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質疑応答170

【質問】


はじめまして。私は某W大学の者です。

今まで、講師の先生に、ネットは悪縁だから見てはならない、と言われてきましたが、
先日どうしても本会のことで納得のいかないことがあり、
愚痴の心にまかせてついインターネットで親鸞会を検索し、
こちらの清森問答にたどりつきました。

個人情報が漏洩するのは怖いので、名前を明らかにすることはできませんが、
質問させていただきたいことがあり、メールさせていただきました。

W大学では、メールマガジン顕正というものに力を入れています。
一昨年、W大学では、一年間で約25人の学生を入会顕正したのですが、
三分の一は新勧の時期にご縁を結んだ人、
三分の一は後期顕正でATした人、
そして最後の三分の一はメールマガジンをきっかけに部室に来た人でした。
なのでメルマガはとても重要な顕正の武器です。

では、質問に移りますが、先日W大学の学徒の方が、
このようなメールマガジンを配信されました。
これについて、どう思われるか、清森氏の意見をお聞かせください。

以下、引用です。

*****

■ ドイツの老人が、戦時中ヒトラー・ユーゲントの少年兵の一員として隠れ家に潜むユダヤ人を捜査し、強制収容所に連行する任務に就いていたことを深く懺悔する場面があった。

「どうしてあんな任務に一生懸命に、ひたむきになってしまったんだろう。なぜ躊躇しなかったんだろう。」と悔恨の涙を流していた。

そんな任務に向かって ひたむきに、一生懸命生きたところで何も良いこととは言われない。


問題は【~に向かって】。
それがまず鮮明になって、しかる後に【一生懸命、ひたむきに】が順番だろう。

「向上しなさい」と、よく言われる。

しかし考えてみると、「向上とは上を見る」と書くが「上」とはどこだろう。

社長か、大臣か?

「上」とは何か、よく吟味なされての発言か。

「前向きになりなさい。」とも言われる。

では「前」とはどちらだろう。

そこが曖昧模糊としていて、真に前向きになれるはずがなかろう。


「なぜ生きるのか」「どこに向かって生きるのか」

全人類の忘れ物といえよう。


上記のようなテーマに強く惹かれる人には、聞いて損のない内容だと思いますので、ご期待下さい。

*****

引用は以上です。

要約すれば、どう生きるよりも、なぜ生きるという人生の方向性が大事という文章に思いますが、
冒頭の、ナチスの組織の人間が、ユダヤ人を虐殺した話、
とんでもない恐ろしい任務を、これが正しいことなんだと信じて、一生懸命取り組んだとありますが、
親鸞会の講師の方も、同じような状況なのかどうか、教えていただきたく思います。

よろしくおねがいします。




【回答】


 親鸞会では、誰かを強制連行したり、虐殺するということは行われていませんので、ナチスと同じだとは思いません。

 しかし、間違ったことを正しいと思い込んで、一生懸命取り組んでいたという点については、思い当たることがたくさんあります。


 私が親鸞会の講師を志したのは、本当の親鸞聖人の御教えを聞き求め、皆さんにもお伝えするためでした。

 ところが親鸞会の教えは、根本的なところで、親鸞聖人の教えと異なっています。これについては、清森問答でも何回も取り上げてきた通りです。


 活動のやり方についても、今思えば、おかしなことばかりでした。

 自分が身分を偽って学生を勧誘するだけでなく、学生にも、嘘の大学名を言って、勧誘に行った大学の先輩のフリをするよう指導してきました。

 親鸞会で聞いていることを、家族に隠すようにとか、自宅生であれば、聴聞や活動に行くときに、嘘の目的を言うような指導もしてきました。

 これらは、私の担当地域だけでなく、全国の学生部で、一般に行われていたことです。その結果、嘘をつくことに耐えられず、精神的に病んでしまったという声も聞きました。


 最近、親鸞会の元会員の方と接する機会が多くなりましたが、多くの方の人生を狂わせてしまったと思います。

 経典にも無い、親鸞聖人の御教えにも無い「必堕無間」という教義を叩き込んでしまった結果、親鸞会を辞めても、精神的に追い込まれたままの人は沢山います。

 仕事や生き甲斐に対する間違った無常観を植えつけてしまった結果、やりたい事が見つからず、無意味感に苦しみながら生きている人も少なくありません。


 今は喜んで聞いておられる方でも、これからはどうでしょうか?

 高森先生が無二の善知識だと徹底してきたわけですから、高森先生が亡くなられたら、もう助からないということになります。

 その時に、発狂する人が多数出るのではないかと、本当に心配です。


 そういう精神状態に追い込んでしまったのは、他でもない私です。

「どうしてあんな任務に一生懸命に、ひたむきになってしまったんだろう。なぜ躊躇しなかったんだろう。」というドイツの老人の気持ちは、よく分かります。


 しかし幸い、私は年老いる前に、気づくことが出来ました。

 過去を取り戻すことは出来ませんが、間違った教えによって苦しんでいる人を、1人でも救済してゆくことが、これからの私の使命ではないかと思っています。
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