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質疑応答30

【質問】


お返事ありがとうございました。
田中氏は2007 12/22(土) 12:50のやりとりで

"「信楽」が「生まれる」のは、「若不生者の誓」の「至心信楽欲生我国」の部分に当たります。「若不生者不取正覚」に当たるのは、「浄土に生まれる」です"

と述べていますから

若不生者不取正覚=体失往生

という領解です。


ところが親鸞聖人は「若不生者不取正覚」の御説明の段で

この本願のやうは『唯信抄』によくよくみえたり。
「唯信」と申すは、すなはちこの真実信楽をひとすぢにとるこころを申すなり。

とおっしゃっておられます。ここに不体失往生は含まれていますか、いませんか?

「若不生者不取正覚」に対する親鸞聖人の御説明に不体失往生の意も含まれている、というなら田中説とは異なります。

なお、字面の単純な対応で「若不生者」の「生」は「浄土にうまれること」ではないか、ということについてはその通りだと思います。



【回答】


●「若不生者不取正覚」といふは、「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。
このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。
この本願のやうは『唯信抄』によくよくみえたり。
「唯信」と申すは、すなはちこの真実信楽をひとすぢにとるこころを申すなり。


 この御文の前半で、「信楽」をえた人は、必ず極楽浄土に生まれられることが教えられています。
 そして、次に、唯信抄には、「信楽」を取ることが勧められています。

 なぜ、「信楽」を取ることが勧められているのかと申しますと、「信楽」をえた人は、必ず極楽浄土に生まれることができるからです。言うまでもありませんが、仏教の目的は、極楽浄土に生まれることです。

 つまり、この御文は、「若不生者」を「極楽浄土に生まれる」と解釈しなければ成り立たなくなります。

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