スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

質疑応答108

【質問】


 親鸞会では、他人の行為によって自分が苦しむことはないと教えられますが、現実には他人の行為によって苦しむことが多いと思います。
「他因自果」というのは、絶対に無いのでしょうか?



【回答】


 親鸞会で使っている言葉の定義から言えば、「他因自果」もありうると思います。しかし、これは仏教の教えに反するものではありません。

 まず、仏教では一般的に「自因自果」とか「他因自果」とは言いません。「自業自得」と言います。その人の禍福は、その人の業によって決まるということです。

 この業というものを、唯識学では香りに譬えています。

 花屋さんには、花の匂いがつくように、魚屋さんには、魚の匂いがつくように、善業に満ちた人達の中にいれば善業に染まるし、悪業に満ちた人の中にいれば悪業に染まると教えられています。

 いつも優しい人ばかりの環境にいれば、貴方も優しくなってゆきますし、いつもイライラしている人ばかりの環境にいれば、貴方もイライラしてゆきます。

 このように、業は、お互いに影響しあっているのです。

 親鸞会で教えられている「自因」とか「他因」というのは、その人の行為、そのものを限定して指す言葉として使われていますので、仏教で言う「自業」とは、意味が異なります。

 たとえ自分が行為をしていなくても、他人の業の影響を受けて、その業に染まってしまえば、それは「自業」になります。

 ですから、親鸞会で言うところの「他因」によって、自分が幸せになったり、不幸になることは、仏教では有りうる、と教えられていますが、それも「自業自得」なのです。



 ところで、因果の道理について、考えさせられるサイトがありました。

http://www2.atword.jp/inga/

 細かいことをいえば、気になる点もありますが、仏教をよく勉強していると思いますし、非常に鋭い指摘だと思います。

 参考に読んでみては如何でしょうか。

スポンサーサイト

COMMENTS

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。