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六字の呼び声 (その2)

 以下は、親鸞会元講師部員である嶋田久義さんからの投稿です。
 昨日に引き続きの内容です。


         *         *         *

○1月 華光会で聞法を始める


 京都の華光会館、3階建ての2階道場へ行くと、すでに全国から同人の方が集まっておられ、福井から初めて参詣した方々と一緒に後ろの方に座った。ご本尊はご木像で、皆さんの服装をみて驚いた。
 楽な服装で、スーツ、ネクタイの男性は私一人だった。
 お勤めも本願寺系のお勤めで静かに聞いていた。
 ご法話が始まり「身体を楽にして聞いて下さい」と言われてまた驚いた。
 正座が当たり前と思っていたが、皆さん自由で私は正座で聞いた。
 S先生のお話だったが、親鸞聖人のお言葉から阿弥陀仏のみ心にについて深いお味わいを述べられたので、親鸞会のお聖教解釈の説法との違いを感じ、ああこれが華光会のご法話なのかと思った。すごく新鮮だった。

 ご法話が終わり、十数人の幾つかのグループに分かれて、座談、ご示談が始まった。
 福井から来た私達は、3階の増井悟朗先生のグループに参加した。
 前に電話でお話させて頂いたが、初めてお会いして、穏やかで、慈悲と信念の強さを感じるお顔だった。
 全員の自己紹介の後、ご法話を聞いてどう感じられたか、一人一人の感想を聞かれた。
 ここでは有難そうな建て前発言や優等生発言は何にもならない、これまで後ろ向き発言をしてはならないと縛られていたが、やっと本音が言える、聞いてもらえる所だと分かってきた。

 私の番になって、「まだよく分かりません」と言った。
 妻も率直な思いを言っていた。やがて部屋の六字の御名号に念仏を称えるように勧められ称え始めた。周りの方達も一斉に称えられ、念仏の声が響き合い、こんな念仏の合唱は初めてだった。
 もう一つ驚いたのが、「これから真剣に聞かせて頂きます」と言った時、S先生から「これから、これからですか。そんな聞き方をしているから何時までたっても解決がつかないんです。今、ここで、私一人の為、と聞かせてもらいなさいよ」とハッキリ言われ、頭を棒で殴られたようなショックを受けた。
「続けて聞かせて頂きましょう」と40年間言われ、言ってきたので一番大事なことが全く抜けていた。

 長い間の聞法姿勢を打ち砕いて頂いた。しかし帰りに、やはり来て良かった、さあこれから聞かせて頂くぞとまた後戻り、そう簡単にこの心は正されない。そのうちに信心はピンピンしている。
 書籍コーナーには、伊藤、増井先生以外の浄土真宗の先生の本が多く並べられてあった。皆、自己の獲信を告白し阿弥陀仏の本願の救いの間違いないことが書かれてあり、他のもの読むなと言われてきたのと大違いだ。早速求めた。
ご法話ビデオの貸し出しがあるのには感動した。過去の行事の時のご法話が聴聞できる。これまでとは考えられないことだった。これも借りた。



○聞法の日々

 毎日、会社の往復時間も惜しくテープ聴聞し、家に帰ってビデオご法話を聴聞し、双書拝読の聞法を続けた。
 南无阿弥陀仏のご名号の尊さも段々知らされ、念仏を称えるようになっていった。
 聞くほど、読むほど、理解して感動する心と、信じられない、分からない、疑い心も強くなってゆくのを感じてきた。
 車の中や、仕事中に一人になると「信心数え歌」を毎日歌うようになりそれにつれて歌の意味が気になってきた。
 歌詞は理解できるが私の心と同じではない。
 勿論、信後の心の歌だからだ。

「四つとせ よくよくお慈悲を聞いて見りゃ 助くる弥陀が手を下げて
      任せてくれよの仰とは     ほんに今まで知らなんだ」

「八つとせ 益にも立たぬ雑行や      雑修自力は捨てもせで
      親様なかせていたことは    ほんに今まで知らなんだ」


 この心が分からない、本当にそうだと思えない。



○3月 華光会館の「講習会」で仏教の目的を知る

 華光会館での宿泊は初めてだった。
 演題は「浄土の荘厳」で、阿弥陀仏が本願を建て五劫思惟、兆載永劫の末に成仏なされ、また出来たお浄土はどんなところなのか、2日間にわたって増井悟朗先生が講義された。
 私はこの時、参加するまで本心は、獲信した方は聞きたいかもしれないが私はまだ未信の者。死んで往くお浄土より獲信をどうしたら出来るかの方が私にとって大事だ、そっちを聞きたいと思っていた。
 丁度、金持ちが今度行く旅行先の案内を聞くようで、金なし貧乏人の私にはあまり関係ない、金持ちになる方が先だのような先入観があった。しかしそれは打ち砕かれた。

「阿弥陀仏は、本願に‘若不生者不取正覚’と、信楽をえた人は必ず往生成仏させてみせますと誓っておられます」「我が浄土に生まれさせて、自分と全く同じ仏にさせてみせると誓っておられます。これが阿弥陀仏の本願です、往生成仏、仏に成ることが仏法を聞く目的ですから」と言われたのだ。

 私は、えっと驚いた。耳を疑った。
 高森先生から40年間も、若不生者の誓いは信楽にさせる、この世で絶対の幸福にさせることであり、不取正覚、若し出来なければこの弥陀は命を捨てると約束なされているから、信楽の身になれると聞いてきた。

「若不生者の誓いゆえ 信楽まことにとき到り
 一念慶喜するひとは 往生かならずさだまりぬ」親鸞聖人

 まさか、このご和讃の若不生者が「信楽」でなく、「往生かならず定まりぬ」とは夢思わなかった。気付かなかった。40年も。
 尊号真像銘文に聖人はハッキリと教えておられた。

「若不生者不取正覚というは、若不生者はもし生まれずはといふみことなり。不取正覚は仏に成らじと誓ひたまへるものりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたひと、わが浄土に生まれずは仏に成らじと誓いたる御のりなり」

 あー何という間違いを聞いてきたのか。ハワイのHさんにも間違ったことを言ってしまった。否、ずーっとそう言ってきた。
 親鸞会の人は全員そう思っている。
 平生業成、信心決定、信心正因、この世を絶対の幸福で暮らすことこそ仏教を聞く目的、人生の目的思っている。
 高森先生がいつも黒板に書かれた縦と横の線で話で縦の線、信心決定、絶対の幸福、無碍の一道になる事が信仰の卒業、決勝点と何十年も聞かされてきたからここしか見えてないのだ。

 死んでからの往生成仏、死んだら仏、死んだら極楽など、信心決定すれば自動的に付いてくるもの。そんなに問題ではない。この世こそ大事。あくまで目的は獲信、絶対の幸福と信じ込んでいる。
 現当二益の教えと言いながら、心は現益、一益で聞いていたことが知らされた。18願は現当二益が誓ってあるのを深く知らされた。

 だから「信心数え歌」のここがなぜそんなに嬉しいのか、ひっかかっていたのだ。

「七つとせ 永の迷いも暇乞い    憂いもつらいも今しばし
      やがて浄土のご果報とは ほんに今まで知らなんだ」

「十とせ  称えるみ名のそのままが 連れて帰るぞ待っている
      間違わさぬの仰とは   ほんに今まで知らなんだ」

 願行具足した南无阿弥陀仏の大功徳の仏種を私に与えて信心として、それで極楽往生させて成仏させ、もう六道迷わぬ身に完全に救いたい、これが阿弥陀仏の最終目的だったのだ。これが仏教の目的なのだ。
 それなのに当益を軽く見て、この世ばかり助かりたいと求めてきた。往生成仏を買い物した後にもられるポイントか、グリコのおまけのように思ってきたのだ。
 もう分かったつもり、親鸞会の間違いに全部気付いたつもりだったが、まだ根本的な間違いをしていた。
 何んてことかと深く反省せずにおれなかった。
 阿弥陀仏が想像出来ないご苦労で成就なされたお浄土を、改めて聞かせて頂こうと受講した。未信の私こそ聞かせて頂かねばならないお話だった。

 夜に懇親会があり、幾つものテーブルに酒や飲み物、食べ物が出て雰囲気が昼と一転して初めての私たち夫婦はすっかり気を許して、周りの人と話し合っていた。
 そこへ増井悟朗先生も来られて和やかに話しに入られた。私の向かい側に座わられお酒を飲まれながら、私の話を聞いて下さったが、その内厳しい顔をされて「貴方ほど、自分可愛い、自己中心な者はない。我執の塊で、周りの者を都合のいいように利用しているだけや。阿弥陀様にもそうや。そんな心では聞けない。謝ってきなさい、阿弥陀様に謝って来なさい。」
と言われてしまった。

 その通りだ、短い会話の中で私のど根性を見抜かれた。
 懇親会の会場のお仏壇の阿弥陀様の前で念仏を称えながら、これまでのこと、受講前の態度、阿弥陀様の深いみ心、思うほど申し訳なく涙が流れる。
 妻もすぐに横にきて一緒に念仏を称えていた。
 酒と話し合いと渾然としている会場で、私達夫婦は30分ほど念仏を称え続けていた。その間、増井先生は私達の後姿を見守っておられたと後から人より聞いた。



○深まる悩み

 毎日仕事しながらテープ聴聞、拝読して華光会の行事、地元の増井悟朗先生のご縁にも全部参詣するが益々、分からない、信じられない、疑いが深くなっていく。
 仏願の生起本末を何と有難いと素直に泣いて合点納得する心と、それがどうした、ふんという心が見えてくる。

「仏智疑う罪深し    この心おもい知るならば
 くゆる心をむねとして 仏智の不思議をたのむべし」

「弥陀の本願信ずべし  本願信ずる人はみな
 摂取不捨の利益にて  無上覚をばさとるなり」

 このご和讃が頭から離れられなくなる。
 仏智疑う罪深しが喉に刺さった骨のように抜けない。
「本願の心」「六字の心」のご法話テープを何度も聴聞するが、お任せできない心、疑情が頑としてある。


・私の心 --衆生性得の機、悪業煩悩・墜ちてゆく因(黒い心) 治らない
・南無の心--廻向の機 真実心 信ずる心(白い心) もらいもの
・疑い心---自力計度の機 流転の因(暗い心) 捨てもの、無くなる

 浅ましい黒い心が見えてくると、これではなー、こんな奴が本当に救われるのか、もっと真面目に、正直に、真剣にならんと救われないのではと思い、心を責め、「そのまま任せよ、必ず救う」の阿弥陀様の本願力、を疑う心、暗い心が出てくる。

 有難い、勿体無い、早く分かりたい、納得したい、安心したい、楽になりたい、ハッキリしたい、任せたい、どうにかしてくれ、全部あるこれも自力だ。
 何を思っても自力でないか。自力以外ないではないか。
 これでは助からない。自力よどこかへ行ってしまえー、消えろー。



○4月 妻の不思議

 4月の華光会館の「永代経」のご縁に参詣して、妻が帰りの車中で「私、さっき阿弥陀様におあいした。自力の心がもう無くなってしまった。不思議や、不思議や」と言った。「えーそれ本当か、本当か、本当か」驚いてしまった。ご示談の最中にそれは起きたと言って話してくれた。
(内容は華光誌に載りました)
 まさか、こんなに早く、妻が、想像もしなかったことが起きた。
 私は驚きと、疑いが入り混じり、何か思い違いでないだろうか、その内崩れるのではないかとも思った。
 そうか、そうかと聞くだけで、あまり良かったなーと言わなかった。感情的になるまいと押さえた。
 妻も1月、華光会へ行ってから真剣に悩み続け、毎日のように私と信じられぬ心、三つの心について話し合ってきた。
 だから、私はおかしなものを握ったら大変だと警戒する心があった。
 妻は私が素直に認めていないことに気付いているが、こんな不思議が疑いの真っ最中の私に信じられないことも承知していた。

 それから妻は毎日、阿弥陀様のみ心について折りにふれ話してくれた。私の思い違いを言ってくれるが、それが分からず落ち込む。
「そのまま任せよ、必ず助けるが南无阿弥陀仏の心だったよ、それ以外に何を聞こうとするの」と言うが、それがそうならないから困っているのだ。
 前まで「お父さんが信心決定して必ず私を導いてや、絶対よ、約束してね」と何十年もしおらしく言っていたのに、今は逆転してしまい、こうも差が出来てしまった。
「もう言うな、分かってる、俺一人で考える、自分のことだから」と男の意地が、もっと聞かせてくれと言わせない。あー俺は馬鹿だ。



○6月 華光会館「壮年の集い」自力建立の信は続かぬ

 最初の自己紹介で「仏智疑う罪深しのご和讃の心をどうしても知りたくて来ました。宜しくお願いします」と皆さんに頭を下げた。
 何としても今回こそと内心力が入っていた。
 ご法話、ご示談が繰り替えされてすすむが、一向に私の心は変わらない。
 夜のご法話、ご示談が終わって懇親会が始まったが私は3階の部屋に一人残って、六字のご本尊の前で正座して念仏称えながら仏智不思議を疑う罪を深く考えていった。
 本師本仏の阿弥陀仏が六道輪廻して苦しむ私をご覧になられた。
 三世諸仏は何とか救おうとご苦労されたが、余りにも私の罪業が重くて手がつけられない。善のかけらの無い奴には力が及ばない。縁無き者と見放されたが、捨てられて当然の私なのだ。文句があるまい。
 阿弥陀仏はそんな極悪人なら尚更見捨てておけぬと、私を救う仏に成ってみせると、仏の座から降りられて、世自在王仏のお弟子、法蔵比丘になって下さった。
 私の罪業の深さ、自性を見抜き見抜かれて、この私をどうして迷わぬ仏に出来ようか、よし、全部この法蔵が代わりに願も行もやろう、五劫が間も考え抜かれて四十八願を建て、師の世自在王仏にこの願必ず成就してみせますと重ねて誓って下された。

「お前のためなら、火の中、水の中、身を八つ裂きにされようと、たとえ諸々の苦毒の中に投げ込まれようと、苦しくないぞ、だから信じておくれ、任せておくれ、助かっておくれ」と兆載永劫の修行して功徳を積み上げ成就して南无阿弥陀仏の仏に成って下さった。
 それから十劫の間、一時の油断なく、こうもすれば聞いてくれるか、分かってくれるか、受け取ってくれるかと種々の善功方便、調熟の光明のお育てを頂いてきたのだ。今か今かと南无阿弥陀仏のこの大功徳、全財産をさあー受け取れよ、任せよと呼びずくめ、待っておられる。釈迦は娑婆往来八千編、このこと一つを伝えようとご苦労なさっているのだ、私の周りの人々も菩薩なのだ、妻もそうだーーーーーー
 ああ、何という大慈悲心なのか、お念仏と共に涙があふれる、止まらない。
 阿弥陀様済みません、済みません。それなのに、疑うとは申し訳ありません、何という恐ろしい奴でしょうか、済みません。
 懴悔と念仏が出てくる。
 しかし、1時間もたつとこの心が続かなくなってしまった。おい、何時まで泣いているのか、もう芝居はやめておけ、お前なんかどれだけ泣いても俺は知らんぞ。しらーとする奴が段々出てくる。
 本願を、大慈悲心を素直に受け取らない奴がまだいる。
 なぜ聞かぬのだ、なぜはねつけるのだ、お前さえハイと信じてくれたら全て終わるのだ。何時まで逆らうのだ、このままなら又しても昿劫流転だそ、分からんのか。
必死に聞いてくれぬ心を責めるが、全く反応しない。
 始末がつかぬ、真面目にならない。
 阿弥陀様のことが思えぬどころか、ああ腰が痛い、喉が渇いた。下では皆さん愉快にやっているようだな。腹がへったな、まだ何か残っているだろうか。こんなことまで思うようになっていった。

 2時間近くも降りて来ないので、妻が気になって様子を見に上がって来た。
 何とも言えぬ格好をしている私を見て、どうなったのと言ったので「あかん、こいつに、もー勝てん」と腹を叩いた。
 逆謗の屍、闡提の本心は全くピクリとも受け付けなかった。
 今思えば、これがお目当てなのに、あれほど妻に「このままやったよ」と言われても、自分でこの心をどうかしよう、なると思って悩んでいた。
 自分の心の中に説法道場を作り、自分が阿弥陀様のみ心分かったつもりで説法して自分に聞かせて感動する、助けようとする。自力建立の信とはよくぞ言ったものだが、それは続かぬ、崩れる。
 益々、聞かない心と聞かそうとする自力の心、計らい心に悩んでいった。



○途方に暮れてゆく

・おかる同行の嘆きが分かってくる。
「こうにも聞こえにゃ聞かぬがましか、聞かにゃ苦労はすまいと言えどー
       ーーーーどうすりゃ他力になるのじゃろ」
・山口善太郎同行も
「味わいどころか苦しくて  無き疑いの起こり出しーーー
 泣いて甲斐なきことなれど 方角立たずに泣くばかり」よく分かる。


・伊藤康善先生は「安心調べ」に厳しく教えておられた。
「十劫の昔の話を素直に信じられる程、我々はお目出度い人間に出来ていないのだ。そこには、生死の断頭台に生首を突き出す苦しみがある。
 払うても払うても後から現れ、奪えるだけ奪って尚、心の底にこびりつ仏智疑情の薄紙を破らねばならぬ。
 だから、説く者も愛想をつかし、求める者も愛想をつかし求道の精も根も尽き果てて悲叫悶絶のどん底から湧き上がる精神的大飛躍の境地がある。一念は断じておぼろではない。今こそあきらかに知られたりと驚き立つ心である。--この一念の体験がなくては何を言っても駄目なのだ」

・増井悟朗先生も「念仏のお叫び」に言われていた。
「真宗のお救いでは、この自力の心が、最も邪魔になる。とはいえ、真剣に聞法してゆく人には必ずこの自力の心が出てくる。そしてそれが、大問題となってくる」



 K先生と一対一のご縁の時、心境を話しすると「貴方はとんでもない頭の高い人ですね。偉い人だ。阿弥陀様の頭の上に上がっている。増井先生の上に上がって聞いている。そんなことで聞けますか。自分を全く分かっていませんね」とズバリ言われてしまい頭がまっ白くなる。
 自分では意識していないつもりだったが、40年聞いてきた、20年講師をしてきた、1000回近く話しをしてきた、何もかも分かってる、知っている、覚えてるの心が言葉の端に現れ、高い頭で聞いているのが分かる人には分かるのだ。
 言われると辛い、逃げ出したくなる。K先生は妻の獲信の時の座談をして下さった方であり、K先生自身がその苦しみを通って来られた方だから、私を見て問題点を指摘されるのだ。
 毎月、妻あてに(私に)我々は邪険、驕慢の者であり、罪悪深重の者である。自分の値打ちを知りなさい、知らねばお慈悲は届かない、心の頭を下げて聞かせて頂きなさいと、ご自身の懴悔を書きながら繰り返し、繰り返し葉書、手紙で教えて下さった。



 8月の鯖江市のお寺の増井悟朗先生のご法話、9月の福井市のOさん宅のM先生のご法話にも参詣するが、依然としてこの心はハッキリせず、座談の席で皆さんの前もはばからず泣いてしまった。
 血で血は洗えぬと言われたが、疑い心で、疑いはなくならないが、疑わずにおれない、任せれられぬ、飛び込めぬ心に困り果ててきた。どうししようもないのだ。

「富士の白雪 朝日でとける
 凡夫の疑い 思案じゃとけぬ
 晴れたお慈悲を聞きゃ、晴れる」

 時々、この歌を思い出す。聞くしかない。

 外にご法話の無い日曜は、家で増井先生のご法話テープを聴聞するが、聞きたい内容が妻と違うので2台のラジカセでお互いに離れてヘッドホンで聞いた。
 妻はハイ、ハイ、そうです、その通りと言って泣きながら念仏称えて聞いている。
 私は黙りこくって目を閉じ、うつむいて聞いている。
 華光会に出会った時は、砂漠でオアシスを発見したような、闇夜に太陽の喜びだったが、今は夕日が沈み沈みの心境になって、途方に暮れてしまった。1月から10ケ月、300日毎日のように聴聞、拝読を続けているが、全く六字の心を受け付けない。はねつける。こうまでもしぶといとは思わなかった。
 邪見、驕慢の悪衆生とは俺のことだ。自分ながら愛想が尽きる。
 ばかやろーと頬を殴ったりしてもちっとも変わらない。何という奴だ。



○10月 この世の一大事が起きた

 10月の中頃、会社で仕事中に急に腰から下が痛み出した。
 最初はしびれ、鈍痛だったが、段々ひどくなってきて激痛に変わり不安になる。
 今の仕事で腰が悪く動けなければクビだ。
 何とか治さないと生活が出来なくなる。家のローンもまだ残っている。
 年頃の娘二人もまだ未婚だ。どうしても働かねばならないのだ。
 どうしよう。しかし痛くて、ゆっくりとしか歩けない。
 50メートル歩くと立ち止まってしまう身体になってしまった。
 家の玄関の5段の階段さえ自分の足で登れず、横の柱にすがってやっと入った。 布団の中でも痛くて足が伸ばせず猫のように膝を抱えて横になる。痛くて夜も眠れない。
 原因は早朝から仕事して、帰ってまたアルバイトした無理かと思うと自分の体力を甘く見たことが悔やまれてならない。

 仕事を2日間休んで整骨院へ行くと、坐骨神経痛ですね、治りますよと言ってくれたのが何よりの救いだった。そうか治るのか。
 朝起きるが、すぐに起きられず、柱にすがって立ち上がり、壁にすがって家の中を歩き、どうにか身体を車に乗せて会社に出かけ、毎日痛い足腰をかばいながら、そのうち治る、良くなる、と信じて仕事を続けていた。上司、同僚には痛みを余り気付かれないようにするのも辛かった。
 家に帰ればクタクタで横になるだけで、テープを聞く気も、拝読する元気もない。情けない心だ。
 しかし毎日のように仕事帰りに通院治療しているのに1ヶ月たっても全く良くならない。心配になり、大きな整形病院で精密検査を受けると、予想以上に悪く「このままでは、そのうち歩けなくなりますよ。」医師の言葉に目の前が真っ暗になった。
 手術の方が良いということになり覚悟した。
 しかし、血液検査の結果、糖尿病の数値が悪く、麻酔が効かないので糖尿病を治さないと手術は出来ないと言われてしまった。最悪だ。そう簡単に治る病気でないことは私自身知っている。
 それまで、この痛み我慢しろというのか、自分のせいなのに腹が立ってくる。馬鹿な私だ。

 1月4日入院、糖尿病治療で血糖値を抑え、上手くいけば2月4日手術、退院は2月末と言われた。
 鎮痛剤、貼り薬で痛みを誤魔化しながら会社へ行き、入院を待つ身になった。
 テープ聴聞もおろそかにしている自分、正座が出来ないのを理由にお勤めもさぼって念仏で済ませている自分。
 身体とお金と仕事と信用ばかり心配している本心しか見えてこない。
 この世の一大事の前には、後生も阿弥陀様のご恩も疑いさえも忘れて、病気の回復を真剣に願う心しかない。
 生きるため、心配なく生きることが一番大事なのだ本心は。主人は。
 殊勝そうに聞いていたのは番頭で、本心は何も聞いていないのだ。
 死ぬとも、悪人とも思っていないのだ本当は。
 あれほど疑い心に悩んでいたのに、1ケ月の痛み苦しみが続くと、今はそれどころでない、どうでもよくなっている。
 おい、このまま死んでいいのか、後生が心配ならないのか、Sさんのことを思い出せ、誓ったでないか求め切りますと。何とか叩こうとするが、
 全く返事しない、やはり屍だ。情けない。
 これが私の実態なのだ。身体も心も辛い日々が続いた。



○11月の「華光大会」私一人の為だった

 11月末の2泊3日の華光大会が迫ってきた。
 さーどうしようか。身体のことが心配になってきた。
 正座は勿論できない、階段も怖い。もそもそしている姿を皆さんに見られたくない。
 3日間も集団生活する自信がない、本気で行きたくない、と思った。
 大分気持ちが弱くなっている私を見て、妻が会社へメールを何度も送ってくれた。
「そうしている内に後生が容赦なく突然やってくるんです。一息一息後生に運ばれているじゃないですか。これ以上長綱はいている時間がお父さんにありますか。そんな余裕が本当にあるんですか。」
 私は返信した。「あー腰が痛い。くそーと思うばかり。昼寝したい。今はそれだけ、煩悩具足だ」すると又妻から「そんな煩悩具足のお父さんが可愛そうと阿弥陀様は泣いておられんですよ。そのまま、まかせるだけ」と来た。私は「分かるけど、そうならんー」と返信した。

 どうしても参加させるつもりだ。少しは同情しろ、菩薩じゃない、鬼に見えてくる。このままでは駄目だ。
 私は増井先生に今の身体の具合、弱い聞法心、浅ましい根性の洗いざらい、妻の言葉まで書いて、宜しくお願いしますと手紙を送った。
 こうしなければ当日に行かんと言い出す心しかないことが分かったからだ。もう後戻り出来ない。
 京都へ行く車中、ご法話テープを聞いて心の切り替えをした。



 1日のご法話、座談では、心を閉ざして聞いているだけの状態だった。絶えず身体のことが気になる。
 夜の懇親会には身体がしんどくて参加せず、待っていたように布団にもぐりこんだ。
 今日聞いた話、座談、ご示談で言われたことを思い出してみる。
 思えば一日中、にこりともしていない自分であったと気付く。
 明るく挨拶する余裕が無くなっている。



 2日目も先生方が真剣に話され、ご示談も熱が入って、言うほうも、聞く方も真剣だった。
 素直に聞けない心があると私は発言して、この心が辛いと言った。
 今日も私の心は変わらなかった。
 懇親会は参加せず、今日のことを振り返っていた。



 3日目、午前中は華光会の会計報告があった。
 私は3日目で疲れが出たので参加せず、別の部屋で横になってスピーカーから聞こえてくる会計報告を聞いていた。
 3枚の収支報告書には1円まで収支が書き込まれ驚いた。すべてガラス張りで不審が出ないようになっていた。
 あーこんな苦労の歴史を刻んで今日の華光会があるのか。
 不思議だなー。高森先生と40年のご縁がありながら、その高森先生の聞法の古里へ私が来ているとは。
 Gさん、Sさんのあの泣かれた姿を見なかったら、母の勧めがなかったら、父があの本を残してくらなかったら、インターネットで華光会のホームページを見なかったら、増井先生がお元気で電話に出て下さらなかったら、華光会の先生が根機よく教えて下さり、妻が今度も絶対行くよと強く言ってくれなかったら私は今、ここに居ないのだ。
 あらゆる因縁がそろって私はこのご法に遇わせて頂いている。
 そう思うと涙が頬を伝って流れる。
 これらの因縁は遠く法蔵菩薩の願心からではないか。
 十劫以来、今も呼びずくめの阿弥陀様の仏心の働きではないか。
 それを、分からん、分からん、だけどーと俺は言いつづけている。
 助かる縁がないのか。また涙が流れる。

 昼からは、増井悟朗先生のご法話が最後だった。
 入院すればこれでもう3月まで会えない、聞けないのだ。
 ところが、増井先生は私も高齢ですから、何時どうなるか分かりませんと言われる。
 私は何と愚か者か。また聞けるつもりでいる。
 私はあぐらをかいて座っているのさえ自信が無くなり、道場の一番後ろの隅の誰 からも見えない処に膝を抱えるように座っていた。
 増井先生に手紙を出しながら、この3日間一度も先生の座談の部屋へ行かず他の、部屋に参加していた。
 逃げていたのだ、心が。

 増井先生のご法話は南無阿弥陀仏の六字の心を、隅っこに隠れる様に座っている私目掛けて話しされているように感じはじめた。50畳位だから丸見えだ。
「凡夫の知恵で阿弥陀仏の心を知ろう、掴もうとするのは丁度、ストローの穴から大空を覗いて見ているのと同じだ」と言われた時、ズキーンとして不思議な心になり、阿弥陀様の愚かな私へのご説法だと聞こえてきた。
 40年間、聞いてきてこんな思いは初めてだった。

 あー俺は馬鹿だった、分かりたい、納得したい、そしたら救われるだろうとは、何と我が身知らずか。自力丸出しだ。
 分かるほど小さな仏智ではないのだ、堕ちることさえ分からぬ俺が、それを自惚れてーーー。聞いたのも、覚えたのも、知ったのも、泣いたのも、称えたのも、信じたのも、何の力にならぬ、すがるものは何もない全部ない。もー駄目だ、俺は助かるものではない、阿弥陀さまー私はもうどうにもならぬものですーとなった。

 その時「まかせよーそのまま救うぞー」呼び声が届いた。あっという間だった。これまで絶対下がらん心の頭が下がって、分かりましたーお任せいたしますー、南无阿弥陀仏となってしまった。
 南無の心に貫かれ聞即信となった。
 南無の心は、早く来い、われをたのめー、まかせよー、助けさせてくれーの叫びだ、呼び声だ。無条件降伏させられ、自力の心が殺された。
 阿弥陀仏は助けるぞー、捨てはせぬぞー、罪業はどれほど重くとも心配するなー、そのまま引き受けたぞー。必ず我が浄土に生まれさせて仏にしてみせるぞーの大慈悲心だった。
 それが一つになった南无阿弥陀仏のお力の大きさが、尊さが口からあふれ出る。南无阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ーー

 救われた私より、阿弥陀様の方が、よく聞いてくれたと喜んで下さるのだ。何という不思議か。こんな私が南无阿弥陀仏の主とは。ああ。

 親鸞聖人が「噫、弘誓の強縁は多生にも値い難く、真実の浄信は億劫にも獲難し、遇行信を獲ば遠く宿縁を慶べ」そのお心が沁みてくる。
 絶対助からぬ者を絶対助けるの本願であった、永い間疑い続け、逃げ続け、謗り続けてきたのに、必ず聞かせてみせる、と六道どこにいようとも何時も離れず護り、育て下さった大慈悲であった、申し訳ないことをしておりましたー。何と勿体無いことか。

 おかる同行が「そのまま来いの勅命に、いかなるおかるも頭が下がる」
 浅原才一同行が「わたしゃあなたにたのまれて、助かってくれよとたのまれて、ご恩うれしや南无阿弥陀仏」と言った心がこのことだったかと分かった。

「たのませて たのませたまう弥陀なれば
 たのむ心も われとおこさじ」

 全く、他力廻向の信心でありました。
 私からは信じる心など持ち合わせておりませんでした。
「ただもいらんただ」「ご注文なし、おかまいなし、無条件」でした。


(十八願)
どんな悪人も--十方衆生(五逆、誹謗)--そのまま
本願を信じ --至心信楽欲生我国  ---弥陀におまかせして
念仏申せば --乃至十念      ---称えれば
仏に必ず成るーー若不生者不取正覚  ---助かる(現当二益)

 これが、今の私の本願、南無阿弥陀仏の頂き心です。
 何の不足もありません。これ一つが火宅無常の世の真実です。
 祖母がこれ一つは残る、一緒や、と言った意味がやっとハッキリしました。
 ばあちゃん、有難う、分かったよ。

 帰りの車中で今度は私が、ご法話中の不思議を妻に話した。
 妻は泣いて喜んでくれた。
 妻は3日間中、どうか、どうかと阿弥陀仏に念じ続けていたことを話してくれた。そうとも知らず、申し訳がなかった。有難う、お前のお陰で六字の主に成らせて頂けた。
 阿弥陀様は総がかりで私一人を助けんとなさっておられのだ。

 実家の母に伝えに行った。突然行ったので驚いたが「阿弥陀様に遇えたよ、助かったよ」と言ったが、後は言葉にならなかった。
 母は泣いて手を握って「良かったなー、そうか、良かったなー」と言ってくれた。
 40年間この日を待っていたと言ってくれた時、また泣かずにおれなかった。
 母には私達が華光会へ行くようになって、ご法話テープ、書籍など50点以上送っていた。
 電話で毎日喜んで聞いている、読んでいる。真の先生に遇えて良かったなー。しっかり聞かせてもらえや、と何度も励ましてくれた。
 増井先生は善知識だから今度こそ聞きぬけ、後生の一大事、自力、他力の廃立を説かれているから聞けば必ず救われるとも言った。私の獲信を聞いて慶び、大恩ある増井先生に法名をお願いしたいと言ったので書いて頂き、見せると大変喜んだ。
 母はそれから半年後に「先に往くぞ」とお浄土へ往きました。
 大変寂しいけれど、悲しくはありません。今ごろお浄土にじっとしていないでしょう。南无阿弥陀仏をお伝えに出かけているでしょう。

「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし」

 親鸞聖人が阿弥陀如来と善知識、お釈迦様、七高僧方のご恩を慶ばれ感泣なされたみ心が知らされてきます。
 私も阿弥陀様、そして増井先生にどれほどご心配をおかけしたのか。そのご恩が知らされ、この喜びと導いて下されたお礼を心から書かせて頂いた。

 私はこれからも聞かせて頂きます。我が身の値打ち、阿弥陀様のご恩の深さをもっともっと聞かせて頂ききます。ご恩をすぐ忘れる私ですから聞かせて頂きます。
 そして今も呼びずくめの六字の心をお伝えしてゆきます。坐骨神経痛はその後、どういう訳か痛みが引いていき、入院手術の必要も無くなり、今では普通の身体に戻りました。これも有難いです。

「われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀 連れて帰るの 親の呼び声」
(読み人知らず)

南无阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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