スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

質疑応答181

【質問】


 親鸞会では、善の出来ない自己が知らされるために、善に励まなければならないと勧められます。この考えは間違いでしょうか?



【回答】


 間違いです。

 まず第一に、善が出来ないことが知らされるために、善をせよなどという教えは、経典にも聖教にも、まったく見たことがありません。今まで誰も説かれたことのない、珍しき教えです。

 また、仮に、百歩譲ってその理論が正しいとしても、親鸞会には当てはまりません。

 浄土真宗で、「私達に善が出来ない」と言われるのは、正確には「私達には無漏善は出来ない」という意味です。
 仏教には有漏善と無漏善があり、私たちがやっている善は有漏善です。これは煩悩の混じった善ということで、この有漏善では仏になることは出来ません。だから、私たちは自力で仏になることは出来ないと言われるのです。

 親鸞会の理論で言えば、無漏善が出来ないことが知らされるためには、無漏善を勧めなければなりません。そうだとすれば、目標を与えたり、講師部賞や真実開顕賞などを設けて意欲をかき立てるなどというのは論外です。

 有漏善を勧めながら、無漏善が出来ない自分が知らされると言っているのですから、論理が破綻しています。まして、そうやって(親鸞会でいう)善ができないことが知らされたのが、機の深信だと思っているならお粗末というより他はありません。

 機の深信とは、阿弥陀仏の光明に照らされて、知らされた自己の姿です。最近は、比叡山の修行によって機の深信が知らされると説いていると聞きましたが、事実だとすれば本当に驚きです。

 いずれにしましても、「善ができないことが知らされるために、善をせよ」などと教えられた善知識がいるとは、聞いたことがありませんので、悪知識の教えだと思います。
スポンサーサイト

COMMENTS

No title

親鸞会では真実開顕賞や恩徳報謝賞など、活動において一定の結果を出した人
に賞を与えていますが、賞をもらった人は「自分はこれだけ善が出来ている」とい
う驕慢の心を起こすだけではないでしょうか。

親鸞会が言っている「善が出来ない自分だと知らされるために善をする」ということ
で言っても、このような賞を与えることは会員さんにとって障害にしかならないと思
います。

結局、高森会長は会員さんの目の前に賞をぶら下げて煩悩をかきたて、自分の下
にたくさんの人とお金を集めさせて威張りたいだけなんですよね。

No title

比叡山の修行によって機の深信が知らされるとと聞いたことはありませんが、比叡山の修行によって善ができない自分が知らされ、逆謗と誓われた本願に相応したと聞きました。(利他の信楽・・のお言葉)
こんな話ではサッカーで例えれば、一発退場=レッドカードですね。

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。