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親鸞会教義の相対化・67 (投稿)

(投稿)
つづき


 以上のような論の上で、平先生は法然上人の思想的意義を別の部分に求めておられます。

 当時、旧仏教は民衆に対して殺生堕地獄観を説いていました。

「生き物を殺すことはよくない、地獄に堕ちる罪である」

という教えですが、漁労・狩猟・農耕・養蚕・山林伐採も殺生であるとしたのです。これは言い換えれば生産労働が罪であるということです。

 そして、「人間は労働することによって罪を得る。だから寺社に結縁奉仕して罪の贖罪をしなければならない」と旧仏教は説いたのです。

 平先生は河田光夫先生の研究(「法然の善人意識から親鸞の悪人意識へ」『日本文学』177号)に基づき、こうした民衆の謂れのない罪意識からの解放を達成したのが法然上人であるとされたのです。

 これに関しては、清森問答で既に紹介しましたが、法然上人は「正如房へ遣わす御文」において、

「五逆十悪の重き罪造りたる悪人なお十声一声の念仏によりて往生しそうらわんに、まして罪造らせおわします御事は何事かそうろうべき。たといそうろうべきにても幾程の事かはそうろうべき。この『経』に説かれてそうろう罪人にはいい比ぶべくやはそうろう」
(聖典巻4pp.430-431)

と述べておられます。

 あなた方は自分が罪深い、罪深いと考えているが、実際に何をしたというのか。親を殺したのか、仏を傷つけたのか、何もしていないではないか。経典に述べられるような罪人と比べると、大した罪など犯していないではないか。

というように過剰な罪業観に悩むことが不要であることを説いています。

 さらに「十二問答」においては、

「かの三宝滅尽の時の念仏者と当時の御房達と比ぶれば、当時の御坊達は仏のごとし」(聖典巻4pp.437-438)

と断じておられます。

 末法万年後の人間と比べたならば今のあなた方は仏のような存在である。

 法然上人はそう語って不当な罪意識から民衆の心を解き放ったというのです。

 すなわち、仏教の民衆解放ではなくて、労働罪業説を否定することによって謂れのない呪縛から民衆の心を解放したのが、法然上人の果たした大きな役割であったとしているのです。


 さらに平先生は、旧仏教の法然上人に対する評価に法然上人の思想的意義を見出しておられます。

 明恵上人は、法然上人の『選択本願念仏集』を批判した『摧邪輪』において、

「称名一行は劣根一類のために授くるところ也。汝、何ぞ天下の諸人を以って、皆下劣の根機となすや。無礼の至り、称計すべからず」

と述べています。

「仏教の数ある行のなかで、南無阿弥陀仏と口に称える称名念仏はもっともレベルの低い行だ。なぜ、こうした行が設けられたかと言うと、「劣根一類」の救済のためだ。レベルの低い愚者凡夫の救済のために、こうした行があてがわれている。ところが法然の主張に従うならば、この世に生きている人々はすべて「劣根一類」ということになり、愚者凡夫ということになってしまう。何という無礼な発言か!」

と明恵は怒っているのですが、ここに法然上人の思想的意義があると平先生は主張され、


>>>
 法然が追求したのは来世の平等ではなく、現世の平等でした。往生行をもっとも低劣とみなされているものに一元化すれば、現世の宗教的平等を主張することができる。ここに法然の最大の思想的発見があります。

 法然が登場する以前も、以後も、たいていの民衆は念仏を称えていました。
 そして顕密仏教は民衆に対し、念仏を専修するよう、勧めてさえいます。初心者が最初からいろいろな行をすると、混乱して効果がない。だから愚者はまず、もっともレベルの低い称名念仏を専修して、それを集中的に行じなさい。それが成就すれば、次第にレベルを上げていって、最終的に真の仏法に到達すればよい、これが顕密仏教の教えでした。

 ところが法然は(中略)顕密仏教の世界では、バカな連中にあてがわれた最低の行であった称名を、唯一の真の浄土教、唯一の真の仏法と位置づけ直すことによって、彼らは現世の宗教的平等を達成したのです。最低の行たる「称名一行」の復権は、とりも直さず「劣根一類」の復権であり、「称名一行」を唯一の真の仏法と語ることは、「劣根一類」を真の人間と主張することでもあります。
>>>

と述べ、法然上人の思想の根幹は、宗教的平等にあると結論付けるのです。


 以上が、本書の最初の「専修念仏とその時代」の概略です。
 法然上人や親鸞聖人の研究から出発し、法然上人や親鸞聖人が対決した旧仏教の研究をし、さらにその旧仏教の発展を支えた朝廷の宗教政策や仏教を取り巻く国家制度を研究し、現在では鎌倉幕府が展開した宗教政策の研究を行っている史学科の平先生ならではの、非常にスケールの大きな論だと思います。


 なお、本書を読んで、当時の顕密仏教の教義と親鸞会教義に幾つかの共通点があると感じましたので、最後にそのことについて少し述べてみたいと思います。


つづく
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