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親鸞会教義の相対化・65

清森義行様


最近、以下のHPにアップされた内容に、驚くべき記述がありました。

(株)チューリップ企画と田中一憲氏の論戦
http://shinjin.info/

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ナレーター「のちに、浄土宗を開いたほどの、善恵房証空も、そのあやまちを、この時、聖人に、徹底的に打ち破られたのであった。これは、今日、親鸞聖人の三大諍論の一つとして、『体失・不体失往生の諍論』と、伝えられている」
http://shinjin.info/oujyou
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 これに関しては、20085/18(日)のメールで田中さんが以下のように指摘し、


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ついでですから、申し上げておきますが、ビデオの中に「後に浄土宗を開いた程の善恵房証空も…」という台詞がありますが、これは「浄土宗西山派」の間違いですね。「浄土宗」を開いたのは法然上人です。
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 2008 5/19(月)に山田さんは以下のように答え、


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アニメの「浄土宗云々」につきましては、後日、改めてご挨拶する機会もあると思いますので、「確認」している事項を、もう一度挙げておきます。
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 更に、20085/25(日)に田中さんが以下のように仰っておられます。


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これについては、間違いを認めて下さったようですね。わざわざ御礼に来ていただくまでもありません。ビデオ製作者の勉強不足もあるようですので、貴方の責任ではないと思います。

これは教義とは関係のない、単純ミスと思われますから、次に改訂されることがあれば、その時にでも直されたら良いかと思います。
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 それにも関わらずチューリップ企画は、間違いを全く訂正することもなく、インターネットという世界中に発信できるメディアに掲載し、誤った情報を垂れ流しています。

 既に田中さんが指摘してくださっているわけですが、私の方で資料を掲載し、改めてチューリップ企画の誤りを「ハッキリ」させておきたいと思います。


1)本人の証言

「我今浄土宗を立つる意趣は、凡夫の報土にむまるることを示さんがためなり」
(『勅伝』巻六、『一期物語』昭法全p.440、『浄土立宗の御詞』昭法全p.481)

と法然上人ご自身が述べておられます。

 法然上人が浄土宗を開宗するまで「浄土宗」というものはありませんでした。それまでなかった「浄土宗」を法然上人が新たに立てたのです。


2)同時代の批判

 法然上人が、それまで存在しなかった「浄土宗」を新たに立てたために、

「新宗を立つる失」
(貞慶『興福寺奏状』日本思想体系15「鎌倉旧仏教」pp.32-33)

「八宗九宗の外に浄土宗を立つる事、自由の条かな、と余宗の人の申し候をばいかが・・」
(「十二問答」聖典4巻p.433)

というように、法然上人は同時代の他宗の人から反発を受けています。


3)「宗」について

 チューリップ企画は、そもそも「宗」というものが指し示す概念を理解していません。

「宗」とは、「道理」「主張」「定説」を意味するもので、『倶舎論』においては「毘婆沙宗」(説一切有部の正統派)、「経部宗」(説一切有部の異端派)という形で使われます。

 最近は「教団」のことを「浄土宗」というように言う場合もありますが、本来「宗」は思想あるいは理論であって人の集団でも教団でもありませんでした、ただ「宗」を奉ずる集団や教団が「宗」に付随していたわけです。

 この「宗」(理論)および宗派(教団)の別れ目になったのが、「釈尊の教説をどう見るか」という聖典解釈です。

 釈尊は相手の能力に応じて、様々に教えを説いてこられました(対機説法)。これによって、八万四千の法門と呼ばれる様々な教えが出来きたのです。

 そして様々な教えがあるため、それぞれの教え同士に矛盾が出てきて、「どの教えが釈尊の真意であるか」ということが問題になったのです。

 部派仏教を例にするならば、「一切は皆苦なり」というのが真意だとするのが経部宗で、「受に三種あり。苦・楽・不苦不楽なり」というのが真意だとするのが毘婆沙宗でした。

 このように「宗」を立てるときには、「どの教えが釈尊の真意であるか」という「聖典解釈」がもっとも重要な別れ目となったわけです。

 釈尊亡きあと、その解釈は個々の仏教徒の手に委ねられることになり、それによって様々な宗派が立てられました。

 このことに関して法然上人は、「禅勝房に示されける御詞」において、

「宗を立つる事は更に仏説にはあらず、自ら学ぶ所の経論に付きて、その義を覚り極むるなり。諸宗の習い、皆もって此くの如し。」
(宗派を開くことは、もとより釈尊の教えにはない。その宗の祖師が自ら学んできた経典や論書についての理解を極めた結果である。それは各宗ともに開宗の常であり、いずれの宗派も皆、そのような由縁によっている。)
(昭法全p.697)

と述べ、「十二問答」においても、

「宗の名をたつることは仏説にはあらず、みずからこころざすところの経教につきて、存じたる義を学しきわめて、宗義を判ずることなり。諸宗のならい、みなかくのごとし。」
(昭法全p.632)

と述べておられます。


 膨大にある釈尊の教説の中で、

「すべては心であるとする説が真意」とする法相宗
「すべては空であるとする説が真意」とする三論宗
「華厳経の説が真意」とする華厳宗
「密教の教えが真意」とする真言宗
「法華経の説が真意」とする天台宗

これらと同じように、

「浄土三部経の説が真意である」とする浄土宗を、法然上人が初めて開かれたのです。

 わが国で、法然上人のような意味での「宗」を開いた人は他にはおらず、そこが法然上人の最も大きな思想史的意義であるとさえ仰る方もおられます。



4)「浄土宗」=「浄土真宗」

 以上を踏まえて以下の親鸞聖人の言葉をご覧いただきたいと思います。

「智慧光のちからより本師源空あらはれて浄土真宗をひらきつつ選択本願のべたまふ」
(『高僧和讃』浄土真宗聖典p.595)

 親鸞聖人は、法然上人がお立てになられた「宗」を「浄土真宗」と述べておられます。

 法然上人にとっての「浄土宗」と親鸞聖人にとっての「浄土真宗」は同じものであり、どちらも法然上人がお立てになられたものです。

「宗」が教団を意味せず、法然上人にとっての「浄土宗」を親鸞聖人が「浄土真宗」と位置づけているのですから、「のちに、浄土宗を開いたほどの、善恵房証空」としたチューリップ企画の誤りは極めて深刻なものです。




 チューリップ企画の誤りを、田中さんは「教義とは関係のない、単純ミス」と仰っておられました。
 しかし私に言わせれば、法然上人の思想的意義が全く理解できていない上に、法然上人のご苦労や親鸞聖人の思いを無にするような、許し難き暴挙です。

 偽装問題などで企業のモラルがうるさく言われている昨今ですが、このような誠実さの欠片もないような企業が「浄土真宗の教え」を語ることにより、浄土門や仏教界全体の印象が著しく悪化することを、私は深く危惧します。

 せめて清森問答をご覧の方にだけでも、チューリップ企画が垂れ流している情報の誤りの深刻さをご理解いただければと思います。
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