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質疑応答189

【質問】


③.「静かな劇場」において、因果の道理から廃悪修善、後生の一大事へと説いていく理屈は

一方で人間の死後の不安や罪悪感を過度に煽っているように思えるのですが、

他方で「無間地獄に堕在すべきものなり」・「地獄一定すみかぞかし」といったお聖教の言葉があるため

完全に否定できないようにも思えます。

このブログの因果の道理の理解が間違っているとすれば、親鸞聖人・蓮如聖人は何を根拠に後生を一大事と

考えたのでしょうか。



【回答】


 仏教において、死後の不安や、罪悪感を煽るような説き方をするのは、間違いです。
 お聖教を探せば、僅かではありますが、そのように取れる部分も無いとはいえませんが、その部分だけを殊更に強調して、不安を煽るようなやり方は、カルト宗教の手法です。

 このブログでも、他の人のブログでも、何回も論じていることですが、仏教は「一切衆生必堕無間だ」という教えではありません。下記にリンクしておきますので、読まれた上で疑問があれば、再度お尋ねください。


清森問答(一切衆生必堕無間なのか)

親鸞会教義の誤り(必堕無間)


 親鸞聖人の「地獄一定すみかぞかし」のお言葉が、なぜ「死んだら地獄」の根拠になるのかも、理解に苦しみます。

 「一定」ということは、過去世も、現在世も、未来世も、変わらず地獄にいるということです。現在世が地獄ですから、人間界も地獄に含めて仰っています。この場合の「地獄」とは「六道」と同じ意味で、六道は苦しみの世界なので、仏教では地獄と表現されることもあります。

 つまり、現在世と同じように、未来世も地獄だということなので、死んで初めて地獄へ堕ちるという意味にはなりません。


 「機の深信」のお言葉についても、同様のことが言えます。親鸞会では、「機の深信」を「無間地獄へ堕ちるに間違いなし」と説明します。しかし、親鸞聖人の仰った機の深信のお言葉は、

●自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと深信す。(愚禿鈔)

 というように、過去世から、未来世にわたって、常に苦しみの世界を流転輪廻している自分だと仰っています。死んでから地獄へ堕ちるとは仰っていませんし、まして無間地獄とは仰っていません。


 このようなお言葉を都合の良いように改変して、堕地獄の不安を煽るように悪用するということは、仏教では決してあってはならないことです。
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