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私の白道・11(最終回)

「私の白道」・11(最終回)

元親鸞会講師部



◎高森先生への大きな疑問

 局長の不倫疑惑を誤魔化す為なら1日の講師部会議を2日間も勝手に延ばし、各支部長が予定していたご法話、文化講座、会合を急きょ変更、中止した。絶対有ってはならないと指導していたことでないですか。

 私が講師部に飛び込んだのは、講師部は後生の一大事の解決の為の一番の近道であり、その為に厳しく指導があるだろうと期待してのことだった。
 しかし厳しいのは、規則と活動目標ばかりでした。

  なぜ信心決定できないのだろうか。
  その理由は何だと思うか。
  生起本末をどう聞いているのか言ってみなさい。
  どんな罪悪を感じているか、無常をどう感じているか、
  墜ちる地獄を何と思っているか。本当に解決しようと求めているか。
  阿弥陀仏のご苦労はどんなご苦労か。どう感じているのか。
  本願、名号と何か。どの様にして出来たのか。
  南无阿弥陀仏とはどんなことか、南無廻向の心とはどんな心か。
  疑情とはどんな心か、現在感じる疑いはどんな心か。
  疑いほど恐ろしい罪はないが、なぜか分かるか。
  信心決定するとはどんなことと思っているのか。
  ただで救う、そのまま救うとはどんなことか。
  なぜおまかせ出来ないのか、なぜだと思うかか。
  黒い心、暗い心、白い心、違いが分かるか。
  無条件の救いと、宿善まかせとはどう違うか。等など

 こんな大事なことが講師部間で真剣に沙汰、論議されたことがあっただろうか。
 50回以上の合宿に参加したが、求道姿勢や活動上の問題が主だった。
 上記の沙汰を2日も3日もお互いに向き合って沙汰したことは記憶にない。

 もし、毎月の講師部会議に、このような内容を常に厳しく問われていたら、講師部は我が身の獲信を強く意識して、真剣にならざるを得ない。
 信心決定を意した聞法、布教活動になったと思う。

 講師部さえ信心の沙汰がないから、支部長が会員さんと信心の沙汰が出来る訳がないのです。何を聞いたら、話したら、答えたら良いか分から無いのです。
 続けて聴聞しましょう。続けて聞けば分かります、としか言ってない。

 続けて聞いている支部長が分かってないのだ、会員さんは分からないままです。
 教学を覚え、説明ができたら善知識、三界の大導師と言われているだけで、魂のぶつかりあいが出来ないのです。

 私は華光会へ行って、違いをつくづくと思い知らされました。
 知識だけで分からない、魂、本音のぶつかり合いで泣き泣き聞かされました。



○10講制度が始まった。講が上がるよう競争せよ

 不倫疑惑会議が終わって二つのことが実施された。
 その一つが10講制度で、講師部は10講の階級に分けられた。
 講師長が、「今回このような講別にして下された高森先生のみ心をよく考えて、我々は活動にもっと全力を尽くし、1講でも上に上がって先生に喜んでいただかねばならない」と何度も言った。
 高森先生に認めてもらうような活動成果をもっと上げよ、競争せよという制度なのだ。

 高森先生は言われた。

 ・やがてここが「真宗の総本山」になるのだ。世界の小杉になる日が来る。
 ・40年前の教学講義に講師部30名程度だったが、「将来、大導師500名以上で本願寺と法論をやる時が来る」
 ・100の高森、200の高森となって伝えてくれ。
 ・どの支部が早く、200名、300名の支部になるかな。
 ・私には時間がない、あせっているのだ。


 ご法話の前に「あわれあわれ存命のうちに皆々信心決定あらかしと朝夕思いはんべり」と言われるが、私には親鸞会を大きくしなければならないと、いつも思っていた。



○10分間説法とビデオご法話。権力集中型に戻る。

 支部長制度が始まる時、「布教の仕方は自由、どこへ行って話してもいい。お互い競争して布教力をつけよ、報告も最低限にしてパソコンは15分位で済むように、布教に全力を尽くせ」と言われ、希望が出た。
 支部長制度は勝手に決められ、会員さんにウソの説明をされ、法領(給与)も無くなったが、布教が自由、活動目標も無い、上下関係も無いならこっちのほうがいいと喜んだ。

 しかし、事件後は、元の権力集中型の指導体制に戻っていった。
 10講制度で上下関係が厳しくなり、布教方法も与えられた10分間説法とビデオご法話が中心になった。
 私は、これでは親鸞会は発展しないと光選隊の顕正活動の体験から思った。


 ・講師の布教力がつかず、10分間説法では初めての人の理解は不十分である。
 ・1日講師が真剣に話してこそ感動され信用され、尋ねていっても歓迎されて話し込める。10分間では人間関係も薄い。
 ・ビデオご法話は1日分の話。根拠も多く、初めての人は難しく思う時が多い。自分で話せば、反応を見て話を考えて出来る。ビデオはそう出来ない。
 ・書いて覚え、何十回と話した原稿全てが机の中に入れたまま。10分間説法とビデオご法話ならどこも同じ。他支部からの参詣も無くなり支部長の布教力など問題にならなくなる。


 報告内容も多くなり、活動日報の内容も詳しく求められ、パソコンの時間が苦痛だという支部長が増えてきた。字のミスも細かく言われ神経を使う。
 何かと言えば「会員さんの問題は支部長の責任、法施が足りないから」で済まされる。
 前より束縛、監視が厳しくなってきて、約束は反故にされてしまったが、誰も文句を言わない。誓約書に縛られていることに今更気がつく。



○母の言葉に頭が下がる

 講師部を退部してから、母と話す機会があった。
 母は大変厳しく私を叱った。

「なぜそのときお前は講師部を辞めんかったのか。アホか。
 皆がそうでも、おかしいと思ったら、なんで辞めなかった。
 高森さんは昔の話しを聞いた時の高森さんと人間が違っている。
 息子のそんな問題を親が尻ぬぐいして、それで息子の為になると思っているのか。 何をしてもいいと自惚れるだけだ。
 なんで謝らせない。バカなことをしたもんだ。後でひどい事になってゆくぞ。
 息子の為にそんなことする善知識がおるか。親鸞さまはどうされたか知っておろうが。
 皆がそうでも流されたらあかん。自分で考えな、あかん。自分で。
 遅くなったが、そんなところ辞めてきて良かったな。
 前に、親鸞会にもう一度入れとお前が言ったけど、入らなかった理由はな、蓮如上人の500回忌のことと、会計報告しなかったことや。
 500回忌が延期されて中国から来た人や、他の人にも大変な迷惑かかっている。勝手に延期させられてひどいことや。どんな苦労して来たと思ってるのか。中国は1年働いても日本の1ケ月にもならんから、お金のことだけでも大変なことや。
 それなのに参詣を誘う幹部は、「延期は本会の都合です」と言うだけで何も理由知らん。バカな話だ。
 高森さんも当日、理由も言わんし、全く謝りもせん。余程、高森さんの部屋へ「何の気になっとるのか」と言いに行ってやろうと思った。
 それと、苦労して財施しても会計報告せんとは何事か。預かったお金を誰の物と思っているのか。
 仏法に使うと言うから出すのやぞ。
 そんなら報告が出来るはずでないか。なぜ隠す。しないのでない、出来んのだ。それほど親鸞会の会計がおかしな事になってると思う。
 もう信用出来ん、1円も出さんぞ、あれでは続かんな、親鸞会は」

と鋭く言った。

 若い頃、当時の「満州は日本の生命線、行け日本の若人よ」の国家宣伝に乗せられて、愛する夫と子供2人を失った人生経験からくる洞察力は今も生きている。両親は○百万円を財施していた。



○やはり元に戻った布教局長

 講師部会議で除名処分を宣告された後、私は3日後本部へ行った。
 高森布教局長の部屋へ入って行くと、一人だった。

「この度は申し訳ありませんでした」と深く頭を下げ、「始末書」を差し出した。
「わざわざ持って来たのか」と言ったので、「いえ、ビデオテープの交換もありましたので」とあえて言った。なぜなら人間として、常識人として、私は一言でも「今回のことで迷惑をかけて申し訳なかった」と言って欲しかった。

 30年以上の知己ではないか、今、他に私以外誰も聞いていないのだ。
 なぜ、自分の不徳を認め、不倫疑惑の事実の有無を言わなくても言いから、詫びる言葉位、100日の反省があれば用意できたはずだ。
 それさえないのかと思うと情けなかった。
 これでは、時間が経てばまた信用を失うことになるだろうと思った。

 やはり1年、2年目になると、そんなことがあったのかという位自信をつけ、講師部の指摘も厳しくなった。


 H16年になると、講師部員の問題を次々と指摘して、顕真学院へ再研修という処罰で何人も任務解任され送られた。
 再研修とは自分のやった問題を反省し、高森先生、上司に無条件で従える人間になることである。その確認が出来るまで何ヶ月でも出てこれない。
 反省の見込みのない人、自信なくした人は退部してゆく講師部の更生施設、である。
 20年30年の経験講師でも例外でなかった。
 元10講講師で、不倫疑惑で除名執行猶予の長い講師への指摘も厳しく始まった。
 私も、7月まで3回も前に出て指摘を受けた。
「まだまだ氷山の一角だと会長先生はおっしゃている。まだまだいる筈だと」と言いながら、全講師部を見回した。
 高森先生のご指示でやっている事を強調し、裁判官、検事のような言葉遣いになっていった。
「君は再研修だな」と言われた者は確実にそうなった。
 講師部全体に緊張感が走り、自分だけはそうなるまいと必死になってゆく心理が伝わってくる。

 私は2度目の指摘の時、講師部退部の覚悟を決めた。
 余りにも、理不尽な内容だった。(自分のことだから書きます)

 前の年の11月、ある支部長(T支部長)が解任になり、その支部が分割され、私の支部に23名移籍されることになった。「通達で知り、見ました」と局長に報告に行った。
 誰が来るのかT支部長に夜聞いて驚いた。女性の副支部長を私の支部でお願いしますという。よく知っている人だが、事情を聞いてそうかと思った。

 ところが3日後、そのT支部長が、「まだ氏名を発表しないで下さい、実は支部分割と、氏名を会合で言ったところ、その副支部長が大変反発して、『高森布教局長に言って変えてもらう』と言ってきかない。O代表支部長も、それはしてはいけない事だと言われたが、言うことをきかないのでしばらく発表しないで下さい」と言ってきた。3ヶ月経って嫌なら自由に移籍すればいい決まりだから、いくら何でも変更は無いだろうと思っていた。

 決定されたのだから企画室から会費、財施の資料も全部送られてきている。妻は支部の会計係でもあり、移籍会員の会費、財施を把握する必要があるので、まだ発表できない理由を話しておいた。これが後に守秘義務違反の罪となった。

 何と1週間後、移籍は白紙になってしまった。
 その通達を見て、局長に「ご縁がないということが分かりました」とだけ言って下がった。何も言わず横目で聞いていた。



○仕組まれた責任逃れと退部の決心

 ところが翌年3月、学友部招待の局長御法話に、会員さんと一緒に参詣した私に、高森恭子補佐から局長の控室へ呼ばれた。

「○○副支部長が大変苦しんでいる。それは貴方の奥さんが昨年の移籍を、○○副支部長が局長に頼んで変えてもらったと言ってるからよ。どうしてそんな根も葉もないことを言うのか、貴方が言ったからでしょ」
と追求して来た。横に座っている局長は黙っている。

「その事なら、T支部長から私が直接聞きましたから事実です」と、初めて知っていたことを話した。
 すると即、「T支部長はそんなこと、言ってないと言っているわよ」ときた。
 私の作り話にして、移籍白紙の原因を妻に話したという、問題すり替えで誤魔化そうとしたとしか思えない。

 ご法話会場で○○副支部長を見たが、真っ青の顔をしていた。声をかけても無言だった。
 その夜のご法話が終わってすぐ、元のT支部長に電話したら「僕はそんな話は一切していません」というばかり。完全に口封じされている。
 O代表支部長に電話すると、「○○副支部長が布教局長に電話して、その通りになったので、それを自慢していたのが分かって問題にされたのかと思った」と言った。彼は覚えていた。

 結果的に守秘義務違反の罪状で降格され、輪袈裟も返却させられ、全講師部の前で土下座の謝罪をさせられた。○○副支部長には詫び状を書かされた。
 しかし総長は具体的に何をしたのか講師部総会では話さなかった。ただ講師部には守秘義務があり、親兄弟、妻にも明かすなと注意した。
 こんな講師部では求められない、退部しようと決意した。

 問題は妻だった。妻はビデオ講師を4年近くしていた。しかし講師部の内部問題は話してこなかったので講師部とは清らかな所と信じ切っていた。
 夫が講師部であることを誇りに思い、辛いことがあっても私が講師部だから耐えねばと思って来たと何度も言ったことがあった。不憫だ。

「講師部やめようかと思う」とぽつりと言ったとたん、形相が変わり、「何言ってるのー、絶対許さない、そんな事二度と言わないで」と怒り心頭、すごい顔で言ってきた。無理もない、高森先生を信頼し切っているのだ、世界が全部ウソでも高森先生だけが真と信じている。そこを離れると言い出したのだから、完全な裏切り行為であり、許せる事ではないのだ。
 2、3日、口もきかなかった。これは長期戦になると覚悟した。



○アンケートと講師部員の反応

 7月の講師部会合で、全講師部に2枚のアンケート用紙が配られた。
 1枚は積極的な発言をしているか。2枚目は挨拶がいいかどうか。
 年に3,4回調べられた。全講師の名前が書いてあり、悪い人には印を書く。前回より悪いと指摘がある。

 集められて、布教局長が「ワシのに一人書いた者があった」と言った。
 次の言葉は普通なら、「書きにくいところをよく教えてくれた、これから気をつけてゆこう。皆も少なくなるようにお互い気をつけよう」となるところだが、違った。
「これ、どう思う」と聞いた。

 これに反応して講師部の一斉指摘の手が上がった。無記名だから誰か分からないアンケートだ。誰か分からぬ相手に「許せない」「上司批判だ、五逆罪だー」「アンケートを皆に戻して、誰か調べて下さい」とエスカレートしてゆく。
 このアンケートは、講師部の和が大事、お互いに挨拶が大事だから、自分では気付かないし、他人の事は言いにくいから、無記名で教え合おうという趣旨でいいことだと思った。
 しかし皆、手を上げて大声を上げて指摘し、書いた人の気持ちも無視していることにはならいか。

 もう駄目だ、こんなところにおれない。1日も早く辞めたいと思い、妻に限界だと話したとき分かってくれた。
 しかし、こんな理由を言えば、上司批判、組織批判で除名、除籍処分になるに決まっている。参詣が難しくなる。
 そのときはまだ高森先生の教えに疑問を持っていなかったので、退部になる理由を考えた。
 経済的にやってゆけないことを理由にすることにした。
 これはウソではない深刻な問題でもあった。
 支部長制度が始まって2年7ケ月、一度も黒字の月は無く、毎月赤字で蓄えも底が見えて来ていた。



○講師部退部までの経緯

 8月、布教局長に「相談があるのですが」と言って、本部ご法話の後、話をした。
 経済的にやってゆけないことを、支部長制度が始まってからの2年7ケ月の収支の用紙をみせて説明した。
 「どうしたいのか」と聞くので、「やってゆけないので辞めたい」と言うと止めなかった。明日、退部願いを書いて提出せよと言うことになった。わずか30分余りの話し合いで、20年の講師部生活は終わろうとしている。
 翌日、布教局長の部屋へ「退部願い」を持って行くと、総長が来られて初めて退部のことを知られた。
 講師長も初めて知られて、「君だけは最後まで残ると思っていた」と言われた。
 40年の間柄だ。「大変なら育英資金がある、借りたらどうか」と必死で説得にかかられた。
「返すあてがあるなら借りますが、返せないから、このままでは借金地獄になるだけですから、それはしません」とハッキリと言った。
 講師部だから、講師長にも相談すべきだが、そうなれば講師長は必死になってあっち、こっちと相談してなんとかしようとするだろう。
 それを断るのが辛い。

 翌日、講師長から「今から先生に退部願いを持っていくが、もう一度考え直す気持ちはないのか」と電話があった。ありませんからお願いしますと言った。
 数日後、私の講師部退部が通達で流れた。
 一番辛かったのは支部会員さんに講師部を退部して支部の解散を話することでした。昼、夜と自宅でビデオ御法話が終わってから、頭を下げてお詫びの挨拶をしました。理由は申し上げられませんというのが本当に辛かった。
 泣かれる方もあり、突然で呆然とする方もあり、裏切られた気持ちになった方もあったと思います。心から会員さんには申し訳ないと謝らずにおれませんでした。

 本部ご法話の前日、講師部会合があり退部の挨拶をした。
 経済的理由だと言うと、一斉に指摘が起きた。
 前代未聞の退部理由に驚いたと思います。
「家を売って支部長を続けろ」
「恩しらず、腹切って死ね」
「生きてここから出られると思っているのか」
 昨日までの法友が口を極めて非難してきた。
「本当の理由を言え、正直に言え、他にあるだろう」と元10講の先輩講師が言ってきた。分かる人には分かるのだ。何か理由があると。
 だけどここでは言えない。「それしかありません」と言った。
 30分あまり指摘が続いた。

 翌日、ご法話の舞台袖で高森先生に退部の挨拶、お詫びを短く言った。
「残念だったね、頑張なさい」の一言で終わった。
 これで、私は講師部を完全に離れた。
 仕事をこれから探し、働きながら聞いて行くのだ、後生の一大事は依然としてあり、解決まで聞き抜こうと新たな決意を持った。



○煩悩具足は私達の本性。治らない

 講師部をやめ、仕事しながら、H支部に所属して夜の会合にも参加して、近づく11月の報恩講の誘いに毎日仕事終わって回った。
 参詣の難しい未会員、会員さんの誘いを頼まれ手伝った。
 当日は弁当係りをして、講師部やめても会員の自覚を持って活動する気持ち一杯だった。
 ところが12月になってH支部長が突然尋ねてきた。顔が暗い。深刻そうな雰囲気で話し始めた。
「教学受講の規定を知ってますよね。問題の人は受講出来ないんですが、聞きたいことがあります」と言う。
 何を言い出すのかと思った。
 私が数日前、支部のビデオご法話の昼休みに、支部長が「今回の報恩講で気付いた事はありませんか」と言ったので3つほど言った。
 設備、案内の提案、そして高森先生の2日目の根拠の用紙が上すぎて、あれなら電子ボードで表示されたら良かったと言った。
 それが問題と言うのだ。高森先生のされるご法話を非難した、という受け止め方だった。

 あれは、私の連れて行った親戚の叔母さんが初めての参詣で、「上に張られた蓮如上人の根拠を高森先生が指示棒でさされて話されるが届かず、どこの話やら分からんかった。あんないいボードがあるから、あれなら分かりやすかったのに」と言うことで、私が言ったことでない。叔母さんと言わなかった為の誤解ですと説明した。すると支部長はそうですかと顔色が戻った。言葉足らずで済みませんと謝って帰ってもらい、教学受講のカードを預かった。
 そして教学講義の前日、会員さんを乗せて本部の掃除に参加した。

 会員として掃除し昼休みしていると、O代表支部長が近づいてきて、「高森布教局長さんが呼んでおられますから、来てもらえますか」と言った。
 何の用かと考えた。丁度H支部長が通ったので、心当りはありますかと聞くと、分からないと言う。おかしい。担当支部長が知らないのに会員に直接、布教局長が用事があるとは何か、私と局長の個人のことだなと思い、言われた時間に行った。

 ドアを空けるとそこは講師部総会の会場だった。一段高い所に高森布教局長がイスに座っていて、私に前の指摘用イスに座れと言った。
 座って何を言うのかと聞いていると「高森先生がお疲れの中、急に根拠の用紙を張り出すよう指示されご説法下された。それなのに君は、あれでは良く分からんと批判した」と、H支部長のメールを読んだ。
 私の発言を送られていた。講師部退部後も監視されいた。
「他にも実行委員会を切って切って切りまくっている」ともつけ加えたから、一斉に講師部の指摘が始まった。

 あれは私の発言でないと言っても、私の思いだと押し切ってくる。
 30分位して「君は明日の教学受講の資格はない、それどこれろか会長先生を批判したから会員除籍だ。H支部長、会員粛清委員会に資料を提出してくれ」と言い放った。
 報恩講の誘い活動も、当日2日間弁当係りで任務していたことも全く触れず、設備、案内の提案を具体的に言わず、実行委員会を批判したことにして講師部の反感をあおる言い方をした。、

 全講師部の前に会員が呼び出され、指摘を受け、除籍の宣告をするなど、講師部の時には見たことがない。

 何を言われても誤解であり、支部長が調査に来て判明していると安心して聞いていたが、この布教局長の言葉に、H支部長は「待って下ださい」とは言わず、「はい」と従う返事をしてしまった。私を擁護する言葉は全く無かった。
 部屋を出るよう言われ、後で教学受講証を取りに来たH支部長に、「あれは私の言葉でないことを言ったはずですが、局長に報告してあるんですか」と聞きた。「報告してある、知っておられる筈だ」と答えた。

「支部の会合はこれから遠慮して下さい」とも言われた。
 自宅のビデオご法話も3ヶ月とめられた。
 これで聴聞以外の一切の活動を私はしなくなった。

 数日後、法友から布教局長にお詫び状を書いたかと電話があった。
 書かないと本当に除籍になるのでないかと心配してくれた。
 私は書く気は全く無いことを伝えた。
 若しこんなことで除籍にするなら、除籍理由を詳しく書いて会員さんに配る気持ちでいた。

 次の本部ご法話に参詣するとH支部長から呼ばれてある部屋へ行った。
 そこに講師長とOビデオ講師長がいた。
 何の用かと思ったら、講師長から「君の影響は大きいから、誓約書と先生へ詫び状を書いてくれ」と言われた。

 講師長が哀れに思え、妻のビデオ講師の立場もあり、希望通り書いて講師長に送った。
 これで安心するのだろうが、こんな紙切れが頼りとは情けない。
 講師部は、信仰と人徳ではないか。詫び状、誓約書がなぜこれほど必要なのだろうか。



○まだ終わらぬ圧力

 妻にも上司からの理不尽な圧力があり、ビデオ講師を辞める決意をした。

 M支部長から「本会があなたに聞きたいことがあるから、本部に来るように」と妻に電話があった。聞きたいことがあるとは何か。
 妻は支部長に、「本会とは誰のことですか、何の用事ですか」と尋ねたが、「知らんでいい」と局長に言われたそうだ。
 会員のことを担当支部長が知らなくていいことは無い。

「行く理由を言われない限り行きません」と返答すると、今度は「上司の指示に従わない者は教学受講させない。」と言ってきた。
 しかし妻は行かず、高森先生に教学受講参加の嘆願と私の未会員さん発言事件を書いて投函した。
 高森先生ならきっとわかって下さるに違いないと望みを託し返事を待った。
 2日後、返事が支部長を通じて来た。

 教学受講は許可されたが、後の事は「水に流しなさい」の一言だった。
 しかも、問題を起こしている布教局長を通して伝えられたのである。

 これまで布教局長がおかしいと思いこみ、なんで治らないのかと思っていたが無理もない息子のことは一切問題にしない事が分かった。
 もう高森先生に何を訴えても無駄だと思った

 高森先生に対する尊敬、信頼は音を建てて崩れていった。
 親鸞会が世間の会社のように利益追求の組織で、勤める人も生活の為なら、理不尽があっても我慢するといわれるなら私は何も言わない。門外漢でいい。

 しかしこの体質は仏法、信仰に大きく影響している。
 講師部自身、また会員さんの後生がかかってくるから、ここに詳しく書かずにおれなかったのです。
 日常的にこんな歪んだ人間関係でどうしてお互いの信心を真剣に問えますか。
 我が心中を偽わらずに話しできますか。



○善知識の任務は何か。これでいいのか。

「善知識の能というは、一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし、と人を勧むべきばかりなり」蓮如上人

 阿弥陀仏に帰命ですよ。高森先生御自身ではありませんよ。


親鸞会講師部聖則(1)ーー高森先生が作られた。

「会長先生のご指示に無条件に従い、信心獲得を本と致します。」


 私に無条件で従えと言うほど、失敗のない完全な人、責任の取れる方でしょうか。
 親鸞聖人でさえ、「われ過てり」「さるべき強縁のもよおせば如何なる振る舞いもする」「煩悩具足の凡夫なり」
 関東へ長男善鸞を派遣し、惑乱させたことに苦しまれ勘当された。
「愚禿親鸞」とおっしゃておられます。


「さらに念仏者が、厳しく反省しなけらばならないことは、「私はすでに信心を頂いている」「私は教えを正しく領解している」という自負心に陥りやすいことです。
 聴聞に熱心な人ほど、深く聞いた人ほど、自信を固め、誰が何と言おうと、私は絶対間違いないと、強く執着し傲慢になりやすいのです。
 我執をといてくれる法を聞きながら、法に対して一層我執を固める、これほど恐ろしいことはありません」華光会の西光先生はこう自戒して教えて下さいました。私は深く胸に刻まずにおれません。



 形ばかりを大事に言われます。
 阿弥陀仏に対する深いお礼の仕方。。
 仏前で座布団敷いて勤行するな、仏間で寝るな、冷暖房を勤行中使うな、お仏飯は正三角形にせよ。等など。
 見聞知の阿弥陀仏は何もかもご存知です。
 疑いながら格好ばかり良くして頭下げている人に何と言っておられるか、知っておられますね。
 お前の腹底は皆見抜いておるぞー
 死ぬぞー、墜ちるぞー、危ないぞー、早く来い、まかせよー。

「井戸のぞく子を呼ぶ親は命がけ」

 その命がけの仏心を伝える人が善知識ではありませんか。



◎御同朋、御同行の精神はどうなのか、

 本当に講師部を獲信まで導く自覚あるなら、講師部員に問題が起きた時、なぜその講師に面談せず、除名するのですか。
 間違っているなら直接会って命がけでなぜ正さないのですか。
 瓜生、清森、上田、齊尾君など、なぜ講師部に対処をまかすのですか。
 息子の不倫疑惑なら3日かけてするのに、彼らの後生はそれより軽いのですか。
「人の信なきことを思召せば、身を切り裂くように悲しきよ」と仰せされ候由に候。(御一代記聞書112)
 これで蓮如上人と同じですか。

 批判者、除籍者に対する怒りは何ですか。
「私の指導不足だ」と反省する余地は無いのでしょうか。
 一方的罪状を並べて罵るだけで、どうしてそうなったか言わない。
 瓜生元講師のときもそうでした。



○恩知らずと言う人へ

 何という恩知らずか、へどが出るとよく講師部の人は言います。
 私もその中に入るのでしょう。講師部始まって以来の極悪人とも言われるでしょう。
 それは、こうも、教えと、高森先生、組織の実態を問題にした講師はいないからと思います。

 子供の時は親のすることの善悪は分かりません。
 大人になり、知恵、常識が身につくと親の言動の善悪が見えてくるのです。
 間違っていること、人に迷惑かけていることは、例え親でも言うべきです。親が気分を害するから黙っていては親に罪を重ね、人にも嫌われる親にしてしまいます。
親がいくら酒が好きでも親の健康を思えば、深酒するなと注意しませんか、塩の濃い物が好きでも、塩分ひかえるように言うではないですか。

「善知識の悪き、と仰せらるるは、信の無きことを僻事と仰せられ候事に候」(御一代記聞書89)

 仏法者にとって何が最も悪い事なのか、一番の恩知らずか。
 阿弥陀仏の本願を疑い、自力の心を捨てず、阿弥陀様を泣かせていながら、まだまだ死なないと長綱をはき、形だけの求道をして、権力にへつらい、常に保身を考え、自分は間違いない者と他を見下げている心こそ悪であり、恩知らずと私は思います。



○なぜこうまで、高森先生、布教局長夫婦の問題を書くのか

 これは私憤を晴らす為に書いているのではありません。

 この世に私は善人だと威張れる人があるでしょうか。
 阿弥陀仏からごらんになればみな地獄行きの泥凡夫にすぎないのです。
 私も縁がくれば同じような事をするでしょう。否、これ以上のことをするでしょう。誰か一人でも「私は絶対こんなことはしません」と言い切れる人があるでしょうか。
 皆自分が一番可愛いのです。自分を守る為にはどんな悪でも造っていく、人殺しもする。それが悲しいかな私のどうしょうもない実態なのです。
 高森家の人々はそのまま私の姿でもあり全ての人の腹底です。
 仏願の生起本末の生起であり、そんな私だからこそ阿弥陀仏は憐れみたもうのです。
「王舎城の悲劇」はアニメでよく知られていますが、韋提希、ビンバシャラ王、阿闍世は国民から見れば尊敬すべき人々に見えましたが、皆、煩悩具足の欲と怒り、愚痴一杯の凡夫でした。
 釈尊は弥陀の本願はこんな人々こそお目当てである、今こそそれを説く時節が到来したとお喜びになられました。

 いま迄、高森先生は特別仏縁深く徳のあるお方、親鸞聖人の生れ変わりだ、大善知識だ、我々とは住む世界が違う、そんなお方のご長男だから素晴らしいお方に違いないと思っておられたでしょう。
 ですからこんな事実を突きつけられても「そんなはずは無い、作り話だ、信じないぞ、被害妄想が書いた者だ、なんと恐ろしい奴だ、恩知らずな元講師だ。絶対うそだ。」と反発心一杯で読まれた方もあると思います。
 無理もありませんが事実なのです。

 高森先生は「底なしのお慈悲のお方です」と言って来た講師もありますが、これほど甚だしい誤解はありません。
「底なしのお慈悲」は阿弥陀仏一仏だけであり人間に使う言葉ではありません。
 しかしそんな事を何のためらいもなく、当たり前のように言える感覚こそが問題だと思います。
 高森先生を阿弥陀様と同じだと思わなければ言えない事だからです。



 親鸞聖人も「愚禿親鸞」「極重の悪人」「一生造悪の者」「地獄は一定住か」と懴悔しておられるではありませんか。例外などあろうはずがありません。

「凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、瞋り腹だち、そねみ、ねたむ心多くひまなくして、臨終の一念に至るまで止まらず、消えず、絶えず」(一念多念証文)

 私も皆さんも高森家の人達も、阿弥陀仏よりご覧になれば、情けない、愚かな、恥ずかしい、悪を悪とも思わず、己可愛い、欲しい、惜しい、人に言われても反省するどころか恨み返す、我慢根性で人に頭を下げぬ、誤魔化し上手で、騙し上手、オレほど偉い者は無いと自惚れ一杯のどうにもならぬ悪性なのです。後生は間違いなく地獄です。
 三世の諸仏があきれて逃げた、嫌われ者なのです。
 だからこそ本師本仏の阿弥陀仏一仏が、憐れみ給い、必ず救うぞ、われを信じよ、まかせよと呼びたもうのです。
 誰の為の、何の為に建てられた本願か、生起を忘れては聞けません、救われません。



○ここを正しく知って頂きたくて、あえて失礼を省みず、体質をここまで書かせて頂きました。

 特別な人は無い、皆極重の悪人であり、無条件で従うべきは阿弥陀仏だけでなのです。
 ここを誤解なく読んで頂きたいと思います。



 お目当て、生起がいくら分かっても、次に本末が聞けねば救われません。
 捜していたら増井悟朗先生、華光会の先生方にお遇いする事が出来ました。
 親鸞会以外に本末を説かれる先生は居られます。
 華光会以外にもおられます。捜して下さい。
 他の話を聞くな、本読むな、親鸞会を離れては絶対に救われないと言うのは間違いです。
 高森先生からしか聞けないのでは決してありません。


 うちは日本一のソバだと言いながら、他のソバを一切食べさせないのはおかしいと思いませんか。
 日本一と分かるのは他所で食べ比べてのことではないですか。
 自信があったら、どうぞ他所と食べ比べて下さいと言えるものです。
 もっと美味しいソバが他にあるとお客が流れるから、困るのではありませんか。



○なぜ氏名を明かさない

 私が名前を明かさないことを一言言います。
 退会してから私へ非常識な言動があったからです。
 何度言っても止まず親鸞会へ連絡しようと考えましたが、急に何があったのか、その人から謝罪の電話があり、止まりました。
「私の白道」も氏名を明かせば熱心な人から又同じ事があり、これを最後まで書けないのではと危惧したからです。



○親鸞会があったなればこそ

 高森先生より仏教のイロハから教えられ、親鸞聖人のみ教えこそ私の救われる道、これ以外絶対ないと思うところまで聞かせて頂きました。
 そのご恩は大変有難いと思っています。忘れません。
 もし高森先生とのご縁がなかったら、私は親鸞聖人と関係ない好き放題の人生を歩いていたと思います。そんな心しかない自分です。
 40年余り聞かせて頂きましたが、しかし、このままで救われるのか、疑問は大きくなり、遂に退会して生起本末を聞かずにおれませんでした。
 また親鸞会の体質のことを書きましたが、これもずっと疑問でした。
 もし講師部として優遇され、生活も心配なく、疑問も無く活動していたら今の私はありません。
 理不尽さを知り、教え、組織に不審を持ち、健康、経済的問題でも怒り腹立ち、泥凡夫の自性をいやと言うほど見せられました。
 こんな私に19願の諸善を勧められても、とても助からない。
 こんな私はとてもやってゆけないと心底思いました。
 ご恩あるところなのに、失望させられた複雑な思いです。

 今、阿弥陀仏に救われて、この身になれたのは南无阿弥陀仏のお力の不思義であり、すべての関わった方々がご縁となったと思わずにおれません。

 だから高森先生、親鸞会の存在は、私達夫婦にとっては権化の仁だと、いつも妻と話します。仏智によって知らされることです。


 本当に長い間、お読み頂きまして有難うございました。
 世界中、無常の世であるぞと知らせる事ばかり起きています。
 どうか一日も早い後生の一大事の解決を念じ申し上げます。


●煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在します。


南無阿弥陀仏

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COMMENTS

悲願の法城

悲願の法城 (集金ビデオ法話) 紙上再現

それねぇ、人にこう、あの、お金でもモノでもあげると、
人のもんになる風に思うでしょ?
これ全然違うんです。
あげた者のモノになるんですよ。
だから絶対損にならないんです。
ドンッ、ドン、あげたらいいんですよ。
ゼッッタイに、あの、損しないから。
だから喜んで捨てなさい、喜んであげなさいちゅうことで
喜捨と言われるんですよ。
喜ばにゃならんのですよ?人に物をあげる。特に仏法に
布施をする。
これはもう、イッチバンの善ですから、だからその、もう
喜ばにゃならんことなんですよ。

あの人は、あんだけしか出されんのに、私あの人よりも
何で余計出さにゃならんやろ、って
トンデモない話ですよ!そりゃ
喜んで・・・・出さなければならない。
みんな自分の物になるんですよ?
絶対、人のモンにならないんですよ。
で、それが自因自果ということですから、その、やはり
自因自果という因果の道理がワカランところから
食堂なんか行ったらね、千円でも二千円でも、安いね
ここの店は、って出しても、仏法のためになら
千円出すときに、あの人、五百しか出してらんのに、
私、ナンデ千円出さんな・・・
まるで損するように思うでしょ?
これ、ゼンッゼン因果の道理がワカッテナイ
っちゅうことですよ、仏法ワカッテナイっていうことですよ。
その人の信仰はその程度や、っちゅうことですよ。
絶・・・対、損にならないですよ。
その喜捨した、何ジュウ倍戻ってくるからっ。
私なんか、何百倍戻ってくるとりますよ。
そんなちょっとやそっとじゃないですよ。だから、
ヨロコンデ・・・あげればいいんですよ。
ヨロコンデあげなきゃならんことですよ。
ヨロコンデ捨てる・・・仏法のために
これが中々ワカランのやね。因果の道理が、
あの、ワカラナイ、ワカッテないから。
絶・・・対に損しないんですよ。布施をして。

もちろん、その布施をする相手ぇ間違ったらダメですよ。
これ、いつも、皆さん、あの、お聞きのとおり。
ちゃんとお釈迦様は、どーゆう相手に布施を、せよ
と教えておられるから。
こりゃいつも聞いておられるとおりですから。

だから・・・そのうえでですよ、布施をして施して
損ということは、絶対ないですよ。

家も田んぼも畑もゼンブ売って、仏法に布施してでも、
絶対に損はないです。
明日からどこで住めば、
そりゃアパートへ入りゃいいんです。
絶対に損はないです。

だから喜んでさせてもらわなければならないこと
なんですから、喜捨と言われるんですが
まるでね、税金かなんかとられるようなこと思っとったらね、
ゼンゼンそりゃ布施と違うんですよ。
これは、あの、喜捨でないんですよ。
税金ちゅうのは国家権力が、ね、無理やりに・・・・
奪い取っていくんですから、もし税金払わんものあったら
こりゃもう、酷い目に会わんにゃならんのやから、
それが嫌ややで、仕方っ無しに出しとんのが税金なんだで。
布施というのは喜捨というのはそんなもんでないんですよ
・・・・・・・・・なっ、国家権力っというもの、そういうものに
恐れて出すんのと違うんだから。わが身のために出すんですから
自分が、けっ、自分がよい結果を得るために
種を蒔くんですから・・・・種蒔くところが無かったらね、
大根もニンジンもできてこないんやからね、
畑へ感謝しなきゃならないですよ?
いくら大根の種持っとったってね
蒔く畑が無かったらね、大根とれねぇんだから・・・・・
私たちは最高の仏法という宝も、タカッ、
仏法というハタケ持っとるんでしょ?
その仏法というハタケに種を蒔くんですよ。
・・・・そしてそのハタケからできてきたものゼンンンブ、
自分のもんになるでしょ
ハタケのもんにならないんですよ
・・・・・・・・・・ここがまるでね、ハタケへ種蒔くと、
その、種も、その種からできてくる大根もニンジンも
みんなハタケのもんになるように思っ、思うからね。
・・・こりゃ、全く間違いで、因果の道理、いわゆる自因自果
・・・これがゼンゼンわかってない、信じられてない、ということですよ。
・・・絶対損はないですから
・・・・ドンドン、ドンドン、仏法のために財施、喜捨すれば
するっ、ほどいいんです。大変に幸せなことなんです。
得するヒトは、ね、幸せになるヒトは、そうするヒトなんです。
これが善因善果自因自果。
その逆が悪因悪果自因自果ですよ。
欲ばっかりして、ね、出すのは、仏法のために・・・
舌出すのもイヤやと。そんんなことしとるから
ダンダン、ダンダンお金も来ないし、物にも恵まれないし、
全部詰まってくるんですよ。
お金にも物にも恵まれたかったならば・・・ドンッドンッ、
喜捨をすることです。布施をすることです。
そうすれば全てに恵まれるから。
それをね、もう、出来るっだけ仏法のために
出さんように、出さんように、ね
それで、なにもかも恵まれないんですよ。・・・・・・・・・・・・・
その考え方を、ね、ヒックリ返さなかったらっ。
・・・・・・・・・それがそのね、仏法の根幹である
因果の道理をどれだけ、あの、わかっているか、
信じているか、ということなんですよ。
だから信仰が進めば、必ず、進めば進むほどそうなるんですよ。


まぁ、この方だけのあれに答えておられませんから。
「御喜捨の心掛けと因果の道理について、聞きたい、今一度聞きたい」
ということで、今こう話しとるんですよ。

「収入に対して計画を立てなかなか喜び喜びさせていただくことが」
これね、計算しとったらもう絶対出せないですよ、仏法に。
・・・・これだけ出したら、あとこうなってこうなって、こりゃ足らんぞ。
これだけ余ると、余っただけで大体こうかと

そんんなの、アカンですよ。

何しろね、そういう計算を捨てるの!
計算を捨てさせんの。
そして、因果の道理のみを信じるわけ。

こんな計算しとるからね、絶対ダメなんだ。
余って出るはずねぇもん。
余ったら全部銀行やっちょる。(聴衆笑い)
銀行はこれで持ってくるならもういわんからね集めたろうかね。
んなもん、どうして仏法出すカネが出てくるんや
計算しとったら。
そんなことない ドンドン、御喜捨しなさい。ドンドン、
あの、布施をしなさい。
それはだぁ~れのモノにもならないんです。
アンタのモンになるんです。結果は。

あのぉ~、みなさんが財施をせられたのは
ワタシのもんになるなんかってね、
クダラン心配しなさんな。(聴衆笑い)
私は倍にして出しとるから。
みん~な、出したアンタのモノになります。
私が布施をしたらワタシのモノになるんです。結果は。
アンタらの布施したモノを私が拾ったれっていうたら、
私がね、ヒン、貧乏になるだけです。
出す人が豊かになるんです。
出せば出すっほど豊かになっていくんです、し、
幸福になるんです。
そこ入れりゃ、入れるっほど不幸になるんです。
そういうことです因果の道理ってのは。

だから「収入に対して計画を立てる」

立てなさんなこんなモン(聴衆爆笑)

なにしろ、喜んで出しなさいっ、ねっ。アンタね、
幸せを欲しかったら出しなさいっ
ということです。

私はね、世間のヒト見とっと、ほんとにね、
なんと気の毒というか、ね、ちょっ、大根が出ん大根が出ん 
っちゅうに。おい、蒔いたか種?(聴衆笑い)
ゼンッゼン、大根の種、蒔いた、蒔かんとって、
大根が出ん、大根が出ん、言うとんねん

キチガイかい!ってオマエ

畑行ってね、まだ大根が出ん、まだ大根が出ん、
言うとんねん
何時タネ蒔いたんやオマエ、何も蒔いとらん
蒔かんモンが出るかっちゅうの!
蒔きなさい、必ず出てくるから。人に施しなさい。
人に親切しなさい、必ず恵まれるから。
逆にはならんのだから。アンタのために蒔くんだで。
アンタのため、自身のために出すんだて。
そういうことがね。あの因果の道理ということです。

いくらそういうてもね、ん~、なこと言うたって中々ちょっ、
計画を立てんとおれるかとそん~なこと言う、思っとる
もんバッカリだから、貧乏なもんバッカリなんだわ。
苦しんどるもんバッカリなんだわ。
私の言うとぉ~りにやってごらん。
因果の道理に・・・従ってやっててごらん。
みんな幸福になるんです。
それ、やるかやらんかダケです。
信ずるか信じないかのダケです
信じて実行するかしないかダケです。
私はやっただけっす。そら私のためです。ね

http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2008/05/post_2ae0.html

会員数が減ってるのは、富山の聴聞だけになったからでは?

自称さんへ

あなたの御意見に疑問が出てきました。
阿弥陀仏の十九願は、随他意の願です。
随他意とは、十方衆生(他)の心(意)にしたがって建てられた願という意味ですよね。
十八願は随自意の願で、阿弥陀仏が自らの心によって、本心で建てられた願という意味ですよね。
私達は、後生の一大事を一大事と思い解決したいと仏法を求め始めます。因果の道理、そして阿弥陀仏の十八願を聴聞し、ではどうやって解決まで求めたらいいか、と考えます。すると、後生が問題になって来た人には、一生懸命に聴聞、勤行、六度万行をしようとします。
すると、十八願を求めてはいるが、その求道者の心を見れば、十九願の機になっています。
そして、真剣に求めると二十願の機の心になり、願に相応した時、十八願の救いにあいます。
学問としてだけで考えると自称さんみたいに聞き誤りますよ。

No title

なんだか、泣けてきました。
言いたいことはたくさんありましたが、
長い文章を読んでいるあいだに全体から
この人の気持ちがひしひしと感じられ、
なんだかどうでもよくなりました。
ありていに言えば、この人は親鸞会組織の腐敗という困難に出会って
組織の仲間に裏切られ、だまされ散々うちのめされても
自分の道のために信念を貫き、耐えて
今ようやく誰にも邪魔されない自分を発見できたのだと思います。
しかし、そのようなうすっぺらい言葉では言い表せない魂の言葉と言えるような
ものが、文章の裏側に現れていて、私を圧倒します。
言葉が生きているのを感じるのです。

会長と講師部を批判したものの中で
ここまで生々しく、感情をもって、会の実態に肉薄したものは今までなかったように
思います。遠くから新興カルト宗教の幹部というブラックボックスの中身を
自分の経験を通してあれやこれやと推測したものや匿名で自分の正体が分からぬように
内部の極秘事項をもらしたものが多かったと思います。
よくぞここまで証言してくださいましたと感謝いたします。

ここで暴露されたことがいったい親鸞会にとってどこまで大きな射程をもった
問題になるのか、はたまた被害者にとって、ここで提示された問題がどこまで
自分の気持ちを代弁するものになるのか、不明ですが、
(親鸞会が破壊されるならなんでもいいという方は多そうですが)
親鸞会問題に大きな一石を投じたことはまちがいないと感じます。

ありがとうございました

元講師の方、ありがとうございました。仰りたいことはよく分かりました。
ここまで書かれたら、どなたかということが分かった方も多いのではないかと思います。私もたぶん○○講師だろうと想像しています。

最後まで拝読して思いましたことは、親鸞会にいて不幸に感じる人は退会した方がよいということです。
元講師の方にしても、清森さんにしても、上田さんにしても、親鸞会から離れられましたが、ブログを拝見していると幸せそうだなと思います。
布教局長の権力におびえ、顔を引きつらせ、無理に作り笑顔を振りまきながら親鸞会にしがみついている講師の方よりずっと幸せそうです。

会員時代は、「辛いのが求道なのだ。ここでしか真実は聞けないから、歯を食いしばって頑張るしかないのだ。」と自分に言い聞かせていましたが、今はそれがいかに愚かだったかと思います。
私も親鸞会から離れて幸せです。仏法も聞けなくなったわけではありません。高森先生の御法話にご縁が持てないのは少し残念ではありますが。

M野講師らも親鸞会から離れて独立して布教されれば、きっと布教局長なんかよりずっと人望のある方でしたから、支えて下さる方も多いのではないかと思います。

仏法は人を幸せにするためのものですし、喜び一杯聞かせていただくものと思います。
親鸞会にいて不幸に感じる人は、一度離れてみたらよいと思います。そして、離れた方が不幸だと思ったらまた再入会されたらよいのではないでしょうか。

No title

>
> ご法話会場で○○副支部長を見たが、真っ青の顔をしていた。声をかけても無言だった。
> その夜のご法話が終わってすぐ、元のT支部長に電話したら「僕はそんな話は一切していません」というばかり。完全に口封じされている。
> O代表支部長に電話すると、「○○副支部長が布教局長に電話して、その通りになったので、それを自慢していたのが分かって問題にされたのかと思った」と言った。彼は覚えていた。


 上記の文章では分からない方もあると思うので、親鸞会の事情を知る人間として、補足を加えたいと思う。

 親鸞会で、会員が人事に口を出すのは論外である。もちろん、会員からの要請に応えて、布教局長が人事を変更したとすれば、大問題である。

 ところが布教局長は、○○副支部長の要請で、人事を変更してしまったと思われる。もし事実ならば、布教局長にとっては極秘事項だ。

 しかし、当の○○副支部長が、「自分が布教局長を動かして人事を変えた」と自慢を始めたのであろう。

 当然、○○副支部長には厳重注意があったと思われる。

 それだけで済めば良かったのだが、元講師の奥さんが、その事を他人に話してしまった。すぐに情報が布教局長に上がり、元講師の奥さんの口止めをする必要が出てきた。

 本当ならば、不適切な人事変更をしたことを詫びた上で、口外しないよう丁重にお願いしなければならないところだが、布教局長の辞書に「謝罪」の二字は無いらしい。

 不適切な人事変更を隠蔽し、かつ事実無根のことを元講師が言ったかのようにデッチ上げ、罪をなすりつけたのであろう。

 元講師が、腹を立てるのは当然である。

雑感

10年以上前からの会員です。
いろいろ考えさせられる内容でした。

蓮如上人500回忌が突然延期されたことは今でもよく覚えております。
あんなに大きな行事なのに、そんなに簡単に(簡単じゃなかったのかもしれませんが、連絡はごくごく事務的にきました)延期していいのかと思ったものです。
理由は未だ知らされていません。連絡きたのは、「事実」だけ。
いえない理由なのでしょうか?
目標未達だったから、誘いの時間がもっと欲しかったのかと当時は思ったりしていました。口ではいえませんでしたが。

今年の50周年がそうならないとよいのですが。




文章、コメント等をみると、会計報告のないことを問題にされる方が、意外に多くいらっしゃるので、驚きました。
ただ、よくよく考えてみると、当然の疑問なのかもしれません。
私は、会計報告なんて、ないのが当たり前、というか、そんな概念は頭にありませんでした。そういう会員さん、多いと思います。
会員減で収入が減少していて、それをいいたくないのか、それとも、いえないような使い道をしているのか。
また、もし粉飾決算を報告されるくらいだったら、非公表のほうがまだましなのかなと思います。


御曹司さまの言動にいろいろと問題があることを知りました。きっと講師の先生方はみなさんご存知なんでしょうね。昔、面従腹背はだめだと教わりましたが、これじゃ面従腹背軍団になってやいないかと心配です。

人の不倫にどうこういうのもなんですが、女性の方はなぜ不倫をしたんでしょう?そうしたかったのか、そうせざるを得なかったのか、夫がいやだったのか、逆に、夫の地位を守るためだったのか?まあ、明らかになることはまずないでしょうが、好き好んでやったとは思いたくないです。

あとひとつ。
これかいてて気づいた。
御曹司やとりまきが駄目駄目でも、先生だけは間違いない。
この思いは強いというか、根深い。
先生のことを悪く書くことは、なかなかできない。
10年間の教育の賜物だ。

不真面目さま

いやいや、米1なんて見ると、しねばいいのにと思いますよ

高森を辞めても崇拝しているひとを見るといやな気分にもなります

でも個人的にあったことがないので怨みはありません。

死んでもうらむぐらい憎んでいるってほど好きでもないし

むしろ、会でお世話になった人たちが幸せであるためにいない方がいいかなと思います。

まあ、とはいっても昔は絶対ぶっころとか思ってました。

丸くなったのかもしれないです。

泣きました

私の白道、読ませていただき、泣かずにおれませんでした。
華光会のことは以前より正しい信心を伝える団体と認識しておりました。
しかし、興味本位の生半可な気持ちで行くべきところではないと思い、いままで一度も行ったことはありません。「自分は親鸞会とご縁があったのだから」と。盗作のことも知っておりましたが、「蓮如上人の正信偈大意も存覚上人のお聖教にそっくりだから」とゆるされないことではないと考えておりました。元親鸞会講師部様が退会されたときは驚き、なにがあったのかネットで何かわからないかと検索していて「M晴いじめないでくれ事件」を知り、驚愕しました。しかし「ネット上で言われていることを、どこまで信用していいものか」と考えておりましたが、今回、清森様、元親鸞会講師部様によって事実であったことが確認できました。ありがとうございました。今後のことはこれから考えます。私たちは、いま、一人一人が自分で考え、行動するときなのかもしれません。

元講師さま

元講師さんの記事を読ませて頂きました。
私はもう辞めてから10年くらい経ちますが、あなたさまの記事を拝見して親鸞会の実態は卑怯極まりない団体であることがよく分かりました。
本当に素晴らしいお母さんですね。
読んでて思わず目が潤みました。
上田さん、斎尾さん、清森さんは存じておりますが、元講師さんとはお話したことがございません。
でも何となくお顔は分かるような気がします。
近く私も華光会にお訪ねすることになると思います。
その時お会いできれば幸いです。

宿善とは

> ○親鸞会があったなればこそ
>
> だから高森先生、親鸞会の存在は、私達夫婦にとっては権化の仁だと、
> いつも妻と話します。仏智によって知らされることです。


無我であれば、まず最初に言うことだと思うのだが。
何べんも指摘したので、ようやくわかったのか。
光晴布教局長により近かったので、うらみつらみがよほど大きかったのか。

高森先生のことも親鸞会の活動のことも、あの光晴布教局長のことさえも、
あぁ、そうまでして頂かないと聞けない私であったなぁ、
すべて弥陀のお計らいであったなぁ、
すべて私1人がためじゃったなぁ、
と心から拝んで喜ばずにはおれぬのだ。それが本当だ。

本当にそう喜んでおられるのなら他に言うこともなし、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

No title

宿善とは様

あなたが、親鸞会の講師かどうかわかりませんが、あなたのコメントは見る人の感情を逆なでするだけですよ。
阿闍世は、獲信した韋提希を見て、改心しましたが、布教局長はどうなのですか?
私の周囲の会員も、布教局長の事が嫌いと言う人ばかりです。
いいかげんに、現実を見た方が良いのでは?

宿善とは=タイヤキお礼状で有名なM晴?

あれ?

宿善とは=タイヤキお礼状で有名なM晴さん?


あのね、他人の過去の人災(光晴局長がまわりにかけたとんでもない迷惑)を無理やり阿弥陀仏を利用して肯定させるのは、

そうまでして無理に肯定する必要がある立場の人だということです。


仏法を、阿弥陀仏を、そういうくだらん煩悩のために利用するなよ。

一緒に清森問答見てる現役会員で、あんたの書き込み見て退会を決意したやつがおれの真横にもいるよ。

あんたが書き込むとS会の醜悪さをさらに証明するだけだ。

今こそ

華光会で獲信されたならば、その一点について、もっと声高に主張されるべきかと思われます。かつて御自身を批難排斥した方々にこそ知って頂くべき「一大事」かと思われます。今こそブログではなく、現役講師の方々と正面切って法論すべきです。自分さえ良ければ、それでいいのですか? 親鸞会の会員の方々とは、このまま御別れですか?
恩返しすべきです。責任使命を果たすべきです。

反対です。

法論に反対です。

詭弁を使って逃げるだけ逃げて、最後に勝ち名乗りを上げる。

これがS会の法論パターンだし、この元講師の方もこれはイヤというほど承知してるでしょう。

それにS会の現役講師だって、自分から目を覚ませばいくらでもネットに情報があるし、理不尽な恐怖政治が行われている上層部なんだから、イヤなら自分で逃げ出すでしょう。もう大人なんだから。


でも、「獲信されたならば、その一点について、もっと声高に主張されるべき」は賛成です。

S会との法論などという無駄な争いをするよりも、私は、積極的な情報発信をしてほしい。

求道ではどのような点に引っかかったのか?どこで悩んだのか?

どこが通らなければならない悩みで、どこが不必要なのか?


無駄に他人と争うより、獲信に近づく情報提供が何百倍も仏教徒にとって利他の実践となるでしょう。

No title

>あんたが書き込むとS会の醜悪さをさらに証明するだけだ。

 ほんとにそうですね。全く同感です。
 どうして親鸞会の人たちはこういう嫌悪感を与える書き込みしかできないのか、情けなくなります。

 布教局長の犯罪行為・不倫行為・横暴な振る舞い・お礼がないことの指摘などなどが阿弥陀仏の本願を伝えるための方便として必要だとでもいうんですか?これらは全て親鸞会ではやってはならないとお聞きしていたことばかりですよ。なぜ布教局長だけ特権として許されてるんですか。それが親鸞聖人のみ教えと何の関係があるのですか?

 元講師の方が、それらの行為によって真実知らされたと感謝されているとしても、布教局長が「だから俺に感謝せよ」というのは筋違いです。

 阿闍世はイダイケ夫人に対し、「俺のおかげで助かったと拝め」と言いましたか?阿闍世は懺悔し、改心しましたよ。過去の行為を悔い、どれほど深く苦しんだか、その姿は教行信証にも引用されていますからご存じでしょう。それにひきかえ布教局長は何の反省・改善もありませんね。阿闍世を引き合いに出すのは失礼千万です。

 元講師の方が感謝されているとしても、布教局長の行為が正当化されるわけではありません。

 本当に親鸞会が布教局長の行為を本願を伝えるための正当な行為だと思っているのなら、不倫OK・自分へのお礼を問題にするのもOK・ウソの活動報告もOKと規定を変えたらどうなのかと思います。

 宿善とはさんの書き込みは、「俺に感謝せよ」「タイヤキのお礼状をよこせ」という布教局長の態度と見事に重なります。

 親鸞会には布教局長のような傲慢な人は一握りです。でもそのような人がナンバー2を任されているから離れていく人が多いのです。
 講師の方は真面目で尊敬できる人も多いです。このような書き込みをされると、親鸞会全体が布教局長のような傲慢な人の集団かと思われますから、他人に迷惑をかけますよ。

 それから、元講師の方は高森先生のご恩を感じていると明言されましたが、高森先生は伊藤先生・増井先生のご恩を感じていると明言されたことはありません。

 阿闍世やダイバに拝まない信心は親鸞聖人の信心と異なるとすれば、華光会に拝まず、逆に異安心として攻撃している高森先生は異安心だということになりますね。 

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元さんへ

RE:
阿弥陀仏の十九願は、随他意の願です。
随他意とは、十方衆生(他)の心(意)にしたがって建てられた願という意味ですよね。
十八願は随自意の願で、阿弥陀仏が自らの心によって、本心で建てられた願という意味ですよね。
私達は、後生の一大事を一大事と思い解決したいと仏法を求め始めます。因果の道理、そして阿弥陀仏の十八願を聴聞し、ではどうやって解決まで求めたらいいか、と考えます。すると、後生が問題になって来た人には、一生懸命に聴聞、勤行、六度万行をしようとします。
すると、十八願を求めてはいるが、その求道者の心を見れば、十九願の機になっています。
そして、真剣に求めると二十願の機の心になり、願に相応した時、十八願の救いにあいます。

元さんの主張にほぼ同意します。1週間以上前の書き込みで私もそのような内容で主張していたはずです。
例の質問1.は親鸞会では三願転入のご文を歪曲して財施や破邪顕正を勧める根拠にしているので、それは違うということを強調するため以前の主張は入れていません。入れるとあまりにもややこしい話になってしまいます。

元さんの主張と異なるのは「後生が問題になって来た人には、一生懸命に聴聞、勤行、六度万行をしようとします。」の点です。
そのまま救うの弥陀の救いを聞かされても、どうしても、勤行、六度万行を足しにしようとする心が出てきます。「その心を見つめて、それを捨てよ」というのが正しいと思います。
勤行、六度万行を足しにしようとする心が出てきて、「まだ19願の入り口にも入っていないのだからもっと財施しろ、破邪顕正しろ」と教えるのは間違いだと思います。

なお、私が一番最初に書き込みを始めたとき、「親鸞会の教義に疑問が出てきた。この疑問を晴らす回答がいただけなければ親鸞会を辞める」という趣旨の記載をしています。遅まきながら退会の手続きを行うことにしました。ですので、今後は積極的な書き込みは行わないと思います。
一応これでも忙しく、ちび丸氏の自己申告年収より○千万円、余計に稼いでいますので…。「将来は年間1億円の御報謝を…」と夢見ていましたが、もうそのようなこともなくなりました。ただ、別の道で財施(対仏法に限らず)は続けていこうと思います。因果の通りは正しいと思います。

もしも、他にやめられる方がおられたら、理由に長子 光春の問題は必ず挙げていただきたいと思います。もはや手遅れかとは思いますが、親鸞会を再生するご縁になるかもしれません。

まさにその通り

>仏法を、阿弥陀仏を、そういうくだらん煩悩のために利用するなよ。

眼からうろこです。

布教局長の迷惑を、仏法を利用して感謝しろ、は仏法の悪用です。

でも、白道さんの意見をかぎりなく尊重していっても
仏法の悪用はおこりそうですよね。”人権”という言葉の乱用と同じです。
注意が必要だと思います。

同じような理由から法論は反対です。
どちらが本当の仏法か?となると、永遠に答えがでなくなります。
相手も正しいと思えなくなると、
おまえは間違っているという相手の主張に会員はなびかなくなります。

そこで気になるのが、親鸞会の組織問題と信仰問題の混同です。
すみません。極めて私的かもしれませんが、
私は親鸞会の組織問題を信仰問題より早く解決すべきことだと思っています。
なので、信仰告白を他出することで、親鸞会教義を相対化することには
賛成ですが、信仰問題と組織問題をいっしょくたにして、
組織問題も相対化してうやむやにしてしまうことは反対です。
組織問題の相対化ということは問題解決の進展を滞らせるということになります。
解決しようとしても、しなくても、変わらないんでしょと思いますから
楽な解決しない方に傾きます。

反対に親鸞会教義の相対化は、会員に
会の教義であろうが、なかろうが、変わらないんでしょは
親鸞会の権威をくずすのには有効です。
会員は、自発的な信仰を余儀なくされます。
これはマインドコントロールの問題も解決できますから、
人集めや金集めの義務に苦しまなくても良くなるのです。

被害者の皆さま
組織問題と信仰問題は密接に関わっていて、切り離せない問題だということは
熟知しているつもりです。
しかし、癒着というにふさわしい複雑な絡み合いですので、
一色汰に扱うのは危険だと思うのです。

以上、思いついたことをつれづれに書き殴ってしまいましたが、総じてという意味での親鸞会問題の解決に役立てばと思います。

自称福徳さんへ

以前の誰かのコメントか何かに、教行信証を全部読んだ会員はどれだけいるのか?というような内容があったので、久々に真宗聖典を開いて読んでみました。
大経下巻の、十八願成就文のあと、十九願成就文(にあたると思います)の中に、家を捨て欲を捨て釈門に入り、至心に~とありました。
これは、すべてを投げ打って阿弥陀仏の本願を求める根拠になるかもしれませんが、どうでしょうか?
また、法然上人の三百人以上おられた直弟子の中で、阿弥陀仏に救われた方は数人しかいないと聞いた事がありますが、これについて御意見をお願いします。

真実って何だろう?

枝葉末節は、どうでもいいいですから、本当の幸せ、弥陀に救われるためには、どうすればよいか、教えてください。
弥陀の本願、仏教、
人智を超越しているため、
何がなんだかわからなくなてっきましたよ。
どうして、こんなことになるのか・・・

同感

同感だよ。
全くこいつらいけしゃあしゃあとどの口で言うのか。
お前らのおかげでどんだけの人の人生がメチャクチャになったと思ってるのか。
モノ言わぬ陰にものすごい数の人間が高森以下お前ら全員にうらみをもってるんだよ。
お前らが不倫野郎をうらんでる以上にな。
わかったか!

550 :神も仏も名無しさん:2008/05/25(日) 11:28:47 ID:4+zuk1W9
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/
「私の白道」

つーかさ、高森顕徹、高森光晴布教局長、現役講師部員、除名になった講師部員
みんな同罪だろ。
「なぜそのときお前は講師部を辞めんかったのか。アホか」
と言った人だけまとも。
生活のため、欲のため、真宗の教えを、そいつらみーんなすでに捨ててたのかよ。
あわれなのは末端会員、お世話になった支部長も、
除名になった今いろいろ言ってる嶋田、瓜生、清森、上田、斎尾、
こいつらも、みーんなウソついてたっていうわけだ。口だけだったんだ。
全員、とうの昔に心は真宗ではなくなってたんだ。

金、金、うるせぇからさっさとやめてよかったよ。

元さんへ

>また、法然上人の三百人以上おられた直弟子の中で、阿弥陀仏に救われた方は数人しかいないと聞いた事がありますが、これについて御意見をお願いします。

これだけコメントさせていただきたいと思います。
信行両座の諍論を史実と見るか、伝説とみるか。

親鸞会会員の大半は史実とみるのでしょう。
しかし、私は史実とはみません。ひょっとして似たような事件はあったかもしれませんが。
ゆえに、「法然上人の三百人以上おられた直弟子の中で、阿弥陀仏に救われた方は数人しかいない」という説には必ずしも根拠があるとは思っていません。

もっとも、こういうふうに書きますと、きっと「お前は御絵伝&御伝鈔を否定するのか!」とかトンチンカンな反論が出てくるのでしょうけど。

御絵伝&御伝鈔に描かれている「親鸞聖人」像は、脚色・美化されたものと一般に考えられています。
信行両座の諍論もまた然りで、浄土宗系の学者で他の諍論はともかく、信行両座の諍論を史実視する方は一人もいないjことでしょう。

聞くばかり。

>何がなんだかわからなくなてっきましたよ。

私ごとですが、親鸞上人・蓮如上人より教えていただき、阿弥陀様の仰せを聞かせていただいております。

歎異抄
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。

蓮如上人御一代記聞書
『聖人(親鸞)の御一流は阿弥陀如来の御掟なり。されば御文には「阿弥陀如来の仰せられけるやうは」とあそばされ候ふ。』

私のよき人は、親鸞上人・蓮如上人です。
善知識がどれだけおられるか、私にはわかりません。
断言できるのは、1人ではないということです。
莫大な量の本やHPなど、探せば弥陀の本願を聞くご縁に囲まれていることに気づきます。
探せば正しく教える方や喜んでいる方に出会えるのではないでしょうか。
既に親鸞上人・蓮如上人から教えを聞いておられますのでお聖教に親しむのも有難いご縁でしょう。

たとえば、次のお手紙について、親鸞会では最後のお言葉に親しみます。
全てをお聞かせいただいて、もっと有難く念仏を称えさせていただけると喜んでいます。

親鸞聖人御消息
『尋ね仰せられ候ふ念仏の不審の事。念仏往生と信ずる人は、辺地の往生とてきらはれ候ふらんこと、おほかたこころえがたく候ふ。
そのゆゑは、弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。
信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候ふ。また一向名号をとなふとも、信心あさくは往生しがたく候ふ。
されば、念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、疑なき報土の往生にてあるべく候ふなり。
詮ずるところ、名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし。
本願他力をふかく信ぜんともがらは、なにごとにかは辺地の往生にて候ふべき。このやうをよくよく御こころえ候うて御念仏候ふべし。
この身は、いまは、としきはまりて候へば、さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし。あなかしこ、あなかしこ。
   七月十三日            親鸞』

「名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし。」
「名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたき」
とご親切な廃立の教えを、親鸞上人より直接聞かせていただけるご縁に感謝しております。

>どうして、こんなことになるのか・・・

私は、聖人の教えを明かりにしたいと思います。

親鸞聖人御消息
『しかるになほ酔ひもさめやらぬに、かさねて酔ひをすすめ、毒も消えやらぬになほ毒をすすめられ候ふらんこそ、あさましく候へ。煩悩具足の身なればとて、こころにまかせて、身にもすまじきことをもゆるし、口にもいふまじきことをもゆるし、こころにもおもふまじきことをもゆるして、いかにもこころのままにてあるべしと申しあうて候ふらんこそ、かへすがへす不便におぼえ候へ。酔ひもさめぬさきになほ酒をすすめ、毒も消えやらぬに、いよいよ毒をすすめんがごとし。薬あり、毒を好めと候ふらんことは、あるべくも候はずとぞおぼえ候ふ。仏の御名をもきき念仏を申して、ひさしくなりておはしまさんひとびとは、後世のあしきことをいとふしるし、この身のあしきことをばいとひすてんとおぼしめすしるしも候ふべしとこそおぼえ候へ。』

繰り返しになりますが、
『聖人(親鸞)の御一流は阿弥陀如来の御掟なり。されば御文には「阿弥陀如来の仰せられけるやうは」とあそばされ候ふ。』
私は阿弥陀様の仰せを聞かせていただくばかりです。

私の願い

阿弥陀様のなされることではないとしても、せっかくの真実なのに…、あまりにも酷ですよ。
そらごとたわごとの人間どもは煩悩具足ですから、何をしでかすか、わからんということは、重々承知してますよ。

私は、いいんですよ、。
真実知らされ、弥陀の本願一つ、間違いないものと頭の上だけでもわかってますから。
一向専念無量寿仏・・・、苦しいときは阿弥陀様を念じてますから。

ただ、困るのは、家族やご縁のあった方を、今後も導いてあげるときに、どのようにすればよいのかということです。、途方にくれます。
今までは、自信いっぱい親鸞会に誘えばよかった、あるいは、アニメや書物も勧めれました。
しかし、これからどうしていけばよいものかと…
なんで、こんな酷なことになるのかと…
阿弥陀様、いったいどうすればいいのですか?

親鸞聖人のような、絶大な信頼をよせれる方は、あらわれないのでしょうか。
弥陀の本願を説く人に対して疑心暗鬼してしまうと、聴聞も身が入りませんでしょう。
ニセモノかと思ってしまうとね。
その人が真実の信心かどうか、は、他人のわかることではないし…
また、仮に真実の信心であっても、泥凡夫であることには、かわらないから、間違いも多々犯すでしょう。
せめて法を説くときだけでも、弥陀の御心を説いてくださればいいのですが…
阿弥陀さま、どうか真の知識を派遣してくださいよ。

仏法聞きがたし、と言われるから難しいのでしょうが…
しかし、みんなが、もっと簡単に救われてめでたしめでたし、争いのない幸せな世界に生まれ仲良くしたいものです。

どうして、苦界なんかがあるのでしょう。
ぱっぱっと六道の生きとし生けるものを救ってくださいよ。
地球上でも、苦しんでいる人は数え切れません。
自殺する人も多いですし…

真実がわからんようになってきました。
何千万人に一人とか、ごく少数の一部の人だけが、今生で弥陀に救われるって変ですよ。不公平といいましょうか…
まぁ、凡智では、わかりません。

私の願いは、阿弥陀さまが、今生ですべての人を救って苦しみのない世界に生まれさせてやってほしいということです。

感銘をうけました

元講師がF県で上隊長として活躍されていた姿が思い浮かびました。
その後、このような困難を突破されたこと、なによりのこと思います。

親鸞会の問題も私自身いろいろと考えていましたが、病コウモウにいるということでしょうか。

元さんへ

RE: 家を捨て欲を捨て釈門に入り、至心に~とありました。
これは、すべてを投げ打って阿弥陀仏の本願を求める根拠になるかもしれませんが、どうでしょうか?

おそらく、19願の成就文と理解していいと思います。18願の救いがあることを承知の上で、19願の諸行往生を求めるのあればそれもいいでしょう。浄土門の教えがあることを承知の上で、弥勒の初転法輪に会いたいという理由で聖道門の修行をされている方もおられるそうですので。
なお、18願の救いは一度、心の死を体験するわけですから「すべてを投げ打って…」よりもはるかに大変なことだと思います。

なお、私は信心決定していませんし、法を説く立場のものでもありません。ちび丸氏のように自称「教学的な間違いを黙っておれないんだ」というふうに正義感があるわけではありません(もちろん皮肉)。私に質問されても困るのですが…。(^^; それに、本当に忙しいんですよ。この週末は3連休でちょっとは余裕があったので回答させていただきましたが…。

黒道

愚痴の塊で懴悔も無ければ感謝も無い。
白道が聞いてあきれる。

愚痴は黒。醜い地獄の黒道である。
そんな程度の信心かとお気の毒の一言。
分不相応の家を新築し経済にゆき詰まり
どんな醜態さらして親鸞会を去ったのか。
みんな忘れていない。

恩知らずの輩に謗られるは学徒の誉れと笑っている。

またはじまりましたね

 またはじまりましたね。
 親鸞会批判者に対する悪口雑言。

 蓮如上人が「陰口でも言ってくれ」と仰っているのを忘れましたか?
 懺悔も感謝もないのは一体どっちですか?

>愚痴の塊で懴悔も無ければ感謝も無い。

 この言葉は是非布教局長に言ってあげてください。

 一体誰のせいで大量の退会者が出ているのか分からず、自分がなぜそこまで嫌われているのか分からず、他人に対する攻撃しかできないのは因果の道理が分からないからでしょう。

No title

>そんな程度の信心かとお気の毒の一言。
>分不相応の家を新築し経済にゆき詰まり
>どんな醜態さらして親鸞会を去ったのか。
>みんな忘れていない。
>恩知らずの輩に謗られるは学徒の誉れと笑っている。

現講師部員の方ですね。もしかして、「聞法の敗残者」の
記事を書いた方でしょうか。言葉尻がそっくりです。
人間の心というのは文章にあらわれるものです。
阿弥陀仏を泣かせているのはあなた方ですよ。

私も元講師ですが、福井在住でも岡崎在住でもありません。
いまではつくづく講師部辞めてよかったとおもっています。
あなたのような感覚になると余計に阿弥陀仏の御心から
離れていってしまいうものです。

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