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質疑応答141

【質問】


つまりこういうことでしょうか。

弥陀の十八願には
「信楽にする力(無明の闇を破る力)」
「お礼の念仏を称えさせる力」
「信楽にしたものを往生させる力」
が込められているのは当然であり、

阿弥陀仏の本願力によって、信楽になれるし
阿弥陀仏の本願力によって、お礼の念仏も称えさせられるし
阿弥陀仏の本願力によって、往生させて頂ける

のだが、

「十八願とはどういう本願ですか?」

と聞かれたら、
お聖教に書かれているお言葉通りに説明する事が大切なので

「信楽のものを必ず往生させるという誓いです」

と答えるべきであって、

いくら自分が信心決定の身にさせて頂き、

「弥陀の本願は"信楽のものを往生させる"と誓ってはいるが、
実際に救われてみると、私には"信楽にしてみせる"という
本願だと味わわずにはいられなかった」

と思ったとしても、お聖教には「十八願=信楽にする誓い」と直接的に書かれているところが無い以上は、

「十八願は信楽にしてみせるという誓い」

という表現はすべきではない、ということで宜しいでしょうか。



【回答】


> 弥陀の十八願には
> 「信楽にする力(無明の闇を破る力)」
> 「お礼の念仏を称えさせる力」
> 「信楽にしたものを往生させる力」
> が込められているのは当然であり、
>
> 阿弥陀仏の本願力によって、信楽になれるし
> 阿弥陀仏の本願力によって、お礼の念仏も称えさせられるし
> 阿弥陀仏の本願力によって、往生させて頂ける


「信楽にする力」については、光明が12願なので、18願だと断定するのには不安がありますが、五願は18願に納まるという考え方からは、そのようにも言えると思います。



> 「十八願とはどういう本願ですか?」
>
> と聞かれたら、
> お聖教に書かれているお言葉通りに説明する事が大切なので
>
> 「信楽のものを必ず往生させるという誓いです」
>
> と答えるべきであって、
>
> いくら自分が信心決定の身にさせて頂き、
>
> 「弥陀の本願は"信楽のものを往生させる"と誓ってはいるが、
> 実際に救われてみると、私には"信楽にしてみせる"という
> 本願だと味わわずにはいられなかった」
>
> と思ったとしても、お聖教には「十八願=信楽にする誓い」と直接的に書かれているところが無い以上は、
>
> 「十八願は信楽にしてみせるという誓い」
>
> という表現はすべきではない、ということで宜しいでしょうか。


 そうですね。

 私たちを導くために書かれたのが御聖教なのですから、法を説く以上は、御聖教に基づいた教え方をすべきだと思います。

 たとえ信心決定していても、教えを間違えることはありますので、御聖教から外れた説き方をするのは、非常に危険だと思うからです。

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