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質疑応答138

【質問】


清森様

早速の御教導ありがとうございました。
重ねて質問させて頂きます。

> 信巻…18願(信楽)

教行信証信巻には、18願の中で、‘信楽’の部分しか教えられていないというとでしょうか?
残りの部分は、行巻、証巻、真仏土巻で説明されているから省略されたという理解で宜しいでしょうか?



【回答】


信楽を中心に教えられている、と理解されたら良いと思います。

教行信証信巻を読みますと、「信楽をえた人は、弥陀の願力によって、必ず浄土往生できる」ということが説かれています。


●かの願力の道に乗じて、捨命已後かの国に生まるることを得て、仏とあい見て慶喜すること何ぞ極まらんと喩うるなり。(信巻)


●信は道の元とす、功徳の母なり。(乃至)信はよく必ず如来地に到る。(信巻)


逆に、教行信証信巻の、どこを読みましても「必ず信楽に生まれさせる」とは書かれていません。

このことからも、弥陀の本願は「信楽をえた人を、必ず浄土に生まれさせる」というお約束であることが明らかになります。

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COMMENTS

信楽の身になりたい

では、私たちを肝心の「信楽の身に生まれさせてくだされる」本願は、第18願ではないのならば、第何願になるのでしょうか?

信楽の身にさせてくださるのは、18願以外にありえないのでは?

「難思の弘誓は難度海を度する大船. 無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」. (教行信証).
無明の闇を破する=信楽の身に生まれさせる
と理解しておりましたが、いかがでしょうか。

そもそも信楽の身に生まれさせて下されるお力が阿弥陀如来のお力なんじゃないですか?
18願以外にありえないと思います。

No title

『執持鈔』 【四・光明名号因縁の事】 (p.685) 参照。

Bは、

↑ぶっきぼらのうで不親切ですね。

No title

あなたは善導大師の「両重の因縁」を知らないのですか?
(親鸞会の教学聖典にもありますよ。)
その中で、名号が因、光明が縁となって、信心が獲られると教えられています。
つまり、信心の体は名号であり、それを与えようとする働きが光明(調熟の光明、破闇の光明)です。

名号は第17願で誓われていますし、
光明は第12願で誓われています。

(私の説明が「ぶっきらぼう」でも、『執持鈔』 【四・光明名号因縁の事】 (p.685) に丁寧に書かれていますから、それを読めばよく分かりますよ。)

ですから、私達が信心(信楽)を獲得するのは阿弥陀仏のお力であることに間違いありません。「第何願か?」については、第12願と第17願と言えます。

しかし、
「阿弥陀仏のお力によって信楽を獲得する」ということと、
「『全ての人を信楽にする』と第18願に誓われている」ということとは、
明確に区別しなければなりません。
第18願(のみならず48願全体)は十劫の昔に成就したのですから、
「『全ての人を信楽にする』と第18願に誓われている」が正しいならば、
全ての人は十劫の昔に信心獲得しているはずですよ。
これでは十劫安心になってしまいます。
第18願が成就したというのは「信心を獲た人を浄土に往生させる」というシステムが名号となって十劫の昔に完成したということであって、その名号を与えるために阿弥陀仏は今もずっと光明を私達に降り注いでくださっています。
これで完全に筋が通ります。

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