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質疑応答114

【質問】


清森問答に質問があるのですが、

宿善論争で紅楳英顕氏が主張した、
「親鸞会は、宿善として自力諸善を積むように勧めているが、当流では他力の信心を獲るために、まず自力諸善を積まねばならないなどという説示はない」
という主張は正しいと考えてよろしいのでしょうか。

もしよろしければご回答頂けませんでしょうか。
宜しく御願いいたします。



【回答】


「他力の信心を獲るために、まず自力諸善を積まねばならない」

この文章を言い換えますと、

「自力諸善を積まねば、他力信心を獲ることはできない」

となります。


 親鸞聖人は、「自力諸善を積まねば獲信できない」とは、どこにも書かれていません。紅楳氏の主張は、お聖教に適っていると思います。

 高森先生も、「自力諸善を積まねば獲信できない」と仰ったことは無いと思います。「善に向かって進みます」と言ったら除名だとも仰いました。

 ですから、本来であれば、「親鸞会では、他力の信心を獲るために、まず自力諸善を積まねばならないとは教えていません、貴方の誤解です。」と返答すべきだったと思います。



●かくて、大上段に“修善をすすめた文証など、あろうはずがない”と、アッと驚く、タメゴローならぬ、外道よりも、あさましい放言をなさるのである。(本願寺なぜ答えぬ)

●“善根を積む、必要はない、修善をすすめるのは、間違いだ”と、いっているから、無宗教の家庭よりも、外道の者よりも、不幸は続くし、貧乏はする、病気にはなる、災難は重なる。(本願寺なぜ答えぬ)



 ところが、上記のように、紅楳氏の主張を、「善の勧めを否定した」と摩り替えて、教えをネジ曲げたかのように印象操作し、外道呼ばわりするのは卑怯だと思います。

 紅楳氏にも確認しましたが、「善を勧めるのを否定したのではない」とハッキリ言われていました。

 紅楳氏の主張が間違っているというのであれば、親鸞会では、「自力諸善を積まねば、他力信心を獲ることはできない」と教えているのでしょうか?


 親鸞聖人の教えは仏教ですから、善を勧めるのは当然のことです。

 紅楳氏の主張を摩り替えるのは「妄語」ではないでしょうか?

「アッと驚く、タメゴロー」、「外道よりも、あさましい放言」、「外道の者よりも、不幸は続くし、貧乏はする、病気にはなる、災難は重なる」というのは、「悪口」ではないでしょうか?

 浄土真宗の人が、他宗より貧乏で、病気になり、災難が重なっているとは聞いたことがありませんが、何を根拠に書いているのでしょう。親鸞会の人は、金持ちで、病気にもならず、災難が来ないのでしょうか?


 善を勧めていると主張しながら、文章で悪を造っていては説得力がありません。
「嘘をつかない」「悪口を言わない」というのは、仏教で教えられる大切な善ですので、お互いに反省して、戒めてゆかねばならないと思います。

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COMMENTS

No title

こういうのも、ある意味似たような「仕掛け」だな……


164 :神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 17:31:04 ID:l/2ezCok
高森会長によるこういう曲解もあったな。

359 :神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 16:37:21 ID:VjVCYlGd
過去ログ漁ってたら出てきたけど、この設問の顕徹の
確信犯的な曲解、情報操作はスゴいな。 
財宝ってフレーズが入ってたんで、こりゃイイ!って目が
輝いたんだろうなw
しかも真宗聖典にはない持名鈔まで持ち出して・・・


教学聖典5  問34
「後生の一大事は、どんな犠牲を払っても解決せねばならぬものである」と教えられた、
存覚上人のお言葉と、その根拠を示せ。

答え :仏法の為には、身命をも捨て、財宝をも惜しむべからず (持名鈔)


持名鈔 http://www.terakoya.com/seiten/seiten.cgi?c0997
原典から引用:

これによりて善導和尚の解釈(観念法門・意 六三七)をうかがふに、
「身を粉にし骨を砕きても、仏法の恩をば報ずべし」とみえたり。
これすなはち、仏法のためには身命をもすて財宝をも惜しむべからざる
こころなり。 このゆゑに『摩訶止観』(意)のなかには、
「一日にみたび恒沙の身命を捨つとも、なほ一句の力を報ずることあたはじ。
いはんや両肩に荷負して百千万劫すとも、むしろ仏法の恩を報ぜんや」といへり。
恒沙の身命を捨てても、なほ一句の法門をきける報ひにはおよばず。
まして順次往生の教をうけて、このたび生死をはなるべき身となりなば、
一世の身命を捨てんはものの数なるべきにあらず。身命なほ惜しむべからず。いはんや財宝をや。
__________________________________________
(参考:釈迦弥陀の慈悲よりぞ願作仏心はえしめたる信心の智慧にいりてこそ仏恩報ずる身とはなれ.)


簡単に解説しとくと、

>仏法の為には、身命をも捨て、財宝をも惜しむべからず (持名鈔)

これは持名鈔の引用でわかるように、信後の報謝についていっている。

「信心の智慧にいりてこそ仏恩報ずる身とはなれ」だから、
仏恩を報謝できる資格は信後に限ると、親鸞聖人は仰せである。

ところが高森会長は、
>「後生の一大事は、どんな犠牲を払っても解決せねばならぬものである」と教えられた、
存覚上人のお言葉と、その根拠を示せ。

と、信後の報謝を、確信犯的に信前の者の「求道の心構え」に曲解、
要するにネジマゲ解釈している。

「身命をもすて財宝をも惜しむべからざる 」の曲解による情報操作は
「洗脳」といってもいいだろうな。会長の仕掛けた罠だ。

純情まっすぐオバカさんで社会経験もない頭でっかち大学生がトチ狂って
「布教史になっ会長に身命をも捧げます!」とかいうのを待ち構えていたんだろうよw

あるいは会長を生き仏と錯覚した愚かな金持ち老人たちに対して
「(会のために)財宝をも惜しむべからず」と存覚様もおっしゃっているというのは
金を巻き上げるには絶好の決め台詞だわなw

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