私の白道[無上殊勝願](投稿)
●私の白道[無上殊勝願](投稿)
元親鸞会講師部
○母の往生
しばらく御不沙汰いたしましたが、「私の白道」から2ヶ月余りが過ぎました。
その間に母が亡くなり、無常と愛別離苦を思い知らされました。
心臓の手術は成功しましたが、脳梗塞で意識不明となり、86歳の生涯を終えて阿弥陀仏の待っておられるお浄土へ往きました。
生前、満州大陸で亡くした、前夫、子供2人、そして父のことを気にかけていましたから、往生成仏、弥陀同体の覚りを得て、神通力を以ってその後生を知り、既に済度に出かけていると私は思います。お浄土でのんびり、じっとしてはいないでしょう。
「ただ、自力を棄てて、いそぎ浄土の覚を開きなば、六道・四生のあいだ、いずれの業苦に沈めリとも、神通方便をもって有縁を度すべきなり」(歎異鈔5章)
手術前に「うまくいかねば先に往くぞ。葬式には南无阿弥陀仏のことを参られた人にお前が説法してくれや、頼むぞ」と私に言い残しました。
手術前、手術後、2ヶ月余り休みや仕事が終わって、2時間離れた病院へ何度も何度も見舞いに行く度、泣かずにおれませんでした。
この母なくして私はこの世に生を受けず、病気で2度死にそうになったのを救ってくれたのも母の必死の看護であり、私の獲信を念じ続け、親鸞会での求道を考え直させてくれたのも母であり、信心決定を心から喜んでくれたのも母でした。
私にはこの世にこれ以上無い、大事な母であり善知識でありました。
意識なく酸素吸入器で呼吸するする母の顔をなでながら、「母ちゃん、有難う、有難う」と泣いて言いました。すると耳の意識だけは残っているのか呼吸が荒くなって反応するのです。私は行く度に思いのままを耳元で話し続けました。
7月10日、母死亡と妹からの知らせを受け、実家に帰って母を見てお浄土へ往ったんだなという思いと、託された御通夜の説法の約束を果たさなければと思いました。
葬儀社には中央に南無阿弥陀仏の御名号を、右下に写真、左下に法名を頼み、手次の住職に、母の遺言なので私にお通夜の説法をさせてもらいたいと話をして、了解を得ました。
80名近くの参列者に講師部を退部して4年ぶりに説法をしました。
「仏教は釈尊のみ教えであり、釈尊は、人生は苦なり、四苦八苦があり、中でも死苦こそ人間にとって最大の苦である。死んだらどうなるか、真っ暗な心しかない、苦しみの世界、地獄がある、これを後生の一大事と教えられました。
死なない人はありませんから、ここに参列の皆さん全員の問題であります。
釈尊はこの問題の解決を求めて出家され遂に、仏の覚りを開かれてこの問題の解決を得られ仏教を説かれました。これが阿弥陀仏の本願です。
「どんな人も、本願を信じ、念仏申せば、助かる、必ず往生成仏する」
日本でこれを教えられたのが親鸞聖人です。
南无阿弥陀仏によって、この阿弥陀仏のお約束通りなれると教えてゆかれましたから、この会場のご本尊は御名号なのです。
この世のご利益の為に称えるのでもなく、どうか後生助けて下さいとお願いするために称える呪文でもありません。
南無とは、われをたのめ、あて力にせよ、信じよ、弥陀にまかせよ、助けさせてくれ、という阿弥陀仏の叫びであり、呼び声です。死ぬぞ、墜ちるぞ、危ないぞ、早く来い、そのまま来い、飛び込めーの阿弥陀仏の呼び声です。
阿弥陀仏とは、必ず助ける、罪はどれほど重くとも心配するな、引き受けた、墜としはせぬ、おさめ、救う、往生成仏させる、出来ねば共に地獄へ墜ちようぞ、離れはせんぞ。仏になる功徳は全部成就、用意した、さー受け取れよの心です。この六字の心の通りになったのが、信心決定、助けられたというのです。
そんな力、仕掛けがこの南無阿弥陀仏にあるのです。
阿弥陀仏は今、皆さん一人一人に早く分かってくれ、気づいてくれと念じ続けて、あの手、この手とご方便して導いておられるのです。
母は仕事一筋の人のように皆さん見ておられたと思いますが、実は母は阿弥陀仏の本願喜ぶ、念仏の人でありました。
南无阿弥陀仏の心を話して欲しいの願いでしたので、話しさせて頂きましたが、私は母が恋しいときは南无阿弥陀仏を称えます。南无阿弥陀仏の中にいますから。皆さんもお念仏称えて下さい。阿弥陀さまに早くあって下さい。」
以上のように30分ほど話させて頂きました。
○不思議なご縁
「私の白道」を読まれた方々が、ここ2、3ヶ月の間にも南無阿弥陀仏の「無上殊勝願」なることに気づき、大きな関心を示され、真実を求めて行動を起こされています。
私の自宅へ尋ねて来られた元親鸞会会員
手紙を書いて来られた会員、未会員
メールを下さった会員、未会員
電話かけて来られた会員、未会員
電話のあった元講師部(辞めた理由も聞きました)
華光会館のご法話、行事に参詣された会員、未会員
華光会館へ電話して、本、テープを求められた会員、未会員
関東、東海、北陸のご法話、行事に参加された会員、未会員
7月の華光会の行事に参詣し、ご法話後に幾つもの分級に分かれ、ご示談が行なわれましたが、私の参加した班の半数近くが親鸞会とご縁あった方々で、皆さん「私の白道」を読んでおられたのには驚きました。責任の重さを実感しました。
では、皆さんどう読まれたのか、どんな気持ちで私に連絡し、華光会へ行ってみよう、聞いてみようと思われたのかお知らせします。
勿論、氏名、経歴、住所は絶対に明かしません。安心して下さい。
○大きく分けると二つの理由がありました。
(1)これまで絶対正しいお方、唯一の善知識、信心もお徳も間違いないと信じ切っていた高森先生が信じられなくなった。
・ 華光時代のことを隠し、かっての師を土蔵秘事に類する者と非難される。
人間は恩が一番大事と言われたことはウソだった。
・ 長男の不倫疑惑のもみ消し、筋違いな講師部除名の身勝手な処罰を知り公平な慈悲深い先生と思っていたが裏切られた。何も文句が言えない講師部が可愛そうであり、それでも無条件で従う心が哀れで悲しい。
何も自分で判断出来ない支部長、組織に従うことが怖くなった。
・ 問題の多い長男を親鸞聖人のみ教えを伝える講師部の最高責任者に今もしておく感覚。こんな組織でお伝え出来ると思っている神経。おかしい。
布教局長も問題だが、ほっておく先生、隠す先生はもっと問題と思う。
これほどひどいとは想像できなかった。衝撃です。
(これは非常に多い批判でした)
・ 盗作を繰り返し、自分を善知識のように振舞う自尊心、誤魔化しの強さにさすがに嫌になりました。
盗作の大沼氏の本を読んだ清森講師を除名にするとは卑劣な人と思う。
他人のものばかり利用して、本当の自信がないことも分かりました。
先生の本は読む気がしなくなりました。
・ 会員の意見も聞かないで、勝手に必要も無い物を次々に建て、財施のことばかり言ってくる。苦しくなるばかり。押し付けないでほしい。
しかも会計報告もしないで、どうなっているのか信じられない。
・ チューリップ企画と田中氏の法論で見た、自分の間違いを認めない性格はとても尊敬できません。本願寺との「宿善論争」をもう一度読んでみてどちらが勝ったのか、考えが変わりました。
(2)高森先生の教えられることは正しいといえるのか。これで救われるのか疑問が出て来た。
・ 三願転入の根拠を出されるから、19願の諸善に励むしかないと信じて人集め、金集め、アニメ販売の活動をしてきたが、今死んだらどうするのだ。
宿善厚くなって助かると言われるが先が全く見えない。
こんな教えは納得できない。このままでは死んでゆけない。どこかおかしいと思った。
・ 講師部も多くいるが誰も信心決定していない。それを支部長に言うと何も言えず、人のことはどうでもいいと誤魔化す。
自力一杯求めて、自力無功と知らされるまでやるしかない、そればっかりで20年やっている。見てて変わらないと思えてきた。
まことの心でやった善など私にはないからだ。
出来ないことをやらされていると思えてきた。
・ 10分間説法で話される十悪、五逆、謗法の悪人は私のことだとよく納得できた。
真実の心、他人の幸福を願う心などない私、自分可愛いしかない私ばかりが知らされてくる。なのに真の心で諸善、活動をせよ、まだまだ自分が分かっていない、活動が足りないと言われた。
私は諸善が出来る善人が助かる19願より、悪しか出来ない私が助かる18願が聞きたいのだ。なのに三願転入しか支部長は言わない。
だれか聞かせてほしいと思っていた。
高森先生の18願の話はなぜか私の魂に響かない。
やはり宿善薄いからかと一人誰にも言えず悩んでいた。高森先生の話では納得できない心が知らされるばかりだが、どこへ行けばいいか分からない。
「私の白道」の元講師の心境はよく分かりました。
・ 平生業成、一念往生と言いながら、実際は100年、200年で得られるちっぽけなものでないとも言われる。
30年、40年求めて得られる簡単なものでないとも聞きました。
問題の大きさは分かりますが、臨終に観音菩薩の説法にあえる話には呆れました。
観音様から何を聞くのだろう。今でさえ聞けぬ者が聞けるのだろうか。
観音さまが何かすぐ助かる特別な法を説かれるだろうか。おかしなことだ。どこにそんな根拠があるのだろう。
そんなことを期待させて活動させるのかと思うと、ますます疑問に思えてきました。
・ 蓮生房も盗賊耳四郎もおかる同行も山本良介も山口善太郎も皆、聴聞して助かっている。どこに諸善励んだと言っているでしょうか。
御文章にも「雑行雑修自力の心をふりすてて」と書いてあり、その為には棄てる雑行、諸善を力一杯やれとは書いてないことに気付きました。
自力の心がすたるには、聴聞に極まる、南无阿弥陀仏のいわれを善知識にあって聞けとしかありません。
高森先生の説き方、教え方は違うと思いました。
華光会で南无阿弥陀仏の南無の心、六字の心をお聞きして、やっと機法一体、願行具足の意味がわかりました。無上の宝と知りました。
・ 高森先生は聞き始めの頃、釈尊の出世本懐は大無量寿経とハッキリと教えられた。教学講義のとき三願転入の講義で観無量寿経が出世本願と間違って言われ、アシスタントがそれを言ったら、そんなことを言っておらん、と強く否定されたが、いつの間にやら観経が出世本懐と言われるよになった。
話が変わってゆく、信用できない先生とあのときから思うよになった。
・ 雑行、雑修・自力の心は阿弥陀仏のみ心に反する心だから棄てよといわれるが、阿弥陀仏のどんな心に反するのか納得のいくように聞いたことがない。19願の諸善をやって助かろうとする心は、18願のみ心に反する心と思うが、なぜ反するのか分からなかった。
分からんまま一生、反すると知っててやらねばならぬことが不安だった。
・「私の白道」で高森先生の教えが変わってきていることを読み、また黒い心(悪業煩悩)、白い心(南無廻向の心)、暗い心(疑情、自力の心)の話に納得がいった。続けて聞きたいと思いました。特に親鸞会では聞いたことのない南无阿弥陀仏の六字の心、南無廻向の心には驚きました。阿弥陀仏がこんなにも近いとは思いませんでした。
・ 高森先生が根拠を示して話されるから絶対正しいと信じていたが、解釈が間違っていれば、根拠を出されても正しい話とは言えない。
こんな当たり前のことを何十年も気がつかなかった。何と愚かな考えだ。
又、高森先生だけが世界唯一の善知識と信じていたが、支部長、会員さんがそう言われるからそうかと思っただけで、何一つ根拠はなく、他と比べたり、調べたりしてこなかった。ただ信じていただけでこれも実に愚かでした。
今、多くの先生を知り分かりました。18願、六字の心を説かれる方がおられることを知りました。全く井の中の蛙でした。
高森先生にこだわることは愚かでした。
・ 支部長に獲信したという人がいたが、念仏はない、表情も冴えない、体験も私たちに関係ありませんと言われるし、却って怪しいな、なぜそんなことを言わねばならないのか不審が出ました。信用されると思ってなら大変な思い違い、高森先生がご存知なら尚おかしいと思いました。造花の花に匂い無しと顕正新聞にありましたが、この支部長の事かなと思いました。
・ 悩んで悩んだ末に華光会館へ来ました。
後生は一大事、どちらが本当か絶対調べる価値はある。
支部長は人間的にいい人です。会員さんも素直な良い人ばかりです。
しかし、人間関係が良くても教えが正しくなければ、どんなに努力しても助かりません。努力する方向が間違っていたら大変です。どんどん離れていってします。
何が真実か、本当なのか、親鸞会がそれを知ることを邪魔するならばおかしい。
聞くな、見るな、読むなというのはマインド・コントロールになる。
私の後生です、誰も責任は取れない、自分で確かめるしかないと思いました。
・ チューリップ企画と田中氏の法論は、私には高森先生の間違いと思いました。18願の「若不生者不取正覚」の解釈間違いはひどいことです。
これではもう他の話も聞けなくなってきました。
○皆さんの言葉、視線、態度、文字に表された必死の叫び、押さえ切れない疑問の数々。2年前の自分のあの思いが重なり、私も熱くなり時間忘れて話し、枚数忘れて返事を書きまくっています。
これ皆、過去世からの不思議な仏縁、ご縁、共に求めきれずに泣きあった仲だったのか、阿弥陀さまのやるせない願力に押し出されて来られた方々と思うと、本当に尊く思わずにおれません。お伝えせずにおれません。
ここを読まれた皆さんの心はどうでしょか。
高森先生へ長い間持ち続けた尊敬の思い、教えに間違いない筈の信念が、既に行動を起こされた人の言葉とぶつかってはいませんか。
負けてなるものかと思う人。言うことは分かる、自分も時々そう思うという人。
真剣にどちらか決めねば、少なくともこのままにしておけない、調べたいと思われる人は、清森さんに連絡されるか、華光会館へ連絡して下さい。
私の連絡先も分かります。(華光会はホームページを見て下さい)
あなたの氏名、住所は絶対に他に明かしません。安して下さい。
○一つだけお願いですが、私は仕事の都合で布教専門に時間が取れません。
朝4時30分に起床して、仕事を2つ持っているので家に帰るのが夜8時近くになる日が月に20日ほどあります。
手紙かメールなら仕事の合間に返事が書けます。
電話での話はその日の仕事で日中は出来ないことが多いです。夜8時以後ならほとんど大丈夫です。ご了解お願い致します。
私は先月、長年ご縁のあった多くの方に暑中お見舞いを出させて頂きました。
母の死亡と、理由を言わず親鸞会講師部を退部し、親鸞会を退会したことを「私の白道」に書かせて頂きました、と案内しました。
悩んで出口が見つからずにいる方に知って頂きたいの思い一つです。
本当に自分の後生の一大事を一大事を思って悩んでおられるのでしたら、遠慮なく連絡してみて下さい。その思いを聞かせて下さい。
阿弥陀仏は十劫の昔から待っておられます。
南无阿弥陀仏。
元親鸞会講師部
○母の往生
しばらく御不沙汰いたしましたが、「私の白道」から2ヶ月余りが過ぎました。
その間に母が亡くなり、無常と愛別離苦を思い知らされました。
心臓の手術は成功しましたが、脳梗塞で意識不明となり、86歳の生涯を終えて阿弥陀仏の待っておられるお浄土へ往きました。
生前、満州大陸で亡くした、前夫、子供2人、そして父のことを気にかけていましたから、往生成仏、弥陀同体の覚りを得て、神通力を以ってその後生を知り、既に済度に出かけていると私は思います。お浄土でのんびり、じっとしてはいないでしょう。
「ただ、自力を棄てて、いそぎ浄土の覚を開きなば、六道・四生のあいだ、いずれの業苦に沈めリとも、神通方便をもって有縁を度すべきなり」(歎異鈔5章)
手術前に「うまくいかねば先に往くぞ。葬式には南无阿弥陀仏のことを参られた人にお前が説法してくれや、頼むぞ」と私に言い残しました。
手術前、手術後、2ヶ月余り休みや仕事が終わって、2時間離れた病院へ何度も何度も見舞いに行く度、泣かずにおれませんでした。
この母なくして私はこの世に生を受けず、病気で2度死にそうになったのを救ってくれたのも母の必死の看護であり、私の獲信を念じ続け、親鸞会での求道を考え直させてくれたのも母であり、信心決定を心から喜んでくれたのも母でした。
私にはこの世にこれ以上無い、大事な母であり善知識でありました。
意識なく酸素吸入器で呼吸するする母の顔をなでながら、「母ちゃん、有難う、有難う」と泣いて言いました。すると耳の意識だけは残っているのか呼吸が荒くなって反応するのです。私は行く度に思いのままを耳元で話し続けました。
7月10日、母死亡と妹からの知らせを受け、実家に帰って母を見てお浄土へ往ったんだなという思いと、託された御通夜の説法の約束を果たさなければと思いました。
葬儀社には中央に南無阿弥陀仏の御名号を、右下に写真、左下に法名を頼み、手次の住職に、母の遺言なので私にお通夜の説法をさせてもらいたいと話をして、了解を得ました。
80名近くの参列者に講師部を退部して4年ぶりに説法をしました。
「仏教は釈尊のみ教えであり、釈尊は、人生は苦なり、四苦八苦があり、中でも死苦こそ人間にとって最大の苦である。死んだらどうなるか、真っ暗な心しかない、苦しみの世界、地獄がある、これを後生の一大事と教えられました。
死なない人はありませんから、ここに参列の皆さん全員の問題であります。
釈尊はこの問題の解決を求めて出家され遂に、仏の覚りを開かれてこの問題の解決を得られ仏教を説かれました。これが阿弥陀仏の本願です。
「どんな人も、本願を信じ、念仏申せば、助かる、必ず往生成仏する」
日本でこれを教えられたのが親鸞聖人です。
南无阿弥陀仏によって、この阿弥陀仏のお約束通りなれると教えてゆかれましたから、この会場のご本尊は御名号なのです。
この世のご利益の為に称えるのでもなく、どうか後生助けて下さいとお願いするために称える呪文でもありません。
南無とは、われをたのめ、あて力にせよ、信じよ、弥陀にまかせよ、助けさせてくれ、という阿弥陀仏の叫びであり、呼び声です。死ぬぞ、墜ちるぞ、危ないぞ、早く来い、そのまま来い、飛び込めーの阿弥陀仏の呼び声です。
阿弥陀仏とは、必ず助ける、罪はどれほど重くとも心配するな、引き受けた、墜としはせぬ、おさめ、救う、往生成仏させる、出来ねば共に地獄へ墜ちようぞ、離れはせんぞ。仏になる功徳は全部成就、用意した、さー受け取れよの心です。この六字の心の通りになったのが、信心決定、助けられたというのです。
そんな力、仕掛けがこの南無阿弥陀仏にあるのです。
阿弥陀仏は今、皆さん一人一人に早く分かってくれ、気づいてくれと念じ続けて、あの手、この手とご方便して導いておられるのです。
母は仕事一筋の人のように皆さん見ておられたと思いますが、実は母は阿弥陀仏の本願喜ぶ、念仏の人でありました。
南无阿弥陀仏の心を話して欲しいの願いでしたので、話しさせて頂きましたが、私は母が恋しいときは南无阿弥陀仏を称えます。南无阿弥陀仏の中にいますから。皆さんもお念仏称えて下さい。阿弥陀さまに早くあって下さい。」
以上のように30分ほど話させて頂きました。
○不思議なご縁
「私の白道」を読まれた方々が、ここ2、3ヶ月の間にも南無阿弥陀仏の「無上殊勝願」なることに気づき、大きな関心を示され、真実を求めて行動を起こされています。
私の自宅へ尋ねて来られた元親鸞会会員
手紙を書いて来られた会員、未会員
メールを下さった会員、未会員
電話かけて来られた会員、未会員
電話のあった元講師部(辞めた理由も聞きました)
華光会館のご法話、行事に参詣された会員、未会員
華光会館へ電話して、本、テープを求められた会員、未会員
関東、東海、北陸のご法話、行事に参加された会員、未会員
7月の華光会の行事に参詣し、ご法話後に幾つもの分級に分かれ、ご示談が行なわれましたが、私の参加した班の半数近くが親鸞会とご縁あった方々で、皆さん「私の白道」を読んでおられたのには驚きました。責任の重さを実感しました。
では、皆さんどう読まれたのか、どんな気持ちで私に連絡し、華光会へ行ってみよう、聞いてみようと思われたのかお知らせします。
勿論、氏名、経歴、住所は絶対に明かしません。安心して下さい。
○大きく分けると二つの理由がありました。
(1)これまで絶対正しいお方、唯一の善知識、信心もお徳も間違いないと信じ切っていた高森先生が信じられなくなった。
・ 華光時代のことを隠し、かっての師を土蔵秘事に類する者と非難される。
人間は恩が一番大事と言われたことはウソだった。
・ 長男の不倫疑惑のもみ消し、筋違いな講師部除名の身勝手な処罰を知り公平な慈悲深い先生と思っていたが裏切られた。何も文句が言えない講師部が可愛そうであり、それでも無条件で従う心が哀れで悲しい。
何も自分で判断出来ない支部長、組織に従うことが怖くなった。
・ 問題の多い長男を親鸞聖人のみ教えを伝える講師部の最高責任者に今もしておく感覚。こんな組織でお伝え出来ると思っている神経。おかしい。
布教局長も問題だが、ほっておく先生、隠す先生はもっと問題と思う。
これほどひどいとは想像できなかった。衝撃です。
(これは非常に多い批判でした)
・ 盗作を繰り返し、自分を善知識のように振舞う自尊心、誤魔化しの強さにさすがに嫌になりました。
盗作の大沼氏の本を読んだ清森講師を除名にするとは卑劣な人と思う。
他人のものばかり利用して、本当の自信がないことも分かりました。
先生の本は読む気がしなくなりました。
・ 会員の意見も聞かないで、勝手に必要も無い物を次々に建て、財施のことばかり言ってくる。苦しくなるばかり。押し付けないでほしい。
しかも会計報告もしないで、どうなっているのか信じられない。
・ チューリップ企画と田中氏の法論で見た、自分の間違いを認めない性格はとても尊敬できません。本願寺との「宿善論争」をもう一度読んでみてどちらが勝ったのか、考えが変わりました。
(2)高森先生の教えられることは正しいといえるのか。これで救われるのか疑問が出て来た。
・ 三願転入の根拠を出されるから、19願の諸善に励むしかないと信じて人集め、金集め、アニメ販売の活動をしてきたが、今死んだらどうするのだ。
宿善厚くなって助かると言われるが先が全く見えない。
こんな教えは納得できない。このままでは死んでゆけない。どこかおかしいと思った。
・ 講師部も多くいるが誰も信心決定していない。それを支部長に言うと何も言えず、人のことはどうでもいいと誤魔化す。
自力一杯求めて、自力無功と知らされるまでやるしかない、そればっかりで20年やっている。見てて変わらないと思えてきた。
まことの心でやった善など私にはないからだ。
出来ないことをやらされていると思えてきた。
・ 10分間説法で話される十悪、五逆、謗法の悪人は私のことだとよく納得できた。
真実の心、他人の幸福を願う心などない私、自分可愛いしかない私ばかりが知らされてくる。なのに真の心で諸善、活動をせよ、まだまだ自分が分かっていない、活動が足りないと言われた。
私は諸善が出来る善人が助かる19願より、悪しか出来ない私が助かる18願が聞きたいのだ。なのに三願転入しか支部長は言わない。
だれか聞かせてほしいと思っていた。
高森先生の18願の話はなぜか私の魂に響かない。
やはり宿善薄いからかと一人誰にも言えず悩んでいた。高森先生の話では納得できない心が知らされるばかりだが、どこへ行けばいいか分からない。
「私の白道」の元講師の心境はよく分かりました。
・ 平生業成、一念往生と言いながら、実際は100年、200年で得られるちっぽけなものでないとも言われる。
30年、40年求めて得られる簡単なものでないとも聞きました。
問題の大きさは分かりますが、臨終に観音菩薩の説法にあえる話には呆れました。
観音様から何を聞くのだろう。今でさえ聞けぬ者が聞けるのだろうか。
観音さまが何かすぐ助かる特別な法を説かれるだろうか。おかしなことだ。どこにそんな根拠があるのだろう。
そんなことを期待させて活動させるのかと思うと、ますます疑問に思えてきました。
・ 蓮生房も盗賊耳四郎もおかる同行も山本良介も山口善太郎も皆、聴聞して助かっている。どこに諸善励んだと言っているでしょうか。
御文章にも「雑行雑修自力の心をふりすてて」と書いてあり、その為には棄てる雑行、諸善を力一杯やれとは書いてないことに気付きました。
自力の心がすたるには、聴聞に極まる、南无阿弥陀仏のいわれを善知識にあって聞けとしかありません。
高森先生の説き方、教え方は違うと思いました。
華光会で南无阿弥陀仏の南無の心、六字の心をお聞きして、やっと機法一体、願行具足の意味がわかりました。無上の宝と知りました。
・ 高森先生は聞き始めの頃、釈尊の出世本懐は大無量寿経とハッキリと教えられた。教学講義のとき三願転入の講義で観無量寿経が出世本願と間違って言われ、アシスタントがそれを言ったら、そんなことを言っておらん、と強く否定されたが、いつの間にやら観経が出世本懐と言われるよになった。
話が変わってゆく、信用できない先生とあのときから思うよになった。
・ 雑行、雑修・自力の心は阿弥陀仏のみ心に反する心だから棄てよといわれるが、阿弥陀仏のどんな心に反するのか納得のいくように聞いたことがない。19願の諸善をやって助かろうとする心は、18願のみ心に反する心と思うが、なぜ反するのか分からなかった。
分からんまま一生、反すると知っててやらねばならぬことが不安だった。
・「私の白道」で高森先生の教えが変わってきていることを読み、また黒い心(悪業煩悩)、白い心(南無廻向の心)、暗い心(疑情、自力の心)の話に納得がいった。続けて聞きたいと思いました。特に親鸞会では聞いたことのない南无阿弥陀仏の六字の心、南無廻向の心には驚きました。阿弥陀仏がこんなにも近いとは思いませんでした。
・ 高森先生が根拠を示して話されるから絶対正しいと信じていたが、解釈が間違っていれば、根拠を出されても正しい話とは言えない。
こんな当たり前のことを何十年も気がつかなかった。何と愚かな考えだ。
又、高森先生だけが世界唯一の善知識と信じていたが、支部長、会員さんがそう言われるからそうかと思っただけで、何一つ根拠はなく、他と比べたり、調べたりしてこなかった。ただ信じていただけでこれも実に愚かでした。
今、多くの先生を知り分かりました。18願、六字の心を説かれる方がおられることを知りました。全く井の中の蛙でした。
高森先生にこだわることは愚かでした。
・ 支部長に獲信したという人がいたが、念仏はない、表情も冴えない、体験も私たちに関係ありませんと言われるし、却って怪しいな、なぜそんなことを言わねばならないのか不審が出ました。信用されると思ってなら大変な思い違い、高森先生がご存知なら尚おかしいと思いました。造花の花に匂い無しと顕正新聞にありましたが、この支部長の事かなと思いました。
・ 悩んで悩んだ末に華光会館へ来ました。
後生は一大事、どちらが本当か絶対調べる価値はある。
支部長は人間的にいい人です。会員さんも素直な良い人ばかりです。
しかし、人間関係が良くても教えが正しくなければ、どんなに努力しても助かりません。努力する方向が間違っていたら大変です。どんどん離れていってします。
何が真実か、本当なのか、親鸞会がそれを知ることを邪魔するならばおかしい。
聞くな、見るな、読むなというのはマインド・コントロールになる。
私の後生です、誰も責任は取れない、自分で確かめるしかないと思いました。
・ チューリップ企画と田中氏の法論は、私には高森先生の間違いと思いました。18願の「若不生者不取正覚」の解釈間違いはひどいことです。
これではもう他の話も聞けなくなってきました。
○皆さんの言葉、視線、態度、文字に表された必死の叫び、押さえ切れない疑問の数々。2年前の自分のあの思いが重なり、私も熱くなり時間忘れて話し、枚数忘れて返事を書きまくっています。
これ皆、過去世からの不思議な仏縁、ご縁、共に求めきれずに泣きあった仲だったのか、阿弥陀さまのやるせない願力に押し出されて来られた方々と思うと、本当に尊く思わずにおれません。お伝えせずにおれません。
ここを読まれた皆さんの心はどうでしょか。
高森先生へ長い間持ち続けた尊敬の思い、教えに間違いない筈の信念が、既に行動を起こされた人の言葉とぶつかってはいませんか。
負けてなるものかと思う人。言うことは分かる、自分も時々そう思うという人。
真剣にどちらか決めねば、少なくともこのままにしておけない、調べたいと思われる人は、清森さんに連絡されるか、華光会館へ連絡して下さい。
私の連絡先も分かります。(華光会はホームページを見て下さい)
あなたの氏名、住所は絶対に他に明かしません。安して下さい。
○一つだけお願いですが、私は仕事の都合で布教専門に時間が取れません。
朝4時30分に起床して、仕事を2つ持っているので家に帰るのが夜8時近くになる日が月に20日ほどあります。
手紙かメールなら仕事の合間に返事が書けます。
電話での話はその日の仕事で日中は出来ないことが多いです。夜8時以後ならほとんど大丈夫です。ご了解お願い致します。
私は先月、長年ご縁のあった多くの方に暑中お見舞いを出させて頂きました。
母の死亡と、理由を言わず親鸞会講師部を退部し、親鸞会を退会したことを「私の白道」に書かせて頂きました、と案内しました。
悩んで出口が見つからずにいる方に知って頂きたいの思い一つです。
本当に自分の後生の一大事を一大事を思って悩んでおられるのでしたら、遠慮なく連絡してみて下さい。その思いを聞かせて下さい。
阿弥陀仏は十劫の昔から待っておられます。
南无阿弥陀仏。
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私の白道を書いた元講師に質問です。私は、なにが正しいかわかりません。ネットを見ると、洗脳されてましたとか、ネット法論で上田氏は渡部氏に勝っているとかあります、田中氏はチューリップ企画に勝っているとかも。
その中で一番の疑問はネットの意見が正しいと思う人ばかりという事です。
正しい事もあれば、間違った事もあると思いますが、親鸞会組織の中と同じで、ネットで自然と出来上がっているアンチ親鸞会組織も、親鸞会を批判しない意見は非難されます。だから、疑問です。結局、より多数の人間がどう思うかだけで正邪が判断されています。私は、上田氏のネット公開説法を読みましたが、親鸞会を批判しているだけで意味がわかりませんでした。それら多々疑問があります。
その中で一番の疑問はネットの意見が正しいと思う人ばかりという事です。
正しい事もあれば、間違った事もあると思いますが、親鸞会組織の中と同じで、ネットで自然と出来上がっているアンチ親鸞会組織も、親鸞会を批判しない意見は非難されます。だから、疑問です。結局、より多数の人間がどう思うかだけで正邪が判断されています。私は、上田氏のネット公開説法を読みましたが、親鸞会を批判しているだけで意味がわかりませんでした。それら多々疑問があります。
No title
両方の意見を聞いて、各自が自分の進む道を決めればよいこと。
それを、強制的に情報統制をおこなって、洗脳を繰り返す親鸞会の
内部にいては、みえないこともおおいでしょうけど
それを、強制的に情報統制をおこなって、洗脳を繰り返す親鸞会の
内部にいては、みえないこともおおいでしょうけど
自分で考え、判断することをやめないで
ネットでの意見が正しいと思うのは、会内部の話が本当だとは思えないということです。
都合の悪い事はねつ造といい、組織に疑問があってもそれは思うだけで法謗罪、口に
すれば和合僧を破る行為とされます。
善知識に無条件で従う、絶対服従でないと助からない、といいます。
いや、それは信一念の時の事を言ってるんだ、と会では言っていますが、
普段の求道でそれは求められています。
そうすると、自分で考えることをやめてしまう。考えると疑問がわいてくるから。
どちらに進むかは自分が決めること。
すべてのアンチが同じ考えではありません。
自分の今までの人生経験などすべてを動員して判断してください。
どちらも自分達が正しいって言ってるんですから。数は自分にとっては関係ありません。
都合の悪い事はねつ造といい、組織に疑問があってもそれは思うだけで法謗罪、口に
すれば和合僧を破る行為とされます。
善知識に無条件で従う、絶対服従でないと助からない、といいます。
いや、それは信一念の時の事を言ってるんだ、と会では言っていますが、
普段の求道でそれは求められています。
そうすると、自分で考えることをやめてしまう。考えると疑問がわいてくるから。
どちらに進むかは自分が決めること。
すべてのアンチが同じ考えではありません。
自分の今までの人生経験などすべてを動員して判断してください。
どちらも自分達が正しいって言ってるんですから。数は自分にとっては関係ありません。
No title
私は元講師ではないですが、
>親鸞会を批判しない意見は非難されます。
批判しないことが非難されているのではないと思います。
基本は、釈尊・親鸞聖人のお聖教の言葉を根拠にして、
親鸞会の教義・言動が間違っていると指摘されているだけです。
>結局、より多数の人間がどう思うかだけで正邪が判断されています
この認識も違います。多数の人間がどう思うか だ け で正邪が判断されて
いる訳ではありません。もちろん倫理道徳をものさしにしているのではなく、
あくまで聖教の言葉を根拠として正邪の判断がなされているのが現実です。
>親鸞会を批判しない意見は非難されます。
批判しないことが非難されているのではないと思います。
基本は、釈尊・親鸞聖人のお聖教の言葉を根拠にして、
親鸞会の教義・言動が間違っていると指摘されているだけです。
>結局、より多数の人間がどう思うかだけで正邪が判断されています
この認識も違います。多数の人間がどう思うか だ け で正邪が判断されて
いる訳ではありません。もちろん倫理道徳をものさしにしているのではなく、
あくまで聖教の言葉を根拠として正邪の判断がなされているのが現実です。
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親鸞会と比較するための場ではなく、親鸞会のご縁があろうとなかろうと、「今・ここ・私」の信心を問う場が華光の法座です。
個人的に「私の白道」著者さまに届いている声もあるのでしょうが、法座でこのようなことは二の次で、それまでどんなご縁でおられようと関係ないのです。
願わくば、うらみつらみから早く抜け出し、人の心配ではなく、自分の後生を求めるられることを。
はっきりいって、真剣に求めている人の時間を、親鸞会へのうらみつらみ発表でつぶされるのはいかがなものかと思っています。
そこを一旦通らなければ…という気持ちはわかりますが、その心を振り捨てることが「一心に弥陀を頼む」一歩じゃないでしょうか。
白道を歩むには、振り返りはいりません。