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親鸞会教義の相対化・51

清森義行様

 渡部隆志著『キリスト教文明の崩壊と仏教の時代』(とどろき出
版社)を読み終えましたので、感想を送らせて頂きます。

 今回も分量が多いので数回に分けさせて頂きます。

※本書の一部(pp.136-161)は以下のサイトに掲載されています。
http://sendai.cool.ne.jp/tetuworld/index1.htm


【pp.42-43】
 『般若心経』の「色即是空、空即是色」が、現代物理学の先端を
いくアインシュタインの相対性理論に現れる式、
 E=mc2(二乗)(Eはエネルギー、mは物質の質量、cは光速度)
と同じ意味であるとは、多くの物理学者が指摘するところ。もちろ
ん、仏意はそんなに単純ではないのだが、新進の物理学者で、本気
に仏典を研究し、修行しようとする者も多い。
★ ★ ★

 「仏教と現代科学の共通点」というような言い方は、通俗的な仏
教書ではよくある話ですし、それで読者の興味を喚起するならば必
ずしも悪いことではないと思います。
 しかし、「アインシュタインの相対性理論」は「現代物理学」を
支える重要な理論ではありますが、「量子論」で取り扱っている問
題を取り扱うことができません。
 「現代物理学の先端」は、「相対性理論」と「量子論」を統一し
たものを目指していますので、「アインシュタインの相対性理論」
だけで「現代物理学」を語り尽くすかのような言い方には問題があ
るのではないかと思います。

 したがって、渡部氏がどの程度「現代物理学」の本をご覧になっ
ているのかはわかりませんが、本書はあくまでも「通俗的な仏教
書」程度のものとして取り扱うべきであると思います。

 私は、同じように「仏教と現代科学の共通点」について書かれた
本でより学術的なものとして、

★佐々木閑著『犀の角たち』(大蔵出版)

をお奨めします。

 佐々木先生は、京都大学の工学部工業化学科を出られた後に文学
部哲学科仏教学専攻を卒業され、その後京都大学大学院、カリフォ
ルニア大学バークレー校に進まれた方で、律の世界的権威であり、
初期大乗仏教の最先端の研究者でもあります。

 佐々木先生のこの本は、仏教に関して正確な理解がなされている
のはもちろんですが、先生自身が理科系出身の方であるとともに、
花園大学で科学分野の現役研究者を招いて最新の研究成果を紹介し
てもらう取り組みを行った成果が反映されていますので、科学に関
する知識も決していい加減なものではなく、より確かなものです。

 佐々木先生が「相対性理論」と「量子論」の関係についてまとめ
てくださっているので、以下に引用しておきます。

====以下引用====
 相対性理論は、時間と空間という我々にとっては最も基本的な環
境が、我々の直感に反して相対的なものであることを示した。しか
もそれは質量のせいでねじれゆがんでいるという。しかしそれで
も、その世界の中で展開する現象は、我々が頭の中で想定している
のと同様、因果律に基づいてまっすぐ一義的に進んでいくもので
あった。すべての存在は、はっきり決まった状態にあり、これから
どうなるかもはっきり決まっているのである。
 ところがこれを量子論が否定する。我々の住むこの世界は、可能
性の重ね合わせであって、それ以上のものではない、そしてそれを
観測する場合、対象のすべての状態を一義的に決定することは絶対
に不可能だという。量子論は、我々が常識的に感じている、世界の
厳密さというものを奪ってしまった。極端なイメージとしては、こ
の世界は茫々とした不確定性の荒野であり、我々はそこをさまよう
迷い人ということになる。我々には何一つ確実なものなど手に入ら
ないのである。アインシュタインは、そこが納得できなかった。あ
くまで因果律の支配する明確な世界を追い求め、確率の支配する世
界など信じられなかったのである。
 デカルト、ニュートン、アインシュタイン。天才たちによって科
学に内在する神の視点は次々に人間の視点へと移し替えられてきた
が、それは同時に、彼らが後継者たちによって乗り越えられていく
歴史でもある。アインシュタインが「神はサイコロ遊びをしない」
と言って、自説を神の立場に喩えているところが、その対立者とし
て現れた量子論が、より人間の視点に立つ理論であることを示して
いる。量子論によって物理の視点はいよいよ神の世界を離れ、人間
を中心に据えたものへと移り変わった。そして、直覚が要求する、
単一で合理的でエレガントな理想の世界はますます遠ざかり、不可
思議が支配する不条理の世界へと墮落したのである。(何度も言う
が、墮落とは感覚の傾向であって劣悪化を意味するのではない)。
pp.48-49.
====以上引用====

 これを読んで頂けば、「量子論」を抜きで「現代物理学」を語る
ことが、どれ程不当な行為であるかは明かです。

 それに相対性理論の式は、物質とエネルギーが交換可能であるこ
とを示した式ですので、「色即是空、空即是色」との類似性を指摘
するのであれば、むしろ「量子論」を挙げるべきであったと思います。

 更にもっと厳しいことを言わせて頂くと、所謂「ニューサイエン
ス」系の物理学者の文献読解の杜撰さと仏教理解の不十分さは、ま
ともに仏教文献を読んだことのあるものであれば一目瞭然です。

 渡部氏が「多くの物理学者が指摘するところ」を本当に確認した
かどうかはともかく、学問的手続きを踏まえた学術書と、所謂「ト
ンデモ本」は明確に区別して用いる必要があります。


つづく
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COMMENTS

No title

渡部隆志著『キリスト教文明の崩壊と仏教の時代』ですか。

「仏教の世界観が真理であることは、現象学が論理的に証明した後、量子力学、素粒子物理学などで 実証されている。」とか書いてある本ですよね。

読む時間が勿体無いです。
まともに論ずるだけの価値があるとは思えません。

数少ない例外

山崎豊講師の『親鸞聖人の旅』は「足で書いた本」なので読みごたえがある。
当然求めさせていただいている。
渡部講師の『キリスト教文明の崩壊と仏教の時代』は「頭で書いた本」なので・・・
ちょっとコメントはかんべん。
これをすごいと思ってくれるのは高校でたぱかりの新入生ぐらいでは。
大学も高学年になると卒論もあって勉強する。
と、この本の浅薄さがすぐわかる。


>『般若心経』の「色即是空、空即是色」が、現代物理学の先端を
>いくアインシュタインの相対性理論に現れる式、
> E=mc2(二乗)(Eはエネルギー、mは物質の質量、cは光速度)
>と同じ意味であるとは、多くの物理学者が指摘するところ。

んな人いないって。
いても少数で『E=mc2を「色即是空、空即是色」と解釈できるかも』と言う程度。
「違うもの」を「同じ意味である」と言うようなマヌケじゃ学者にはなれんのよ。
そういう人は淘汰されていなくなる。
まあ、おかしな学者もなかにはいるが、それは少数。
渡部講師は早稲田中退で卒論も書いてないんじゃ?
卒論で徹底的にやられてみればわかるよ。
知の殿堂にいてそこでメシ食ってる学者はウソに敏感で
ちょっとでもウソ言ったら徹底的にやっつけられる。


>新進の物理学者で、本気に仏典を研究し、修行しようとする者も多い。

多いと言うからには 70% か 80% か?
しかし、んな人聞いたことがない。
「新進の物理学者」を40以下として知る限り1人もいなかったからおよそ 5% 以下だ。
5% 以下なら少数。
龍大なら違うだろうが、それは例外。
仮に龍大の「新進の物理学者」が全員、本気で仏典を研究しているとしても
全体からみればやはりごくごく少数。

(参考) 大谷大学は文系だけみたい
http://www.yozemi.ac.jp/rank/daigakubetsu/shiritsu/kinki/otani.html
http://www.otani.ac.jp/annai/gakubu/index.html


このように渡部講師は足で調査せず明らかに「頭で」書いている。

それに「・・・という人がいる」と「・・・という人が多い」は
違う意味だとわかってるのかな。
渡部講師のここでの主張は明確なウソ。
前者ならウソとは言えない。


パラ見で程度がわかる。
親鸞会の本はほぼすべて求めさせていただいているが、
この『キリスト教文明の崩壊と仏教の時代』は数少ない例外。


>まともに論ずるだけの価値があるとは思えません。

まったくその通り。これで親鸞会を批評してほしくない。

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