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質疑応答129

【質問】


 以下の言葉が、信楽に生まれさせるという根拠だと主張するサイトがありますが、どのように思われますか?

「無疑」等とは、「若不生者不取正覚」、正覚既に成ず、故に無疑という。
「即得往生住不退転」一念誤ることなし、故に無慮という。(六要鈔)



【回答】

 そのサイトは、一応、読みましたが、どうして「若不生者」が「信楽に生まれさせる」という意味になるのか、理解できませんでした。


●「無疑」等とは、「若不生者不取正覚」、正覚既に成ず、故に無疑という。「即得往生住不退転」一念誤ることなし、故に無慮という。(六要鈔)

 このお言葉は、二種深信の解説をされた所です。

●かの阿弥陀仏の四十八願、衆生を摂受したまう、疑いなく慮なく、かの願力に乗ずれば定んで往生を得(法の深信)

 ここで、善導大師が「往生」と仰っているのは、極楽往生です。
「極楽往生できることに疑いが晴れた」と仰っています。
 そのことを、六要鈔では、「無疑」と仰っています。

 これは、若不生者の「生」が、「極楽浄土」だという根拠だと思いますが、どのように解釈すれば、「信楽に生まれる」になるのでしょうか?

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COMMENTS

No title

私には理解できないんですけど、親鸞会の人って何でそんなに「信楽に生まれさせる」にこだわるのでしょう。
親鸞聖人が書かれた通りに「極楽に生まれされる」で良いじゃないですか。
親鸞聖人がどこにも書かれていない「信楽に生まれさせる」と教えることが、そんなに重要なのですか。
まったく理解できません。
いつまでもこんな質問に一々答える清森さんもご苦労さまです。

No title

親鸞会の人がというよりも、高森先生がという方が正しいと思います。


「どんな人をも必ず助ける、絶対の幸福に。」といい方をした時の、
「必ず助ける」の部分の根拠にしているからと思われます。

それどころか、
「信楽にしてみせるというと必ず疑いが出る。
それも阿弥陀仏は見抜いた上で、その疑いを晴らしてみせると、
若不生者不取正覚と誓われている」とも、仰る。

今まで、阿弥陀仏が若不生者と誓われているところだから必ず信楽になれるのだと教えてきたところであり、
阿弥陀仏が、命をかけて誓われていることであり、
若不生者不取正覚を間違えると「弥陀を殺すことになる」、「釈迦の一切経が反古になる」
とまで今年になって、何回も断言した手前もありますから、
どうにもゆずれないのだと思います。


今年になって「往生一定」を、いつ死んでも極楽参り間違いないとハッキリする、とは説明されてない事に、法論の影響を思う人もあるでしょう。

後生の一大事が、必堕無間と説明すべきかどうかはともかく、
直近は、後生の一大事の解決が仏法の目的であると言われなくなった。
今年、聞き始めた人は、この世の苦しみの解決が仏法の目的としか聞けないでしょう。
今後は、稲と藁の話もされないでしょう。
願成就文に死後のことは書かれていないとか仰るから、
「親鸞聖人の教えを一言で言えば二益法門」と去年仰った事に、
どう整合性をつけれるのかと、疑問に思ったり。


善恵房との諍論では、
「本当は、即得往生住不退転を根拠として出されたが、アニメでは分かりにくくなるので、そこまでは描かなかった」と、
先生は以前から仰っていて、それは、ある程度、先生から、聞いてきた人には常識でしょう。
「不体失往生の根拠は即得往生である。」と。
ならば、法論でも、そういえばよかったのに、必要以上に力んでしまわれて、
「わざと穴をあけておったが、そこを突いて来た者がおる」とか、余裕を表現していたのに、
その後どうなさるおつもりなのか。お手並み拝見としかいいようがない。

『親鸞聖人が、若不生者不取正覚の「生」は「この世でうまれさせる」ことだ、と言われていることについて、
「親鸞聖人が、そんな解釈をされている根拠はない」とのご指摘でした。」
「では、親鸞聖人は不体失往生を主張されなかった方なのでしょうか?」』

これではね・・。


一応、仏教究極の目的は成仏であると、先生も仰る。
人間では、信楽になるまでしか出来ないから、人生の目的は信楽を獲ることとなる。と仰った。
去年「仏教究極の目的といいますが、目的が色々あるのですか」との質問に答えて下さった。

その仏教究極の目的(成仏)が、弥陀の本願で果たせる根拠はと言われたら、どこになるのかと思った。

あの法論はつくづく失敗だと思った。あるいはSさんの言う通り如来のドラマか。
所謂親鸞学徒でも、今や口にするのも勇気がいる法論となった。

No title

> 所謂親鸞学徒でも、今や口にするのも勇気がいる法論となった。

あれあれ、チューリップ企画の大勝利と喧伝されているかと思いきや、会員でも口にするのが憚られるのですか。
まあ、あれを読んだら、誰でも親鸞会がおかしいと思いますわ。
どうするつもりですかね。

No title

>親鸞会の人がというよりも、高森先生がという方が正しいと思います。

高森先生、清森氏、及びそれら周囲の数人が「信楽に生まれさせる」にこだわっているんでしょう。
親鸞会から離れた時にも感じた感覚ですが、狭い世界でのみ通用する一大事ってことは、離れて見ないと気付かないんですね。

No title

>>高森先生、清森氏、及びそれら周囲の数人が「信楽に生まれさせる」にこだわっている
>>んでしょう。

清森氏は、質疑応答128で、以下のように述べています。

「ですから、阿弥陀仏が命を懸けておられるは信楽だ、信心決定が仏教の目的だ、
と思っているうちは、救われないと思います。」

高森氏は信楽にこだわっていますが、清森氏は成仏が仏教の目的であるというように
断言されています。

No title

質疑応答128 では
”阿弥陀仏が命を懸けておられるは信楽だ”、”信心決定が仏教の目的だ”
こういう心が邪魔になって信心決定できないんじゃないのか?という仮説をたてているんですよね。
だから、そういう話はサラッと流せばいいんじゃないの?って思うわけです。あえてここに固執しているように見えたものですから。
まああくまでも そう感じたってゆーだけです。

No title

教学講義で、二益法門の根拠ということを教えて頂きましたことを、
一応報告しておきます。



そのサイト更新されたみたい
http://takamoripakuri.blog50.fc2.com/

この"法論"がネット上に公開、人口に膾炙されるようになって半年以上が過ぎた。
横から入って、この問題に対する自分の領解を答えてしまっては
あまりに失礼だろうと思って”法論”終了までずっと待ち続けた。
そして終了が宣言されたのを見計らってから、このサイトを立ち上げた。
前項で、若不生者のこころとは何かを明らかにしたつもりである。
また、不体失往生についても十分説明した。

これ以上の誤解が起こらないように注意して書き綴ったのだが、
力不足はあるだろう。理解のお役にたったのであれば幸いであるが、
どう受け取るかは、むろん読者の自由である。

No title

新しいサイトが出来たみたいだな。

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はろはろ~
皆さんこんにちは!

チューリップ企画の「徹底検証」はじまりましたね~。
 ↓
http://shinjin.info/

ちょっと退屈してたんで、また楽しめそうです

対抗して(?)僕もブログを作ってみたんで、良かったら遊びにきてね


苦笑の独り言
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/


田中さん!山田さん!よかったら相互リンクしましょうよ!!
投稿 苦笑(久しぶり!) | 2008年8月 1日 (金) 10時41分

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