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質疑応答118

【質問】
 
 
 どんな善いことでも師の許可を得なければ悪になるという教えは正しいのでしょうか。
 
 
 
【回答】
 
 
 親鸞会では、世自在王仏と法蔵菩薩のやり取りを通して、どんな善いことでも師の許可を得なければ悪になる。師に無条件服従しなければならないと教えられます。
 
 では、実際に大無量寿経には、どのように書かれているでしょうか。
「会報2集」に、現代語訳が載っていますので、読ませて頂きたいと思います。
 
 
 
●この法蔵比丘が世自在王仏のみもとに至り仏のみ足を頂き三度右にめぐって地にひざまずき、うやうやしく合掌礼拝して師佛の徳を褒められてから世自在王仏に対して
「師の佛よ、私は尊い無上菩提を求める心を起しました。
 どうぞ、わたくしの為に広く教えをお説き下さいませ。
 私は、それによって修行して最もすぐれた浄土を荘厳し、この世で、はやく正覚となって迷いの衆生の悩みのもとを除きたいと念願しています。」と申されると世自在王仏は法蔵比丘に対して
「おん身が、どのような修行をして浄土を荘厳するかということは御自らで知るべきであろう」といわれた。
 すると法蔵比丘は「いいえ、そのいわれは広く深く、とても私如きものの知られるところではありません。
 師の佛よ、どうか私の為に、ひろく諸仏浄土の成り立ちをお説きくださいませ。
 私はそれを承った上でお説の通りに修行して自分の願いを満たしたいと思います」と申し上げた。
(会報2集)
 
 
 
 法蔵菩薩は、自分で無上菩提を求める(=衆生を救う)ということを決めてから、どんな修行をすればよいかという方法を、師に尋ねています。
 
 許可を得てから善いことをせよとは、どこにも書かれていません。
 
 さらに、師から「御自らで知るべきであろう」と指示されたにも関らず、無条件服従せずに、親鸞会で言えば「反発」しています。
 
 法蔵菩薩でさえ、無条件服従していませんので、仏教は「無条件服従」という教えではないことが分かります。
 
 
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COMMENTS

No title

七祖聖教は浄土三部経を解釈した書物ですから、それを読むことは「読誦正行」であり、
浄土門では「善いこと」として大いに勧められているはずです。
ところが、高森先生が「読むな」と言ったのに清森さんが読んだことが大問題となり、
それが除名の口実の一つになっています。
今回の記事でそれがいかに馬鹿げたことであるかよく分かりました。実に滑稽ですね。

そもそも仏教で説かれる「善」は、「やってもよい」どころか、
「やりなさい」と釈尊が大いに勧められたことなのですから、
上司の許可がどうのこうのなんて関係なく、どんどんやればいいのです。

もし、「どんな善いことでも師の許可を得なければ悪になる」のなら、
「聴聞してもいいですか?」
「勤行してもいいですか?」
「親に孝行してもいいですか?」
「他人に親切してもいいですか?」
「努力してもいいですか?」
「反省してもいいですか?」
「自分の部屋を掃除してもいいですか?」
というように、何をするにもいちいち許可を得なければならないはずですよね?

アホらし。

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