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質疑応答184

【質問】


①.この著者(ブログ「静かな劇場」)が説いている因果の道理の解説(9月29日~10月17日記事)は、

お聖教に即してどこまで正しく何が間違っているとお考えになりますか?



【回答】


 まず気になるのは、例えば、『暴走するトラックと衝突して夫が即死』というような偶発的な出来事も、自因自果だと主張している点です。因果の道理が分かっていたら、このような仏教の教えに反したことを書けるはずがありません。


 まず、仏教では、(いわゆる)運命を生み出す仕組みを、以下のように教えられています。
 

1、種子生現行
2、現行薫種子
3、種子生種子

 種子(しゅうじ)とは、親鸞会で言うところの「業力」に当たります。この種子が縁に触れると、現行(げんぎょう)を生み出します。
 現行とは、親鸞会の人に分かりやすく言えば「三業」に当たります(厳密には少し違いますが)。

 いわゆる因縁果の道理というのは、この種子と縁が結びついて現行を生み出すことを言います。現行の中には、怒ったり悲しんだりという感情や、行為も入ります。

 2番目の「現行薫種子」とは、現行が新たな種子を生み出し、それが阿頼耶識に収まることをいいます。仏教ではこれを「薫習」と言います。
 3番目の「種子生種子」とは、縁に触れなかった種子は、現行を生み出さず、同様の種子を生み出すということです。この辺りは、分かられなくても結構です。

 分かりやすく説明すると、パチンコをする人は、パチンコをするという行為によって、「パチンコをする」という種子が阿頼耶識に収まります。
 パチンコをするという種子が収まっている人が、パチンコ店という縁に触れると、「パチンコをやりたい」という心を起こしたり、「パチンコをする」という行為になって現れます。
 この行為がさらに「パチンコをする」という種子を生み出すので、どんどん悪循環にはまっていきます。

 パチンコをするという種子を持っていない人は、目の前にパチンコ店があっても、入ろうとは思いません。このような結果の違いを生み出す原因は、自分にあるというのが「自因自果」です。
 パチンコを繰り返したことによって、破産したということがあれば、それも広い意味では自因自果と言ってよいと思います。

 では、「暴走するトラックに衝突された」という結果が、自因自果だと言えるでしょうか?
 その人が、暴走するトラックを見つけると、突っ込まずにおれなくなるという奇特な習性があるというのであれば、自因自果と言えるでしょう。しかし、偶発的な出来事に関しては、自因自果とは言いません。

 仏教では、暴走するトラックに衝突された後、そのトラックの運転手を恨んだり、呪ったりして苦しむことがあれば、その苦しみは自因自果だと教えます。
 もし、お釈迦様のような方が、トラックに衝突されたとしても、怒りとか、憎しみとか、恨みの「種子」を持っていないので、苦しみは起きません。たとえ死んだとしても、肉体に執着するという「種子」が無ければ、苦しみは起きないのです。

 つまり、トラックに衝突されたという現象は「縁」であって、それと私たちの持つ怒りや憎しみの「種子」が、因縁和合して、怒りや憎しみの感情となり、苦しみとなるのです。

 このように、「種子」が影響を与えるのは、私の三業に対してのみであって、それ以外の物理現象などに影響を与えるものではありません。親鸞会では、宝くじが当たったのも自因自果と教えますが、当然ながら宝くじの結果を左右する力はありませんので、間違いです。

 また、墜落する飛行機の乗ってしまったのも、「業力によって引き寄せられた」と教えますが、業力に、未来どの飛行機が墜ちるか予測する力などありませんので、これも間違いです。飛行機が墜ちて、怪我をして(あるいは死んで)、それを苦しみと感じるか、感じないかは「自因自果」になります。

 物理現象には、物理現象の因果関係があります。私たちの運命には、運命に関する因果関係があります。親鸞会では、それをゴッチャにしています。
 それで、「運命に関する原因から、物理現象という結果が生じる」という、間違った教えが生まれたのだと思います。


 なお、「静かな劇場」管理人が、参照するようにと紹介していたウィキペディアには、以下のように書いてありました。


> 「因果の道理」とは、事故や事件、病気災難などの物質的出来事の発生を予言するようなものではない。 人間の幸福という問題に焦点をおき、その「幸福」自体にたいする切実な、回答の見つからない問いに対する、 覚りからでた「答え」なのである。
>
> また、この「因果」の思想を直観的にイメージし易くするため、地獄極楽的な教誨方法も存在する。しかしまた これに囚われて、地獄への恐怖を抱える生活を作り出しては本末転倒となるのである。あくまで「因果」とは 「恐れ」や「害意」の思いを無くし、「慈しみ」「感謝」の思いを勧めていこうとする思想なのである。


 このように、正しく説明している文章を読んでいるはずなのに、なぜ間違った教えをブログに載せているのでしょうか。
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