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質疑応答175

【質問】


 貴サイトのコメント欄に、以下のような書き込みがありました。
 この件につきましては、ぜひ清森先生の御意見を伺いたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。



(引用文)

 長年、親鸞会の会員をやっている者です。


●四つの善事あり、悪果を獲得せん。何等をか四とする。一つには、勝他のための故に経典を読誦す。二つには、利養のための故に禁戒を受持せん。三つには、他属のための故にして布施を行ぜん。四つには、非想非非想処のための故に繋念思惟せん。この四つの善事、悪果報を得ん。もし人かくのごときの四事を修習せん、これを、没して、没し已りて還りて出ず、出で已りて還りて没す、と名づく。(教行信証化土巻)


 この御文を提示して、支部長に、親鸞会で勧めていることは、「悪果を獲得する善」ではないかと質問しました。

 それに対し、教学課から正式な回答がありました。

 これは、世間の善について言われたことであって、仏法の善は当てはまらないとのことでした。

 これについて、清森先生は、どのように思われますでしょうか?


2009年04月09日 | 疑問 URL [編集]



【回答】


 信じられない回答です。

 この内容が事実かどうかは確認できませんが、もし、本当に、教学課がそのように言っていたとすれば、勉強不足などというレベルではありません。

 ここに挙げられている「経典を読誦」「禁戒を受持」「布施を行ずる」「繋念思惟」は、すべて仏教の善です。世間の善ではありません。
 間違った心がけで、これらの善を行ずれば「邪見を増長し、驕慢を生ずる」「涅槃道を迷失す」と説かれています。

 仏教の善だから、勝他のためでも良いのだ、利養のためでも良いのだ、と言って競争させたり、目標を与えたりしてやらせているとすれば、とんでもない間違いです。


 ちなみに、このお言葉は、教行信証化土巻の以下の文章の後に書かれています。

●「一切梵行の因は善知識なり。一切梵行の因、無量なりといえども、善知識を説けばすなわちすでに摂尽しぬ。」我が所説のごとし、一切悪行は邪見なり。一切悪行の因、無量なりといえども、もし邪見を説けばすなわちすでに摂尽しぬ。

 当然ながら、邪見を増長させるように勧める人を、「悪知識」と言います。



 実際に、親鸞会の活動を見てみますと、親鸞聖人が禁止されたこれらの事項に抵触するものばかりです。ですから、教学課がそのように返答したというのも、十分に有りうる話だと思います。

 最近は分かりませんが、教学課の最高責任者は高森先生のはずです。ここに書かれていることが事実であり、高森先生の指示だとするならば、失望したと言うより他はありません。

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COMMENTS

No title

「病膏肓に入る」だね。

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