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私の白道・明らかなお慈悲(投稿)

私の白道・明らかなお慈悲(投稿)


            親鸞会元講師部


 親鸞会の現会員さんからの相談が多くなって来ました。
 皆さん深刻に悩んでおられます。

 内容はその人で違いますが、会計報告がない財施への不審や、退会者への異常な非難、明らかに華光会への批判と分かる機関紙の内容、しかし華光会との過去。盗作で善知識らしく教えてこられた態度。
「私の白道」で読んで知った「南无阿弥陀仏の六字の心」。
 これらにショックを受け
「このままで自分は救われるのだろうか」と疑問が出てきたと言われます。

 親鸞会の会員さんにも4通りあると支部長の経験から分かります。


1 仏法聞きたい気持ちはそんなに無いが衆生縁で
  会員になっている。後生の一大事も問題になら
  ない。降誕会報恩講、大きな大会(結成50周
  年)にだけ誘われて参詣。都合が悪いとそれさ
  え断られる。

2 因果の道理、阿弥陀仏の本願、人生の目的の話
  はそうだと思い、分かるけど自分から進んで聞
  きたいとまではいかない。財施にも参加するし、
  誘われれば支部長のご法話には参詣する。本部
  の大きな行事には参詣する。

1と2、ここまでが、70-80%(支部によっては違いますが)


3 高森先生を唯一の善知識と信じ、三願転入の教
  えを聞き、宿善まかせと言われて、支部長の指
  示のままに活動している。そのうち何とかなる
  だろうと思っている。
  講師部、幹部、長年の会員さん

20-30%(支部にもよります)


4 このままで本当に助かるのだろうか。聴聞、お
  勤め、顕正、誘い、財施に頑張って来たけど、
  全く後生は暗い。
  支部長、会員さんにも獲信者はいない、自分の
  様なものはどうなるのか。
  20年30年で獲られる真実信心でないと言わ
  れても、死ぬまで求道では死んでゆけん。今生
  で救われねば後生は大変だ。
  支部長が責任取れることでない。どうしたらい
  いのだろう。
  本当に親鸞会でなければ助からないのだろうか。
  色々な親鸞会の批判を知ったけれど、皆そのと
  うりだ。言わないだけだ。
  ああ阿弥陀様、私はどうすればいいのですか。


●4の方がインターネットやその他の情報を知って連絡してこられるのです。この心境は3の程度の支部長や、法友と相談しても理解してもらえず、却って、謗法罪、不浄な言葉、後ろ向き発言と注意され「信心の沙汰」にも発言できる内容ではありません。、



○相談者が増える理由

 大悲のみ心、調熟の光明によって、ここへとお育てに預かっておられると知らされるばかりです。

 本当に自分の後生が心配になってきたら、どんなに機関紙や会合で批判を繰り返しても、阿弥陀如来の調熟の光明のお力は遮ることはできないのです。

 顕正新聞、顕真、とどろきを見た後、私に下さる方がありますので、今、親鸞会でどんなことが話題になっているのかよく分かります。


・顕真8月号

「30年間、聞いたが助からなかったが、ここでは、すぐに信心獲得できた」の批判記事は余りにトンチンカンで親鸞会らしいと思った。
30年間といっても、カスの体力とカスの時間とカスのお金で聞いていただろうと非難してあったが、カスでない体力、時間、お金で聞いたら助かることになるが、本当にそれでいいのですか。
講師部に獲信者がなかったのは、三つのカス聴聞をしていることが原因になり、布教局長もいい加減なカスの聴聞者になるがいいのだろうか。
講師部以上に仏法に、体力、時間をかけている者はないと思うが、それでさえ助からないカス聴聞者なら、会員さんは助からないことになるが、本当にそれでいいのですか。

 なぜ信心決定できないのか、原因の聞き間違いほど恐ろしいものはない。

 形ばかりが強調され、肝心なことを40年近く聞けなかったから私は救われなかったのです。
 それが、増井悟朗先生から仏願の生起本末を聴聞し「南无阿弥陀仏の六字の心」を聞かせて頂き、明らかなお慈悲、大悲のみ心に貫かれたのです。
 それが分からないから、三つのカスの聴聞者と批判したくなるのだろうが、トンチンカンというのです。
 心の向きが間違っていたら、100年1000年聞いていても助かりませんよ。


 また、高森先生だけが善知識と信じ込んでいるから、親鸞会を退会して獲信したとなれば、他にも善知識がおられることになり大変なことなる。
 高森先生信心が総崩れになるから、絶対おかしい、ニセ信心、人工信心化城だと批判をせずにおれなくなるのは、元講師部としてよく分かります。しかし、それは井の中の蛙です。



・顕真7月号

「言うべきことでも、書くことでもない」として人の信心決定、獲信はわからないから言うなと書いてある。
「親鸞聖人、蓮如上人方でも分かられなかったことがハッキリ分かるとでも思っているのだろう」とも書いてあるが、私は自分のことはハッキリ分かると言うだけであり、他人の獲信はその告白を聞くだけであります。阿弥陀仏とその人だけが明らかなことは当然です。
 しかし、今ごろこんな記事を書いてどうするのかと思ってしまった。
「谷本氏の獲信の記録」のビデオテープが実在し、浅倉支部長のナレーションで獲信者として細かに描かれているではないか。
 会員、未会員さんに私は十回以上見せて、「往生スッキリ、往生ハッキリ、スッキリ、ハッキリ」は今も耳に残っている。今はもう回収されたとか。これもハッキリしたことではなかったのですか。
 西堀さん、東岸さん、真野さん、他にも獲信者として顕正新聞に残ってますが、これはどうなんですか。回収、削除ですか。

 信心の沙汰で「我が信心は、他の人の信心はいかがあるらん」の沙汰をせよと蓮如上人は教えておられますがどうするのですか。

 高森先生から、庄松、おかる、山口善太郎、清九郎などの妙好人の説法を沢山、聞きましたが、あれもたぶん助かっておったろう、という話だったのですか。あやふやな信心だったら、そんな人の言動をなぜ説法して聞かせたのですか。無駄ごとになりますよ。

 何より「高森先生は信心決定して仏教を説かれる、世界で唯一の善知識です」とこれからは言うなということですね。
 これまで何百回と言ってたことは間違いですね。


・何を恐れてつじつまの合わないことを言い出されるのか、情けなくなります。しっかりして下さい。
 こんな矛盾した指導では、益々混乱して相談者が増えるなと思います。
 退会者が増えるので被害者意識が溢れていますが、自因自果、であることに目覚めて下さい。4の会員さんがもっと増えます。


○高森先生の話を聞いていてもなぜ救われないのですか。

とよく聞かれます。また善知識ではないのですかとも聞かれます。
現に救われたという方もおられるではありませんか、とも言われます。

 その答えは先の「谷本氏の獲信の記録」にあると思います。
 谷本氏は岐阜市の建設会社社長で高森先生を善知識を仰ぎ、忙しい仕事の合間も聴聞しておられる姿は私も何度も見ました。
 会社ビルの中に、畳敷き広間を作り、岐阜支部長として支部の中心となって活動されていました。
 それが昭和53年、30年前に癌になられ、手遅れの発見でした。
 高森先生も見舞いに行かれ、お世話になった浅倉支部長が駆けつけ、病院での法施が始まりました。
 高森先生は葉書で説法され、その葉書はビデオにも残っています。


・11月12日
「その後の御容態いかがでしょうか。
 日に日に寒くなってきます、ご用心下さい。
 それにしても一日も早く魂の解決をして大安心の身になって下さい。
 明らかなお慈悲が明らかに聞こえたら明らかに安心できます。
 疑わんようにつとめている間は疑っているまっさい中です。
 疑いなく墜つる者でなければ疑いなくすくわれません。
 お元気になられることを願います」

白い心ーー明らかなお慈悲
暗い心ーー疑わんように
黒い心ーー疑いなく墜ちる者

・12月13日
「阿弥陀仏は見聞知のお方、心の底までお見ぬきです。
 ただ全てをまかせよとお呼びずめです。
 逃げても逃げても仏智無辺にましませば、散乱放逸もすてられぬ
 地獄のカマの底までも共に墜ち共に苦しみ、なげきたまう。
 十劫より調熟し釈迦の八千遍の往来は、貴方一人の為です」

黒い心ーー心の底までお見ぬきです
白い心ーーただ全てをまかせよと、お呼びずめですーーー

・12月30日
「この後いかがなされているかと日夜案じております。
 愚考しますに、貴方は今一番阿弥陀仏に近い所におられます。
 もう一つ邪魔をしているのは、自力の執心です。
 何とかなりたい、どうしたら、どう信じたら、どう思ったら、
 助かりたい、ハッキリしたい、生きたい、何とかなりたい、早く安心したい、これらの心が自力の迷情で、聞いているぞ、知っているぞの阿弥陀様を泣かせ、この心は捨てものです。
 この心捨てて、捨てて捨て切っていくしかありません。
 弥陀に念じます。」

暗い心ーー邪魔をしているのは自力の執心ですーーーー

・その後、谷本氏は苦しみ出し、やがて「今、阿弥陀仏にあえたー
 往生スッキリ、往生ハッキリ、往生スッキリ、ハッキリ」と繰り返し恩徳讃を歌われ、数日後亡くなられました。
 高森先生もこのことを聞かれて「それはよかったですねー、あれほど求めておられたのですから」と言われて法名を付けられたとなっていました。

 このビデオテープも回収と知りました。
 皆さん読まれてどうでしたか。
 獲信を念じて最後は仏願の生起本末を説かれているのです。
 これは臨終間近な谷本氏だから説かれたのだと言い訳する人は、自分の命はまだまだ大丈夫のとんでもない油断があるのです。
「今ここで私が」常にこの心で聞くべきです。


黒い心ーー衆生性得の機(悪業煩悩)墜ちる機ーーお目当て、お許しの機

白い心ーー南無廻向の機(阿弥陀仏のまことの心)直の呼び声、いただきもの

暗い心ーー自力計度の機(本願疑う心)計らい、自惚れ心、すてもの


 しかし30年後の現在の親鸞会会員さんはどう聞いているでしょうか。
 三願転入、まず19願の通り、諸善を頑張って活動、人集め、金集め
 これで宿善厚くなって、そのうちーーーー自力一杯やらねば自力無効と知らされぬ、捨てられぬ、他力に入れぬなんか思っていませんか。
 自分で救済の予定概念にこり固まって、それこそ捨てものです。
 助かるつもりでいませんか。自分で自分を助けようともがいていませんか。
 阿弥陀仏は何とおしゃっておられるのか、そこを聞かせて頂かねば苦労していても方向違いでは一生今のままです。

 私は同じ癌末期のTさんに、谷本氏への高森先生の言葉を見せて話しましたが、当時
「ただ全てをまかせよとお呼びずめです」が全く分かりませんでした。
 また「この心捨てて、捨てて、捨て切っていくしかありません」が分からず、どしたら捨てられるか分からず共に病室で泣きました。
 アニメ1部の法然上人の「一切の計らいを捨てよ、捨てようと思う心も捨てよ」のお言葉が分からず苦しみました。
 こいつが一番悪い、こいつの為に墜ちるのだ、しかしどしたら捨てられるのか分からない。

 何を言っているのか、泣くほど辛いのか分かりますか。
 貴方も最後にここへ引っ張り出されて来るのです。

 高森先生は善知識か。私はそう思います。
 人生には目的があり後生の一大事を解決する事である。
 阿弥陀仏の本願こそが真実であり、親鸞聖人が明らかにされている。
 こう教えられる方は善知識です。

 しかし、真の知識とは今の高森先生からは思えません。
 仏願の生起本末を正しく説き、三つの心を分かるように教えて頂かねば救われません。
 講師部も会員さんも皆さん本当に頑張っておられます。
 その苦労が何処へ向っているのか、もう一度考えて下さい。
 聞いているつもりでも聞いていないのですよ。
 信心の沙汰を読みましたが本音が出ていませんね。

 法友通信に特専部の人が「どのような気持ちで善をすれば、どう聞いたらと尋ねる心は自力であり不浄な心だと知らされました。こんな心がいつも動いていたので、だからこそ、教えを聞かねばなならいというお答えに、衝撃を受けました」との記事が目に付いた。
「善に努め、心は不実であってはならない、火の中を突破して聞け」と答えてもらったそうだが、またも尺取虫の火鉢回りではないか。
「今晩死ぬ覚悟で聞法に臨みます」と最後書いてあったが、辛かった。
 これこそ、真面目に求めて来たからこそ出てくる言葉です。
 なのにこんな答えしか用意されない、死ぬまで求道を歩かされているのに早く気付いて欲しいと願う。


 昔はどこを読んでも全部その通りだと思ったが、今はトンチンカンな内容に気付くことが不思議だ。
 仏智の働きの大きさに驚くばかりです。

 隠れてでもいいから、他の先生の話を聞いて下さい。本を読んで下さい。
 必ず、宿善の人は真の知識にあえます。必ず。
 ここを読んでおられる方はすでに見つけておられます。


南无阿弥陀仏

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COMMENTS

No title

顕真の記事の件、ここにも載っていますね。
http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2008/09/post-7dcf.html
これを読んで、もう親鸞会も末期症状だな。さびしいものだと思いました。

最近の親鸞会、余程華光会を恐れているのでしょう。
しかし、自分たちが過去にやってきたことを否定してまで批判しなければならないほど、追い詰められているとは思いませんでした。

No title

 阿弥陀仏の救いに、所属は関係ないと思います。親鸞会でしか救われん、親鸞会では救われん、どちらも間違いだと思います。高森先生の「御説法」の内容に救いに導けないような間違いはないと思います。だけど、皆聞き誤っている。はっきり言って投稿者の方も講師部時代は聞き誤りをされていたと思います。私は読んでそう思いました。けれど、同じように、現会員もほとんど聞き誤っています。幹部、上層部へ行くほどそれはひどく、自分が聞き誤って、それを自信一杯に会員に伝えるから、会員はどんどん迷っていくのです。それがどんどん重なって、自分たちで気が付かない程に、閉鎖された教えとなってしまっています。「ずれ」がどんどん大きくなっているのです。
 
 最近では、親鸞会内部でも信心決定したというと、異安心と攻撃を受けるそうです。そんな、信心決定なんてできる訳ないという方向に向かって、一体、どこへいくのでしょうか。
人集め、金集めに走っている、という批判を受け止めて、考えないといけないと思います。

No title

男女老少を選ばぬ信心。一文不知に身をなしてこそ頂ける信心。非行の行、他力によって与えられる信心。宿善まかせの信心。五重の義揃って初めて得られる信心。
どこに善智識がみえるのか、不安ならば御文章を何度も読まれたほうがいい。
私から見ると親鸞会も華光会も「必死な聴聞」で何とかしようとしているから同じ路線。
十人は十人ながら、百人は百人ながら、得られる信心。易行道。
真剣になれないと自分の心を責める暇があったら御文章を読みましょう!

No title

正信偈を読んでみましょう。初めから終わりまでひたすら阿弥陀仏によってであると書かれています。親鸞会の指導に従っていては、一生涯、自分で自分をどうにかしようとしているだけになってしまうのでは?

「聴聞にきわまる」に決まっているではないですか!

あはれあはれ存命のうちにみなみな信心決定あれかしと朝夕おもひはんへり。
まことに宿善まかせとはいひなから述懐のこゝろしはらくもやむことなし。

……………………

そもそも善知識の能といふは、

一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと、

ひとをすすむべきばかりなり。

これによりて五重の義をたてたり。

一つには宿善

二つには善知識

三つには光明

四つには信心

五つには名号

この五重の義、成就せずは往生はかなふべからずとみえたり。

されば善知識といふは、阿弥陀仏に帰命せよといへるつかひなり。

宿善開発して善知識にあはずは、

往生はかなふべからざるなり。

しかれども帰するところの弥陀をすてて、

ただ善知識ばかりを本とすべきこと、

おほきなるあやまりなりとこころうべきものなり。


あなかしこ、あなかしこ。

教えて頂戴な

>「聴聞にきわまる」に決まっているではないですか!

はらほろひれはれさんよ~ん。

聴聞にきわまるって、示した文章には書いてないけれど・・・・

この文章からいえることは
「宿善にきわまる」にきまっているではないですか?って思うけれど。


余計なお世話をしなさるな

相変わらずの「信心の商人」嶋〇はん

>隠れてでもいいから、他の先生の話を聞いて下さい。本を読んで下さい。
> 必ず、宿善の人は真の知識にあえます。必ず。
> ここを読んでおられる方はすでに見つけておられます。

本気で言うておるなら、お笑い種よ。

「宿善の人」には、あんたの勧めなどなくとも、必ず弥陀の願力がはたらいて、
善知識の元に導かれておる。

逆に言えば、あんたの言葉に導かれる人は、「宿善薄い人」だから、行き先は
浄土ではないということ、自明なり。

脱会までの愚痴話は、家の中だけにしておく方が、罪もなくてよかろうに。
人を惑わしめ、遠回りさせた今となっては、手遅れだが、その罪重し。
罪業しっかり背負うて、その味をこそ皆に聞かせよ。

No title

親鸞会では、仏縁(宿善)があるかどうかは
親鸞会で求道する気持ちがあるかどうかで判断される。

だから、
「親鸞会で求道している人は仏縁の深い宿善のある人」というのは、
「親鸞会で求道している人は親鸞会で求道する気持ちがある人」
と言っているのと同じ事になり、
宿善や仏縁について何一つ説明していることにはならない。

会の活動に巻き込まれると仏縁の深い人。
会から離れると宿善の薄い人。

宿善や仏縁という確かめようのない概念を
まるで自分が所有してでもいるかのようにしてふんぞり返っているのが
弥陀の使いを僭称する親鸞会の会員なのかもしれない。

No title

親鸞会の「仏縁」というのは、高森一族のに身も心もささげることのできる
人のことをいいます。つまるところ、それ以外の定義はありません。
ささげる身も心も尽きたとき、つまり金と体力が尽きたときに「仏縁がなくな
った」と彼らは定義します。

講師がこの会のドグマを利用して、自分の好き嫌いや、自分のいうことを
きかない人を「仏縁ない」と見放し、幹部会員もまねをします。

「仏縁」の意味をまるで取り違えています。仏教を伝えている団体ではない
証拠です。

親鸞会講師部員を中心におこなわれている、ネット対策の下劣さ、醜悪さ
からは、彼らに本当の仏様とのご縁というものは感じられませんが、
最初の定義である、高森一族への献身という度合いは高く、「仏縁」の深い
人間であると、組織では評価されていることでしょう。

君過つること莫れ

疑謗破滅のその中を
   進むが道とは聞きしかど
      かくも険しと思わざりけり

信心得たと標榜し、安売り信心で薄縁のものたちを誘い出して、餌食とする。「信心」で商う、罪の深さを弁えておりながら、悪鬼に魂を売り渡したかのごとき所業。誰を騙せたとて、弥陀を欺けはせぬ。

弥陀と親子名乗りができたとな。
それなら、その親がどう言うた。もっと早く来れたのに、とでも言うたか。回り道をしたな、とでも言うたか。師の間違いを糺して来いとでも言うたのか。

一番の間違い者は私だったーーー、の懺悔もなければ、
こんな自分をようこそここまで押し出して下されたーーー、の歓喜も微塵もない。

助からぬ者が助かった、その喜びのない者だから、怨みと呪いに苛まれ、欲の虜を恥ともせぬ。憐れな姿をさらしても、立派な知識のつもり節。あまりのお粗末に、聞いてる方が恥ずかしい。

邪心の上に、いくら純粋そうなメッキをしても、内からわき出る「餌食を狙う欲」と「脱会の怒り」の臭い体液で、既にボロボロと剥がれてしまっておる。
それに騙される者など、よそ見をしている虚けか、鼻のイカれた病持ちだけだ。

sま田よ、昔も今も、少しも変わっておらぬの。
「黒い心」の特有の黒さも、
自前でこしらえた「白い心」の頼りなさも。

No title

たとえこの親鸞会元講師部の方が人を惑わしめ、遠回りさせたとしても、
それは高森会長自身がまいた種でもあるのではないか。

剽窃問題や本願の解釈の誤りをほったらかしにして、
善知識然として人を罵倒したところで、心の離れた薄縁の人を導くことができるのか。

高森会長は到底立派な知識と言えないと思う。
親鸞会は完全に信頼を失墜している。

No title

一応、言っておきますが、

仏縁が浅い人、深い人というが、仏縁は、阿弥陀仏とその人とのご縁だから、誰にも分からない。
私(高森先生)にも分からない。

このように親鸞会で教えて頂きました。

一つの目安として、
仏法と聞いたら大事だ、なにか分からないが、尊いことだ、と思う人、
後生と聞いたら大事な事だと思う人、こう思える人は宿善のある人。
宿善は、聞法心になってあらわれる。

このように18年の報恩講で聞かせて頂きました。
五帖目十七通の「後生を大事に思い、仏法を尊く思う心あらば」を、
例として、出されたような気がします。

そもそも宿善の厚薄だの、仏縁の浅深だのを、人間が判断し、断定出来るなどとは、
親鸞会では、教えられていません。
それどころか、判断出来ないと教えられます。
あくまで言動を目安に便宜的に言う事などもあるようですが、
根本的に、仏縁や宿善は人間には判断出来ません。
まして表に出ている言動などはその人氷山の一角ですから、
そんなことで仏縁を判断出来る訳がありません。
活動がどうの、御報謝がどうので、その人の仏縁を判断し、断定出来る人がいたら、
それは、聞き誤りというしかありません。


自分の経験からの見方も大事かもしれませんが、
仏教には一水四見という言葉もあります。

「自分は、こういうドグマが親鸞会にあると思います」、というのは、
主観の中の事実でしょうが、その主観が正しいかどうか、
語り会える法友に恵まれなかったのは、多いに同情致します。

また、縁あって会に残っている者として、
このような誤解をされないように、心がけたいと思います。

これからの人生、善き友に恵まれることを心から念じます。


S田元講師の鼻がもげる臭さ

弥陀の使い> 弥陀と親子名乗りができたとな。
弥陀の使い> それなら、その親がどう言うた。もっと早く来れたのに、
弥陀の使い> とでも言うたか。回り道をしたな、とでも言うたか。
弥陀の使い> 師の間違いを糺して来いとでも言うたのか。

前々から指摘してきたことではあるが、
同じ事を感じている方がおられる。

親鸞聖人は慈鎮和尚に「19願の方便要門で回り道させられた」とか
そんな繰言おっしゃっておられないです。
少なくとも私は見たことがない。
他の有名な妙好人伝などを読んでも、
「あの無信心な住職のおかげで回り道させられた」みたいに
愚痴ついているのは見たことがない。

この元講師が「親鸞会の活動」に疑問を呈しているのは
よくわかるし、ダミサ勧誘やら会計疑惑やら、
活動の方向性が完全に狂っているという批判は
私は正しいと思う。
その意味では華光会の方が(外からみる限り)随分真っ当に見える。

でもそれはあなたの信仰を正当化するものではないよ。
正直に申し上げて、あなたの信仰の告白には鼻のもげる臭みがある。
そう私は感じる。
信心の溝さらえを欠かさぬようにされたがよい。
華光会でもそう教えてるでしょう。
伊藤師は信心を獲たと言っている同行に対して
まず1年くらいは様子を見ると言っているよ。
その理由をよく考えた方がよい。

弥陀の使い氏へ

弥陀の使い氏、なんという仰々しいネーミングでしょうか。
自分を何様と思っているんでしょうか。そんな資格があなたにあるんでしょうか。
弥陀の使い氏も他人を罵倒する前に、高森会長を善知識として認める立場ならば、高森会長のこれまでやってきた所業について少しは言い訳されたらどうですかね。

あんたい 氏の「それは高森会長自身がまいた種でもあるのではないか。 」というご意見に対して、まったく同感に思います。
会長は真宗の布教をする資格を既に喪失しています。会員はその事実に気づくべきであり、速やかに会を去るべきです。曇鸞大師が悔悟し、仙経を焼かれた潔さを見習ってください。

弥陀の使い氏、パクリ問題についてはどうお考えですか?
他力信仰を語る際に、自己の言葉をもって表現することすらできなかった高森会長。
丸々他人の著書から無断引用し、あたかも自分が述べたように長い間、会員を信じこませてきました。会長が出してきたパクリ書物を通じて「この方こそ本物だ」と信じてきた講師の動揺はかなりのものでしょう。

ネットで容易に確かめることができるこの事実ひとつをもってしても、高森会長はもはや自業自得で自身の信用を失墜させてしまっているわけであり、真宗の布教をなされる資格を喪失しています。
さらには、多くの若者たちの未来を奪い人生を狂わせ、ウソつき偽装勧誘活動に従事させて惑わしてきたことは限りなく罪深いといえます。万死に値するといっても過言ではないでしょう。

だいたい、お調子ものほど、「ワシが少しでも間違いを述べたら切腹する」「ワシは壇上で死ぬ覚悟じゃ」などと大言壮語する。所詮は実行不能なことなど、はじめからおっしゃらぬほうがよろしいのではないでしょうか。

高森会長は善知識と自称し、他称させてきました。すでに自身を断じて師と呼ばせなかった親鸞聖人の「御同行」精神から大きく乖離しているわけですが、そもそも真の善知識ならば身内よりも同行、恩愛より法を大事にし、選択するはずではなかったのか。

少しでも求道心が残っている講師たちにとっては、あの合宿は高森会長のメッキが完全にはがれ、馬脚を現してしまったことを認識するための、弥陀の善巧方便であったのではないか。

>信心得たと標榜し、安売り信心で薄縁のものたちを誘い出して、餌食とする。「信心」で商う、罪の深さを弁えておりながら、悪鬼に魂を売り渡したかのごとき所業。誰を騙せたとて、弥陀を欺けはせぬ。

何をいっているのでしょう。心ある会員にとっては、会員たちがわが身を削り、血のにじむような思いで出した浄財に対して会計報告すらしようとしない高森会長ご自身のこととしかきこえないことでしょう。高森一族を太らせるための私腹を肥やしていると思われても仕方ないでしょう?その状況証拠はすでにたくさん流布しています。

高森会長は親鸞聖人が身業説法なされたご教導に背き、泥を塗り、祖師を汚い土足で足蹴にしました。
高森会長、ここを読んでいますよね?
祖師聖人に対して、阿弥陀如来に対してどう申し開きするつもりでしょうか?

No title

<相変わらずの「信心の商人」嶋〇はん


嶋〇さんは弁当屋を経営したり、病院を経営してはいませんからね。それに比べて高森会長は完全にこの世の商人です。しかも会員の骨身をけづった献金を資本にしているので悪徳商人です。

「信心の商人」というあたり、親鸞会では勧誘は商売ということですね。嶋〇さんは勧誘をしても1円も儲かるわけではないので商人とはいえません。

いい加減、自分たちの誤りを認めて、修正しないと、会員の流失が止まりませんよ。
50周年は願海で十分くらいしか集まらなくなるのでは?

信頼できる方は、あらわれないのか

親鸞聖人や蓮如上人級の信頼できる方はいらっしゃらないのですか?

No title

信心の人におとらじと 疑心自力の行者も 
如来大悲の恩をしり  称名念仏はげむべし の和讃の意味を教えてくだい。

No title

私も年ですし、信頼できる人本当の知識にあいたいです。

No title

>自分の経験からの見方も大事かもしれませんが、
>仏教には一水四見という言葉もあります。

>「自分は、こういうドグマが親鸞会にあると思います」、というのは、
>主観の中の事実でしょうが、その主観が正しいかどうか、
>語り会える法友に恵まれなかったのは、多いに同情致します。

こんな風に自分の信念が仏説に則っているような書き方をするのはずるい。
親鸞会では、原典に直に当たって教義を検討するというよりも、
主に抜書きされた教学聖典の文章を頼りに恣意的に用意された正解を
一方的に押し付け、それ以外は読む必要もないし自分で解釈する必要も
ないと教育することに重点がおかれる。

「自分は、こういうドグマが親鸞会にあると思います」

チューリップ企画の法論を読んだ人ならわかると思うが、
親鸞会ではそれがいかなるドグマか語らうこともできない。

ドグマを検討して行き詰ったら、
「凡夫に善知識の深い御心はわからない」で終わらせて
後は議論のための議論であるかのような印象操作に終始する。

自分の主観の中の事実を相手に知らせるには言葉によるしかないのに、
その言葉を検討する作業を自ら放棄しているのが親鸞学徒ではないのか。

親鸞会を利する発言は、ネット監視委員がしている。
親鸞会を害する発言は、上田・清森派がしている。
だから、どうした?と尋ねたくなります。
インターネットで匿名でしている時点で、どんな人が何人発言しているか、わかりませんよね。
あと、このサイトはアンチ親鸞会社会だと言えます。どんなに反発しても、社会に個人は勝てませんよ。
皆さん無駄な事はせず、正しい教えだけをハッキリさせましょう。

信心の人におとらじと 

じい様

B2と名乗らせて頂きます。
僭越ながら、お答えします。


信心の人におとらじと 疑心自力の行者も 
如来大悲の恩をしり  称名念仏はげむべし 


信心決定された人に劣るまいと  未だ信心決定していない人も
信心決定して  仏恩報謝の念仏を称えなさい

という意味です。


「如来大悲の恩をしり  =  信心決定して」
というところが、ポイントです。


このことの根拠は、

「この信心をよくよく決定候わでは、仏恩報尽と申すことはあるまじき事にて候。」
                                      (夏御文二通)

です。

No title

b2様ご回答ありがとうございます。念仏はげむを自分の力ですると思っていました。

No title

じい様

この後和讃を、信前の自力の念仏を一生懸命励みなさい、という意味だと間違っている人が多いのです。

そうではなくて、信心決定を勧められたお言葉である、ということを判っていただいて、私も嬉しいです。

No title

>自分の主観の中の事実を相手に知らせるには言葉によるしかないのに、
>その言葉を検討する作業を自ら放棄しているのが親鸞学徒ではないのか。

私の発言のこの部分、親鸞学徒は言い過ぎだったかもしれないので、
「高森学徒」に訂正します。

>あと、このサイトはアンチ親鸞会社会だと言えます。どんなに反発しても、社会に個人は勝てませんよ。
>皆さん無駄な事はせず、正しい教えだけをハッキリさせましょう。

この発言に非常に危険なものを感じる。
剽窃や捏造疑惑も全て無駄な事で何の弁明も必要ないと言い張るなら、
親鸞会はカルトだと批判されても仕方がないだろう。

>「如来大悲の恩をしり  =  信心決定して」
>というところが、ポイントです。
>このことの根拠は、
>「この信心をよくよく決定候わでは、仏恩報尽と申すことはあるまじき事にて候。」
>(夏御文二通)

素人目に見て、これは = ではなくて ⊇ ではないかと思う。
「如来大悲の恩をしり  ⊇  信心決定して」
信心決定は恩を知ることに含まれる。
報尽 = 恩を知り では必ずしもないと思う。
報い尽くすという字の意味からして。
間違っていたらすみません。

信心の人におとらじと―― 補遺

あんたい様

ご指摘ありがとうございます。

確かに、「知恩、感恩、報恩」はそれぞれ同じではないですね。
判りやすかろう、と思ったのですが、「=」を使ったのは、早計だったかもしれません。

ただ、私の意図したことは、2番目のコメントに述べたことです。
このことは言えていると思いますので、ご容赦ください。

No title

>B2様

読む人やその時々によって様々な解釈ができる
含みがあることも確かなんですよね。
「信前の自力の念仏を一生懸命励みなさい」
という解釈も一つの味わいですね。

信心決定してこそ他力の称名念仏できると考えれば、
「如来大悲の恩をしり=信心決定して」が
一番いい解釈なのかもしれませんね。

No title

定散自力の称名は 果遂のちかいに帰してこそ
おしえざれども自然に 真如の門に転入する の和讃の意味を教えてください。
よろしくお願いします。

じい様へ

あなたがここで和讃について質問を繰り返されるのは何故ですか?
スレッド違いではないでしょうか?
議論が分散してしまいますのでここではスレッド違いのご質問はご遠慮願えますか?

あるいは、あなたのご質問が親鸞会元講師部氏の書かれた「私の白道・明らかなお慈悲 」に関連するとおっしゃるのでしたらその理由を教えていただけますか?

このサイトは「清森問答」であるわけですから、直接清森氏にメールでお尋ねになるべきだと思います。そのうえでコメント欄にてご意見をおっしゃるのが望ましいとおもいますがいかがでしょうか。

No title

おう様 わかりました。気をつけます。

ちょっと、待って

あんたい様

>読む人やその時々によって様々な解釈ができる
>含みがあることも確かなんですよね。
>「信前の自力の念仏を一生懸命励みなさい」
>という解釈も一つの味わいですね。

>信心決定してこそ他力の称名念仏できると考えれば、
>「如来大悲の恩をしり=信心決定して」が
>一番いい解釈なのかもしれませんね。


あまり、この話題を長引かせるのは、本意ではありませんでした。
ブログの投稿とは、内容がはずれているからです。


しかし、あんたい様のこの発言は黙認できません。
私は、じい様の質問に対して、「一つの味わい」 とか 「一番いい解釈」 を述べたつもりはありません。
「親鸞聖人の御教えはどうなのか」 ということを明らかにしたつもりです。


世間には、この御和讃を、

「信後の人は念仏相続している。
たとえ信前であっても、阿弥陀如来のご恩を(たくさん)知って、信後の人に負けないように、一生懸命念仏すべきである。」

と解釈して、「信前の称名は無益なり」 という真宗の正義を乱している人がいます。
「親鸞聖人も信前の称名を大いに勧めておられる。信前の称名が無益なら、大いに勧められるはずがない」 と主張する、その人達の根拠がこの御和讃であり、上記の解釈です。

しかし、これは間違いです。親鸞聖人の教えではありません。


「如来大悲の恩を知る」 のは、信心決定した時です。
信前には、聞いて知っていても、本当は何も知らないのです。
信心決定した時に、初めて、如来大悲の恩を知るのです。

こういう訳で、この御和讃を拝読する時には、「如来大悲の恩をしり」 を、「信心決定して」 と同意と読み取らなければ、親鸞聖人の御心を誤ることになるのです。

そのことを、わたしは、

>「如来大悲の恩をしり  =  信心決定して」
>というところが、ポイントです。

と申し上げたのです。


これは、絶対なのであって、「それも一つの解釈」「それも一つの味わい」 などと、言って頂きたくはありません。


以上、私の微意を汲み取って頂ければ幸いです。


※ おう様、清森様
  お騒がせしてすみません。これにて、失礼します。


No title

おう氏の、弥陀の使いへの指摘文を読ませないための
親鸞会のネット対策の一貫でしょう。

会員によまれてはまずい投稿があると、意味不明な教義論で
場をかき乱し、投稿者が根負けして書き込みをつづけられなく
なるまで、かき回しつづける。

通常、最初にアクセスした人は、一番最後の書きこみから2~3
程度だけを読みますが、さらにその以前のものまで読む人は
確率的にずっと少なくなります。

2ちゃんねるでアクセス禁止~FCTVから二度とアラシをしない
という誓約書を提出させられて、ネット対策の手法を変化させて
きているのでしょう。

狡猾なネット対策といわざるを得ません。

承認待ちコメント

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No title

>B2様

>「如来大悲の恩を知る」 のは、信心決定した時です。
>信前には、聞いて知っていても、本当は何も知らないのです。
>信心決定した時に、初めて、如来大悲の恩を知るのです。

別に否定するつもりはありませんが、
自分の主観を他の人の読みにも当てはまるように
不当に一般化するのには賛成できません。

この意見を説得力のあるものにするためには
もっとしっかりした議論をしなければならないと思いますが
ここはその場所ではありませんし
教学に暗い私とでは議論にならないと思うのでやめましょう。

ただご和讃は詠む人によっていろいろな解釈が生まれるのは
ある程度当然でしょう。親鸞会の人は、原文を字義どおり忠実に
解釈することなく一足飛びに与えられた正解に飛びつこうとする
癖があると思いますが、私はそういう教条的な態度は
視野の狭さと知的体力のなさから発するものだと思います。

意味不明な教義論になっても迷惑なので終わります。

No title

私は会員のものですが、高森会長の所得申告に疑義があります。

1998年から2004年までに発表された高額納税者名簿を確認しました。
高額納税者の発表は、2006年より中止されておりますので、それ以前
の分しか確認できませんが、過去の富山新聞に高岡税務から発表され
たすべての高額納税者名簿が掲載されております。

大変驚いたことに、高森会長の名前は一切ありませんでした。

基本的に、概ね所得税額1000万円以上の人が高額納税者として
公表されておりました。これは年間の所得にすると約3000万円
ほどです。
高森会長は、まず親鸞会から、他の講師と同様に法領(給料)
を受けとっています。布教局長が毎月200万ほど受け取っていた
ことから推測すると、ほぼ年収3000万近くは基本法領だけで、
受領していたものとおもわれます。

さらに、毎月の法話の法礼が「現金で」高森会長に渡されていました。
本部の行事では、半分程度が会長に渡されていたと推測されますため
少なく見積もっても
2500円x2000人x月3回x12ヶ月=1億8000万円 が別途法礼として
会長に現金として渡されていたとおもわれます。
当然、この法礼は親鸞会の収入ではありませんので、個人の事業収入と
なりますので、課税対象となるはずです。
正直に申告していたならば、少なくとも毎年6000万~7000万円の税申告
がなされていたはずであり、高額納税者の上位に名を連ねていたはずと
おもわれます。

かつて、顕真会館(11億)、高岡会館(8億)、滋賀会館(5億)
顕真学院(5億)すべて、高森会長のポケットマネーで建築
されたことが、会員には発表され、「先生のお慈悲」と宣伝
されてきました。

ここで、留意すべきなのは、宗教法人親鸞会が建てたのでは
なく、高森会長個人が建てられた、という点です。

しかし、これだけの建物を即金で建築されるのは、当然相当
の個人の所得がなければ到底ありえない話です。
となると、当然、合計で数十億をこえる大きな所得が発生し
ていたはずであり高額納税者に名を連ねてしかるべきです。

過去の富山新聞を確認したとき、高額納税者名簿に名前はある
だろう、しかしどのくらいの金額なのだろうか、とおもって
おりましたが、一切載っていなかった。衝撃でした。

同朋の里事業についても、高森会長がまず施設を買収して、
会員から後付で、財施を集めている様子です。相当額の
金をもっているのでしょう。

親鸞会の申告所得が毎年14億5千万円で、会費収入を差し引くと
正本堂や地下道で集めた100億ほどの金の所得申告がなされて
いないことが読み取れます。

不思議なことに、2003年ころから、正本堂の財施の納入は銀行
振込みではなく、できるだけ現金で、と指示が流れました。
これらの金も会長の個人所得になっている可能性さえありえ
ます。

脱税の時効は、5年ほどといわれます。

マルサの女という映画では新興宗教の教祖が、脱税をしてつかまる
シーンもありますが、親鸞会についても映画の中の話ではないと
いうように感じます。

以上高森会長の所得申告についての疑義を申し上げます。

No title

あんたい様

>チューリップ企画の法論を読んだ人ならわかると思うが、
>親鸞会ではそれがいかなるドグマか語らうこともできない。

>ドグマを検討して行き詰ったら、
>「凡夫に善知識の深い御心はわからない」で終わらせて
>後は議論のための議論であるかのような印象操作に終始する。

ご意見、ありがとうございます。
縁あって、会に所属する者として、ご意見を真摯に受け止めたいと思います。
何の反感も反論もありませんし、ネット対策員とかでもありませんので、
縁あって言葉をやり取り出来たことに感謝して、これにて退散致します。
ご意見をよくよく考えてみたいと思います。

聞というは、衆生、仏願の生起本末を聞いて、疑心あることなし

時節到来と云うこと。用心をもし、そのうえに事の出で来候うを、時節到来とは云うべし。無用心にて事の出で来候うを、時節到来とはいわぬ事なり。聴聞を心がけてのうえの、宿善・無宿善とも云う事なり。ただ、信心は、きくにきわまれることなる……

いかに不信なりとも、聴聞を心に入れて申さば、御慈悲にて候うあいだ、信をうべきなり。ただ、仏法は、聴聞にきわまることなりと云々……

覚醒

33年間親鸞会で求めてきました。その間、疑問に思うことはあってでも、先生のお考え、御心と思い、後生の一大事の為にお金も時間も費やしました。
世界で唯一の素晴らしい団体と思っていた会が、こんなにひどくお粗末とは。。。。
「ヘン」だと思った事はやはり「ヘン」なのです。
会を辞めたら、本当にあったヘンな事、世間では絶対通用しないむちゃくちゃな事を明らかにします。
目が覚めました。
会を辞めます。

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