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質疑応答160

【質問】


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阿弥陀仏の『重誓偈』のお言葉で示せば、
「我無量劫に於て、大施主と為りて、普く諸の貧苦を済わずは、誓いて正覚を成ぜじ」。
「衆の為に法蔵を開き、広く功徳の宝(名号)を施し」
と誓われている。

これらのご文でも明白なように、弥陀が『名号』(功徳の宝)を造られたのは、苦しみ悩める私たちに与えて「破闇満願」「信心歓喜」の絶対の幸福に助けるためであったのである。

【第16回】弥陀より賜る“信楽”
http://shinjin.info/2008/10/161652154.html
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 これはチューリップ企画の解説ですが、私の記憶では高森先生からもこのようにお聞かせ頂いていたと思います。

 ところで『無量寿経』の「広施功徳宝」に対応する『無量寿如来会』を見ると「於彼貧窮為伏蔵」とあり、サンスクリットを読むと「苦しまされている人にとっての(隠された)宝」(nidhAna duHkhitAnAM)とあり、チベット訳でも同様です(sdug bsngal rnams kyi gter gyur te)。いずれにしても経文から「功徳の宝」=「名号」という解釈を導き出すことはできないと思います。

 このことに関して清森先生に教えて頂きたいのですが、親鸞会で教えられるように「功徳の宝」=「名号」と解釈する根拠は、浄土真宗の聖教中に存在するのでしょうか?



【回答】


「功徳の宝」=「名号」と明示された根拠は、私も分かりません。

 おそらく、以下のお言葉などを元に、高森先生が解釈されたものと思います。


●諸仏はみな徳を名に施す。名を称するはすなはち徳を称するなり。(教行信証行巻)


 厳密に解釈するならば、意味は違うと思いますが、真宗の学者の本を読むと、「名号」の意味合いを広く取る傾向があり、「功徳の宝」という意味も含めて言われる場合もあるようです。

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COMMENTS

No title

「謹んで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。大行とは、すなわち無碍光如来の名を称するなり。この行は、すなわちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。かるがゆえに大行と名づく。」(教行信証 行巻)

ここには、功徳の宝と言われているようですが…

No title

上記の言葉に対しては、清森シンパの方は何もないのですか?
法蔵館の真宗辞典にも、功徳の宝は、南無阿弥陀仏の六字の名号とあるのですが、上記の親鸞聖人の言葉は、名号=功徳の宝根拠になりますか、なりませんか。
なるとしたら、清森さんは、知らなかったのですか、勘違いですか。
ならないとしたら、何故ですか。


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