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質疑応答152

【質問】


 蓮如上人の「この信心獲得せずば無間地獄に堕在すべきものなり」というお言葉は、うそだということでしょうか?



【回答】


 なぜ、蓮如上人がこのように説かれたのか、私にはハッキリしないのですが、以下の4通りの可能性があると思います。

(1)釈尊、七高僧、親鸞聖人が、「一切衆生必堕無間」という内容を説かれなかったのは、不適切であった。

(2)蓮如上人の上記のお言葉は、特定の対象に説かれた対機説法であって、他の人に当てはめるべきものではない。

(3)蓮如上人の上記のお言葉は、蓮如上人の懺悔のお言葉であって、他の人に当てはめるべきものではない。

(4)蓮如上人が間違われた。


 この中で、どれが一番妥当か、考えてみたいと思います。



 仮に、全人類が無間地獄に堕ちるのが真実だとします。

 釈尊は、全人類が無間地獄に堕ちることを知っておられながら、生涯、一度も「全ての人は無間地獄に堕ちるぞ」とは仰いませんでした。

 七高僧方や、親鸞聖人も、全人類が無間地獄に堕ちることを知っておられながら、生涯、一度も「全ての人は無間地獄に堕ちるぞ」とは仰いませんでした。

 そこには、何か深い理由があると思われませんか?



 蓮如上人も、全人類が無間地獄に堕ちることを知っておられながら、「全ての人は無間地獄に堕ちるぞ」と書かれたのは、ごくわずかな一部分です。

 その御文章を読まれた人のみに、真実を伝えられ、他の人には説かれなかったことになります。



 また、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人は、みな「信心決定できなければ、化土に生まれる」と説かれています。


●仏智不思議をうたがいて 善本徳本たのむひと
 辺地懈慢にうまるれば 大慈大悲はえざりけり(正像末和讃)

●罪福ふかく信じつつ 善本修習するひとは
 疑心の善人なるゆえに 方便化土にとまるなり(正像末和讃)

●仏智不思議をうたがいて 罪福信ずる有情は
 宮殿にかならずうまるれば 胎生のものとときたまう(正像末和讃)

●名号をとなうというとも、他力本願を信ぜざらんは、辺地にうまるべし。(末灯鈔)

●自力の称名は、臨終の所期、おもいのごとくならん定、辺地の往生なり。(口伝抄)

●「専雑執心判浅深 報化二土正弁立」というは、雑行雑修の機をすてやらぬ執心あるひとは、かならず化土懈慢国に生ずるなり、また専修正行になりきわまるかたの執心あるひとは、さだめて報土極楽に生ずべしとなり。これすなわち、専雑二修の浅深を判じたまえるこころなり。『讃』にいわく、「報の浄土の往生は、おおからずとぞ、あらわせる 化土にうまるる衆生をば、すくなからずとおしえたり」といえるこころなり。(正信偈大意)



 そこで疑問になるが、実際に化土往生している人が、いるのかということです。

 これについて、親鸞聖人は以下のように仰っています。



●報土の信者はおおからず 化土の行者はかずおおし
自力の菩提かなわねば 久遠劫より流転せり(正像末和讃)

●報の浄土の往生は おおからずとぞあらわせる
化土にうまるる衆生をば すくなからずとおしえたり(高僧和讃)



 私には、実際に化土往生している人がいるのかどうか、分かりません。しかし、親鸞聖人は、たくさんの人が、化土往生していると説かれています。



 つまり、「一切衆生必堕無間」が真実なのかも知れませんが、釈尊も、七高僧も、親鸞聖人も、覚如上人も、蓮如上人の「正信偈大意」も、そのような説き方はされていないのです。だから、方向性が違うと申し上げたのです。

 蓮如上人が、「この信心獲得せずば…」と書かれたのは、対機説法で、その時は、そのような説き方をされる必要があったのであろうと、私は拝察しているのですが、どのように思われますでしょうか?

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