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六字の呼び声 (その1)

 以下は、親鸞会元講師部員である嶋田久義さんからの投稿です。
 長文になりますので、3日間に分けて掲載させて頂きます。


         *         *         *

『六字の呼び声』 嶋田久義



「釈迦弥陀は慈悲の父母種々に善巧方便し我等が無上の信心を発起せしめたまいけり」親鸞聖人


 身の幸を思えば思うほど、このご和讃の深いみ心に頭を下げずにおれません。

 私一人を救い摂らんと阿弥陀仏はどれほどの善巧方便なされ、ご苦労下されたのか、私の過去を申し上げて、お育て頂いた洪恩の億分の一なりともをお伝えさせて頂きます。


○私は昭和24年に、満州から苦労して命がけで引き揚げた両親から、この世に生を受けました。はや60歳。父は農家の次男、引揚げて来ても少しばかりの田畑しか相続出来ないので、母と豆腐屋の商売をしながら兄、私、妹と可愛がって育ててくれた。
 特に母は、祖父母が熱心な仏法者だったため仏法を聞き求め、3人の子共の中でも仏さまに関心を示す私を見て、「お釈迦様」「親鸞」の映画を町まで連れて行って見せてくたれこともあった。阿弥陀様に手を合わせていると、なぜかしら見ておられるような、親しい、暖かい思いになった。


 近くの寺の日曜学校や報恩講のお参りに行き、正信偈や歌も覚え、小学生の時、村の住職に4,5人連れられて京都の本山へ行き、おカミソリを受けて法名をもらって帰ると母が大変喜んだことを思い出す。

 又、母に連れられて、村に説法に来られた高森先生の話を初めて聞いた。
 往生要集のスライド上映の後、黒板に字を書いて「後生の一大事」、「地獄」がある、と恐ろしいことを話され、すごい熱弁であったことを今も記憶している。
 まさかこの高森先生が後に親鸞会を創り、会長となり、私の人生に深く関わることになるとは夢思わなかった。


 中学生の時、急性肝臓病で黄疸が出て入院、病棟には死ぬ人が何人もあり、人間は死ぬ、自分もひょっとして死ぬかもしれないと、初めて自分の死を考えた。
 死んだらどうなるのだろう。あんな地獄が本当にあるのだろうか。恐ろしい。

 母がこの時、早く良くなるようにと川に入ってシジミ貝を捕って来ては毎日のように病院へ持ってきた。
「これがこの病気に一番いいぞ」と、三食に必ず食べろと勧めるので、死なせまいと心配する親心を感じた。

 また、吉川栄治の「親鸞」を病院へもってきて読むようすすめてくれた。祖母が小さい時買ってくれた漫画の「親鸞さま」より人間的悩みが描かれていて、自己に厳しい方であることが分かり、親近感をもたずにおれなかったが、どうして南无阿弥陀仏のお念仏になってゆくのか分からなかった。

 死の不安も2ケ月後には回復して学校へ戻ると思わなくなってしまった。


 高校時代、東本願寺の仏教青年会、仏青に入り行事に参加しするようになっていく。
 毎月、持ち回りの講師方の話があったが、その時の講師はほとんど後生のことの話は無く、この世は四苦八苦の人生だが親鸞聖人の教えられたお念仏に励まされ、慰められて感謝の生活、お念仏の生活をしましょう、と仏法を今生ごととしか話さなかった。

 お念仏が生きてゆく為の杖のようなものなら、私にはまだ杖は要らないと思い、段々と仏教を聞く気持ちが無くなってしまった。
(最近になって、東、西本願寺にも後生の一大事、自力を捨てよ、信心決定、往生成仏を説かれる布教使のおられたことを知った。早くから、このようなお方とご縁がなくて残念であった)


 次の冬、欠かさず寺参りを続けていた祖母が84歳で倒れた。
 亡くなる3日前に一人で見舞いに行くと、よう来たと喜んでくれたが、もうすぐ死ぬ祖母にどう言葉をかけていいのか戸惑うばかりだった。
 やっと、「婆ちゃん、84まで生きて長生きやったねー」と長生きを誉めたが「そんなもん、あっとゆう間や、早いぞー。すぐ来るぞー」と切り返えされてしまった。
「そんなに早いんか」と念を押すと「ああ、早い、すぐじゃ」と言った。
 次に「婆ちゃんが頑張って生きて来たから、母ちゃんや俺が生まれて来れたんや、有難う」と言うと、「そうやけど、死ぬ時は一人や誰も付いてこれんぞ、この世のものは皆、置いてゆくもんばかりや」と言った。
 私は困ってしまい「何も無いんか、そこまで生きてきて何も無いんか」と聞くと「一つだけある。親鸞さまのみ教え、南无阿弥陀仏だけが残る、無くならん、一緒や」と言い切った。
 南无阿弥陀仏だけが残る、一緒とは何のことか。
「お前に、どう言うていいか分からんが、これだけは残る、無くならん、一緒じゃ」と又言った。
 今、臨終を前にして祖母が孫にウソを言うはずがない。
 84年の人生の結論を、何とか私に伝えたいのだ。
 やはり仏教は聞かねばならない教えなのか。
 祖母の遺言を心に刻んだ。



○親鸞会との出会い

 しばらくして、近所の親戚の親鸞会、青年部会員と6時間以上話す機会があった。
 彼女は「人間の実相」の絵を出して説明し、今にも切れそうな細い命の藤ツルにぶら下がって、切れたら三匹の毒龍の待つ地獄へ墜ちるのに、五欲の蜂蜜をなめることに心を奪われているのは誰かと聞いて来た。
 初めて聞く「佛説譬喩経」の話に私は何の反論も出来ず、自分のことだと認めると、じゃ仏法を聞かねばならないと言ってきた。

 何と仏青で3年聞いても分からなかった仏教を聞く目的を、こうもハッキリと聞かされて驚いた。
 そして、今の本願寺では本当の仏教、親鸞聖人の教えは聞けない、分からない、高森先生こそ阿弥陀仏に救われた、無二の善知識であるとも言った。

 高森先生、そういえば小学生の頃、すごい早口で黒板に字を書きまくって指示棒を、バンバン叩いて話していた金ボタンの学生服の人を思い出す。
 あの人か、あの人が親鸞会を創って彼女をこうまでさせたのか。

 帰りに渡された高森先生の書かれた「顕正」を読み、強いショックを受けた。
 仏教用語が多く、難しく理解出来ぬところがあるが、本願寺を強く批判してある。こんなに批判する人の本は初めてだった。
 しかし自信と情熱一杯で書かれてあることも感じた。

 寺の住職に相談すると、「あそこには近づくな、私は助かった信心を獲たと強く言われるものだから、多くの人が、早く自分も信心を頂けると思って熱心になっている。気をつけなあかんぞ」」と言われてしまった。
しかし、本に書かれていたことが気になり寺に隠れて夜聞きに行く。
 2、3ヶ月ほど聞いて御法話が終わってから、高森先生の控え室へ勝手に入った。40年前は在家の御法話がほとんどで、夜の参詣者も40人ほど。今では考えられないほど自由だった。

 氏名と仏青であることを言い、「あなたは異安心ですか」と切り出した。すると「異安心って、どうゆうことか知っているか」と言われ、「信心が違っているということでしょう」と答えると「そうだ。誰の心と違っているかが問題だ。親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の信心は一味、同だ。ワシも同じ。本願寺と違っていても異安心ではない。本願寺こそ間違っている。どう違っているか言おうかね」と、4つほど挙げて話された。

 これでも、本願寺は親鸞聖人と同じかねと、根拠を示しての話に私は納得してしまった。
 寺へ行って住職にどこが間違いですかと尋ねると「あれほど行くなと言ったのに、行ったのか、んー」と言うだけで返答がない。
 かって、この寺でも高森先生を招待していたが、本願寺から問題があると連絡があり反対するようになったことを後で知る。
 きちんとした説明が出来ない住職の態度が気になり、小さい時からお世話になったところだったが、悩んだ末に仏青との縁を切り、親鸞会に入会した。親鸞会では掛け持ちが許されず、18歳でした。



○親鸞会で求め始める、

 次のように聞きました。

 私達は、欲、怒り、愚痴の煩悩で毎日、心、口、身体で十悪を造り続けて生きている。その上、五逆罪、謗法罪という悪業を犯している。
 だから因果の道理、悪因悪果、自因自果で無間地獄へ堕ちる報いは逃れられない、後生の一大事がある。
 これ以上の一大事はこの世にないが、皆、知らないで生きている人ばかり。
 救われるには仏教、阿弥陀仏の本願しかない。
「すべての人を絶対の幸福に必ず助ける」
 阿弥陀仏はこの後生の一大事を解決して、絶対の幸福、いつ死んでも極楽参り間違いない身にこの世で救って下される。
 この体験を信心決定といい、これが人生の目的であると。

 ではどうしたら救われるのか。
 蓮如上人は御文章に「五重の義、成就せずば往生かなうべからず」と教えられている。これが揃わないと絶対に助からない。

1宿善 2善知識 3光明 4信心 5名号(念仏)

 まず何よりも宿善であり、「宿善まかせ」「無宿善力及ばず」と聞かされた。船に乗ったら船頭まかせ、病気になったら医者まかせ、これ以上大事なものはない。
 宿善は善が宿るともいい、過去世を含む、今までの善行をいう。
 また阿弥陀仏とのご縁、仏縁でもある。
 宿善のある人は、後生が気になる、仏法を尊く思い、聞きたい心の人である。
 宿善が厚くなると、宿善開発する、信心決定する、絶対の幸福になれると聞いた。
 その宿善はどうしたら厚くなるのか。

1聴聞 2勤行(五正行) 3諸善

 聴聞が一番大事で、しかも善知識の高森先生以外の人の話を聞いても宿善にならない。なぜなら現代の善知識は高森先生お一人であるからである。唯一、無二のお方であると何度も聞いた。
 どんなに疲れていても、毎週日本各地、どんなにお金がかかろうと高森先生のご法話に行かねば宿善は厚くならない。

 その為、家中が反対しても喧嘩になっても、ウソついてでもそこを参るのが「火の中をかき分けて聞くのが仏法」だから尊い。
 正座して一言も漏らさず聞き、聴聞記録をしっかりと書き、覚えていないと真剣な聞き方とは言えない。居眠りなど謗法罪の大罪と言われた。服装もきちんと、男性はネクタイが常識。


 勤行は必ず朝晩しなければ信仰は進まない、宿善は厚くならない、勿論、ご本尊は御名号でなければならず、木像、絵像は他流のご本尊で地獄行きの者である、と特に厳しかった。
 しかし、南无阿弥陀仏の心が分からず、毎日勤行をしていても、なぜか阿弥陀さまが遠くにしか思えない。


 諸善、六度万行をしなければ宿善は厚くならない。
 中でも布施行として法施、人に仏法を伝える、人を誘うことが最高の善と言われ、顕正、入会を勧めることや、参詣者数が活動の柱となり、目標が与えられ、競った。
 また財施も尊い宿善になると強く勧められれた。
 その他、教学の勉強、会合など、皆宿善、宿善と言われて時間、労力、お金をかけて活動に熱くなって行く。


 高校3年の卒業近くに教官の許可をもらい、教室でクラスの50名に3時間程、仏教の話をした。勉強をして知識、技術も大事だけど、生きる目的こそ大事だと「人間の実相」の絵を書いて話をする。
 皆、何を言い出すのかと驚いていたが、やがて真面目に聞いてくれ、学友は今も覚えていてくれた。


 しかし、青年は熱し易く冷め易いと言われるように、2年もすると活動するのが苦痛になってきた。
 高校卒業後、家業の豆腐屋の仕事を両親としているので、朝5時に起きねばならず、今と違って365日休み無し。
 活動で夜が遅くなると本当に身体がきつい。
 何より、指導している講師部にも信心決定している人がないことが分かってきた。
 こんなことを続けていても信心決定など自分には無理だと思えてきてしまった。しかし会員さんは真剣でとても誰にも言えなかった。

 遂に20歳の時、自分なりの生き甲斐探しのために家出をしてしまい、東京、札幌、名古屋、福井と仕事をしながら3年があっという間にすぎた。
 両親の期待を裏切り、本当に申し訳の無い自分勝手なことをしてしまったと思う。どんなにか辛かっただろう。でも両親は責めず、怒らなかった。
 家業は家出中に妹が婿取りをして継いでくれた。申し訳がない。
 福井県へ来て仕事中、道でばったりと親鸞会講師部の人と出会い、声をかけられ近況を話しているうちに、1度位来ないかと言われ、用心しながら無理をしない程度に聞き出した。


○後生の一大事に驚く

 ある日、「人間の実相」の説法を聞いた数日後、私は夜中に自分が死ねばならぬ夢を見た。実に生々しく、今もハッキリと思い出せる。
 2匹の3メートル位の鬼が迎えに来た。あわてふためき「どうか助けてくれー」と泣いて哀願するが、だめだ今すぐだと拒絶された。
 両手、両足つかまれた。1日、いや半日でもいいから許してくれと更に必死に哀願する。何をすると鬼が言った。
「仏法聞きたい、真剣に聞くから許してくれー、半日くれー」というが、今すぐ連れてゆくと引きずりだした。
 回りをみると多くの人が同じように、泣き叫びながら昏いトンネルのような中に引きずられてゆくのだ。
 泣き泣き堕ちてゆくしかない。その時、目がさめた。

 あー助かったー、夢だった。よかったー夢で。枕が涙で濡れ、12月というのに全身汗をかいているのに驚いた。今すぐ寝るとまた続きを見るのでないかと恐ろしく、早く朝がこないかと布団の中で待った。
 そのうち、今回は夢でよかったが、しかし何時か必ず現実のこととなるのだ、さあどうする、鬼に仏法聞くから許してくれと泣いたではないか、さあどうする。聞くしかない、後生の一大事解決するしかない、聞く、今なら高森先生から聞けるのだ、今度は絶対聞きぬこうと決心した。23歳になっていた。

 毎月、高森先生の全国御法話・座談会8回、地元の講師部御法話夜7回、月に15回の聴聞を始めた。
 そして13年の聞法活動の月日が流れ、結婚もして娘二人の父親にもなった36歳の時だった。

 青年部の福井県の責任者になり、会合には親鸞聖人の教えを話し、活動の指示もしているが依然として後生の一大事の解決が出来ない。なぜか。原因は私の宿善が浅いからだ、それ以外に無いと思うのが親鸞会会員としての答えだった。
 まだまだ求め方が温いのだ、これでは間に合わないのではないか、
 どうしたらいいのか、「宿善は待つに非ず、求むるものなり」と蓮如上人は教えておられる、一番厳しい講師部の道へ進もうかどうしようか。
 その時、高森先生の長男の青年部長から、講師部にならないかの電話があり、妻と相談して決意して飛び込んだ。

 そして20年後に、まさか退部することになるとは想像出来なかった。
 今思えば、これ皆、阿弥陀さまのお育てであったなと思わずにおれない



○本願寺からの批判と「宿善論争」

 しばらくして西本願寺と「宿善論争」が始まった。「親鸞会では未信の人は宿善の薄い者であるから、信心を獲得するためには自力の善根を積んで厚くしなければならないという」
「当流では他力の信心を獲るためにまず自力諸善を積まねばならないという説示はない」と西本願寺が批判した。
「宿善とは親鸞聖人が{たまたま行信(信心)を獲ば遠く宿縁を慶べ}とあるように遇法獲信の現在から過去をさかのぼって宿善のお陰であると、その由縁を喜ぶものである。将来の獲信のために積まならないという方向で語られるものではない」と批判してきた。
「宿善まかせ」とだからと顕正、財施に頑張っている私にとって聞き捨てならない大問題であった。

 高森先生は「自力の善が(獲信)の資助になるどころか自力無効、捨自帰他、自力が廃らない限り絶対に弥陀の本願はわからす、報土往生は出来ないと説いている」しかし「自力一杯求めたことのない者に、自力無効と知られる筈がありません」と理屈を付け加えて反論された。
 そして本願寺との文書論争が繰り返され、「本願寺なぜ答えぬ、親鸞聖人のみ教えに善の勧めは有るのか、無いのか」に、いつの間にか論点を高森先生はすり替えられた。

 私はこの時、本願寺の不思議な批判が理解出来なかった。
 また、高森先生の自力の善が獲信の資助にならないというのも強くひっかかった。
 教学的には自力で助からぬが、しかし何かに成る、資助に成ると思う心で全員活動しているのが親鸞会会員の本音でないか。
「宿善まかせ」それを否定したら誰も動かなくなる。
 諸善は「因縁」になると言われたが理解できない。資助とどう違うのか。
 されど私は親鸞会の講師部。「高森先生のご指示に無条件で従い、信心獲得を本と致します」と朝晩、お勤行の時は唱和している者である。分からないのは私がまだ未信だからで、高森先生の教えられることに絶対間違いは無い、と本願寺への座り込み抗議にも参加した。
 本願寺からの反論が無くなり親鸞会は「本願寺を完膚なきまで論破した」と勝った勝ったムードで、教義の正当性に自信を持つようになっていった。

 しかし、この問題が如何に根本問題であったのか、次第に知らされることになる。



○法友の苦しみに何も出来ない、

 福井市で美容院をしていたGさんが癌で緊急入院したと知って、大先輩講師と支部責任者と急いで見舞いに行った。
 腹痛に耐えられず病院に来た時は既に末期で手遅れだと関係者から聞いた。激痛に耐えている姿が可愛そうだった。
 先輩講師が声をかけ励まし、「Gさん、阿弥陀仏を念じなさいよ」と繰り返して言ったが、「念仏称えなさい」とは一言もなかった。
 自力の念仏では助からない、信前の念仏は無効だと、福井市の布教使と法論した親鸞会では念仏を勧めず、称える人はいなかった。

 後日、一人で見舞いに行って心配で心境を聞いた。
 彼女は20年近く高森先生の話を聞き、まだ40代で、いつも後生に一大事がある、地獄に堕ちるとお客さんにも言い、それほど後生を恐れていた。
「阿弥陀仏を念じるように言われたけど、どうや」と言うと、「出来んわねー、辛て出来ん、出来ん、私はあかんのやー、宿善薄いんやー」と泣いた。
 10分おきにやってくる激痛に身体をくの字に曲げて耐えているのを見ると、言葉も見つからず、辛くなって病室を出た。哀れで涙が流れる。
 どうか阿弥陀様、Gさんを助けてあげて下さいと念じるしかなかった。
 殊勝に「阿弥陀仏を念じなさい」と勧めても、そんな立派な心が用意できようか、続こうか。激痛、病苦の激しさの前には、ただ「助けてくれー」しかない。
 私はGさんの姿を、宿善を元気なとき力一杯求めなければ、臨終に自分もそうなると教えてくれたと、そんな受け取り方をしていた。
 阿弥陀仏は、心から信じることも、念ずる心も全くないものと見抜いて、本願を建てておられる深いみ心を、私はまだ知らなかった。
 やるせないみ心を一言も伝えられなかった。
 しばらくして彼女は亡くなり、親鸞会葬儀が行われ、私は進行役を務めた。



○海外布教で見抜かれた信仰

 私の海外布教はハワイだった。
 1年余り、日系人を中心に一人で布教に飛び回った。
 会員さん、購読者を集め法話をしたり、戸別訪問したりのある日、70歳代の病気がちの日系人のHさんを訪ねた。
 毎週参詣される熱心な方で「先生、私助かるでしょうか。こんな身体ですからそう長くはありません。後生が暗いです。何とか助かりたいのでお参りしています。お勤めもしています。阿弥陀さまどうか助けて下さいと朝晩お願いしています。」と言われた。
 この時私は「Hさん、お参り、お勤めよく頑張っておられますね。でも、阿弥陀様助けて下さいは、自力たのみで駄目なんですよ。他力廻向の信心でなければ助かりませんよ」と言った。
 すると「えー、私の信じ方は駄目なんですか。ではどうしたらいいんですか。先生はもう信心決定しておられますか、他力の信心頂かれましたか。それを教えて下さい、お願いします」と強く哀願されれた。
「いいえ、まだです」と答えると、「どうしてですか。先生は奥さんも子供さんも日本におかれてハワイまで仏法のために来ておられます。よく仏教の勉強をして何でも知っておられる宿善のとても厚い方と思いますよ。そんな先生が信心決定まだなら、宿善の薄い私なんかとても無理なんですね」と厳しい顔になられた。
「いや、宿善が厚いか薄いか、人には分かりません。助かるのは宿善まかせですから、仏法は聴聞に極まる、続けて聞いて下さい、必ず助けると阿弥陀仏は誓っておられます、命をかけて約束しておられますから。」と言った。一番痛いところを突かれてしまった。あの時のHさんの不安一杯な顔を今も忘れられない。

 宿善まかせ、と言っていれば本願寺の指摘通り、諸善やお勤めで助かる、聞いておればその内何とかなる、としか思えなくなるのは本当なのだ。
 高森先生は自力の善で助かるなどと説いていないと強調されても、会員さんの理解は違う、自力の執心はそう簡単に承知しない。
 自分のやった善根功徳が多いか少ないか、これで助かるかどうか、宿善の厚薄ばかり問題にして、聴聞さえも何回聞いたか、真剣に聞いているか、苦労して聞いているか、覚えているかばかり大事にする。
 金と時間と身体のカスで求めていないか、と自分の方の求める姿勢、形ばかりを問題にして、助けて下さる阿弥陀様の心を知らない、聞いていない、問題にしない。
 私自身が阿弥陀様のみ心を知らず、本当の仏願の生起本末が説けないから、結局そんな指導ばかりして、Hさんと、あんな愚かなやり取りしか出来ないのだ。
 しかし、この時もまだ自分の根本的間違いがどこにあるのか気付いていなかった。



 帰国してやがて福井県の本部長、責任者となり、法話をしながら担当講師と会員さんの指導や顕正、参詣者、財施目標の達成に他県と競争することに熱心になっていった。
 やがて高森先生の作られた「世界の光・親鸞聖人アニメビデオ」の配布こそが尊い善である、これで本願寺も大津波に飲み込まれてしまうと豪語された。
「真宗の危機は全人類の危機」「真宗改革は我らの手で」「打倒本願寺」のスローガンを思い出し、毎月の目標本数に向って、会員総動員してあらゆる手段で販売促進が行われた。
 私にアニメ販売の専門職が与えられ、20名余りの青年部会員と全国を3年半、アニメ販売の飛び込みセールスに専念した。

 その後、顕正の専門となり2年半、朝、昼、夜と広島、福井県を仏法の話し込みに毎日歩いた。



○講師部の退部

 新しい支部制度が始まり、私も福井県の一支部長となった。
 しかしこの頃、講師部内、特に上司の非常識な仏法者らしからぬ言動を無視出来ず、2度も高森先生に手紙で訴えたが、取り上げられず、反対に30名余りの講師と共に「和を乱した大罪」と糾弾され「除名処分」が下った。
 執行猶予5年付きで許されたが、理不尽な処罰と思うと不審が大きくなっていった。
 やはり清らかな団体は有りえない、皆、煩悩具足、我が身可愛い、自己中心、我執の集まりと思い知らされた。
 お互いに信用して本心も明かせない状況になってきた。
 高森先生といえど身内大事、やはり凡夫、例外でなかった。
 これまでお慈悲で公平な先生と絶対視していた心が崩れ始めてきた。
 何より、自分こそ、そうでないか。会員さんの前では真摯な仏法者らしく振舞っているが、本当に後生が苦になっているか、阿弥陀仏を心から敬っているか、会員さんの獲信を心から願っているか、導けるのか、毎日心配しているのは、生活のことであり、悪くなってきた糖尿病のことでないか。それでも三界の大導師か、自分は。
 もう講師部だから信心決定できるなどと思わなくなっていた。
 しかし40年あまり聞いて来たこの教えだけは間違いない筈だという信念を残し、20年余りの講師部を退部して会員として求めていくことにした。本心は言えないから、経済的理由で続けて行けませんと全講師部の前で言ったら、批判の嵐だった。
 しかし経済的に無理なことは本当で、ウソではなかった。
 会員さんにはただお詫びするだけで、一切理由は言わなかったが、心が張り裂けそうだった。
 講師部の現状に失望し、自身の求道姿勢にも自信をなくした私は、高森先生の説かれる教えだけは真実だから、こんな私が救われるには聞くしかない、後生の一大事がある以上、聞くしかないと思い、働きながら親鸞会の聞法を続けていた。



○法友の嘆き、深い疑問生ずる

 そんなある日、2年半も元嶋田支部会員としてご縁のあったSさんが癌でもう聴聞に来れないと聞いた。
 80歳位で、30年近く求められ、聴聞も県で一番多く、心臓の持病を持ちながら、アメリカ、ブラジルであろうと高森先生のご法話は一度も欠かされたことがなく、支部のご法話、会合も全日程参加でアニメ配布にも真面目に回られた。
 財施も常に県で上位、副支部長として生活の全てを親鸞会の活動にかけられ、親鸞会から、貴方は会員の模範だと何度も表彰を受けた方だった。
 2月に見舞いに自宅へ行くとベットに横になり、変わられた姿に驚いた。私の顔を見て「こんなになって聴聞に行けんようになったー。宿善積めんようになったー。困ったー。弱ったー」と言われた。
 自分の病気に気付いておられるなと直感した。
 もう世間並みの見舞い言葉など言っておれない。
「Sさん、本部で座っているだけが聴聞ではありませんよ。何を聞いたかです。何を30年間聞いてこられましたか。こうなったら、これまで聞かせて頂いたことを話しに来ますから、このベットの上が聴聞会場ですよ。」と言った。
 私はこの時、このSさんにこれまで聞いてきたことを全てお伝えしよう、交通事故で突然亡くなった父と同じ歳のSさんに何とか救われてもらいたいと強く願った。
 それから本棚に積み上げてあった高森先生の書籍を20冊以上を読み続け、何十年間の聴聞記録を読み返し、話そうと思うところをコピーしたり、テープに吹き込み準備して、月2回程見舞いに行った。
 何を話してもSさんは30年余り、3000回以上の聴聞をしてきた方だから、私の話することは全部分かる。話しするのはSさんの体調から1時間が限度でした。
 無常観、罪悪感が大事と話しすると、
「無常をとりつめたら後生の一大事に驚きが立つ、今死んだらどーする、と思うけれど、まだまだ死なんとしか思えん」
「罪悪をとりつめようと、自分の悪をいろいろ思うが、もー悪い奴、地獄行きと本心から思えん、こいつが」と腹を叩かれた。
「こんな者どうすりゃいいんですかー、教えて下さい、助けて下さい」
と男泣きに泣かれ、私の腕にすがりつかれた。
 いつも山が崩れても動じないような方だったのに、恥も外聞もかなぐり捨てたこの態度に、自力の信心の崩れを目撃し、私も動揺した。

「阿弥陀仏が分からーん、本当におられるのかー、どう信じたらいいのや、どう思ったらいいのか。私みたいな者は助からんのか。あー私は宿善が浅いから助からんのや、信心決定できんのや。高森先生、申し訳ありません、もっと宿善積んで頑張ればよかった。済みませんー」とまた号泣された。

 繰り返し三願転入の説法を聞いて、19願の諸善を真剣にやらねば、20願、18願へと進めないと信じ込んいるから、宿善が薄い、どうにもならぬと泣かれる。私はとっさに両手を握って「念仏称えましょう」と言った。
 仏法を聞き始めて40年、私は初めて人に念仏を勧めた。
 Sさんは驚いたように「念仏で助かるんですか、称えていいんですか」と聞かれた。無理はない、信前の念仏は助からんと散々30年聞かされたSさんは、初め躊躇されたが、私はかまわず念仏を称え出した。
 3分、5分と共に念仏を称え続けると、何の涙か分からないが止まらない。一緒に泣きながら称えた。
 Sさんの担当支部長にこんなことが知れたら、注意されるかもしれないが、20願の念仏を勧めて何が悪い、三願転入でないか、という覚悟でいた。

 私はSさんが何度も「高森先生申し訳ありません」と泣かれる姿に違和感を感じ始めた。懴悔する相手が「阿弥陀仏」でなかったからです。助けて頂くお方は阿弥陀仏なのに心が高森先生しか見えてない。
 親鸞会では何十年も、高森先生の「ご苦労、ご恩、み心」を具体的にその都度、繰り返し、繰り返し伝え「感謝しよう、お礼状出しましたか」と徹底したきた。
 だから会員さんには無上、無二の善知識だから「高森先生の深いみ心です」と言えば何でも通じた。反対は無かった。
 阿弥陀仏の「ご苦労、ご恩、み心」はほとんど分からない、知らないこと生起本末を話してみて私自身驚き、大変な心得違いでないかと思った。これでは「善知識だのみ」ではないだろうか。

 病気の進行は早く、Sさんは自宅から病院へ移られ、行くのが辛かった。
 行く度に落ちていく体力。10分程聞くのも辛く、痛みのため話が何度も中断する。しかし痛みが和らぐとまた聞かせて下さいと言われた。
 病気になって諸善のやれないSさんに19願の話をしていても何にもならない、宿善薄いと嘆いていても何にもならんと判断した私は、諸善を切り捨て、念仏を勧め、18願の「仏願の生起本末」に絞って話しをすることにした。
 A3用紙に書きながら、聞き得るだけの宿善、仏縁のある人と思って話し始めた。
 生起。自分は極悪人であり後生は一大事、地獄は必定、流転輪廻を繰り返してきた私であるから阿弥陀仏が立ち上がられた。

 本末。法蔵菩薩の五劫の願、兆載永劫のご修行の末、成仏され、お浄土と南无阿弥陀仏が出来上がった。しかしここまでしか分からない。
 いくら話しこんでも、南无阿弥陀仏が分からない。
 他力の信心一つで救われるが、頂く名号六字が分からない。
 どこが功徳の大宝海なのか、地獄行きが極楽行きにする力がどこにあるのか、そんな力が六字のどこにあるのか、信じられない。どう頂くのか。
 分からない。話ししている私こそ分からないのだ。Sさんも分からん、分からんと言われる。
 話すほど二人とも疑いがどんどん出てくるでないか。
 よく考えてみると、高森先生から諸善は勧められるが六字の心を詳しく聞いていないことに気付く。
「雑行、雑修、自力の心を振り捨てて弥陀たのめ」とあるが、どうしたらこの自力、疑いを捨てて他力に入るのか。
 その方法が「三願転入」で「自力一杯やらねば自力無効と知らされない」と聞いたが、では、自力一杯がどこまでか分からない。
 又、諸善、五正行の善はせねばならないが、「心がけが悪い」から捨てよとも教えられた。
「これで助かりたい、間に合わせようの心を捨てよ」と聞いた。
 Sさんも以前に、この意味が分からない、本当にこんな心を捨て善が出来ますか、私には出来ません、と正直に言われたことがあった。やれば「自力無効、悪い心がけが廃る」と言われるが、Sさんは30年余りを宿善、宿善とやってきて、これ以上の宿善をどう求めよというのか。しかも臨終が迫っている。まだまだ足りぬというのか。

 教学講義で「雑行を分かるだけでも30年、40年はかかる」と言われて驚いた。これでは高齢から聞き始めた人は助からないことになる。
 それなら実際、30年40年以上求めている講師部に獲信した人はいるのか。聞いたことがない。「自力一杯活動して自力が廃りました、疑い晴れました、他力が分かりましたと」言った人を見たことはない。
 私自身、やっても、やってもこれで一杯と思えず、反省を繰り返してきた40年だ。それでも精一杯か、動きが緩慢だ、講師部は19願の入り口にも入っていないと厳しく指導されてきた。
「仏法は聴聞に極まる」と教えながら「19願の諸善を励まねば信仰は進まぬ」と説いていたら、捨てるどころか、諸善で何とか成ると思う自力の信心が強くなってくる。そうでないだろうか。現状が証明している。そして臨終に総崩れになる。

 18願の本願を疑う心、疑情一つが助からない原因とは、皆さん合点している。
 しかし、疑い晴れて無碍の一道に出るのも、そうなるのはやはり宿善まかせと理解しているから、最後に助からないのは宿善薄いからだと、結局ここに泣くことになる。これが親鸞会の現実なのだ。

「他力の信心は20年や30年で獲られるようなものでない」と親鸞会発行のパンフレットに書いてある。
 また「多生の目的です」と言われ、今生だけでは難しいと受け取れるような言い方になった。
 平生業成の本願なのに、これでは死ぬまで求道で一生が終わる。
 まるで火鉢の周りを、周り続けている虫と同じでないか。やがて力尽き、火の中へ落ちるだけだ。
 中には真剣に求めている人は、臨終に観音菩薩の説法にあえると高森先生から聞いて元気が出たと、本気にしている人もいた。


 噫、これで浄土真宗なのか。

 ところが高森先生自身は18歳の時、求めてしばらくして救われたと言われた。しかも19願の諸善に励んだとは聞いたことがない。
 自分がしなかった事をなぜ会員さんに勧めるのだろうか。
 私は朝晩の勤行に御文章80通を30年以上繰り読みしているが、どこにも「雑行、雑修、自力の心を捨てるには、諸善をやらねば廃らない」とは1ヶ所も書いてない。なぜだろうか。
 蓮如上人は高森先生のように教えておられない。蓮如上人は親鸞聖人のみ教えをそのまま伝えられたお方なのに、これはどういうことなのか。おかしいことになる。
 蓮如上人は自力の心を捨てるには「六字のいわれを善知識に聞け」と一貫しておられるからだ。


「自力一杯求めなければ、自力無効と知らされない。」この言い方こそ問題ではないだろうか、自力の内容が違うのでないか、諸善をやっていては一生を無駄に終わるのではないかとやっと気付いて来た。

 なぜなら親鸞聖人は、「聞というは、衆生仏願の生起本末を聞きて疑心あること無し。これを聞というなり」18願の心、ご名号を聞け、南無阿弥陀仏のみ心を知れ、疑心なくなったのが他力廻向の信心と、ハッキリ救われる法を明らかになされているからです。なぜ自分がやっていないことをさせるのか疑問一杯になってきた。


 宿善と疑情、三願転入と自他力廃立どう関係あるのか、分からないまま「真実はここでしか聞けない」と叫んでいるだけではないだろうか。

 これは何かおかしい、間違っているのではないだろうか、と思えてきた。
 本願寺の「親鸞会の宿善論」への指摘の言葉が段々と鈍い私にも効いてくる。

 親鸞会の求道で本当に救われるのか、
 高森先生の言葉に絶対間違いないのか、
 これまで考えたことのない疑問が頭を持ち上げてきた。
「私は真実を説き切っている、聞き切らないのは君達の責任だ」と言われた自信一杯の言葉を信じてきたが、その堤防が決壊を始めた。
 恐ろしいことだった。40年間、求めてきたものに疑問を持つのは何より怖かった。
 これは恐ろしい謗法罪だ、考えるなー、やってきた全部が無駄ごとになってしまう。必死に否定しようとした。
 しかし、聴聞信心、活動信心、教学信心、宿善まかせ信心、そのうちそのうち信心が崩れてゆくのは経験したことのない不安だった。親鸞聖人が比叡山の修行に疑問を持たれ時も、こんなお心だったのだろうか。
 同時に私はこの時、自分の慢心に気付いた。よし俺が導いてみせようとは、何たる傲慢。Sさんは目前の後生に命がけなのに、聞いた話、覚えた教学、読んだ要で何とかしょう、出来るだろうとは、自分こそ後生の一大事を軽く見ている何という馬鹿者だ。
 阿弥陀仏の本願が全く分かっていない。疑情の塊、自惚れるな。
 このままでは私もSさんと同じ臨終を迎えるだろう。会員さんも同じではないか、福井へ来て30数年救われた会員さんを聞いたことがないが、この大きな疑問をどうしたらいいのか心が暗くなるばかりだった。



○母の慈悲と真実の言葉


 8月のお盆に久々に富山県の実家へ帰った。
 80歳過ぎの母が、もう父の墓参りは今年が最後だろうから連れて行ってくれと気弱なことを言った。早いもので亡くなって10年が過ぎ、村の墓場へ行き、墓前で阿弥陀経をあげて母と父を偲んだ。
 家に帰ると母が「こうしてお前とじっくり話しが出来る機会はめったにないから言っておきたいことがあるので聞いてくれ」と静かに話し始めた。
 自分の生まれた時からの、これまで断片的に聞いていたことを、正確に時間的順序で出来事、心情を2時間余り語ってくれた。
 家が貧乏子沢山で東京へ奉公に出たこと、満州開拓団に夢を託し、結婚し男の子2人もいたが、夫は急性肺炎で急死し、子供もソ連参戦のどさくさの惨事で死なせこの世の地獄を味わった。
 戦地で助けてくれた今の父と命からがら日本へ引き揚げてきて、私達兄妹3人が生まれ、苦労して育ててくれた。
 特に私は小さい時病弱で、近所で貰い乳をして育ち、兄妹の中でも親に心配をかけたという。亡くなった子供を思い、その分私達に注いでくれた愛情の数々を思い出すと私はこみ上げる涙を堪え切れなかった。
 今も私の身の幸一つ思っていてくれる母に、私は何をしてきたのだろうか。
 裏切り続け、親をどこまでも利用する心しかないではないか。
 五逆罪の57年だったことがぐーっとこみ上げてきた。
 なのに、それを責めずいつも許してくたではないか。
 ああ私程恐ろしい者はない、浅ましい子供はいない、恩知らずの鬼とは私のことだ。
「悪かったー、俺ほど悪い者はない、堪忍してくれー」と、私は大声あげて母の膝に泣き崩れた。恥ずかしいも何もない、泣くしかなかった。
 母は「分かった、分かった」と背中をなでてくれた。
 泣く心のない私を泣かせたのは母の慈悲だった。聞いて知らされた深い親心だった。

 私が泣き止むと母は話を続けた
「お前は小さい時から仏様のことは関心があったな。
 高森さんと縁があって仏法聞くようになり、講師にもなって苦労しているのを見て、早く信心決定してくれ、まだかまだかとずーと思ってきた。
 生活も大変やし、子供もいるのにどうやってゆくか本当に心配だった。
 講師やめて働いて、生活が心配ないようになったと聞いて安心したよ。
 だけど後生のことは大変だ、このまま高森先生の話を聞いていって信心決定出来ると思っているのか」と聞いてきた。
 本当にドキリとした。見抜かれていると思った。
 どうしてそう思うのか、と聞くと驚くべきことを言った。

「満州から帰ってしばらくして高森さんが村の寺に説法にこられてご縁あった。満州で地獄を見て、人間の本性を知ったから、説かれることは本当だと思って真剣に続けて聞き歩いた。数年して安心できた。お前みたいな者がと言われるだろうから、ずーと言わずにいたけど、何時死のうと母ちゃんの後生は心配してくれるな。分かったか。
 それよりこの間、立派な本部になっていて驚いたが、高森さんの話を聞いてこれではなーと思った。昔の話はもっと腹に応えた、厳しかった。極悪人だから後生に一大事がある、阿弥陀様だけしか助からん、18願の生起本末を話され、自力の心、疑いが有る間は絶対助からんと、自力、他力と何度も、何度も説かれたもんや。
 今は次から次とテレビに親鸞様のお言葉が出てきて若い人(アシスタント)に説明させて、じっくりと話されん。あれではなー。それにお前は三願転入で助かると言うが、昔は廃立、捨てもの、もらいものと聞いた。自力、疑いは捨てて、六字の心を聞け、頂けと言われ、だから安心できた。話が変わってきているように思うな。昔とは。
 善いことしないと助からんように思っているなら、いつまでたっても19願で終わると思う。お前は善ができる善人様か。親鸞様も比叡の山で出来なんだと泣かれた。お前はそんな偉いんか。どう思って聞いている、40年も聞いてきて分からんのか。
まだ19願か。一生なんかすぐ終わるぞ。もうすぐ60でないか。お前、高森さんだけに聞いているがそれでいいのか。一度離れて静かに自分の心を見つめたほうがいいのでないか」

 ガーンときた。母の真実の言葉に私の40年の信心が壊されてしまった。
 私の信念はモタモタになり、聞法の問題点が浮かび上がって来た。
 この世ばかりか、後生まで心配し続けてくれる母だった。
 父の本棚には「本願成就文説法」の本があり、親鸞会以外の本を読んだことのない私は読んで深い解説に驚いた。父は私より深く知っていたのか。

 私はこの日、親不孝を思い知らされ、また何と有難い両親のもとに生まれたものかと感謝せずにおれなかった。
 両親が親鸞会に縛られている縄を解いてくれた。



○華光会との出会い

 高森先生だけが善知識だ、の思いが崩れだし、他にも阿弥陀仏の本願を分かり易く、深く伝えておられる方があるはずだと思うようになった。
 見るな、読むなと言われていたインターネットで「親鸞会」を検索すると、有るは、有るは、紹介や批判のサイトが10以上もあり読み始めた。
 そして遂に華光会のホームページにたどりついた。

 高森先生は華光会に18歳から10年近く関係があり、伊藤康善先生が恩師であると分かった。師は無いと聞いていたが、そうでなかった。
 華光会はどんなところか詳しく調べようと電話で「仏敵」「安心調べ」「念仏のお叫び」「後生の一大事」「親指のふし」「廻心の体験」「われらの求道時代」等を注文した。
 電話に増井悟朗先生が出られたが、申し訳の無いことにそうとは知らないから、事務員さんかと思って注文だけした。

 盗作問題も調べようと、ついでに九州の寺へ大沼氏の本を16冊求めて読んだらそれも本当だった。
 伊藤先生、大沼氏からの盗作はひどいもので、見つけて付箋紙を貼っていくと100枚がすぐなくなった。
 高森先生は、さも自分が書いたように見せかける「盗作のプロ」だった。これがバレた為か「会報」が理由も言わずに廃版になっていった。

 当然、教えにも大きな影響が現れ、「自力一杯求めねば自力無効が知らされぬ」は大沼氏の説の引用であったことが分かった。
 盛んに強調される「三願転入」への説法内容の変更も、大沼氏の影響と分かってきた、だから知れるのを恐れ、氏の本を読んだ清森元講師が厳罰を受けたのだ。謎の部分が明らかになった。
 何ということか、40年間も過去が隠され本当のことを知らずにいたのだ。こんな重大事を誤魔化す方だったとは、何という方だろうと不審が大きくなってゆく。



 読んでいくと驚くことばかりで、闇夜から太陽が昇るような強烈な思いだった。
「仏敵」は伊藤先生の獲信の記録だが、するどい言葉にドキドキして、胸が締め付けられる。目の前の伊藤先生の聞法の苦悩が、呼吸が聞こえるような本だ。信後のすがすがしい心に、こんなことが実際あるのか、初めて知った。
「念仏のお叫び」には、後生の一大事と自力、他力の違い、どうしたら疑情がなくなるのか、詳しく分かるように書かれていた。
「六字のいわれ」に、うーんと唸ってしまった。ここが知りたかったのだ。
「廻心の体験」は教学信心で作っていた一念や、信後の観念が吹き飛んでゆく。
 どれもこれも、これまでの思い込みと、生きた言葉とが格闘して頭がくらくらする。
「われらの求道時代」は、高森先生の当時のことも何ヶ所も書かれていて、よく分かった。知られたくない理由がハッキリした。

 親鸞会からの一方的情報だけを正しいと信じ込み、会員さんに「これが獲信か」のパンフレットを配って、華光会を「土蔵秘事に類するもの」と批判してきたことが悔やまれてきた。
 このパンフレットの為に私は、華光会に警戒を抱き続け、近づくことが出来なかった。

 取り寄せた書籍を読んでいくうちに、質問したい気持ちを抑え切れなくなってきた。若し間違っていたら取り返しがつかなくなる。
 どうしても確認したい。せずにおれない。
 果して増井先生はご健在だろうか。すでに80歳を越えておられる筈、若いとき結核で苦しまれたと本に書いてあった。
 ご健在でも、初めての私と話して下されるだろうか。親鸞会では想像出来ない。
 夕方5時に電話すると出て下さって、自己紹介し親鸞会会員であることを正直に話した。本を読んで尋ねたいことがありますが、いいですかと聞くと、どうぞと言われた。
 読み込んで、6つにまとめておいた質問をする。


1 阿弥陀仏の救いとは、どうしたら救われるのか
2 三願転入の教えについて
3 宿善まかせとはどんなことか、宿善とは
4 ご本尊について、ご名号にしないと救われないのか
5 華光会は土蔵秘事か、違うのか
6 華光会と高森先生の関係について


 1時間以上、時の過ぎるのを忘れて私は質問して聞いた。
 増井先生は一つ、一つ丁重に答えて下さった。
 不審なことが益々、ハッキリして増井先生から聞かせて頂きたいの思いが胸の中に広がった。

 ご法話のテープもあることが分かり、20本ほど注文して聞き出した。
「六字の心」「六字のいわれ」「後生とふみ出す」「誓願不思議」
「二種深信」「光に遇う」「救済の予定概念」「罪悪感、無常観」
「機法一体」「大経の構造」「二河白道」「白骨の章」「法に遇う」等

 聞けば聞くほど、これまでとの違いがハッキリしてきた。
「六字のこころ」「六字のいわれ」は特に、これが阿弥陀仏の御心なのかと思うと、これまで遠い、遠い阿弥陀様が、ぐーっと一気に近くなってきたように感じた。

 噫、遂に弥陀の本願を説かれる善知識にお遇い出来たのだ、喜びがふつふつと沸いてくるのを感じた。


 Sさんにもお伝えしようと思ったが、病状が更に悪化してモルヒネ治療が始まっていた。身内の方から、余り苦しむからこの治療をするようになって意識がハッキリしないので、もう来られても話を聞くことは出来ませんと言われてしまった。しまった、遅かった。
 そして2ケ月後に亡くなられた。
 Sさんの正直な告白のお陰で、私は40年間の大問題を気付かされ、今、増井先生にお遇い出来たのに、何ということか。申し訳がない。
 Sさんは私に、今のままでいいんですか、こうなりますよと身業説法して下された善知識と思わずにおれない。
 家に行き、写真の前でお礼とお詫びを心からせずににおれなかった。
 そして必ず獲信まで聞き求めますと誓った。



○親鸞会を退会する

 11月の親鸞会の本部報恩講に妻と参詣した。
 高森先生は「聞其名号の聞くとは仏教を聞くことです。火の中をかき分けて聞けと親鸞聖人は教えておられます」と話された。
 帰りに妻に、「もう聞きに来ないよ」と言うと「私も」と言った。
 聖人は聞とは、名号、南无阿弥陀仏の心を聞け、仏願の生起本末を聞けと教えられたので、火の中を苦労して聞くことが大事と言われたのでない。どんな苦労をして聞法しているか、いつも話題にするが、大事なことは阿弥陀仏の本願を、六字の心をどう聞いたか、どう思ったかなのだ。
 増井先生との違いが明らかになって、いつまでもこんな話を聞いていてはならないと心は決まった。
 退会することは辛かった。
 40年近くご縁のあった方々との人間関係が無くなることになる。
「なんで、どうして、何をこれまで聞いてきたの、恩知らず」と非難しながら親鸞会は会員が近づくことを禁止するだろう。
 しかしいつか別れていく人との生活を大事にするために生きているのではない。今度こそ本願を聞いて、迷いの打ち止めを致しますと誓って過去世も求めてきたのではいか。もう迷ってはならない。

 12月に増井先生に「親鸞会をやめて聞かせて頂きます」と電話すると、
「親鸞会が助けるでもない、華光会が助けるのでもない。これ皆無常のものですよ、いつどうなるか分かりません。阿弥陀仏の大願業力に救われるのですから。来る人は拒まず、去る人は追わず、ご縁ですから。親鸞会をやめるも、そのままでも自由にして下さい」
と言われた。

 それを聞くと尚更、早く聞かせて頂こうと思った。
 夫婦で担当の支部長に退会の報告に行くと「どうしてですか、高森先生のご恩を何と思っているのですか」と強く批判してきた。
 20年近く同じ講師部の仲だったから、支部長の気持ちは良く分かる。
 しかし、頭が真っ白になっている支部長に今の私の心を話ししても、到底、理解出来ない。何も反論せず、お世話になりましたと言って帰った。

 遂に、阿弥陀様の強縁に引かれ、お育てを蒙り、私達夫婦は華光会1月報恩講に参詣することになった。
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親鸞会を退会されたい方は、「浄土真宗親鸞会被害家族の会掲示板」を参考にされてみて下さい。

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