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親鸞会教義の相対化・75(投稿)

親鸞会教義の相対化・75(投稿)


>「一。誹謗正法は、五逆のつみにおほくまさりと申候は、ま事にて候か。答。これはいと人のせぬ事にて候。」(真宗聖教全書四P657)


 これは「一百四十五箇条問答」の中の一つで、『義山上人の『和漢灯録日講私記』五によれば、宮廷貴族に仕えている女房と法然上人との問答と言われていますが、中には尼僧や男性からの問いと思われるものも含まれています。了恵道光上人の『和語登録』にも収録されていますので、比較的信憑性のあるテキストであると言えます。


 試みに訳してみると、

Q 誹謗正法は、五逆罪よりも遥かに重い罪であるというのは、本当でしょうか?
A これ(誹謗正法)は、人がそんなに犯さない罪である。

※「いと」は下に打ち消しの語を伴って「そんなに~ない」と訳す。

となります。


 これは既に相対化・10でも述べましたが、法然上人は「正如房へ遣わす御文」において、

「五逆十悪の重き罪造りたる悪人なお十声一声の念仏によりて往生しそうらわんに、
まして罪造らせおわします御事は何事かそうろうべき。たといそうろうべきにても幾程の事かはそうろうべき。この『経』に説かれてそうろう罪人にはいい比ぶべくやはそうろう」

と述べおられ、現実の不条理に苦しんでいる人に対して、

 あなた方は自分が罪深い、罪深いと考えているが、実際に何をしたというのか。
 親を殺したのか、仏を傷つけたのか、何もしていないではないか。
 経典に述べられるような罪人と比べると、大した罪など犯していないではないか。

というように過剰な罪業観に悩むことがないとお説きになっています。

 さらに「十二問答」においては、

「かの三宝滅尽の時の念仏者と当時の御房達と比ぶれば、当時の御坊達は仏のごとし」

というように、末法万年後の人間と比べたならば今のあなた方は仏のような存在である。と語って、不当な罪意識から民衆の心を解き放っておられます。

これらの言葉を踏まえても、


★「五逆以上に重い罪である誹謗正法は、人がそんなに犯さない罪である」

と、法然上人が述べられていることは明かです。



 従って、親鸞会が「十方衆生は五逆謗法だ」と教えていることは、法然上人の教えに明かに抵触しています。

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COMMENTS

ただの凡夫

自分は「五逆謗法の極悪人」だと覚りたい。自分は「阿弥陀仏のお目当ての人間」と救われたい。
それが親鸞会のみなさんの願いなんじゃないでしょうか?

信後には、「五逆と誹謗正法」の因を滅する、というのが、「唯除・・・」の仏心であり、それが証果の根拠ともなるのである。
信前に、五逆と謗法を恐れねばならぬのは、衆生が業因を持つによりてであり、縁の及べば万人の犯すところとなるからで、親鸞会の「十方衆生は五逆謗法だ」というのには、故ありと言える。
疑情=無明を心因として、五逆・謗法を逃れ得ず、恐れながらも業苦を得る、あわれな衆生の流転輪廻の打ち止めを誓われた、18願の真骨頂である。
衆生が「五逆謗法の極悪人」だと覚るか否かなど、弥陀の救いにとっては、そもそも問題ではないのである。

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