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質疑応答156

【質問】


 親鸞聖人や蓮如上人が「「あの人は信心決定している、あの人は信心決定していない」とおっしゃった文章は無い、という事について、アニメ解説の時だったと思いますが、ある質問がありました。

 御一代記聞書73の、蓮如上人仰せられ候、「堺の日向屋は三十萬貫持ちたれども死にたるが仏にはなり候まじ。大和の了妙は、帷一つをも著かね候えども、この度仏になるべきよ」と仰せられ候由に候、についてでしたが、高森先生はハッキリ答えて下さりませんでした。

 こんなことが知りたい3(25)の中に「大和に住んでいた了妙は帷一枚も着かねた貧乏人であったが、よく信心決定していたから仏になるだろう、と蓮如上人は道破なされています」と書かれています。

 また、御一代記聞書248の「法敬と我とは兄弟よ」のお話で、法敬は信心決定していたと蓮如上人がおっしゃっている、と聞いた記憶があります。
 華光会の事を意識しておられるからだ、と思いますが、昔と今で話が変わっていませんか?



【回答】


●なにごとよりも、明法の御坊の往生の本意とげておわしましそうろうこそ、常陸の国中の、これにこころざしおわしますひとびとの御ために、めでたきことにてそうらえ。(末灯鈔)


 他にも、親鸞聖人は明法房の往生のことについて、何箇所も書かれています。特に、「あの人は信心決定している」と言ってはならない、という御文もありませんし、善知識方は、余り問題にされていないように思います。



 親鸞会で駄目だと教えられるのは、華光会の影響もあるのかも知れませんが、「私は救われた」と言う人が、殆どいないことが原因だと思います。

 昭和の妙好人と言われるような人を、何人か知っていますが、華光会時代に救われた方ばかりで、親鸞会で救われた方となると、まったくと言って良いほど御縁がありません。

 新入生や、新しく入会された方に、「誰が信心決定しているのですか?」と尋ねられた時、誤魔化すには、非常に都合の良い教えでした。

 しかし、「○○さんは信心決定している」と言うのが、教えに反しているのならば、「高森先生は信心決定されている」と言ってはいけないはずですので、多くの講師部員が、教えを破壊していることになります。

 これでは、自己矛盾ではないかと思います。
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