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質疑応答 2

【質問】

 本当に阿弥陀仏に救われて(つい今まで、真っ暗がりの世界に居た人間が、明るい世界に出て、それを実感した人間が、未だに救われたかどうか解らない?今、明るいか解らない)等と言う事が、本当に有るのでしょうか?他の難しい事はともかく(三業ではその人の信心は測れない)等とかでは無く、一番根本である真っ暗がりに居た人が明るい世界に出て、明るいかどうか、解らない?と言う事は即ち盲目の人、信心獲得されて居ない盲目の人と言う事には、解釈出来ないでしょうか?


【回答】

 まず、上田君がどのような体験をしたのかといいますと、「一念で闇がハッキリ
晴れた、と同時に、それまでの一切が闇に覆われていたことが知らされた」という体験だったようです。

 では、なぜハッキリした体験をしたのに、「これが救われた体験なのか」という疑いの心があったのか。
 上田君が、親鸞会と御縁があって、話をしてくれた先輩は「信心決定したら、地獄に堕ちなくなる」と教えてくれたそうです。それを聞いて「自分の体験と違う」と思ったそうです。信心決定したら、地獄一定とハッキリしますから、「地獄に堕ちなくなる」という信心ではありません。
 また、その時、先輩から聞かされた体験が、色々と自分の体験と違っていたので、「自分は、親鸞聖人の言われる救いには遇っていない」と思ったそうです。信心決定していない先輩が、想像で話したことですから、当然と言えば当然でしょう。
 しかし、高森先生から、正しい親鸞聖人の御教えを聞かせて頂いて、やはり自分の体験は、親鸞聖人の体験と一緒だったと分かったそうです。

「闇が晴れた」ということと、「その体験が信心決定であると分かる」ということは別のことです。そもそも、闇の晴れた体験は人智を超えていますから、頭で理解できることではありません。しかし、救われていない人は、合点した体験が、本当の体験と勘違いし、「救われたら、これが信心決定だと分からないはずはない」と無責任なことを言ってしまうのだと思います。

 例えば、盲腸炎にかかると、激痛が走りますから、盲腸炎になったのに自覚がないという人はいないでしょう。しかし、激痛が走ったからといって、「これが盲腸炎だ」とハッキリしますか?

 ハッキリすることと、ハッキリしないことがあるのです。



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