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投稿

清森先生へ


 先日の「親鸞会教義の相対化・82」に関連する、以下の記事がありましたのでお知らせ致します。


★苦笑の独り言Q&A(2)『無量寿経』所説の「易往而無人」より

http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-252.html


*****
Q。
釈尊のたった五文字だけを取り出して、頭おかしくなったんじゃないですか?と思えと会長から言われて大変な違和感がありました。

しっかり大無量寿経を読むと釈尊は、易徃而無人の前に、どうしてそうなるか解説して下さっているように読めました。

苦笑さん時間があれば、その意訳をお願いします。

※おお!高●先生に「近づくな」だったのか!!より


A。
了解です!

 まず、『無量寿経』において「易往而無人」が説かれている箇所を、前後のコンテクストがわかる範囲で抜き出してみます。
     ↓
●仏、弥勒菩薩ともろもろの天・人等に告げたまはく、「無量寿国の声聞・菩薩の功徳・智慧は、称説すべからず。またその国土は、微妙安楽にして清浄なることかくのごとし。なんぞつとめて善をなして、道の自然なるを念じて、上下なく洞達して辺際なきことを著さざらん。よろしくおのおのつとめて精進して、つとめてみづからこれを求むべし。かならず〔迷ひの世界を〕超絶して去つることを得て安養国に往生して、横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉ぢ、道に昇るに窮極なからん。
〔安養国は〕【往き易くして人なし。】その国逆違せず、自然の牽くところなり。なんぞ世事を棄てて勤行して道徳を求めざらん。極長の生を獲て、寿の楽しみ極まりあることなかるべし。しかるに世の人、薄俗にしてともに不急の事を諍ふ。この劇悪極苦のなかにして、身の営務を勤めてもつてみづから給済す。
尊となく卑となく、貧となく富となく、少長・男女ともに銭財を憂ふ。有無同然にして憂思まさに等し。屏営として愁苦し、念を累ね、慮りを積みて、〔欲〕心のために走り使はれて、安きときあることなし。
田あれば田に憂へ、宅あれば宅に憂ふ。(以下略)
(『無量寿経』巻下)


私が訳してもOKですが、
本●寺出版の現代語訳がありますので、
紹介も兼ねて、それを挙げてみましょう。
  ↓
 釈尊は弥勒菩薩と天人や人々などに仰せになった。
「無量寿仏の国の声聞や菩薩たちの功徳や智慧がすぐれていることは、言葉に表し尽せない。またその国土が美しくて心安らぎ清らかであることも、すでに述べた通りである。
 それなのにどうして人々は、つとめて善い行いをし、この道が仏の願いにかなっていることを信じて、上下の別なくさとりを得、きわまりない功徳を身にそなえようとしないのだろうか。それぞれに努め励んで、すすんでこの国に生れようと願うがよい。そうすれば必ずこの世を超え離れて無量寿仏の国に往生し、ただちに輪廻を断ち切って、迷いの世界にもどることなく、この上ないさとりを開くことができる。
 【無量寿仏の国は往生しやすいにもかかわらず、往く人がまれである。】しかしその国は、間違いなく仏の願いのままにすべての人々を受け入れてくださる。人々は、なぜ世俗のことをふり捨てて、つとめてさとりの功徳を求めようとしないのか。求めたなら、限りない命を得て、いつまでもきわまりない楽しみが得られるだろう。
 ところが世間の人々はまことに浅はかであって、みな急がなくてもよいことを争いあっており、この激しい悪と苦の中であくせくと働き、それによってやっと生計を立てているに過ぎない。身分の高いものも低いものも、貧しいものも富めるものも、老若男女を問わず、みな金銭のことで悩んでいる。
 それがあろうがなかろうが、憂え悩むことには変わりがなく、あれこれと嘆き苦しみ、後先のことをいろいろと心配し、いつも欲のために追い回されて、少しも安らかなときがないのである。
 田があれば田に悩み、家があれば家に悩む。(以下略)
(『浄土三部経(現代語版)初版』本●寺出版社発行)


仰るように、釈尊はちゃ~んと解説してくださってますね。
はい。

ここまで書いたら、これ以上の解説はいいですよね?(苦笑)

そうです。
「易往而無人」を、釈尊はちゃんと根拠も挙げて解説しているのに、
高●先生は、その釈尊の言葉を断章取義して捏造し、

「頭、変になられたんじゃないですか?」

などと誹謗されたんです。
全く、とんでもないことです(怒)。

もし、「そうでない」と言うならば、
『無量寿経』をまともに読ま(め)ないまま、
「易往而無人」という一部だけ取り出して、
いい加減な思いつきの解説をされたっちゅうことになります(苦笑)。

いずれにしても、どうしようもないですね(苦笑)。

こんな人物に従って、
「聖者」であり「善知識」釈尊を誹謗してはいけませんよ!

どうぞ、親鸞聖人に従って、
こんな人物が教えを説いている親●会からは、
速攻で脱出してください!

悪いことはいいませんから、さっさと脱出しちゃってください!




追記

なお、親●会では本●寺を悪く言うのが習慣化されているようですが、
『無量寿経』をちゃんと読んで、きちんと現代語訳して出版してい
ますし、
釈尊に対して「頭、変になられたんじゃないですか?」などと言う
方もいなそうですし、

少なくとも、『無量寿経』をまともに読んでおらず、
親鸞聖人に「遠ざかれ!」と言われるようなことを教えている、
自称「善知識」よりは、遥かにちゃんとしていると思います。
*****
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COMMENTS

退会したい方は「浄土真宗親鸞会被害家族の会掲示板」を参考にされてみて下さい。

No title

 長年、親鸞会の会員をやっている者です。


●四つの善事あり、悪果を獲得せん。何等をか四とする。一つには、勝他のための故に経典を読誦す。二つには、利養のための故に禁戒を受持せん。三つには、他属のための故にして布施を行ぜん。四つには、非想非非想処のための故に繋念思惟せん。この四つの善事、悪果報を得ん。もし人かくのごときの四事を修習せん、これを、没して、没し已りて還りて出ず、出で已りて還りて没す、と名づく。(教行信証化土巻)


 この御文を提示して、支部長に、親鸞会で勧めていることは、「悪果を獲得する善」ではないかと質問しました。

 それに対し、教学課から正式な回答がありました。

 これは、世間の善について言われたことであって、仏法の善は当てはまらないとのことでした。

 これについて、清森先生は、どのように思われますでしょうか?

No title

元講師部の者です。

教学課からの解答とは本当でしょうか。
どのようにして解答を送ってもらえたのですか?

会員として名乗って、メールを送られたのでしょうか。
これが本当なら、教学課は問題になると思いますので、
是非、ことの真偽や教学課とのやりとりのいきさつなどを
おしえてください。

よろしくお願いいたします。

No title

> 教学課からの解答とは本当でしょうか。
>どのようにして解答を送ってもらえたのですか?

担当の支部長から、口頭で教えて頂きました。
メールでの返答をお願いしていたのですが、メールではお答え頂けませんでした。

横からすいません。
おそらく物的証拠が残らないように口頭にしたのでしょう。
ちゃんとした根拠があれば堂々と回答しているはずですが、会を正当化するために無理矢理ひねり出した答えだったために、こそこそしなければならなくなったと思われます。
まったく、いい加減なことは言ってもらいたくないものですね。

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