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親鸞会教義の相対化・49

つづき


以上、本書に対する感想を述べさせて頂きました。

本書は、高森先生の著書のような親鸞会の教義面を語るものより
も、むしろ端的に親鸞会らしさが表れていたのではないかと思います。

法然上人は、

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『往生大要抄』
・至誠心というは、真実の心なり。その真実というは、内外相応の
心なり。身にふるまい、口にいい、意におもはん事、みな人めをか
ざる事なく、まことを現すなり。
(p.305、以下は、全て浄土宗聖典巻4のページ数)
・外相の善悪をばかへりみず、世間の謗誉をわきまへず、内心に穢
土をもいとい浄土をも願い、悪をもとどめ、善をも修して、まめや
かに仏の意にかなはん事をおもふを、真実とは申すなり。
(p.306)
・ただ外相の賢愚善悪をば選ばす、内心の邪正迷悟によるべきなり。
(pp.307-8)

『御消息』
・至誠心というは、真実心なり。その真実というは、身にふるま
ひ、口にいひ、心におもはん事、みなまことの心を具すべきなり。
すなわち内はむなしくして、外をかざる心のなきをいうなり。
(p.535)
・されば詮ずるところは、ただ内心にまことの心をおこして、外相
はよくもあれ、あしくもあれ、とてもかくてもあるべきにやと、お
ぼえ候なり。おほかた此世をいとはん事も、極楽を願はん事も、人
目ばかりを思はで、まことの心をおこすべきにて候なり。これを至
誠心と申し候なり。
(p.536)

『浄土宗略抄』
・至誠心ととかれたるは、すなはち真実の心を云うなり。真実とい
うは、身にふるまい口にいい心に思わん事も、内むなしくして外を
かざる心なきをいうなり。詮じてはまことに穢土をいとひ浄土をね
がいて、外相と内心と相応すべきなり。
(p.355)
>>>

●外面にとらわれるな・・内は虚しいのに、外を飾ってはいけない。
●内を真実にせよ・・内が真であるか否かが問題である。

という主張をされています。「信は荘厳より生ず」という言葉があ
ります。書物に向かえば読む心になり、筆を持てば書きたい心にな
るように、形から心が導びかれることが確かにあります。

だから「形を正す」ことは決して悪いことではありません。しかし
何のためにそれを行うのかということを常に確認していく必要があ
ります。

「形を正す」ことから導かれるべき心が誤ったものに設定されてい
るのであれば、非常に深刻な問題が発生します。

その問題が、現にこうして親鸞会に起こっていることは間違いない
と思います。


以上


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