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 昨日紹介した方からの別の投稿です。

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 親鸞会の話のみを聞いていると、おかしいことでも、正しいと思ってしまうのが不思議です。

 因果の道理が説かれている仏法を聞かせて頂いている会員さんで、世間の人より幸せそうでない人が多いのは変だ、という当たり前のことさえ分からなくなっていました。

 善知識の言われることに疑問を抱いてはいけないという無意識の働きがそうさせたのか分かりませんが、言われることに疑問をはさまず納得するのが近道だと思っていました。

 真実のかけらのないのが本性なのだから、自分の感情や疑問に従ってはいけないと、人間の素直な感覚に対して麻痺していたのかもしれません。

 仏法を変にややこしく、人に知識欲を自慢したくなるような、ちょっと斜めの角度から聞かせて頂くのではなく、もっと、一般的にも当たり前で単純で素直に「善因楽果悪因苦果自因自果」「廃悪修善」を実践していくのが正しい仏法ではないかと、今のところ思います。

「善因善果悪因悪果自因自果」が分かったら廃悪修善の心が起きる、と説く一方で、
真実の自己は善のひとかけらもできない者なんですとか、これこれこういう時の善でも、こう考えれば結局自分の為に善をやっているので、雑毒の善なんですとか、一切衆生必堕無間ですとか、善が出来ない自分だと知らされるまで善にをやりなさいとか、善が間に合って絶対の幸福に救われるのではありませんなど、という結論を教えられて善をやろうという気が起きるはずがないと思います。善をやる動機がありません。精神的にも健全になれそうもありません。

「善因楽果」だから素直に楽果を受けるため、と素直に理解すればいいように思いました。

 親鸞聖人でさえ化土往生を説かれていると聞きますので、こういう教え方は仏法がまだそんなに分かっていると言えない私でさえ、今考えるとおかしいなと思いました。

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