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質疑応答183

【質問】


清森さま



初めてメールを差し上げます。

ブログ「静かな劇場」について質問させて頂きます。



このブログの著者は、脱会した講師への攻撃的な記事が多くの非難を浴びた結果、

それまでのエントリを削除し、その後一貫して「因果の道理」について解説しています。



ネット上の教義批判などには一切答えずに「因果の道理」のみ説いているところを見ると、

この教義に余程の自信があり、自分の土俵で相撲をしようという意図が感じられます。



そこで質問です。



①.この著者が説いている因果の道理の解説(9月29日~10月17日記事)は、

お聖教に即してどこまで正しく何が間違っているとお考えになりますか?



②.お経によると、「善因善果 悪因悪果 自因自果」ではなく、

正確には「善因楽果 悪因苦果 自因自果」である、とどこかで書かれていたのですが、

この二つは何が違うのでしょうか。善ができなければ、「悪い結果」であろうが、「苦しい結果」であろうが、

「後生の一大事」(死んだら地獄)に変わりはないように思うのですが。



③.「静かな劇場」において、因果の道理から廃悪修善、後生の一大事へと説いていく理屈は

一方で人間の死後の不安や罪悪感を過度に煽っているように思えるのですが、

他方で「無間地獄に堕在すべきものなり」・「地獄一定すみかぞかし」といったお聖教の言葉があるため

完全に否定できないようにも思えます。

このブログの因果の道理の理解が間違っているとすれば、親鸞聖人・蓮如聖人は何を根拠に後生を一大事と

考えたのでしょうか。


以上、よろしくお願い致します。



【回答】


 すべてに回答すると長くなりますので、1つずつ回答させて頂きます。

①.この著者が説いている因果の道理の解説(9月29日~10月17日記事)は、お聖教に即してどこまで正しく何が間違っているとお考えになりますか?


 まず、「お聖教」につきましては、浄土真宗のお聖教には、因果の道理の説明が殆どありません。
 この理由は分かりませんが、「浄土を求める」ということは、その前提に、因果の道理を信じるということがあるからだと思います。

 つまり、因果の道理を信じていない人は、他宗教でいうパラダイスを求めたり、あるいは金や地位や名誉を求めることで幸せになれると信じていたりするわけで、「浄らかに世界に生まれたい」という心は起きてきません。
 もちろん、浄土真宗を名乗る人でも、浄土へ行って、たらふく食べて、昼寝して、欲のままに生活したい、と思っている人もあるでしょう。しかし、その人が向かっている「浄土」は、親鸞聖人が教えられた浄土とは違う世界であることを知るべきです。

 そういうわけで、仏教で教えるところの浄土を求めている人は、その前提として、因果の道理を理解し、信じているはずです。

 では、何によって因果の道理を学ぶことになるかと言いますと、仏教の経・論・釈のすべてということになります。しかし、経典の中には、外道の教えを書かれたものを、権力者にお金を積むことによって経典と認定させたものなど、いわゆる偽経も少なくないため、経典に書いてあるからといって、それが必ずしも仏意だとは言えません。

 そこで、基本的に天親菩薩が大成された唯識学の考え方から、お答えしていきたいと思います。

 具体的な内容については、次回から書かせて頂きます。

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