スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

親鸞会教義の相対化・41

清森義行様


続きです。


【上巻p.107~】建永の法難

 住蓮・安楽がきっかけとして起こった所謂「建永の法難」に関して、本書では以下のように述べられています。

>>>
喜んだのは比叡山や興福寺である。この事件を口実に、ますます吉水門下への弾圧を強化してきた。怒り狂った上皇は、これら旧仏教と結託し「念仏停止」を命じたのである。
吉水の僧庵は、役人の土足で踏みにじられた。一切の布教活動が禁じられてのである。たった一声、「南無」とつぶやいただけで、牢獄にぶちこまれたり、鞭打ちの刑にあう民衆が続出したという。
>>>

 ここで、この「建永の法難」や後におこる「嘉禄の法難」は、

★「專修念仏の弾圧」であって「念仏への弾圧」ではない。

ということを、押さえておかなければなりません。



 詳しくは平雅行著『日本中世の社会と仏教』ならびに同『親鸞とその時代』をご覧いただきたいと思うのですが、簡単にまとめると、

1)1224年の延暦寺で念仏は「諸宗之通規」とされ、念仏禁止が求められていない。

2)專修念仏禁止を求めた興福寺奏上でも「諸宗は念仏を信ず」と語っていて、念仏そのものを禁止するつもりがないことを明言している。

3)真言宗の資料である『覚禅鈔』に「阿弥陀」が記載され、善導大師の言葉が引用されている。

4)明恵は「我れまったく称名の義を非とせず。善導の釈を破せず」と述べており、批判の対象は法然上人と專修念仏である。

5)律宗の資料である『沙石集』では、專修念仏に対する批判、善導に対する肯定が行われている。


ということが挙げられ、『たった一声、「南無」とつぶやいただけで、牢獄にぶちこまれたり、鞭打ちの刑にあう民衆』は恐らく続出しなかったのではないかと思われます。


【上巻p.113~】西阿の破門

 高森先生の『会報』では法然上人が西阿を厳しく叱ってはいますが、「立ち去れ!」と破門したとは書かれていないにも関わらず、アニメでは西阿が破門されたことになっていることは、既に述べた通りです。

※「親鸞会教義の相対化・16(質疑応答70)」「親鸞会教義の相対化32」参照

 本書では、本文中には西阿が破門されたことを裏付けるような記述はありませんが、なぜか「◆西阿の破門◆」という見出しが書かれております。非常に不自然です。



【上巻p.120~】大原問答

「この法然は幸せ者じゃ。今日一日の問答で、天下の学者逹を弟子にできるとは。阿弥陀仏の本願を明かにするまたとない好機だ」と仰有ったという。
(中略)
「釈尊は、大無量寿経に、『一向専念無量寿仏』と説かれている。これは、あらゆる諸仏、菩薩、諸神を捨てて、一向に專ら、阿弥陀仏を念ぜよ、ということである」

★これが大原問答における法然上人の言葉であるということですが、法然上人ご自身が大原問答に関して述べられた言葉に、以下のような言葉があります。

>>>
大原にして、聖道浄土の論談有りしに、法門は牛角の論なりしかども、機根くらべには、源空かちたりき。
聖道門は深しといえども、時過ぎぬれば、いまの機に適わず。
浄土門は浅きに似たれども、當根にかないやすしと、いひし時、「末法万年、余経悉滅、弥陀一経、利物偏増」の道理に折れて、人みな信伏しきとぞ、仰せられける。
『勅伝』巻六、「信寂房に示されける御詞」(昭法全七二〇頁)
>>>

 つまり聖道門と浄土門が「法門」としては「牛角(=互角)」でありながら、時代背景や修行を修める衆生の能力の問題で、浄土門が優れているという内容であり、これは、聖道門も浄土門も、両方とも「勝法」として、決して聖道門を貶めたり否定はせず、あくまでも難易の点から、易行道である浄土門を勧めているという論理構成を持つ『選択集』に共通しています。

 本書で述べられたような傲慢で排他的な言葉は、法然上人自身の言葉や信憑性のある伝記資料からは決して導き出されません。


つづく
スポンサーサイト

COMMENTS

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。