スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

投稿(質疑応答32)

質問ではありませんが、掲載の希望がありましたので紹介させて頂きます。

         *          *          *

前回までの質疑応答で

「若不生者不取正覚のこころ」=「至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは
仏に成らじと誓ひたまへる御のり」

であるということについて理解の一致をみました。
そこで田中氏の

この若不生者の『生』を、この世で生まれると解釈している学説を
聞いたことがございません。どのような根拠に基づいて、
このような解釈をされたのか、お示し頂きたく思います。

という質問に対する自分の理解を述べて
この一連の質疑応答を終わりにさせていただきたいと思います。

アニメでのやりとりは

『お経のどこに、この世で救われるという根拠がありましょうか?』
『もちろんございます。阿弥陀如来の本願に、若不生者不取正覚とあります。
必ず生まれさせると誓っておられるではありませんか!』

ですから

至心信楽欲生我国=不体失往生
若不生者不取正覚=体失往生

と公式的に解釈するとこれは全くのナンセンスです。
「(株)チューリップ企画 サービス課 山田」さんは
明確に認識はしていないものの
田中氏がそのような非難をしているのだろうという雰囲気を感じて
大量のメールを送りつけているのでしょう。
(質問の答えになっていない頓珍漢なことばかり書きなぐっているので
時間の無駄ですから自分は途中で読むのを止めました。)


ところがいま理解の一致をみたように

「若不生者不取正覚のこころ」=「至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは
仏に成らじと誓ひたまへる御のり」

ですので

『阿弥陀如来の本願に、若不生者不取正覚とあります。』

という答えは必ずしも間違いとは言えません。


しかしながら、「口伝抄」での法然上人の御裁定は

念仏往生には臨終の善悪を沙汰せず、至心信楽の帰命の一心、他力より定まる
とき、即得往生住不退転の道理を、善知識にあうて聞持する平生のきざみに治
定するあひだ、この穢体亡失せずといへども、業事成弁すれば体失せずして往
生すといはるるか。

ですので、ここでは

『阿弥陀如来の本願に、若不生者不取正覚とあります。』

ではなくて

『阿弥陀如来の本願に、至心信楽とあります。』

とする方がお聖教に沿った最も適切な答えである、という理解に基づいて
アニメでのセリフを

『阿弥陀如来の本願に、若不生者不取正覚とあります。
必ず生まれさせると誓っておられるではありませんか!』

としたことにより生じた1つの弊害として
親鸞聖人の教えを誤解してしまう表現があることを
先の質問で田中氏が御指摘しておられるのであれば
全くその通りであり、けだし慧眼であったと思います。


以上です。


スポンサーサイト

COMMENTS

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。