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親鸞会教義の相対化・70(投稿)

清森義行様

今回は、以下の書籍を取り上げてみたいと思います。

●明橋 大二著『子育てハッピーアドバイス』(一万年堂出版)

『キリスト教文明の崩壊と仏教の時代』の第九章の実質的な著者は
明橋氏であるようですし(*)、明橋氏が親鸞会と深く関わってい
る人物であることは既に多くの方の知るところです(**)。

*親鸞会教義の相対化・54コメント覧 参照
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-183.html

**明橋大二医師と親鸞会 参照
http://shinrankai.hp.infoseek.co.jp/akehashi.html


===以下引用===

【「がんばれ」より「がんばっているね」と認めるほうがいい】(pp.
46-53)

私達は、よく子どもに「がんばれ」と言います。
先生が連絡帳に、最後に赤ペンで書くのも、
たいてい「がんばりましょう」とか「今度からもっとがんばりま
しょう」ですね。

確かに「がんばれ」と言われて、がんばろうと思える時もありますが、
よけいつらくなるときもありますので、気をつけねばなりません。

それは、これ以上がんばれないくらいがんばっているのに、
さらに「がんばれ」と言われたときです。
「これ以上、じゃあどうすればいいの」という気持ちになってしま
います。

お母さんにしても、朝から晩まで、家事、育児に追われて、
そのうえ、仕事もして、くたくたになっているときに、
夫から、「もっとがんばれよ」と言われたらどうでしょうか。

お父さんも、会社で、同じようなことがありませんか。
こういうときに、社長から「君、いつもがんばってくれてるな」と
言われると、
ちょっと元気が出てきませんか。
夫からでも「いつもがんばってくれてありがとう」とか、
言われるとちょっとは胸のつかえが下がります。

それは子どもも同じです。

「いやあ。うちの子どもは、ちっともがんばってませんわ。
 毎日ゴロゴロ、ゴロゴロ、ゲームばっかりして、宿題もしない
で、どっこもがんばってません」

と言われるかもしれませんが、子どもなりに、いろいろと苦労して
いるところがあるのです。

学校に行ったら、いじめにあわないかと思って人に気を遣っていますし、
家に帰ったら、ガミガミ言われるのを一生懸命、忍耐している。

子どもなりにがんばっているところがあるのです。

そういう子どもに、「がんばれ、がんばれ」だけじゃなく、
「おまえもけっこうがんばっているな、ご苦労さん」
と言ったほうが、かえって元気が出てきます。

「がんばれ」という言葉は相手を選ぶ。
言っていい人と、言ってはいけない人がある。

だけど「がんばってるね」「よくがんばったね」
という言葉を言ってはいけない人は、ほとんどありません。

「がんばれ」よりも「がんばっているね」、
相手のがんばりを認めてねぎらう言葉をよく使うようにしてはどう
でしょうか。



【子供のしつけ方】(pp.108-117)

(1)
まず初めに、不登校、引きこもり、キレる子供、少年非行、少年犯
罪など、
現代のいろいろな子供の問題が、しつけ不足で起きているケースは
むしろ少ない。
逆に、しつけすぎ(体罰、きびしすぎるしつけ)から起きている
ケースが多いのです。

(2)
しつけがまったく不必要ということではありません。
基本的な生活習慣、他人のことを思いやる行動を身につけることは
大切です。

(3)
いちばん大切なことは、親自身が、身をもって、あるべき姿を示し
ていくこと。
親が、子供に、してほしいと思うことを、親自身がふだんから、子
供の前でしいく。
そうすると、自然と子供はまねていきます。

(4)
子供に、「~しなさい」「~してはダメ」と、
言葉で指示、命令するしつけを繰り返していると、往々にして、叱
ることが多くなりがちです。

そうなると子供の自己評価を下げるだけで、効果は少ない。
親が言っている間はやっていたとしても、親が言わなくなると同時
に、やらなくなる。
それでは、本当に身についたとは言えません。

(5)
親の言葉で、子供の行動を方向づけするとするなら、その場合は、
親が、「私は」を主語にして、「うれしい」「悲しい」という言葉
を使うのがいいのです。

「あら、洗い物してくれたのね。お母さんうれしいわ。ありがとう」
「あなたが、人の物を默って取るなんて、お母さんは悲しい」

子供は、親に、喜んでほしい、悲しませたくない、という気持ちが
非常に強いです。
ただ「これをしなさい」「これはしちゃいけない」と言うより、
その気持ちに訴えかけるほうが、子供には伝わります。

(6)
子供には、どんどん失敗させる。
先回りして、指示、命令するのではなく、失敗から学ぶことを教える。
失敗したときに、それを責めずに、
今後、どうしたら同じ失敗をしなくなるか、一緒に考えてみます。

(7)
きちんとしつけなきゃならない、と思って、子育てが負担になり、
いらいらしていると思ったら、
いったん、しつけなんて、もうヤ~メタ!と、放棄して、肩の荷を
下ろして、深呼吸してください。

そのほうが、よほど子どもの将来のためにいい、ということもある
のです。
===以上引用===


このように本書に書かれた内容は大変素晴らしく、私は以上の内容
に全面的に賛同します。

本書は「子育て」を扱ったものですが、ここに書かれている内容は
布教にも多いに通じるものがあるので、本書のシリーズは全巻購入
しており、日々の布教におおいに活用させて頂いておりますし、明
橋氏が所属する親鸞会でも、本書が布教に際して有効に活用されて
いると思っておりました。

ところが、親鸞会では、以下のように教えられているようですね。


★無条件服従
===以下引用===
釈尊は「善知識はさとりを得る道の大因縁、全因縁なり」と仰言っ
ておられる。又、「善知識があったら十里、二十里はおろか海山越
えても馳せ参じ、その善知識を仏の如く敬うて、身肉手足をも供養
すべきである」とも般舟三昧経に教えておられるとおり、私達が助
かる否かは全く善知識の御化導によるしかない。その御化導に私見
をはさんでいては万劫聞いても助からない。ただひたすら、善知識
を弥陀の化身と仰ぎ、善知識のお言葉を弥陀の直説と頂いていく事
にのみ、私達が無碍の大道に雄飛できる道のある事を再自覚し、会
長先生の御下にぬかずかねばならない。
【顕正新聞 昭和49年12月】

親鸞会で際だっていたのは、善知識への絶対無条件服従でした。高
森顕徹会長をもって無二の善知識としている親鸞会では、それはそ
のまま高森顕徹会長への絶対無条件服従を意味することになります。

では、なぜ無条件服従しなければならないのでしょうか。少し長い
ですが、引用します。

親鸞会の我々には今、二つの目的がある。一つには自身の信心決定
であり、二つには真宗の流れを変えることの二つである。いずれも
世間のどんな難事業よりも至難な大事業であり、どれだけ心身を砕
いて精進してもし足りないが、二大目的の達成は、善知識に無条件
服従できるか否かにかかっているといえよう。
このことは歴代の善知識が明らかにしておられることだが、事実
我々はどうであろうか。
自己の理性を基に正邪を判断し、愛憎違順する我々に、無条件服従
は極めて難しい事である。理性が満足せねば、善知識の仰せに対
し、本会の種々の指示に対し、「なぜですか」「どうしてですか」
「納得できないからやれません」等々疑い、不信、反抗の鎌首をと
ころかまわずもちあげる始末、それでもまだ足りず、自らの怠惰な
求道を棚に上げ、「もう少し早く進める方法はないか」と善知識の
御指導に不平を漏らし、法謗の徒と化す根性。この心こそが曠劫流
転の親玉であり、正しい判断できると自惚れている心が仏心を受け
つけぬ元凶であることを知らねばならない。
仏法に対しては全く狂った考えしかないから無条件服従が必要なの
であり、善知識は信心決定への全因縁といわれる理由があるのである。
蓮如上人が親鸞聖人のことをある人に尋ねられた時、「我も知らぬ
ことなり。何事も何事も知らぬことも開山のめされ候ように御沙汰
候」と仰せになっている。これは「私も判らぬ、しかし何事も何事
も親鸞聖人のなされたようにするのがよろしい」という意味で蓮如
上人の親鸞聖人に対する無条件服従の姿勢を明らかになされたもの
である。
我々も又、善知識の仰せに対し本会の指示に対し、何事も何事も仰
せのままに指示通りに無条件で服従するように努めていかねばなら
ない。これが求道であり、この過程があってこそ、親鸞聖人の「よ
き人の仰せをこうむりて信ずるほかに別の仔細なきなり」という真
の無条件服従が体験できるのである。
この絶対の体験をするまで、聴聞によって無条件服従の心を培い、
本会の指示に無条件に従うことによってその形を整え、心身ともに
無条件服従へ仕向けていく努力が自己の信心決定を早め、強固な組
織作りとなり、真宗の流れをより早く可能たらしめるのである。
【顕正新聞 昭和54年8月】

赤尾の道宗が蓮如上人から、
「近江の湖を一人で埋めよ」と言われたとき、
「はい畏まりたる」と無条件服従している。
この人の言うこと、どこまで本当だろうか、と思っていては仏法を
聞き開くことはできない。
「近江の湖を一人で埋めよ」と言われたら、「はい」と答える心構
えが信前信後を通じて尊いのだ。
【顕正新聞 平成4年9月】

つまり親鸞聖人が「よき人(法然上人)の仰せをこうむりて信ずる
ほかない」と仰り、蓮如上人が「何事も何事も知らぬことも開山
(親鸞聖人)のされたようにするのがよろしい」と仰ったのが、無
条件服従の根拠だと言われるのです。
しかし本当に、高森顕徹会長への「無条件服従」は、親鸞聖人の御
心にかなったものだったのでしょうか。以下は親鸞会の顕真学院生
と講師部員が、1日2回唱和している「聖則」の文章です。
会長先生のご指示に無条件で従い、信心獲得を本と致します。
上司の指示は会長先生の命と心得ます。
【親鸞会 顕真学院・講師部聖則より】

確かに親鸞聖人は法然上人に従われ、蓮如上人は親鸞聖人のされた
ことに従われました。しかし、蓮如上人が、「親鸞聖人は法然上人
に従われたのだから、私にも無条件で従え」と仰るようなことが果
たしてあったのでしょうか。そしてそんなことを毎日唱和させるよ
うなことを、果たしてされたのでしょうか。
それだけではありません。一般会員にも下記の粛正規定を徹底して
います。

会員粛清規定第3条(2)組織破壊行為
 (1) 支部長の指示に従わない。
 (2) 講師部を批判する。
  (3) 本会の機密を漏洩する。
 (4) 本会の和を乱す。
 (5) 本会の指示に対する批判的言動。
 (本会の指示、方針、通達、活動目標等を批判する)
【親鸞会 会員粛正規定】


なぜ私は親鸞会をやめたのか
3.高森顕徹会長と絶対無条件服従
http://shinrankai.mondai.nukenin.jp/naze3.html
===以上引用===


★後ろ向きな発言・顔(表情)・姿勢・文章禁止
===以下引用===
<禁止事項>
【後ろ向きな発言・顔(表情)・姿勢・文章】

【発言】
※自分だけでなく、周囲の人のやる気を削ぐような発言はしない。
1)できません。
2)無理です。
3)わたしのような者はダメです。
4)感謝の心がでてきません。
5)こんなやり方にはついてゆけません。
6)そんなことを言われても困ります。
7)少しも悪いと思えません。
8)辛いです。苦しいです。

【顔(表情)】
※額にシワをよせた表情はしない。
1)泣くと、その涙でなお悲しくなる。
 ※『ベッピンも 笑顔忘れりゃ 五割引き』

【姿勢】
※腰を押されるようにして、堂々と歩く。

【文章】
※後ろ向き発言と同じ文章は書かない。

親鸞会教義の相対化・46
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-166.html
===以上引用===


明橋氏の著書と親鸞会で教えられていることを比較すしてみます
と、明橋氏の著書は、親鸞会教義の問題点を全く受け継いでおら
ず、むしろ親鸞会で教えていることの問題を浮き彫りにするものと
なっております。

私見ですが、明橋氏は以下の何れかの立場を取っておられるのでは
ないかと思います。

1)自身が扱っている領域はあくまで「子育て」に限定されたもの
であり、親鸞会で教えられていることには全く適応されないと考え
ている。

2)教団で教えられていることを批判することが禁止されている親
鸞会を、「子育て」を扱うことによって間接的に批判し、親鸞会を
内部から改革しようとしている。

私としては、明橋氏の立場が2)であることを強く願います。そし
て明橋氏の努力により親鸞会が素晴らしい団体に生まれ変わること
を希望します。

これほど素晴らしい内容の本をお書きになられる人材を輩出する団
体なのですから、本書で教えられた内容を活用し、本書の著者が所
属するのに相応しい団体に生まれ変わって頂きたいと思います。

以上



清森追記

* * * *
赤尾の道宗が蓮如上人から、
「近江の湖を一人で埋めよ」と言われたとき、
「はい畏まりたる」と無条件服従している。
この人の言うこと、どこまで本当だろうか、と思っていては仏法を
聞き開くことはできない。
「近江の湖を一人で埋めよ」と言われたら、「はい」と答える心構
えが信前信後を通じて尊いのだ。
【顕正新聞 平成4年9月】
* * * *

 この記述は、『御一代記聞書』に基づいていますが、この記述の
当該部分は、蓮如上人のお言葉として伝えられている部分ではあり
ません。


●善知識の仰せなりとも成るまじきなんど思うは、大きなるあさま
しきことなり。ならざる事なりとも、仰せならばなるべきと、存ず
べし。此の凡夫の身が仏になるうえは、さてなるまじきと存ずるこ
と、あるべきか。しかれば、「『道宗、近江の湖を一人してうめ
よ』と、仰せ候うとも、『畏まりたる』と、申すべく候う。仰せに
て候わば、ならぬこと、あるべきか」と、申され候う。(御一代記聞書)


 現代語訳は、以下のようになります。

●善知識の仰せではあるが、これはとうてい成就しそうにないなど
と思うのは、大変嘆かわしいことです。成就しそうにないことで
あっても、善知識の仰せならば、成就すると思いなさい。この凡夫
の身が仏になるのだから、そのようなことはあるはずがないと思う
ほどのことが他に何かあるでしょうか。
 そういうわけで、赤尾の道宗は、「もし蓮如上人が、『道宗よ、
琵琶湖を一人で埋めなさい』と仰せになったとしても、『かしこま
りました』とお引き受けするだろう。善知識の仰せなら、成就しな
いことがあろうか」といわれたのです。


 道宗の言葉を引いて、実悟法師が自分の考えを書かれた文章と思
われます。少なくとも蓮如上人の直接のお言葉は含まれていません。

 第一、蓮如上人が「ワシに無条件服従せよ」と仰るはずがありま
せんし、そんなことを言う人なら、善知識とは言われないでしょう。

(ちなみに、実悟法師は、蓮如上人が78歳の時に生まれられたお
子さんですので、許可を得て書かれたということもないと思います。)
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COMMENTS

No title

>赤尾の道宗が蓮如上人から、
>「近江の湖を一人で埋めよ」と言われたとき、
>「はい畏まりたる」と無条件服従している。

結局、これって嘘でないですか?
実際はこういうこと無かったんでしょ。

No title

高森一族へ隷従させ、多額の献金をさせるために、会長が深い御心(計算)で利用したものです。

No title

>ただひたすら、善知識 を弥陀の化身と仰ぎ、
>善知識のお言葉を弥陀の直説と頂いていく事にのみ、
>私達が無碍の大道に雄飛できる道のある事を再自覚し、
>会長先生の御下にぬかずかねばならない。
>【顕正新聞 昭和49年12月】

どう読んでもカルトなんですけど、
これを読んでも平気な会員って、完全に染まってるよね。

粛清ですか

会員粛清規定第3条(2)組織破壊行為

 (2) 講師部を批判する。

親鸞会では、講師を批判しただけで、粛清されてしまうのですか。


順誓、申されしと云々 「常には、わが前にてはいわずして、かげに後言いうとて、腹立することなり。われは、さように存ぜず候う。わが前にて申しにくくは、かげにてなりとも、わがうしろ事を申されよ。聞きて心中をなおすべき」よし、申され候う。

こんなことを教えたら除名ですなw

この世の幸せを考えてもいいでしょ!

私は明橋先生の書かれた本は大好きです。
また、光に向かっても、大好きでした。

ただ、この世の幸せを犠牲にしても、絶対の幸福、後生の一大事を解決する。そのため結婚できない、交際できない、すべての生活を御法謝や聴聞に費やす講師部の方も見てきました。

なんというか、仕方ないのかしれませんが、みんな幸せに見えなかった。

常にノルマにしばられ、組織にしばられ、自由な発言もできなくなった。

私には無理でした。

思うのですが、親鸞会のような軍隊式、組織的なことで、すべてを投げうたねば、駄目なのですか?

仏縁を求めるのにもっといろんなやり方があるのではとも思います。親鸞会のやり方が絶対唯一なのですか?

明橋先生の文や、光に向かっての文とは、とても対極の雰囲気は、この世の幸せを求めるのは悪ということで人間的ではなかった。

No title

>思うのですが、親鸞会のような軍隊式、組織的なことで、すべてを投げうたね
>ば、駄目なのですか?

多くの人が証言しているように、親鸞会は浄土真宗の仮面をかぶったカルト団体
なのです。
末端の会員や講師は、一般的にいう、「よい人」が多くそれでだまされますが、
組織の目的は、

高森一族の奴隷を増やし
高森一族の資金を集め
高森一族繁栄の万年礎を築く

ことに他なりません。
これは、組織の中に深く入り、いわゆる上の立場の人や
高森会長や家族に近づけば近づくほど鮮明にみえて
くることです。

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