということです。

質問4は「誤った協議により、レールから外れた求道となり、講師の方でも何十年経っても救われないのではないのですか?」ということです。

親鸞会では、善に向かって進みます等と書いた場合は、除名処分と昔法友だった人から聞いた事があります。
十八願の弥陀の救いに救われたいと念ずるから、後生の一大事の解決のために善い事をしようと、自然と阿弥陀仏が誓われている十九願の心になるのではないでしょうか?
だから、①無理矢理十九願の心になれと言われて聴聞、五正行、六度万行をして、後生の一大事の解決(十八願の救い)を求める、②十八願によって救われたい(後生の一大事を解決したい)と真剣に聴聞、五正行、六度万行をしている姿が十九願の御心になっている。
①と②は全く別ものだと思いますが、如何でしょうか?
私は何年も聞いてましたが、①と聞いた事はありません。

No title

なんだか、ダブルバインドですね。

以下引用ね。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
---------------------------------------------------
重い精神分裂病からかなりよく恢復した若者の病室に母親が見舞いに訪れた。
若者は母親に会えたのが嬉しくて、

1思わず片方の腕を母親の肩にかける。
2すると彼女は身をこわばらせる。
3彼はその腕を引っこめる。
4すると彼女は、≪もう私を愛してくれないの?≫と訊ねる。そこで彼は顔を赤らめる。
5すると彼女は言う。≪ねえ、そんなにまごつかなくてもいいのよ、自分の気持ちをおそれてはだめよ。≫

この患者はそれからほんの数分間しか母親と一緒に居ることができなかった。
いたたまれなかったのであり、母親が帰ってしまうと、付き添いのものに激しく殴りかかった。
そのため保護室に入れられてしまった。
---------------------------------------------------

ここに見られる関係は、次のように捉えなおされる。母親にあって、
態度つまり身体言語で示したことが、ことばで言い表されていることと相反し、
ことばで勧めていることが態度によって打ち消される。
そのどちらの言い分(指示)に息子が従っても母親は満足しないから、
いきおい息子はジレンマに陥る。ある行動を勧めながら同時にそれを禁止する。
そしてジレンマに陥って困惑する息子に対して、さらに母親は相手の気持ちを先回りして
追い打ちをかけるから、退路を断たれてしまう。

中略

元来この<二重拘束>理論は、ベイトソンがその共同研究者たちとともに現代の代表的な精神疾患と目される
分裂病の解明に際してその中心モデルとして提出したものである。が、そういう精神医学モデルを超えて
私たちにつよく訴えかけてくるのは、人間コミュニケーションの核心に迫っているからだろう。

そして、ベイトソンも言っているが、面白いのは、人をこのようなジレンマにわざわざ陥れることを
修行の方法として使っているものに<禅の公案>があるということである。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

親鸞会では、きちんと財施を出していても、何度も財施をしなさいと説く。
会員はこう感じているのではないだろうか?
身体言語では、財施が足りないと言っている。
しかし、言葉の上では、無理に出す必要はない。自分で出せる分だけ出せばいい。と言っている。
どうすれば会は満足するのだろうか?
そうして会員は最終的に次の結論にいきつく。
建前では、財施は気持ち分の額、しかし本音はもっと出せ、こういうことだろうか?と。
そして、何度財施を勧めても、一向に出さない者にはこう追い打ちをかける。
善(財施)に励まないと、助かりませんよ。と。
結果、建前は気持ち分の財施としながら、しぼりとれるだけの財施をふんだくっている
親鸞会の構図が見えてくるのではないだろうか?
これでは建前上、公権力も介入できない。

同様に、三願転入中の19願の実行においても諸善が必要以上に要求される結果になり
自らのペースで自らが選びたい善の内容で実践できない結果になっているのではないか。

最期に。このダブルバインド。皆がすぐ想いおこすところに三定死があると思う。
これを親鸞会が会員をダブルバインドにかける口実にしないように予防しておくことにする。
三定死含め公案には仏教的諦観の教えが貫かれているように思うが、
諦めとはすなわちおのれの欲や希望をあきらめるということではない。がまんするということでもない。
感覚が麻痺するぐらい自己犠牲精神を働かせて心身ともにぼろぼろにするということでもない。
自分の生存はどうあがこうがこうであると諦観するということだ。
私には、親鸞会に財施しつづけることが己のあらがいようがない真実だとは思えない。
皆さんはどう思いますでしょうか?

No title

ああ、すみません。

親鸞会では「善をしなければ救われない」とは言わなかったですね。

隠語である「光に向かって進みましょう」がそれに当たるんですよね。

以上、訂正です。

自称福徳会員さんへ

質問の解説有り難うございました。
今度は、私が時間がとれず
明日には、またコメントしますので宜しくお願いします。
とはいえ、コメント欄がこれだけ長くなると、どれがどれかわからなくなってきたので、
別の場所に書こうかと思っています。

一応仮に
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20080523/1211543701

山も山さんへ

せっかくですが、他でも述べましたが、私は信心決定していませんし、法を説く立場のものでもありません。私が言うことが正しいという保証もありません。親鸞会を辞めましたので私が、当初投稿を始めた所期の目的(やめるべきか続けるべきかの判断)は果たしましたので、これ以上の議論は差し控えさせていただきたいと思います。

こっそり?ご覧の会員さんへ
私が今まで述べたことは信心決定していない、元一会員の私見に過ぎません。真偽のほどは担当の支部長さんに納得がいくまで質問してください。また、清森さんに尋ねるのもいいかと思います。

皆様(特におうさん、NNNさん)、お世話になりました。今後も閲覧は続けますし、気が向けばコメントさせていただこうと思います。

もちろん

この場を提供くださりました、清森さん、貴重な体験・情報をお知らせくださいました元講師の方に大変感謝します。

そして、忘れてならないSpecial Thanksはちび丸氏ですね。

無題

2008年05月24日 【自称福徳会員さんへ】さんに横レスですが

>親鸞会では、善に向かって進みます等と書いた場合は、除名処分と昔法友だった人から聞いた事があります。

このあたりは古い元会員である私にとっては違和感がありますね。「私の白道」でも触れられていましたが、高森先生の教え方が昔とは変わったように思います。

>十八願の弥陀の救いに救われたいと念ずるから、後生の一大事の解決のために善い事をしようと、自然と阿弥陀仏が誓われている十九願の心になるのではないでしょうか?

異論ありません。

>だから、①無理矢理十九願の心になれと言われて聴聞、五正行、六度万行をして、後生の一大事の解決(十八願の救い)を求める、②十八願によって救われたい(後生の一大事を解決したい)と真剣に聴聞、五正行、六度万行をしている姿が十九願の御心になっている。

失礼ながら、六度万行が入っていることには賛成できません。
法論するつもりはありませんが、親鸞聖人が信前の人に対して六度万行を勧められた根拠を述べることはできますか?
この場合、親鸞会ではしばしば「諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教」の「七仏通戒偈」が言及されますが根拠になりません。自浄其意について、「無戒名字の比丘」と自称された祖師がどのように解釈しておられるかについて理解していれば明白なことです。
親鸞会は機教相応しない教えの実践を勧めていることになります。
仏教においては機教相応しない教えの実践を勧めることはありえません。イダイケ夫人はどうなんだ?ということでしたら未信者に対して定善の実践を勧めてもおかしくないことになりますがいかがでしょうか。

2008年05月27日 【自称福徳会員】さんへ

こちらこそ、ありがとうございます。最近は仕事が忙しくなって閲覧はするものの、なかなか書き込みがままならなりません。
ちび丸氏はなかなか自称福徳会員さんや「ちび丸さま、お答えいただけてありがたい 」さんのご質問にお答えになってくれないようにお見受けしますが最近お仕事のほうが少々お忙しいのではないでしょうか。
私はもう少しちび丸氏の返答を待ちたいと思います。

承元の法難

確か平成3年10月の本部座談会だったと思います。
その年の夏に、京都で布教局長(当時は総参謀でしたか)が、長者窮子の喩えを説法して、それを聞いた人が、10月の札幌の高森先生の内容と違っていた、と質問した人がありました。
布教局長はデパートを西方浄土に喩えたが、高森先生はただ東にデパートがあると言われたので疑問に思った、という内容でした。
私も、京都の布教局長の説法を聞いていました。
長者窮子の喩えは、法華経の信解品の拡大解釈という事を存じていたので、それをまた拡大解釈したのかな?と思っていました。
高森先生は、「君はワシの言っとらん事を説法しとるのか。皆さんの前で謝りなさい。」と言われました。
誤りと指摘されても三省堂の辞書よりも自分の方が正しい、と言った事のある布教局長が、皆さんの前で謝りました。
長男にも厳しくされた高森先生を初めて見ました。

不倫は教えとは無関係な事かもしれませんが、許される事ではありません。
インターネットの書き込みなので、知らない人が多いと思っているかもしれませんが、皆知っています。
最近、連絡メールでインターネットであることないこと書き込んである、承元の法難と同じだ、と書いていました。
法難というならば、布教局長は、事実かどうか、皆さんの前で釈明しなければなりません。
布教局長の不倫を引き金にして、自称さん他、沢山の会員が退会しているのですから。

No title

布教局長に不倫はあることですか?ないことですか?って聞きたいですね。

支部長に以下の理由で退会したい旨をメールで伝えました。
1.親鸞会の重要な教義に疑問がある。
2.布教局長の不倫を始め、数々の本会の私物化・不正行為に対し我慢ができない。
3.会長先生におかれまして、布教局長の不倫をもみ消したのみならず、逆に告発した講師のみを処分された。その他布教局長の数々の不正行為に対し、目をつぶっておられる。
そのようなお方を善知識と仰いで聞法することは不可能である。

返信は「誤解されているのでは…」とありました。

それに対し、以下に返信しました。

そのように思っていません。失礼ですが、こんな一言で私が納得すると思われておられるのでしょうか?
清森氏、元講師の証言が事実でないとするならば名誉毀損で訴えるべきですし、少なくとも、警告し、掲載をやめさせるべきです。
それから、教義に関する質問についてもご回答いただいておりません。

はっきり言いましてあまりどろどろしたくないのです。「誤解がある」というのであれば添付のサイトに掲載されている一つ一つの事象を挙げて検証していくことが必要になりま
すが、…。
http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/

○○支部長も平成14年8月末の3日間の合宿には参加されておられると思います。

幹部の不祥事で支部長・一般会員が苦しまれるのはなんともいえませんが…。


すでに退会された人・手続き中の方はおられませんか?できれば穏便に退会したいのですがアドバイスをお願いします。

自称福徳会員さんへ

お仕事お疲れさまです。

こちらこそありがとうございました。

おかげさまで私の理解も整理でき、また私の理解でおかしいところも分かり、今後の課題も分かりました。

お仕事お忙しそうですが、また機会がありましたら是非意見交換させていただければと思います。

結局ちび丸さんは布教局長の不倫に関する質問などには答えないままですね。このような状態では「執行猶予が取り消されてしまうからかなあ」とか邪推もしてしまいますね。
ちび丸さんも「高額所得者」のようですからお仕事お忙しいんですかね。私もちび丸さんの回答を楽しみに待つことにします。

自称福徳会員さんへ

見ておられないかも知れませんが、一応書いてみましたので、ご縁があればご覧下さい。
質問1についてです
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20080527/1211889873
まず、三願転入のご文は、親鸞聖人が自ら救われた体験を告白されたものですが、当然、弥陀に救われたあとに、自らの求道を振り返ってかかれたものです。

親鸞聖人ご自身も、阿弥陀仏に救われる前に「自分は今19願にいる」「よーし20願にはいったぞ。あと少しで18願だ」と、自覚して、求道されたということではありません。(長いので、続きをご覧になりたい方は、URLから参照下さい)

穏便な退会理由

>すでに退会された人・手続き中の方はおられませんか?
>できれば穏便に退会したいのですがアドバイスをお願いします。

 「気持ちがなくなった」が一番無難な理由のように思います。
 私も何人も退会引き止めの説得をしてきましたが、「気持ちがなくなった」と言われると何とも説得のしようがありませんでした。
 「親鸞会に疑問がある」と言うと、除名された元講師の方々と同じような目にあうのではと危惧されます。
 親鸞会は物理的暴力は振るいませんが、言葉の暴力とウソ宣伝が激しいことは現役会員の方ならご存じと思います。

 自称福徳会員さんが言われるように、布教局長の不倫揉み消しを退会の理由としてぶつけることは、親鸞会に自省をうながす有意義な行為だと思いますが、それによって退会者がまた酷い目にあうのではないかと思うと心が痛みます。

 穏便に退会されたいのであれば「気持ちがなくなった」程度の理由にしておかれたらいかがでしょうか。

住蓮房・安楽房に失礼です

>最近、連絡メールでインターネットであることないこと
>書き込んである、承元の法難と同じだ、と書いていました。

 布教局長を、仏法に身命を賭した住蓮房・安楽房と並べるとは失礼千万ですね。

 女性講師がウソの活動報告を書いて布教局長に同行し、一緒のホテルに泊まったことも、「仏法を聞くためには必要だったんだ」といえる事情を説明すればいいだけです。最初から説明しないから次々と退会者が出る事態に発展しているのです。
 ちゃんとした説明さえあれば、親鸞会会員は、承元の法難の事件を知っているのですから、世間一般の人が信じなくても、親鸞会会員だけは不倫の事実なんか無かったんだ、仏法のためだったんだと信じるはずです。

 ところが一言の事情説明もなく、問題にした講師を頭から潰しにかかったのですから不審に思われて当然ではないかと思います。
 
 どこが承元の法難と同じなのでしょうか。住蓮房・安楽房にお詫びしてもらいたいです。

二千畳の悲劇

二千畳の悲劇 シナリオから

  (蜜春の部屋に、快調と子牛腸がやってきて)
快調  「蜜春。なあ蜜春。お前は、この会の跡取りなのだ。やがてはこの会の会長にならねばならん。しっかりしてくれなくては困るのだ。会員じゅうが、お前に期待している。何が気に入らんでそんなに不倫するのだ」
(外を眺めていた蜜春は、あくびをしてそっぽを向く)
子牛腸 「善知識がこんなに案じておられるのに。蜜春、お前何が不足なの?」(振り向いた蜜春は)
蜜春  「なら言おうか。ワシに早く会長位を譲らぬことだ」
子牛腸 「まっ、何ということを!」
蜜春  「いつまで会長の位にしがみついているんだ。いい加減に隠居したらどうだ」
子牛腸 「蜜春!善知識に向かって、何を言うの」
蜜春  「善知識が何だ。二言目には財施せよとか法施せよとか、恩着せがましく言いやがる。たまにゃワシにも二千畳で説法させい。」
(快調は、怒りに震えながら)
快調  「蜜春。お前という奴は…」
蜜春  「もうこの先、何の楽しみがある。いい加減、隠居したほうが幸せじゃろう」
子牛腸 「蜜春。何という恐ろしいことを。お前はどうしてそんな講師に…」
蜜春  「もういい!泣き言はもうたくさんだ。ワシの勝手にやるからな。出ていけ!」

二千畳の法難

権助  「親鸞会の講師部員が不倫したちゅうて、えらい騒ぎじゃのう」
平太  「M晴とかいうやないか」
吾作  「講師部員じゃいうても、カゲで何しとるんか分かったもんやないわ」
講師B 「おい」
権助  「ヒッ」
講師A 「講師部員が何やと」
権助  「いえいえ、あなた方のことではありません。M晴とかいう、講師のことです」
講師A 「ふふん、あんな堕落講師と我々を、一緒にするな」
平太  「講師部員でも、不倫していいんですか」
講師B 「ダメに決まっとる!」
講師C 「講師部規約を破壊する、悪魔だ。除名だ!」

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

山も山sanへ

別サイトに長い書き込みをされていますが、前にも書いておりますとおり私としては所期の目的を果たしましたので、貴殿の質問にお答えする意思はございません。私からの回答を期待しての書き込みは無駄となります。貴殿の意見を表明したいという目的であれば続けていただいて一向に構いません。

せっかくなので最後にいくつかコメントさせていただきます。

下記のリンク先に三願転入に対する私の考えをまとめてあります。貴殿のご意見と共通している点もあります。また、おうさん、NNNさんと意見を交わしていますのであわせてご覧いただければよろしいと思います。

http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-114.html#comment208

三願転入
私なりにまとめてみました。

・十方衆生はすべて三願転入する。しかしながら、それは過去世を含み、必ずしも今生で19願からはじめなくてはならないというものではない。
・救われて求道を振り返ったときに始めて三願転入の過去が知らされる。
・「佛願の生起本末」を聞く聞法心がすでにある人に対し、19願、20願を説く必要はない。「佛願の生起本末」を聞けば行った善や念仏は機に従い、19願や20願の心で行ったことになる。
・「佛願の生起本末」を聞く聞法心がすでにある人に対し、「三願転入するためにまず、19願で説かれている善をせよ」というのは間違い。
・三願転入のご文(「久しく万行諸善の仮門を離れ、永く双樹林下の心…」)で万行諸善と双樹林下=体失往生とセットになっている。諸善を勧めるのであれば体失往生を目的にして諸善を勧めるということになる。しかしこれは真宗の教えではない。ただし、体失往生を目的にして諸善を行うと、結果として20願に進むことになる。だからといって、20願・18願に進むために善をせよと勧めるのは間違い。
・真宗において「仏法は諸善に極まる」、「仏法は念仏に極まる」という言葉はない。真宗の教えは「仏法は聴聞に極まる」であり、「佛願の生起本末」を聞くことである。
・上記のことを勘案すると専任講師が何十年もまじめに求めていても一人も救われていないと思われるのは求め方が間違っている可能性が考えられる。
・上記は善をすることを否定するものではない。


最後に2チャンネルに私の主張したいことの約半分を短い言葉で表現されているものがありましたので紹介したいと思います(私の書き込みではありません)。

問題なのは、三願転入は信後に知らされる求道過程の告白なのに、
それを信前の求道の指針のように話されている点。

本来強調する必要のない三願転入を強調し、
19願を破邪顕正、財施の根拠のように使っているのが批判されている。

http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1212086614/l50


ところでちび丸氏、ホントに出てこなくなりましたね。やっぱりちび丸氏はM野講師で、最近、長子 光春がネットで集中砲火を浴びているので、長子 光春の不倫問題を広めた張本人として再度、降格処分を受けたとか…。

最近見てないのは

いやー、つまらないから見てないだけです。
悪しからず。

No title

↑ しっかりみてるやん。

ご無沙汰しておりました

自称福徳会員様

質問の続きを書いてみたのですが、ひさしぶりに見てみると、また別の文章がでていたのですね。

せっかく書いたので紹介しておきます。
安心問答

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20080602

また書かれた文章についても、コメントしたいと思います

少しコメント>自称福徳会員さんへ


> ・「佛願の生起本末」を聞く聞法心がすでにある人に対し、「三願転入するためにまず、19願で説かれている善をせよ」というのは間違い。

これは正解です。

聞く人が、宿善の機ならばという前提はつきます。

参詣者のほとんどが、無宿善の機と成れば、19願の教えを説いたからといって、即座に間違いとなるのは早計ではないでしょうか。
ただ、救われるためにまず善をしろ、そうすれば助かるとは聞いたことは有りません。

全文はこちらで

三願転入について1(自称福徳会員さんのまとめの感想) - 安心問答
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20080602/1212404396

やってきたので再掲

ちび丸さんへ

以下の「横レスですが、ちょっと。」さんのコメントについての見解を聞かせてほしいな。

>「疑情」という「縁」が無くなれば「これで助かったのだろうか」という「意業」は起こりえないと言いたいのでしょうが、では「疑情」とは別の縁によって「これで助かったのだろうか」という意業が起きる可能性を否定できるでしょうか?

>私は元会員ですが、在会時、旧教学テキストの「信後絶対出ない心」(ちなみに私が受験した頃には「真5、絶対出ない問題」になりましたが w)は本当に「絶対出ない」のかという件ついて、「縁さえあればいくらでも出る」と高森先生自身が仰ったということを講師から聞いたのをハッキリ覚えています。(例えば、「これで助かったのだろうか」という文を読んだだけでも、そういう意業が起きる、という意味の説明があったと聞きました。)

緊急連絡

会員の皆様、明日の仏法讃嘆の時に、腐狂局長からタイヤキが配られます。
但し、お礼を言った人だけしか配られません。
腐狂局長が出て来たら、皆様大声で「腐凶局長、タイヤキ有難うございます」と叫んで下さい。
たっぷりと毒の入ったタイヤキです。
なお、こし餡か粒餡は選べません。

No title

「機相で語るな」「信相で語れ」って、どういうこと?なんでしょうか?
真宗の、あいうえお、いろは だそうですが・・・S会では。K会に聞いても
わからん、忙しいそうですわ。たいがい嫌になりました。

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