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質疑応答179

【質問】


「親鸞会被害家族の会掲示板」で高森会長が御法礼の額は設定した事がないという趣旨の発言があったとありました。清森さんは、この高森会長の発言をどう思われますか?
 私が会員だった時は、支部ごとに目標額があり、個人的には御法礼の目標額に足りない人は特別申請という制度を利用しなければならないと当時の担当講師の方に教えて頂きました。
 清森さんは高森会長への御法礼に関してどういう考えをお持ちですか?
 また、高森会長からはどんな指導があったのでしょうか?
 よろしければ、清森問答で高森会長への御法礼に関して、取り上げてもらえないでしょうか?
 お忙しいとは思いますがよろしくお願いします。



【回答】


 御法礼の額を設定したことがない、との発言があったとのことですが、それについては私は参加していないので、真偽のほどは分かりません。
 しかし現実として、普段の御法話であれば5000円、行事であれば3万円くらいの御法礼が設定されていたのは事実です。減免の申請も、何回も出したことがあります。

 貴方は支部ごとに目標があったと記憶しておられるようですが、御法礼は全支部で一律です。おそらく御報謝の目標のことを言われているのだと思います。
 以前の本部制度のときは、御報謝に非常に高い目標があり、その達成は大変でした。何回も会員さんのお宅へ行き、会合を開いて、御報謝を出されるように訴えました。

 御法礼にしても御報謝にしても本人の気持ちであって、目標があったり、減免申請をしなければならない、というものではありません。

 親鸞会では、言っていることと、やっていることが違うことが多すぎます。
 最初から「御法礼、御報謝は、善知識が決めるものだ」と説いているなら、まだ理解できますが、説法では「御法礼、御報謝は自主的なものだ」と説いているのですから、言行不一致もいいところです。

 なぜ、御法礼の額が決まっていたり、御報謝に目標があるのでしょうか?
 それは、その方が沢山集まるからです。自由にしたら3000円の御法礼しか出さない気持ちの人が、5000円と決まっているから、5000円出される。だとしたら、2000円分は「仕方なく」出されたということです。
 仏教では、「仕方なく」やった善は、悪になります。出せば、出すほど悪いです。

 このように書くと、親鸞会の人は「そんなことはない。みんな喜んで出されている」と言うでしょう。しかし、本当に皆さんが喜んで出されるなら、目標なんて必要ないのです。目標なとどいうものが存在すること自体、喜んで出されていない証拠なのです。

 また、親鸞会に対する「財施」を、信心決定と結びつけて教えられることも問題だと思います。親鸞聖人は、「信心決定のために、財施に励め」などとは、どこにも教えられていません。親鸞会のやり方では、信心がお金で買えるかのように誤解させると思いますし、本心ではそのように思っている会員さんが多いのではないかと心配になります。
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