スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

投稿

投稿


 高森先生、僕は学生から求め、今某支部に所属する現役会員です。
 いま親鸞会は危機的状況にあるようです。

 このままでは会員、職員、講師皆が先生の元を離れていきますよ。
 現状がこの先続くようでしたら、残念ですが僕も親鸞会を辞めようと思います。 回りにもすでにやめた人、迷っている人が大勢います。

 昨日のアニメでも、参加者が少なくなっている事、壇上からご覧になってわかっていらっしゃるでしょう。
 もう手遅れかもしれませんが、以下の事を提案します。


1 先生が会員の心からの要望に耳を傾けて下さい。(以前のように手紙を読んでください。面会を希望する会員には会ってください。手を上げる座談会をして下さい。) 

2 講師に最低限の生活を保障する慰労金を与えて下さい。
 (その代わり講師並びにその家族は行事日等会館宿泊を義務付けたり、無駄を徹底的に省くこと)

3 せっかく皆の財施で建てたので、もったいないので、1円でも出された方には教学講義無条件で参加できるようにして下さい。

4 領収書は千円以下も1円単位で出すこと その際、福とか、坪とか親鸞会でしか通用しない単位でなく円で表示して下さい。

5 会計報告を希望する会員すべてにして下さい。

6 御著書の引用を認めて,出典を明らかにして下さい。

7 会員、講師皆が自由にものが言える、うそをつく必要のない会にして下さい。

8 真生会の経営から素人の娘さんをはずして、プロに任せてもっと効率のよいものにして下さい。

9 大学での勧誘は学生に聞かれたら浄土真宗親鸞会の教えを聞いているものの集まりと告げてください。

10 学生からは多額の御法礼や御報謝を受け付けないで下さい。

11 今後は身内であっても、違反があればもみ消さず、厳しく処分して下さい。


 最低限挙げましたが、出来ることからどうかしていって下さい。
 もう皆の我慢も限界に来ています。

スポンサーサイト

COMMENTS

No title

ご提案、たぶんひとつも実現することは無いと思います。
脱会者が続出しているのは確かですが、親鸞会の屋台骨である一般層はまだまだ健在ですし、ネットでの批判や不倫騒動を知らない人も多いしね。

No title

http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2008/06/post_3433.html

>かつて親鸞会で「光戦」(1セット10万円のアニメ「世界の光親鸞聖人」を頒布すること)が
>最優先と言われていたときは、講師部員も親友部員(職員)も年輩の会員も学生も、皆
>寸暇を惜しんでアニメを持って街を歩きました。暑い日はワイシャツを汗でぐしょぐしょ
>にしながら、寒い日は足先の感触を失い震えながら。毎日行く先行く先で断られ、精神的に
>ぼろぼろになりながらもまわったそうです。


私の白道 4
http://byakudo.exblog.jp/8191390/

>…「明暗2800首」…そのままの歌も多いです。2800首もあれば、いくらでも
>発表出来ます。打ち出のコズチがあるのです。
> 皆さんが講師、大講師の教学試験の時、苦労して覚えた「会報」や、高森先生のご教導だと
>感激して読んだ著書、「お身体、大変な中を私達の為に作って下さったお歌ですよ、もっと
>アニメを出しましょう」と言われ、申し訳ないと頭下げて頂いたお葉書も、ネタは大沼氏からの
>盗作部分が多くあったのです。


アニメ行商のとき、その労をねぎらって
信者におくったハガキ。そのハガキに書かれていた
「お歌」までもが万引き・盗作したもの。
こんな他人を舐めたような人間に
提案してどうにかなる問題じゃないでしょ。
最初から手遅れだよw

若不生者のこころとは

新しい返答があがったが、ほとんど大差なし。
よって田中氏の返事もここ数通と同様だろう。

横から入って全て答えてしまっては失礼だろうと思って
ずっと待っていた。

もうこれで”法論”は終了したと考えます。
若不生者のこころとは何か明らかにします。

高森センセイの通信簿
http://takamoripakuri.blog50.fc2.com/

参考にして下さい。

結局「生」は「極楽」ですね

>高森センセイの通信簿
>http://takamoripakuri.blog50.fc2.com/

阿弥陀仏が「若不生者」と誓われているから、生きている今、死後の極楽往生が定まる。これを不体失往生というのですから、若不生者の誓いによって、不体失往生できる、ということですね。

しかし、「若不生者」の「生」は極楽に生まれるということで決定ですね。「生」を極楽と解釈しない限り、生きている今、極楽往生が定まりませんから。

いずれにしても、「生」を「信楽に生まれさせる」という意味は絶対に出てきません。

この法論は、「若不生者」の「生」に「信楽に生まれる」という意味があるか、無いかの議論ですので、この点においては、チューリップ企画は間違えたということですね。


No title

どうしても、「若不生者」の「生」は極楽に生まれること、
にしたいわけね。
「若不生者不取正覚」には当益しかないとさんざん宣伝しちゃった手前、
「生きているとき」のことがあったら大恥だからね。

でも高森センセイの通信簿の管理者さんは、「若不生者」の「生」= 極楽だけ
を否定してるみたい。どちらかがまちがいということでわ。

http://takamoripakuri.blog50.fc2.com/blog-entry-4.html#comment3

『「若不生者」の「生」は、「死んでから後に極楽に生まれること」』
これと
『「若不生者」の「生」は、「死んでから後に必ず
極楽に生まれられると生きている今疑いが晴れること」』
この2つには区別が立つというのが本稿での主張です。

後者の表現の場合、この「生」は極楽ではなく、
「死んでから後に必ず極楽に生まれられると生きている今疑いが晴れること」です。
なぜ、一部分を見ることしかできないのですか。
「死んでから後に必ず極楽に生まれられると生きている今疑いが晴れること」とは
法の深信で、機の深信の同時に立たない二種一具の深信はないのだから、
正にこれこそが、「信楽」の一心の相状を顕すのです。
ですから、後者は『「若不生者」の「生」は「信楽」の心に生まれること』と
同じ意味になります。同じことを異なる表現で言ってはなぜいけないのでしょうか。

No title

653 :神も仏も名無しさん:2008/06/27(金) 09:00:34 ID:eu09B6u2
>『「若不生者」の「生」は、「死んでから後に極楽に生まれること」』
> これと
>『「若不生者」の「生」は、「死んでから後に必ず
> 極楽に生まれられると生きている今疑いが晴れること」』
> この2つには区別が立つというのが本稿での主張です。

> 後者の表現の場合、この「生」は極楽ではなく、

いや、あくまで「生」を「極楽に生まれる」と解釈するからこそ、
前者から後者の意味が派生するのです。

>「死んでから後に必ず極楽に生まれられると生きている今疑いが晴れること」とは
> 法の深信で、機の深信の同時に立たない二種一具の深信はないのだから、
> 正にこれこそが、「信楽」の一心の相状を顕すのです。

そもそも「信楽を獲た人は」という大前提があるのを忘れています。
この人の主張によれば、本願の内容は
「信楽を獲た人を信楽に生まれさせる」
となります。これでは同義語反復であって、何も誓われていないのと同じことになります。

本願の内容はあくまで
「信楽を獲た人を極楽に生まれさせる」
です。(親鸞聖人自身が、あちこちで何度も仰っていますから間違いありません。)
そして、この意味から
「信楽を獲た人は極楽往生が確定する」
という意味が派生し、さらに「極楽往生が確定する」ことを「不体失往生」と定義することにより、
「信楽を獲た人は、その一念で不体失往生する」
という意味も出てきます。(実際、成就文はそういう内容になっています。)
ですから、本願文を深読みすれば、ここまでの意味を導くのはセーフです。


656 :神も仏も名無しさん:2008/06/27(金) 09:13:05 ID:eu09B6u2
>>653の続き

しかし、「信楽を獲ること」と「不体失往生」とは一念同時ですが、
あくまでも因果関係にあるのであって、同じ意味ではありません。
つまり、「信楽を獲る」と同時に、その結果として「不体失往生」するのです。
それを初めから「不体失往生」=「信楽を獲る」だとしてしまったら、
「信楽を獲た人を信楽に生まれさせる」
という同義語反復になってしまいます。
ところが「信楽を獲た人を」という大前提を意図的に省くことによって
「(十方衆生を)信楽に生まれさせる」というのが本願だという主張を導いてしまったわけです。

私はこの論法の誤謬を見抜きました。



658 :神も仏も名無しさん:2008/06/27(金) 09:28:21 ID:eu09B6u2
>>656の続き

「信受本願 前念命終
 即得往生 後念即生」(愚禿抄)

「前念は後念のために因となる」(教行信証行巻、p.283)

このことから、
「信受本願(信楽を獲る)」が【因】で、
「即得往生(不体失往生)」が【果】であることが、鮮やかに分かります。

仏教では、「因果同時」「因果倶時」というのはよくあることです。

なお、田中氏は「即得往生」に該当する箇所を本願文では「至心信楽」だと言いましたが、
それは時間的に同じ部分はそこしかないという意味で言ったのだと拝察します。
実際、田中氏は、「即得往生」と「至心信楽」が「同じ意味だ」という言い方はどこにもしていません。

No title

661 神も仏も名無しさん [] Date:2008/06/27(金) 10:30:28 ID:+Xxd1bXN Be:
>>658

>実際、田中氏は、「即得往生」と「至心信楽」が「同じ意味だ」という言い方はどこにもしていません。

はぁ? 2ch じゃ田中氏の底はもうしれてんの。

ソースはこれ。
-----------------------------------------------------------
163 名前:神も仏も名無しさん:2008/02/24(日) 16:36:38 ID:UOdWIHDq
>>161

2007 12/26(水) 00:31

即得往生は「至心信楽」であることが明示されていますので、
「即得往生は後念即生なり」の記述の通り、これは至心信楽(欲生我国)に当たります。

田中一憲
----------

「伝統的な宗学では
『成就文の「即得往生」は因願の「若不生者」に対応する』
のではないか」と今、質問したら「Yes」と答えるのではないかな。
「Yes」なら「ぶれた」でしょ。
-----------------------------------------------------------

これで田中シンパは沈黙~。みんなしってるよ。
田中氏は、成就文の「即得往生」は因願の「若不生者」に対応することしらんで質問しとったわけ。


663 神も仏も名無しさん [] Date:2008/06/27(金) 10:44:31 ID:+Xxd1bXN Be:
>>661

清森氏もちび丸もぴっくりしたんじゃね?
田中氏に大穴あいてたんだから。

http://takamoripakuri.blog50.fc2.com/

成就文と本願文の対応で言うと、
「即得往生」は「至心信楽欲生我国」に対応するのではなく、
「若不生者」に対応することに注意しておく。
「信心歓喜」が「至心信楽」に対応する。
本願文の「欲生我国」は決定要期の義であるから、
成就文の「願生彼国」が「欲生我国」に対応するのである。

と言ってるから、高森センセイの通信簿氏もしってんだろ。
つか、指摘したのもしかして本人じゃね!?

666 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] Date:2008/06/27(金) 10:59:57 ID:Xb+aGjE1 Be:
 田中さんは、議論の落としどころが読める人なんだろうか、読めない人なんだろうか?
 当初の問題提起はそれなりに的を射ていた。その証拠に、敵将に腰を上げさせたということが
ある。しかし、敵将だって、勝つ見込みがなければ御輿を上げないだろう。敗北するつもりで大
将自らが最初から一兵卒に戦いを挑むことはない。

 議論は、途中の推移はいくら優勢に進行しても、決着の付け方が分からないと勝負がつかない。
将棋でも最後の詰め方が分からないと勝てないのと同じだ。太平洋戦争・日中戦争では、日本は
当初、圧倒的に勝ち進んだのに、戦争の終わり方に数々の読み間違いがあって惨敗した。開戦は
容易でも、終戦は難しいのだ。惨めな日本軍は、最後は神風に祈らざるを得なかった。どこで、ど
う終えるのか、終わり方でどんでん返しは十分に起こる。

 負けた方は、怒り心頭、憤懣やるかたないストレスを全身に抱え、やり場のない思いで身動き
できず終結するという負け方もある。最初の問題提起も的を射ており、途中の推移も一進一退、
まぁまぁでありながら、最後には相手に力でねじ伏せられるというのが、一番惨めだ。

 田中さんの最大の弱点は、親鸞会の教義しか知らないということだ。高森さんの手のひらの中
以外の仏教を知らない。既に勝負はこの時点でついているのかも知れない。少なくとも、田中さ
んの圧勝という可能性は少ないだろう。相討ちに持って行ければそれが田中さんのベストだろうと
思うが、それだって結局、どう終えられるかで評価が決まる。

 相手(チューリップ)が自分(田中)に勝って終えてくれるまで、(田中の方から相手をリー
ドして)議論を終えられないとなると、これは論争技術の問題だ。

 実は惨敗しているのに、仲間内だけは勝った勝ったといっていられる終わり方もある。まあ、
これが一番幸せな終わり方というべきだろう。
-----------------------------------------------------

あの渡海さんにすらこの言われよう。
他人のあげ足とって勝ち名乗をあげられてもねぇ。
親鸞会はお東のように死後の往生を否定してないし。
----------------------------------
2008 6/26(木) 14:46

田中様

「死後の往生を否定するチューリップ企画」良いフレーズを作られましたね。
これしかないと、前回に6回、今回は4回、合わせて10回、
よほどお気に入りのフレーズのようですから、精々心ゆくまでお楽しみ下さい。

(株)チューリップ企画 サービス課 山田
----------------------------------

No title

2008 6/28(土) 20:40
(株)チューリップ企画 サービス課 山田様
 
 
 
★ 貴方が「若不生者」の「生」を、「信楽に生まれる」と解釈されたことに、親鸞聖人の根拠が有るのか。無いのか。
 
 
 これ1つを、繰り返し、繰り返し、質問してきました。今回、この質問に対して、ようやく以下の返答を頂きました。
 
 
>『信受本願 前念命終(即入正定聚之数)
>即得往生 後念即生(即時入必定、又名必定菩薩也)
 
 
 この返答で、貴方の主張には、結局、根拠が無いことが、明白になりました。
 
----------------------------------------------------------
 
★「本願を信受する」とは、「本願に疑いが晴れる」ということです。
 
 
 尊号真像銘文には、以下のように記述されています。
 
『信楽というは、如来の本願、真実にましますを、ふたごころなくふかく信じてうたがわざれば、信楽ともうすなり。この至心信楽は、すなわち十方の衆生をしてわが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまえる御ちかいの至心信楽なり。』
 
 
 つまり、「本願を信受する」=「至心信楽をえる」ということです。
 
 貴方の根拠は、「至心信楽をえる」と同時に「即得往生」するということが書かれているだけで、「若不生者」については触れられていません。
 
 
 さらに、尊号真像銘文は、以下のように続きます。
 
『「若不生者 不取正覚」というは、若不生者は、もしうまれずは、というみことなり。不取正覚は、仏にならじとちかいたまえるみのりなり。このこころはすなわち、至心信楽をえたるひと、わが浄土にもしうまれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり。』
 
 
 至心信楽をえた人、イコール「即得往生」した人が、死んで極楽浄土に生まれるのが、「若不生者」の「生」だと断定されています。
 
 当然、「即得往生」=「若不生者」は成り立ちません。
 
 
 貴方が主張するように、「即得往生」=「若不生者」であるならば、「若不生者」は「生きている間のみ」ということになり、上記の親鸞聖人の記述は間違いということになります。
 
 
 つまり、貴方の提示された根拠では、「若不生者」の「生」を、「信楽に生まれる」と解釈することは出来ません。
 
----------------------------------------------------------
 
>「貴方の質問に答える」ために、重ねて以下「貴方の発言」を確認し、お尋ねしたいと思います。
 
 
 該当の質問に答えなくても、私からの質問に答えることが出来ましたね。
 何のための確認だったのでしょうか。
 いずれにしましても、これで返答する必要が無くなりました。
 
----------------------------------------------------------
 
 とりあえず、貴社がビデオを製作した際の、聖教の根拠については、明確な返答を頂きました。
 
 一応、私の目的は達せられた訳です。ありがとうございました。
 
 なぜ、最初の返信で、このように明示して頂けなかったのか疑問ですが、今更そのようなことを言っても仕方の無いことですから、問題にはしません。
 
 貴社の提示された根拠について、私の意見は、上記のように述べましたので、あとは読まれた皆さんが判断されることでしょう。
 
 ここまで読んで下さった読者の皆さんにも御礼申し上げます。
 
 
 
田中一憲

No title

2008 6/29(日) 21:42

田中様

『「若不生者不取正覚」が不体失往生の根拠だと仰った、親鸞聖人の文章がありますか』
たび重ねての貴方の問いに、
『本願を信受するは、前念命終なり。即得往生は、後念即生なり』(愚禿抄)
の私の回答に、「結局、根拠が無いことが明白になった」と貴方は仰った。

理由は、
『「至心信楽をえる」と同時に「即得往生」するということが書かれているだけで、「若不生者」については触れられていません』と言うものでした。
『「至心信楽をえる」と同時に「即得往生」する』は自明のこと。今、問われているのは、そんなことではないのです。
『「前念命終」させ「後念即生」させる、「信楽をえさせ」「即得往生」「不体失往生させる」のは、何方の、どんなお力か」「若不生者不取正覚」との関係は、有るのか無いのか』が問われているのです。幕引きを急いで大切な問題をウヤムヤにしてはなりません。

貴方は、平成20年2月2日のメールで、『「信楽」は「どうして生まれるのか」、「なんの力で生まれるのか」、「本願文」には明示されておりません』
と言われています。
「本願文に明示されていない」と言うことは、弥陀が説かれていないと言うことですか。弥陀が説かれてないことを、釈迦は説かれたのですか。

「本願の疑い」を晴らす力は、なんですか。貴方は「本願」には無いと言われる。誓われていながら「誓っていること」を「果たす力が説かれていない」とすれば、そんな「本願」を、なぜ「無上殊勝の願」とか「攝取不捨の真言」とか「超世希有の正法」と言われるのでしょうか。

ヤレヤレ「これで貴方の質問に答える必要がなくなった」と仰っていますが、無責任な放言を撒き散らし「答えにならない」ことを言い放って、「私の目的は達せられたから、ありがとうございました」とはいきません。貴方の発言に就いてまだ正式な回答を頂いていません。以下、あらためてお尋ね致します。

・・・・・

(株)チューリップ企画 サービス課 山田
---------------------------------------------

「本願の疑い」を晴らすのは、なんの力か。
これも忘れずに!!

548 神も仏も名無しさん [] Date:2008/06/25(水) 02:30:24 ID:C7JAybgK Be:
田中、清森まっさお!!

http://takamoripakuri.blog50.fc2.com/

「無疑」等とは、「若不生者不取正覚」、正覚既に成ず、故に無疑という。
「即得往生住不退転」一念誤ることなし、故に無慮という。
(六要鈔)

六要鈔はここ
http://www.biwa.ne.jp/~takahara/shoka_0.htm

549 神も仏も名無しさん [] Date:2008/06/25(水) 02:38:01 ID:C7JAybgK Be:
親鸞会の勝ち~

「若不生者不取正覚」には当益しかないとさんざん宣伝しちゃって!!
責任とれよ、田中、清森 !!

556 神も仏も名無しさん [] Date:2008/06/25(水) 03:56:39 ID:C7JAybgK Be:
>>553
>>554

で???

「若不生者不取正覚」は当益だけだって~

「無疑」等とは、「若不生者不取正覚」、正覚既に成ず、故に無疑という。
「即得往生住不退転」一念誤ることなし、故に無慮という。
(六要鈔)

六要鈔は伝統教学そのもの
親鸞会の勝ち~

「若不生者不取正覚」には当益しかないとさんざん宣伝しちゃって!!
責任とれよ、田中、清森!!

>六要鈔
>
>存覚上人のご著書。
>そして、「六要鈔」って真宗聖典に載っていませんが、なぜかご存知です?

じゃあその理由を言ってみろよ

557 神も仏も名無しさん [] Date:2008/06/25(水) 04:08:53 ID:C7JAybgK Be:
>>555

> 存覚教学と覚如教学は断じてイコールじゃないよ。

で???

あんたら六要鈔を無視して教行信証よむんかい

六要鈔は伝統教学そのもの
親鸞会の勝ち~
田中、清森は大恥さらした

559 神も仏も名無しさん [] Date:2008/06/25(水) 04:24:24 ID:C7JAybgK Be:
>>558

あんたら六要鈔を無視して教行信証よむんかい

思考停止状態か・・・
君もいつかは気づく日がくるだろう。

579 ちび丸 [sage] Date:2008/06/25(水) 16:46:46 ID:ueI/bbaE Be:
>やっぱり「親鸞聖人のお言葉」では都合が悪いみたいね。

真宗では相伝がないのはダメなんだよ。
昔はアンチがよく言っていたことだが
今度はアンチが「相伝はないほうがよい」訳ね。

ここらへんで既にアンチ諸君の教学は終わっているわけ。
おわかり?

674 ちび丸 [sage] Date:2008/06/27(金) 12:28:46 ID:ZXmvrCm8 Be:
「相伝」というのは、例えばこういうのを言うのだよ。
よく勉強しろ。


因に心得のため十八願と同じく成就の文とを引き合わせ伺うべきことなり。
さて「若不生者」の言は、四十八の中においてただ十八の一願にのみ限る所以あるなり。
「生」の一字にあたりて口伝の義あり。
「設我得仏」と「不取正覚」の中間に三信を開きて「若不生者」といえり、
もし信心生ぜずばということなり。
この拠はこの十八の三信「若不生者」なり。
もっとも欲生は往生をねがうことなれども三心はただ一心なり。
行者帰命の一心なれば、その信心発起して生の相を見るに
決定往生なるをもって今無生の生という云々。(相伝義書 論註講記)

No title

コメント
・・・。

(苦笑)

やっぱり白い●人や赤●ではなくて、船●吉●やミー●ホープの道を選びましたね(苦笑)。


>>『「至心信楽をえる」と同時に「即得往生」する』は自明のこと。今、問われているのは、そんなことではないのです。
 ↑
恥ずかしいぐらいボコボコに論破されたのに、後出しじゃんけんですか(苦笑)。


>>『「前念命終」させ「後念即生」させる、「信楽をえさせ」「即得往生」「不体失往生させる」のは、何方の、どんなお力か」「若不生者不取正覚」との関係は、有るのか無いのか』が問われているのです。
 ↑
あっちの問題ではボコボコになったので、論点スライドですね(苦笑)。

「問われている」って・・あんたが勝手に問題設定したんでしょうが(苦笑)。


>>幕引きを急いで大切な問題をウヤムヤにしてはなりません。
 ↑
そうですね〜。
ここで終わられたら困るんですもんね〜(苦笑)。


>>貴方の発言に就いてまだ正式な回答を頂いていません。
 ↑
『「貴方の質問」に答えるために当方が、幾たびも「貴方の発言を確認」している』(2008 6/28(土) 10:57)でしたよね?

質問の根拠がいつから変わったんですか〜?(苦笑)




投稿 苦笑(いじわる) | 2008年6月30日 (月) 00時43分

カルトのインチキ法論の定石(改訂版)
 ↓
1,「絶対に正しい」と思っている(思わされている)意見を、壞れたテープレコーダーのごとく何度も繰り返す。
2,上記に抵触した対話者の提出した資料は、見なかったことにして無視。
3,対話者の意見を自分の解答しやすい形に改変(捏造)して反論。
4,対話者の人格を攻撃し、対話者の意見が価値のないものであるかのように印象操作。
5,自分の提示した見解が論破されたら「そんなことはわかっていた」と居直る。
6,それまで行っていた論点での議論で勝ち目がないことがわかったら論点スライド。
7,自分は答えないくせに、複数の不当質問で、相手を呆れさせるように誘導。
8,対話者があきれて反応しなくなった所で勝利宣言。


おかげで、貴重なサンプルが回収できました(苦笑)。

投稿 苦笑(いじわる) | 2008年6月30日 (月) 00時48分

↓こちらのサイトを見ましょう

http://tulip-tanaka.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/2008_629_2142_801a.html

こちらがもともとチューリップ企画のサイトからリンクされていたものですが、コメント欄にS会の実態や教義の誤りが指摘されるに及び書き込みのできないサイトへリンク先を変えた次第です。
現実から目をそらさず、納得できないコメントには正々堂々反論しましょう。

No title

伝統教学も相伝もムシ?
伝統教学や相伝から目をそらさずに!

556 神も仏も名無しさん [] Date:2008/06/25(水) 03:56:39 ID:C7JAybgK Be:
>>553
>>554

で???

「若不生者不取正覚」は当益だけだって~

「無疑」等とは、「若不生者不取正覚」、正覚既に成ず、故に無疑という。
「即得往生住不退転」一念誤ることなし、故に無慮という。
(六要鈔)

六要鈔は伝統教学そのもの
親鸞会の勝ち~

「若不生者不取正覚」には当益しかないとさんざん宣伝しちゃって!!
責任とれよ、田中、清森!!

>六要鈔
>
>存覚上人のご著書。
>そして、「六要鈔」って真宗聖典に載っていませんが、なぜかご存知です?

じゃあその理由を言ってみろよ


674 ちび丸 [sage] Date:2008/06/27(金) 12:28:46 ID:ZXmvrCm8 Be:
「相伝」というのは、例えばこういうのを言うのだよ。
よく勉強しろ。


因に心得のため十八願と同じく成就の文とを引き合わせ伺うべきことなり。
さて「若不生者」の言は、四十八の中においてただ十八の一願にのみ限る所以あるなり。
「生」の一字にあたりて口伝の義あり。
「設我得仏」と「不取正覚」の中間に三信を開きて「若不生者」といえり、
もし信心生ぜずばということなり。
この拠はこの十八の三信「若不生者」なり。
もっとも欲生は往生をねがうことなれども三心はただ一心なり。
行者帰命の一心なれば、その信心発起して生の相を見るに
決定往生なるをもって今無生の生という云々。(相伝義書 論註講記)

No title

要するに、「若不生者」の「生」が「信楽に生まれる」という根拠は、
親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人には存在しない。

こういうことで、アンチもシンパも意見が一致したわけでしょ。
いまさら議論する必要は無いのでは??

No title

>親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人には存在しない。

それは当然のこと。
しかし、六要鈔も、極楽往生に疑いが晴れたことを「無疑」と言われているので、「信楽」に生まれさせるという意味ではない。

聖教の根拠は1つも無いよ。

教学講義の参詣者

アニメはがた減りだったと言うことだが忠誠心(求道心とは言いません)の強いと思われる教学講義の参詣者の人数はどうだったのでしょうか?

No title

一応、3願転入・善の勧めの有無について議論は続いています。興味ある方はご覧ください。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20080628/1214657835#c

No title

田中・清森の主張: 「法の深信」=「極楽往生」=「死んでから」

こんなトンデモ教学、はじめてみた。
善恵房もまっさお!
伝統教学も相伝もムシして、どこまでひん曲がっていくのか。

『本願を信受するは、前念命終なり。即得往生は、後念即生なり』(愚禿抄)


「無疑」等とは、「若不生者不取正覚」、正覚既に成ず、故に無疑という。
「即得往生住不退転」一念誤ることなし、故に無慮という。
(六要鈔)


因に心得のため十八願と同じく成就の文とを引き合わせ伺うべきことなり。
さて「若不生者」の言は、四十八の中においてただ十八の一願にのみ限る所以あるなり。
「生」の一字にあたりて口伝の義あり。
「設我得仏」と「不取正覚」の中間に三信を開きて「若不生者」といえり、
もし信心生ぜずばということなり。
この拠はこの十八の三信「若不生者」なり。
もっとも欲生は往生をねがうことなれども三心はただ一心なり。
行者帰命の一心なれば、その信心発起して生の相を見るに
決定往生なるをもって今無生の生という云々。(相伝義書 論註講記)
---------------------------------------------
>親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人には存在しない。

それは当然のこと。
しかし、六要鈔も、極楽往生に疑いが晴れたことを「無疑」と言われているので、「信楽」に生まれさせるという意味ではない。

聖教の根拠は1つも無いよ。

2008年06月30日 | いえいえ

No title

>田中・清森の主張: 「法の深信」=「極楽往生」=「死んでから」
>
>こんなトンデモ教学、はじめてみた。
>善恵房もまっさお!
>伝統教学も相伝もムシして、どこまでひん曲がっていくのか。


 非常に下品な文章ですね。
 とても仏法者の書いたものとは思えません。

 教義をどうこう言う前に、仏法者として最低限のマナーを覚えた方が良いと思いますが、貴方が仏法を学ぶ先生は、どのようなマナーを教えているのでしょうか。

 法の深信とは、善導大師の教えです。

『かの阿弥陀仏の四十八願、衆生を摂受したまう、疑いなく慮なくかの願力に乗ずれば定んで往生を得』

 この「往生」とは、「極楽往生」のことです。
 法の深信に於ける「往生」とは、「死んでから」です。
 それが生きている間に疑い晴れるので、「不思議」と言われます。

No title

田中・清森のトンデモ教学!!

「法の深信」=「極楽往生」=「死んでから」

-----------------------------------------
法の深信に於ける「往生」とは、「死んでから」です。

2008年07月01日 | ネオ
-----------------------------------------

伝統教学も相伝もムシして、どこまでひん曲がっていくのか。

『本願を信受するは、前念命終なり。即得往生は、後念即生なり』(愚禿抄)


「無疑」等とは、「若不生者不取正覚」、正覚既に成ず、故に無疑という。
「即得往生住不退転」一念誤ることなし、故に無慮という。
(六要鈔)


因に心得のため十八願と同じく成就の文とを引き合わせ伺うべきことなり。
さて「若不生者」の言は、四十八の中においてただ十八の一願にのみ限る所以あるなり。
「生」の一字にあたりて口伝の義あり。
「設我得仏」と「不取正覚」の中間に三信を開きて「若不生者」といえり、
もし信心生ぜずばということなり。
この拠はこの十八の三信「若不生者」なり。
もっとも欲生は往生をねがうことなれども三心はただ一心なり。
行者帰命の一心なれば、その信心発起して生の相を見るに
決定往生なるをもって今無生の生という云々。(相伝義書 論註講記)

親鸞会でいう伝統教学とは東本願寺教学

941 :神も仏も名無しさん:2008/07/01(火) 09:20:10 ID:kpQD4cZc
>939
>相伝義書

著者は誰?

>さて、既に学習している方もあるでしょうが、初めてこの書籍に触れる方もあるかと思いますので、 簡単にこの叢書の性格について述べておきます。先ず、この書物が相伝と呼ばれる所以ですが、 これは宗祖の教学を覚如上人・蓮如上人の理解を通して読んでいくと云う伝統に基づいているからです。
>相伝教学は、その『六要鈔』の宗祖教学に対する理解に、疑義を見出し批判しています。 幸いに、真宗大谷派では、近代、曽我量深先生、金子大榮先生等によって新たなる真宗学樹立されてきました。
>しかし、この両先生には一九二八年から異安心問題が起こり、遂には大谷大学教授を辞職されます。 このとき相伝義書の原本を読んでこられた足利演正師は、この両先生の所説は既に相伝義書に述べていることではないか
との思いから、『相伝義書』発刊ということが足利師の宿願となります。
>五十年後漸く、時の嶺藤宗務総長の協力を得て出版されたのです。

なんだ、要するに「相伝義書」って東本願寺系の教学参考書なんでしょ?

親鸞会は普段は本願寺教学をボロクソに誹謗中傷しているくせに、節操がないなあ。

K森さんやU田さんを中傷するためには手段を選ばず、
利用できるものはなんでも活用するご都合主義といわれても仕方ないんじゃないの?

942 :神も仏も名無しさん:2008/07/01(火) 10:13:49 ID:kpQD4cZc
>>939

>「無疑」等とは、「若不生者不取正覚」、正覚既に成ず、故に無疑という。
>「即得往生住不退転」一念誤ることなし、故に無慮という。
>(六要鈔)

>相伝教学は、その『六要鈔』の宗祖教学に対する理解に、疑義を見出し批判しています。

>674 ちび丸 [sage] Date:2008/06/27(金) 12:28:46 ID:ZXmvrCm8 Be:
>「相伝」というのは、例えばこういうのを言うのだよ。
>よく勉強しろ。

ちび丸センセイは、いつから東本願寺教学擁護者になったのでしょうか?
相伝教学は、『六要鈔』の宗祖教学に対する理解に、疑義を見出し批判しているようですが。

>伝統教学も相伝もムシして、どこまでひん曲がっていくのか。

苦笑。
親鸞会における相伝の定義とは東本願寺の相伝ということなんですね。
異安心とされた曽我量深、金子大榮、両先生の所説は既に相伝義書に述べていること ではないか との思いから、『相伝義書』発刊ということが足利師の宿願だったそうで。

つまり…

東本願寺は、死後を否定しますから、親鸞会も死後を否定しているのですね。
納得です。

----------------------------------------------------------
★「死後の往生」を否定するチューリップ企画
 
 
☆親鸞聖人の教えは、「本願成就文」以外にありません。(6月19日)
 
☆「本願成就文」には、死後のことは一切説かれていません。(3月9日)
 
 
 
『親鸞聖人の教えは、死後のことは一切説かれていない』
 
というのが、チューリップ企画の主張です。
 
 
----------------------------------------------------------
★「死後の往生」を否定するチューリップ企画
 
 
☆「本願成就文」には、死後のことは一切説かれていません。(3月9日)
 
☆「本願成就文」の教えはイコール「本願文」(6月19日)
 
 
 
『「本願文」には、死後のことは一切説かれていない』
 
というのが、チューリップ企画の主張です。
 
 
----------------------------------------------------------
★「死後の往生」を否定するチューリップ企画
 
 
☆『本願成就文』にも『教行信証』にも、死後のことは説かれていなくても、(6月23日)
 
 
『「教行信証」にも、死後のことは一切説かれていない』
 
というのが、チューリップ企画の主張です。
 
 
----------------------------------------------------------
★「死後の往生」を否定するチューリップ企画
 
 
☆不体失往生した人が、体失往生できないということは絶対にないのだから、不体失往生に阿弥陀如来は、「若不生者」と正覚を懸けられているのだよ、という親鸞聖人の教えです。(6月23日)
 
 
『阿弥陀如来は、「死後の往生」に正覚を懸けていない』
 
というのが、チューリップ企画の主張です。
 
 

No title

自分の頭つかって理解してからモノいえよ。脊髄反射じゃなくてさ。

『本願を信受するは、前念命終なり。即得往生は、後念即生なり』(愚禿抄)


「無疑」等とは、「若不生者不取正覚」、正覚既に成ず、故に無疑という。
「即得往生住不退転」一念誤ることなし、故に無慮という。
(六要鈔)

このお言葉と同じことが「相伝義書 論註講記」にもあるよ、という話。

>相伝教学は、『六要鈔』の宗祖教学に対する理解に、疑義を見出し批判しているようですが。


これさ、「六要鈔」と「相伝義書 論註講記」とをだしてる意味わかんないでいってるよね。
自分の頭つかって理解してからモノいってよ。

-------------------------------------------------------
2008 7/1(火) 23:19

前にも書きましたが、これ以上お付き合いしている時間がありませんので、
申し訳ありませんが、今後、私へのメール送信を、一切お断りします。
 
このメールに対する返信も、要りません。

田中一憲
-------------------------------------------------------

『「若不生者」の「生」は「信楽」の心に生まれること』という根拠が
ようやく理解できたのか
田中氏も逃げだした。

チューリップ法論より

http://tulip-tanaka.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/2008_71_2319_d053.html

2008 7/1(火) 23:19
(株)チューリップ企画 サービス課 山田様
 
 
 
 失礼ですが、前回のメールを本当に読まれたのでしょうか?
 
 貴社のビデオについての私の質問に、貴方はようやくお答えになられました。
 
 貴方の提示された根拠について、私の意見も、述べさせて頂きました。
 
 あとは、読まれた方が、判断されたら良いことです。
 
 
 
 貴方が作成されたサイトにも、『どちらの主張が親鸞聖人の教えに適っているかは、読まれた皆さんの御判断にお任せしたいと思います。』と書かれているではありませんか。
 
 それで、何か不都合があるのでしょうか?
 
 まだ、書き足りないことがあるのですか?
 
 60通以上もメールを書かれながら、まだ書き足りないことがあるとすれば、貴方の文章力に問題があります。
 
 
 
★今回いただいたメールでも、貴方の提示された根拠が「若不生者」を解説されたものではない、とお認めになられましたね。
 
 つまり、根拠は無かったと、お認めになったということです。
 
 
 
『「若不生者 不取正覚」というは、若不生者は、もしうまれずは、というみことなり。不取正覚は、仏にならじとちかいたまえるみのりなり。このこころはすなわち、至心信楽をえたるひと、わが浄土にもしうまれずは、仏にならじとちかいたまえる御のりなり。』
 
 
 貴方は、「至心信楽をえる」と同時に「即得往生」することも、お認めになられました。
 
 親鸞聖人は、上記のように、至心信楽をえた人(即得往生した人)が、死んで極楽往生するのが「若不生者」だと断定されています。
 
★つまり、「即得往生」と「若不生者」はイコールでないことも、お認めになったということです。
 
★「本願文」は、「本願成就文」とイコールであり、死後のことは一切説かれていないという貴方の主張が、いかに間違っているか、この親鸞聖人の記述からも明白です。
 
 
 
 信楽をえさせるのは、何方のどんなお力かとお尋ねですが、阿弥陀仏の調熟・破闇光明の働きです。
 
 この程度のことも、ご存知ないのでしょうか?
 
 本題と関係ないことを、質問しないで頂きたく思います。
 
 
 
 貴方に無視された質問が、数十ありましたが、それは結構です。
 
 前にも書きましたが、これ以上お付き合いしている時間がありませんので、申し訳ありませんが、今後、私へのメール送信を、一切お断りします。
 
 このメールに対する返信も、要りません。
 
★良識ある一企業として、メールを拒否している人間に、メールを送りつけるような、違法かつ非常識なことをされぬよう、くれぐれも、お願い申し上げます。
 
 
 
 なお、過去のやりとりにおいて、一部、貴社に対して非礼な表現があったかも知れませんが、その点につきましては、最後の最後になりましたが、お詫び申し上げたいと思います。
 
 
 
田中一憲

No title

945 :神も仏も名無しさん:2008/07/01(火) 11:37:13 ID:vtGL5MhQ
「論註講記」ということは、「浄土論註」を解釈した本なのでしょうか?

> 「設我得仏」と「不取正覚」の中間に三信を開きて「若不生者」といえり、
> もし信心生ぜずばということなり。

もしこれ↑に相当する内容が「浄土論註」にあるのなら、
根拠として扱える可能性を私は否定しませんよ。
ちび丸氏や親鸞会擁護者は、ぜひ、該当する文章を「浄土論註」の中から探してみてください。
(とは言っても親鸞会会員は七高僧の書物を読むと除名になりますから無理ですね。
 でも、ちび丸氏は「退会者」だから大丈夫のはずですね(笑)。)


948 :神も仏も名無しさん:2008/07/01(火) 13:00:02 ID:vtGL5MhQ
>「若不生者不取正覚」、正覚既に成ず、故に無疑という。

これって、「正覚を成じたから若不生者で無疑になれる」という意味じゃないでしょう。
もしそうなら、十方衆生は皆、十劫の昔に信心獲得していることになります。
いわゆる「十劫安心」になってしまうんですよ!

親鸞聖人は本願の内容を「信楽を獲れば極楽に生まれさせる」と解釈されています。
「「若不生者不取正覚」、正覚既に成ず」と言われる通り、確かに本願は十劫の昔に成就しました。そして、
そのことについて(今はまだ疑いがあるとしても、とにかく)疑いが晴れることを「無疑」と言われただけです。

そもそも、この「無疑」は善導大師の「疑無く慮無く彼の願力に乗ずれば定んで往生を得」
というお言葉の「疑無く」の部分を指しています。
「疑無く慮無く彼の願力に乗ずれば定んで往生を得」は、
「信楽を獲れば極楽に生まれさせる」と同じ意味であり、本願の内容そのものです。
(ちなみに、この内容を深信したのが「法の深信」です。)
つまり、「【無疑】になれば【若不生者】によって極楽に往生できる」というのが、
【無疑】と【若不生者】との関係なのであって、
「【若不生者】によって【無疑】になれる」などとはどこにも説かれていません。


953 :神も仏も名無しさん:2008/07/01(火) 13:32:46 ID:mb/M7X/U
>>尊号真像銘文には『「若不生者不取正覚」といふは、
>「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと
>誓ひたまへるみのりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、
>わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。』
>とありますので、貴社の解説書の文章から見ても、
>「若不生者」は不体失往生のことではありません。

>「わが浄土にもし生れずは仏に成らじ」だから体失往生に間違いない、という確>信に
>満ちているというか、もの知らずの恥かかず。

>たとえば
>光明寺の和尚の『般舟讃』には、「信心のひとは、
>その心すでにつねに浄土に居す」と釈したまへり。


ちび丸の説によると「至心信楽をえた人を、信楽にさせる」のが弥陀の本願だそうな。

極楽往生=信心決定、と解釈すると、

信心決定した人を、信心決定させる、という本願になる。

何が言いたいか分からない。


954 :神も仏も名無しさん:2008/07/01(火) 13:34:58 ID:vtGL5MhQ
「至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじ」
と親鸞聖人が仰っているのですから、
「生」の部分が「わが浄土に」であることは明らかじゃありませんか!
田中さんが言われた通りです。
どうして、もっと素直に親鸞聖人のお言葉を読めないんですか。

信心を獲れば、本願に誓われた通り、極楽往生が確定し、
さらに、未来が明るければ現在も明るいですから「心は浄土に遊ぶなり」と言われ、
そこから「不体失往生」という概念が派生しました。
それ故、親鸞聖人は成就文の「即得往生」を現益に読み替えられたのです。
これらはすべて、元をたどれば「若不生者」を当益と解釈したからこそ導かれたのです。

このことを十分に踏まえた上で、本願の内容を
「信楽を獲た人は不体失往生する」と味わうのであれば問題ありませんし、
成就文で言うなら、そのものズバリです。
ですから、

> 光明寺の和尚の『般舟讃』には、「信心のひとは、
> その心すでにつねに浄土に居す」と釈したまへり。

というお言葉とも矛盾しません。

しかし、あくまで「信楽を獲た人は…」という前提条件があるのであって、
光明寺の和尚も「十方衆生を信楽に生まれさせる」というのが本願だ、
とは仰っていません。


957 :神も仏も名無しさん:2008/07/01(火) 13:59:39 ID:vtGL5MhQ
ちょっと疑問があります。

ちび丸やネット対策員は、こことか法論ブログのコメント欄に、
根拠があるらしきことを時々カキコしますが、
それなら山田氏自身が、本筋の法論の中で、
堂々とそれを出せばいいんじゃないの?

ネット対策員は、山田氏(高森会長)の返信の内容を考案するメンバーなんでしょ?
本当は根拠を知っているのに、それを高森会長に教えるのは恐れ多くてできないんでしょうか?
このあたりのことが大きな謎です。


960 :神も仏も名無しさん:2008/07/01(火) 14:11:20 ID:vtGL5MhQ
>「若不生者」の成就がないことになるのも前に言ったとおり。

親鸞会こそ、「若不生者」の成就がない、と言ってるんじゃないの?
「全ての人を信楽に生まれさせる」というのが「若不生者」だと主張する以上、
もしそれが成就しているのなら、全ての人は獲信しているはずでしょ?
それは事実に反しますから、
親鸞会は事実上、「若不生者」の成就がないと言っていることになります。

逃げたと表現するとしても勝ち逃げだね

チューリップの山田氏、何ヶ月ものらりくらりと回答するのを逃げていたものの、田中氏の巧みな誘導でとうとう答えざるを得ない状況に追い込まれて出した根拠。それを山田氏にボコボコに反論されて、出したメールがさらにボコボコにされているのですから。

私の思うに、「不体失往生」の根拠がどれか云々よりも、「死後の往生を否定するチューリップ企画」とレッテルを貼られたことのほうが大きいと思います。「不体失往生」の根拠がどれか云々は難しくて何を議論しているのかわからない人も少なくないと思いますが、「死後の往生を否定するチューリップ企画」というのは間違いの教義であることが明白ですし、根本にかかわる問題です。
もちろんこれは言葉のあやというか山田氏の記載の矛盾を突かれたわけですが、前の記載を「ごめんチャイ」して取り消せばよかったのを強情言って、『「死後の往生を否定するチューリップ企画」良いフレーズを作られましたね。これしかないと、前回に6回、今回は4回、合わせて10回、よほどお気に入りのフレーズのようですから、精々心ゆくまでお楽しみ下さい。

それはお任せですが』と言うような回答をするもんだから引っ込みがつかなくなりました。
まさに「へぼ将棋、王(大切な教義)より飛車(前言)をかわいがり」ですね。

それにしても、チューリップ企画、ここまで見事に悪態をさらしてしまいましたね。

↑修正

×:それを山田氏にボコボコに反論されて、
○:それを田中氏にボコボコに反論されて、

↑修正

○:それを山田氏にボコボコに反論されて、
×:それを田中氏にボコボコに反論されて、

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。