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親鸞会教義の相対化・72(投稿)

清森義行様


 今回は『蓮如上人御一代記聞書』を取り上げてみたいと思います。
 本書は、蓮如上人の言行を中心に、蓮如上人に教えを受けられた門弟方の言葉も合わせて収録されており、浄土門の信仰のあり方を学ぶのに、非常に参考になるのではと思います。

 なお、今回取り上げた言葉は前後のコンテキストから明かに蓮如上人の言葉であるものを選びました。もしも私の不勉強で蓮如上人の言葉でないものを蓮如上人の言葉であるかのように扱っている部分があれば、清森さんの方でご指摘いただけたらと思います。


(91)
一、わればかりと思ひ、独覚心なること、あさましきことなり。信あらば仏の慈悲をうけとりまうすうへは、わればかりと思ふことはあるまじく候ふ。触光柔軟の願候ふときは、心もやはらぐべきことなり。されば縁覚は独覚のさとりなるがゆゑに、仏に成らざるなり。

(訳)
他力の信心を得ているのは自分だけだと思って、独覚のような心になるのは、恥ずかしく見苦しいことである。他力の信心を得ているということは阿弥陀仏の慈悲を受け取ったということなのであるから、「自分だけが」などと思うようなことはあるはずがない。触光柔軟の願(第三十三願)と言うのがあり、阿弥陀仏の光明に照らされたならば心も柔軟になるはずなのである。したがって、そのように「自分だけが信心を得ている」と思っている縁覚の人の覚りは、独覚の覚りであるから、仏には成れないのである。


★「自分は他力の信心を得ている」ということで、経典や祖師方の言葉を自分の都合で勝手に解釈し、経典や祖師方の言葉に基づいてその誤りを指摘しても、全く改めようとしない方がいます。
 そのようなことは阿弥陀仏の光明を受けていたらあり得ないことであり、そのような方は「仏に成らざる」方ということになります。


(107)
一、何ともして人に直され候ふやうに心中を持つべし。わが心中をば同行のなかへ打ちいだしておくべし。下としたる人のいふことをば用ゐずしてかならず腹立するなり。あさましきことなり。ただ人に直さるるやうに心中を持つべき義に候ふ。

(訳)
どんな仕方であっても誤りは他の人に直してもらおうという心を持つべきで、自分の心の中を同行の仲間にうちあけて語るべきである。目下の人の言うことを用いずに決まって腹立てる人がいるが、これは恥ずかしく見苦しいことである。誰からでも他の人に直してもらえるように、心がけるべきであるという意味である。


★根拠を挙げて問題点を具体的に指摘し、どのように改めるべきであるかも示させていただいているにも関わらず、それを全く改めようとすることもなく卑劣な詭弁で誤魔化そうとする人物がいます。
 また、上司の間違いを指摘したら粛清されてしまうような組織があります。
 そのような人物や組織は、明らかにこの言葉に反しています。
「蓮如上人の教えに従う」と言うのであれば、速やかに態度を改めるべきです。



(116)
一、ある御門徒衆に御尋ね候ふ。そなたの坊主、心得の直りたるをうれしく存ずるかと御尋ね候へば、申され候ふ。まことに心得を直され、法義を心にかけられ候ふ。一段ありがたくうれしく存じ候ふよし申され候ふ。その時仰せられ候ふ。われはなほうれしく思ふよと仰せられ候ふ。


(訳)
蓮如上人がある御門徒に「貴方が師事している僧侶が心得違いを直してもらったことをうれしく思うか」とお尋ねになられたところ、その御門徒は「まことに心得違いを直して頂き、ご法義のことを心にかけることができるのようになり、大変ありがたくうれしく思います」と申し上げた。その時に蓮如は「私はそなたよりも、なおいっそう嬉しく思うぞ」と仰せになりました。


★もしも親鸞会が本当に親鸞聖人や蓮如上人の教えられるように教えを伝える団体であるならば、会員はこの御門徒のあり方を学ぶできでしょう。親鸞会の会員が師事している高森先生の心得違いを指摘して頂いたならば、速やかにそれを直し、さらに心得違いを指摘した頂いたことを嬉しく思うべきです。
 親鸞会の会員一人一人がこの御門徒のようになり、高森先生の心得違いが改められるようになったならば、蓮如上人はなお一層嬉しく思ってくださるはずです。


(191)
一、行くさきむかひばかりみて、あしもとをみねば、踏みかぶるべきなり。人のうへばかりみて、わが身のうへのことをたしなまずは、一大事たるべきと仰せられ候ふ。


(訳)
歩いていく先の向こうばかりを見て、足元を見ないでいると踏み誤ることがある。他人のことばかりを見て、自分のことを省みて慎まなければ、大変なことになるであろう。と蓮如上人が仰せになった。


★清森問答の以下の投稿等を読ませて頂くと、「自らの足元をきちんと見ること」がいかに大切なことであるか切実に感じられます。

http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-161.html
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-150.html
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-139.html


(195)
一、人のわろきことはよくよくみゆるなり。わが身のわろきことはおぼえざるものなり。わが身にしられてわろきことあらば、よくよくわろければこそ身にしられ候ふとおもひて、心中をあらたむべし。ただ人のいふことをばよく信用すべし。わがわろきことはおぼえざるものなるよし仰せられ候ふ。


(訳)
他人の悪い所はよく目につくものであるが、自分の悪いところはなかなか気づかないものである。もしも自分でも悪いと気づくようならば、よほど悪いからこそ気づいたのだと思って心の中を改めるべきである。ひたすら他の人の言う言葉に耳を傾け受け入れていくべきである。自分の悪いところはなかなか気づかないものなのだから。と蓮如上人が仰せになった。


★そして、他の人の悪いことはよく見えるけど自分の悪いことにはなかなか気づかないのが私達の有様ですから、他の人に問題点を指摘された場合はその言葉に素直に耳を傾け受け入れるべきです。
 親鸞会で言えば、高森先生が自分で自分自身の誤りに自分で気づくというのは極めて難しいことです。他の人が高森先生の誤りを指摘してくれている時には、それをきちんと高森先生にもお伝えし、速やかに改めて頂くようにするのが、あるべき会員の姿であると言えるでしょう。
 高森先生自身がそれを望んでおられるのですから、当然そうあるべきです。

http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-68.html


(261)
一、おなじく仰せにいはく、雨もふり、また炎天の時分は、つとめながながしく仕り候はで、はやく仕りて、人をたたせ候ふがよく候ふよし仰せられ候ふ。これも御慈悲にて、人々を御いたはり候ふ。
大慈大悲の御あはれみに候ふ。つねづねの仰せには、御身は人に御したがひ候ひて、仏法を御すすめ候ふと仰せられ候ふ。御門徒の身にて御意のごとくならざること、なかなかあさましきことども、なかなか申すもことおろかに候ふとの義に候ふ。


(訳)
 同じくこれも蓮如上人が仰ったことである。「雨の降る日や夏の炎天下では、お勤めなどもながながとしないでなるべく早く終わるようにして、お参りの方を帰らせるのがよい」と仰せになられた。これもまた蓮如上人のお慈悲の心のあらわれで、参拝された方をいたわられたのであり、これはそのまま阿弥陀仏の大慈大悲の御あわれみなのである。蓮如上人は常々「私は人にあわせて仏法を勧める」と仰せになられている。ところが御門徒の身でありながら、蓮如上人の御意向のとおりにならないのは、まことに残念なことであり、蓮如上人の嘆きはとても言葉で言い表すことができなかった。


★お勤めの際に暖房や冷房を入れることを禁止するほどお勤めの形式にこだわりながら、お念仏申し阿弥陀仏とのご縁を深めることを全く勧めない親鸞会のあり方を批判しましたが、私の主張の正しさは、この蓮如上人の言葉によっても裏付けることができると思います。


親鸞会教義の相対化・48
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-168.html



 最後に、清森問答のコメント覧には、私に対して「浄土宗僧侶」というレッテルを貼ることによって、あたかも私の意見が全く価値のないものであるかのように印象操作を行う親鸞会関係者の方の書き込みがありましたが、今回取り上げた内容に、その手が全く通じないことを追記させていただきます。


以上
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