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質疑応答190

【質問】


③.「静かな劇場」において、因果の道理から廃悪修善、後生の一大事へと説いていく理屈は

一方で人間の死後の不安や罪悪感を過度に煽っているように思えるのですが、

他方で「無間地獄に堕在すべきものなり」・「地獄一定すみかぞかし」といったお聖教の言葉があるため

完全に否定できないようにも思えます。

このブログの因果の道理の理解が間違っているとすれば、親鸞聖人・蓮如聖人は何を根拠に後生を一大事と

考えたのでしょうか。



【回答】

(続きです)

 親鸞会の因果の道理の理解は、仏教から見ると、悲惨なほど間違っているのですが、なぜこのような誤解が起きたのか、考えてみたいと思います。

 まず、話を理解するために、業思想について説明いたします。

 業思想とは、古代インドの思想で、お釈迦様の生まれられる前からある考え方です。お釈迦様が仏教を説かれた時代、業思想はインドでは広く信じられていました。
 そのため、お釈迦様も業思想の言葉を用いて説かれているところが多く見受けられます。

 しかし、業思想そのものは仏教の教えに合わないため、仏教では、業思想に、かなりの修正を加えられています。ですから、仏教は業思想であって、業思想では無いのです。

 ところが、お釈迦様の死後、古来からある業思想の教えが、仏教の経典として書き残されるようになってきました。いわゆる偽経といわれるものです。
 一例をあげれば、親鸞会ではよく使われる「本生譚(ほんしょうたん)」という経典は、お釈迦様以前の古代インドの物語を、主人公をお釈迦様にして書き換えたものです。当然、典型的な業思想を教えた話になっているのですが、親鸞会では、これを仏教の教えだと勘違いして教えています。

 他にも、経典の中には、古来の業思想の影響を受けていると思われるものが散見されます。有名な「善悪因果経」と言われる経典もその一つですが、一般に偽経と言われています。


 これまで指摘してきたような、親鸞会の誤った理解の多くは、古代インドの業思想の考え方から来ていると考えられます。同じような誤解をしている人は、少なくありませんので、決して親鸞会だけの責任とは言えないと思います。

 しかし、仏教の専門家として布教するのであれば、ある程度、基本的なことは正しく理解してから、法を説いて頂きたいと思わずにおれません。

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