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親鸞会教義の相対化・69 (投稿)

清森義行様


ご無沙汰しております。

「宗教的寛容」に関する話題を、これまで何度か取り上げたことがありますが、今回はその続きです。


親鸞会教義の相対化・17(質疑応答71)
「一向專念無量寿仏でないと助からない」という表現について
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-72.html

親鸞会教義の相対化・25
「熱狂について」
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-84.html

親鸞会教義の相対化・37
渡辺一夫著『狂気について』(岩波文庫)
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-130.html


 私達は、自分の価値観にあわない存在を、切り捨ててしてしまうことがあります。そしてそれは、「これが正しい」という思いが強い程、その排斥は烈しくなります。親鸞会を批判するものに対する親鸞会関係者の「憎悪」はその典型的な例ではないかと思います。

 しかし、人にはそれぞれが背負っている様々な人生というものがあって、自分の価値観と異なったものを持った人にも、その価値観を持つに至った背景があるということを互いに忘れてはいけないと思います。


この書き置きたるものを見て誹ぜん輩は必ず九品の台に縁を結び、互いに順逆の縁虚しからずして一仏浄土の侶(とも)たらん。
『念仏往生要義抄』浄土宗聖典vol.4.p.329.

(訳)
私が念仏の教えの素晴らしさについて書いたものを見て、それを誹謗する人も、それによって極楽浄土の九品の蓮台に縁を結ぶ。
だから、自分にとってプラスの縁もマイナスの縁も大切にして、一緒に極楽浄土に生まれて、そこで友となろう。


 自分にとって好ましい人は勿論ですが、自分を誹謗するような人も大切にする。
 プラスの縁もマイナスの縁も大事にして、一緒に極楽浄土に往生して、そこでは本当の友達になれることを願う。

 そう仰っている法然上人に少しでも近づこうとするのが、法然上人を師と仰いだ親鸞聖人に学ぼうとしている「親鸞学徒」のあるべき姿なのであると私は思っております。


 久しぶりに清森問答を見ましたところ、親鸞会元講師部さんの投稿に以下のコメントがされていました。

===以下引用===
余計なお世話をしなさるな
相変わらずの「信心の商人」嶋〇はん

>隠れてでもいいから、他の先生の話を聞いて下さい。本を読んで下さい。
>必ず、宿善の人は真の知識にあえます。必ず。
>ここを読んでおられる方はすでに見つけておられます。

本気で言うておるなら、お笑い種よ。

「宿善の人」には、あんたの勧めなどなくとも、必ず弥陀の願力がはたらいて、
善知識の元に導かれておる。

逆に言えば、あんたの言葉に導かれる人は、「宿善薄い人」だから、行き先は
浄土ではないということ、自明なり。

脱会までの愚痴話は、家の中だけにしておく方が、罪もなくてよかろうに。
人を惑わしめ、遠回りさせた今となっては、手遅れだが、その罪重し。
罪業しっかり背負うて、その味をこそ皆に聞かせよ。
2008年09月21日|弥陀の使いURL[編集]

君過つること莫れ
疑謗破滅のその中を
進むが道とは聞きしかど
かくも険しと思わざりけり

信心得たと標榜し、安売り信心で薄縁のものたちを誘い出して、餌食とする。「信心」で商う、罪の深さを弁えておりながら、悪鬼に魂を売り渡したかのごとき所業。誰を騙せたとて、弥陀を欺けはせぬ。

弥陀と親子名乗りができたとな。
それなら、その親がどう言うた。もっと早く来れたのに、とでも言うたか。回り道をしたな、とでも言うたか。師の間違いを糺して来いとでも言うたのか。

一番の間違い者は私だったーーー、の懺悔もなければ、
こんな自分をようこそここまで押し出して下されたーーー、の歓喜も微塵もない。

助からぬ者が助かった、その喜びのない者だから、怨みと呪いに苛まれ、欲の虜を恥ともせぬ。憐れな姿をさらしても、立派な知識のつもり節。あまりのお粗末に、聞いてる方が恥ずかしい。

邪心の上に、いくら純粋そうなメッキをしても、内からわき出る「餌食を狙う欲」と「脱会の怒り」の臭い体液で、既にボロボロと剥がれてしまっておる。
それに騙される者など、よそ見をしている虚けか、鼻のイカれた病持ちだけだ。

sま田よ、昔も今も、少しも変わっておらぬの。
「黒い心」の特有の黒さも、
自前でこしらえた「白い心」の頼りなさも。
2008年09月22日|弥陀の使いURL[編集]
===以上引用===

これに対して、おうさんはじめ多くの方から反論がなされ、そのやり取りが別の所でも紹介されています。

苦笑の独り言「暗黒パワー全開」とOHさんのコメント
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-63.html


 親鸞会に対して都合の悪い投稿をしている親鸞会元講師部さんを、親鸞会関係者の方が激しく「憎悪」されるのは仕方のない部分もあります。

 しかし「暗黒パワー全開」と言われてしまうほどの「憎悪」をむきだしにする人物は、上記の法然上人の言葉からは大きく逸脱しており、到底「親鸞学徒」とは呼べません。ましてや「弥陀の使い」を自称するのはあまりにも僭越な詐称行為であると思います。

 私は以下のおうさんの発言の方が、はるかに「親鸞学徒」らしいものであると思います。

===以下引用===
弥陀の使い氏へ
弥陀の使い氏、なんという仰々しいネーミングでしょうか。
自分を何様と思っているんでしょうか。そんな資格があなたにあるんでしょうか。
弥陀の使い氏も他人を罵倒する前に、高森会長を善知識として認める立場ならば、高森会長のこれまでやってきた所業について少しは言い訳されたらどうですかね。

あんたい氏の「それは高森会長自身がまいた種でもあるのではないか。」というご意見に対して、まったく同感に思います。
会長は真宗の布教をする資格を既に喪失しています。会員はその事実に気づくべきであり、速やかに会を去るべきです。曇鸞大師が悔悟し、仙経を焼かれた潔さを見習ってください。

弥陀の使い氏、パクリ問題についてはどうお考えですか?
他力信仰を語る際に、自己の言葉をもって表現することすらできなかった高森会長。
丸々他人の著書から無断引用し、あたかも自分が述べたように長い間、会員を信じこませてきました。会長が出してきたパクリ書物を通じて「この方こそ本物だ」と信じてきた講師の動揺はかなりのものでしょう。

ネットで容易に確かめることができるこの事実ひとつをもってしても、高森会長はもはや自業自得で自身の信用を失墜させてしまっているわけであり、真宗の布教をなされる資格を喪失しています。
さらには、多くの若者たちの未来を奪い人生を狂わせ、ウソつき偽装勧誘活動に従事させて惑わしてきたことは限りなく罪深いといえます。万死に値するといっても過言ではないでしょう。

だいたい、お調子ものほど、「ワシが少しでも間違いを述べたら切腹する」「ワシは壇上で死ぬ覚悟じゃ」などと大言壮語する。所詮は実行不能なことなど、はじめからおっしゃらぬほうがよろしいのではないでしょうか。

高森会長は善知識と自称し、他称させてきました。すでに自身を断じて師と呼ばせなかった親鸞聖人の「御同行」精神から大きく乖離しているわけですが、そもそも真の善知識ならば身内よりも同行、恩愛より法を大事にし、選択するはずではなかったのか。

少しでも求道心が残っている講師たちにとっては、あの合宿は高森会長のメッキが完全にはがれ、馬脚を現してしまったことを認識するための、弥陀の善巧方便であったのではないか。

>信心得たと標榜し、安売り信心で薄縁のものたちを誘い出して、餌食とする。「信心」で商う、罪の深さを弁えておりながら、悪鬼に魂を売り渡したかのごとき所業。誰を騙せたとて、弥陀を欺けはせぬ。

何をいっているのでしょう。心ある会員にとっては、会員たちがわが身を削り、血のにじむような思いで出した浄財に対して会計報告すらしようとしない高森会長ご自身のこととしかきこえないことでしょう。高森一族を太らせるための私腹を肥やしていると思われても仕方ないでしょう?その状況証拠はすでにたくさん流布しています。

高森会長は親鸞聖人が身業説法なされたご教導に背き、泥を塗り、祖師を汚い土足で足蹴にしました。
高森会長、ここを読んでいますよね?
祖師聖人に対して、阿弥陀如来に対してどう申し開きするつもりでしょうか?
2008年09月22日|おうURL[編集]
===以上引用===
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COMMENTS

鼻のイカれた病持

785 :神も仏も名無しさん:2008/09/23(火) 06:31:02 ID:fQE6lQMs
この内容、すごいですね。
清森問答 「私の白道・明らかなお慈悲 親鸞会元講師部」
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-230.html

君過つること莫れ 疑謗破滅のその中を   進むが道とは聞きしかど      かくも険しと思わざりけり

信心得たと標榜し、安売り信心で薄縁のものたちを誘い出して、餌食とする。「信心」で商う、罪の深さを弁えておりながら、悪鬼に魂を売り渡したかのごとき所業。誰を騙せたとて、弥陀を欺けはせぬ。
弥陀と親子名乗りができたとな。それなら、その親がどう言うた。もっと早く来れたのに、とでも言うたか。回り道をしたな、とでも言うたか。師の間違いを糺して来いとでも言うたのか。
一番の間違い者は私だったーーー、の懺悔もなければ、
こんな自分をようこそここまで押し出して下されたーーー、の歓喜も微塵もない。
助からぬ者が助かった、その喜びのない者だから、怨みと呪いに苛まれ、欲の虜を恥ともせぬ。憐れな姿をさらしても、立派な知識のつもり節。あまりのお粗末に、聞いてる方が恥ずかしい。
邪心の上に、いくら純粋そうなメッキをしても、内からわき出る「餌食を狙う欲」と「脱会の怒り」の臭い体液で、既にボロボロと剥がれてしまっておる。
それに騙される者など、よそ見をしている虚けか、鼻のイカれた病持ちだけだ。
sま田よ、昔も今も、少しも変わっておらぬの。「黒い心」の特有の黒さも、
自前でこしらえた「白い心」の頼りなさも。

2008年09月22日 | 弥陀の使い

786 :神も仏も名無しさん:2008/09/23(火) 06:33:53 ID:fQE6lQMs
S田元講師の鼻がもげる臭さ
弥陀の使い> 弥陀と親子名乗りができたとな。それなら、その親がどう言うた。もっと早く来れたのに、
弥陀の使い> とでも言うたか。回り道をしたな、とでも言うたか。師の間違いを糺して来いとでも言うたのか。

前々から指摘してきたことではあるが、同じ事を感じている方がおられる。

親鸞聖人は慈鎮和尚に「19願の方便要門で回り道させられた」とかそんな繰言おっしゃっておられないです。
少なくとも私は見たことがない。他の有名な妙好人伝などを読んでも、
「あの無信心な住職のおかげで回り道させられた」みたいに愚痴ついているのは見たことがない。

この元講師が「親鸞会の活動」に疑問を呈しているのはよくわかるし、ダミサ勧誘やら会計疑惑やら、
活動の方向性が完全に狂っているという批判は私は正しいと思う。
その意味では華光会の方が(外からみる限り)随分真っ当に見える。

でもそれはあなたの信仰を正当化するものではないよ。
正直に申し上げて、あなたの信仰の告白には鼻のもげる臭みがある。
そう私は感じる。
信心の溝さらえを欠かさぬようにされたがよい。
華光会でもそう教えてるでしょう。
伊藤師は信心を獲たと言っている同行に対して
まず1年くらいは様子を見ると言っているよ。
その理由をよく考えた方がよい。

2008年09月22日 | S田元講師の鼻がもげる臭さ


787 :神も仏も名無しさん:2008/09/23(火) 06:37:33 ID:fQE6lQMs
親鸞会を利する発言は、ネット監視委員がしている。親鸞会を害する発言は、上田・清森派がしている。
だから、どうした?と尋ねたくなります。
インターネットで匿名でしている時点で、どんな人が何人発言しているか、わかりませんよね。
あと、このサイトはアンチ親鸞会社会だと言えます。どんなに反発しても、社会に個人は勝てませんよ。
皆さん無駄な事はせず、正しい教えだけをハッキリさせましょう。

* 2008年09月22日 |

おう氏の、弥陀の使いへの指摘文を読ませないための
親鸞会のネット対策の一貫でしょう。

会員によまれてはまずい投稿があると、意味不明な教義論で
場をかき乱し、投稿者が根負けして書き込みをつづけられなく
なるまで、かき回しつづける。
通常、最初にアクセスした人は、一番最後の書きこみから2~3
程度だけを読みますが、さらにその以前のものまで読む人は
確率的にずっと少なくなります。

狡猾なネット対策といわざるを得ません。

2008年09月22日 | ルイス

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