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投稿:N田講師の間違いについて

 以下、投稿させて頂きます。
 親鸞会弘宣部のN田講師が、以下のようなことをブログに書いていました。

静かな劇場
http://blog.goo.ne.jp/345shigure/e/a5699a55af60ed9c2d26e1da3fd1fbd5

> また、地震などの災害に巻き込まれて大怪我した場合、それも本人の業力のしからしむところと言われますが、なぜ業力というものは、未来に起きる地震の場所をまるで予測したかのように自分をそこへ引きずり出せるのか?悪因悪果といっても、少しも科学的、合理的な説明になってないではないかと感ずるのでしょう。


 地震や災害に巻き込まれて大怪我したのも、その人の業力のせいだと説明し、それを科学的、合理的に説明してみせると意気込んていました。これに対し、どんな説明ができるのかと楽しみに見ていましたが、結局愚にも付かない屁理屈を述べるばかりで、予想通りの結果でした。
 ただ、科学的知識の浅い人が読むと、騙される人も出てくるのではないかと心配なので、科学的見地からN田講師の主張を検証したいと思います。


 まず、ニュートン力学の見地から言えば、親鸞会で説くような因果の道理は絶対にありえません!!
 地震が起きる場所を予測して、そこに行くなどという芸当は、地質的なデータを全て知っていたとしても難しいことです。それを何も知らない私が、悪いことをやっただけで地震の起きる場所が正確に分かり、そこに行ってしまうなんて絶対に無いことです。
 また、親鸞会で説くように、悪業を持っている人めがけて、トラックの積み荷が落ちてきて事故に遭うなどということも、絶対にありえません!!
 荷物は、運動方程式に基づいて正確に運動するため、どんな悪いことをやった人が近づいてきても、それによって結果が変わることは無いのです。

 そこで、N田講師はニュートン力学の否定に入ったわけですね。

 まず、最初に持ち出したのが「人生は夢である」という説。もし人生が夢ならば、何でもアリですね。夢の中なら空でも飛べます。
 そういうわけで、悪いことを夢の中でやっていると、地震が起きる夢を見たり、トラックの積み荷が落ちてくる夢を見る。
 一応、理論的にはあり得ます……

 しかし、これを正当化すると、布教する意味なんてないですよね。自分が話している相手は実在せず、心が生み出した幻なのですから。どんなに頑張っても誰も救われません。
 N田講師は、相手が実在すると思うからブログなんて書いているんじゃないですかね。夢の中で書いたブログなんて、誰も読めませんよ。

 こういうわけで、人生は夢であるという説は、意味が無いです。
 N田講師も、この説はあとのエントリで否定しています。


 次に、量子力学の観測問題。
 コペンハーゲン派の解釈に基づけば、私たちの認識、すなわち心によって世界が生み出されるという考え方は一応可能です。ただし、これは原子レベルの話を言っているのであって、日常レベルの大きさの物質に当てはめることは普通しません。
 日常レベルの物質も、原子で構成されているのだから当てはまるのだと拡大解釈しているのでしょうけど、無理があります。

 しかし、ここは百歩譲って、N田講師の仮説がすべて正しいとします。

 量子力学で、どんな世界が生み出されるか(正確には、物質の位置がどこに決まるか)は、確率によってのみ決定されます。ここに過去の事象は関与しません(詳細な説明はしませんが、アスペの実験により確認されています)。
 つまり、良いことをやっていた人には良い世界が生み出されたり、悪いことをやっていた人には悪い世界が生み出されることは、絶対に無いということです。

 N田講師、墓穴掘っちゃいましたね。

 量子力学を根拠に、世界は心が生み出すのだから、と主張すると、過去の行為と無関係に運命が決まることになりますよ!

 また、量子力学の考えでは「不確定性原理」により、未来の正確な予想は絶対に不可能です。これを日常レベルに持ち込むなら、地震の起きる場所を予測して引きずっていくなんて有り得ないことが分かります。

 もともと、量子力学は原子レベルの運動を扱うので、これを日常レベルに当てはめることに無理があるのですが、それを当てはめた結果分かることは、親鸞会の因果の道理は絶対に間違っているということです。

 最後にモナド論!
 物質世界は存在せず、それぞれの心で、お互いに共通した夢を見ている、とでも言ったら良いでしょうか。最初に挙げた、夢の中で布教しても意味がない、という欠点を補う形の主張ですね。

 このモナド論によると、それぞれ別の夢を見ていますが、共通の法則に基づいた夢を見ています。Aさんの見る夢では物体は下に落ち、Bさんの見る夢では物体は上に落ちる、ということはありません。同じように物体が下に落ちているように見えるから、共通認識が保てるのです。

 では、この共通の法則とは何でしょうか?
 これは先ほど挙げたニュートン力学や量子力学といった物理法則です。
 つまり、モナド論においても、物理法則に反するような事象は起きないということです。

 親鸞会の因果の道理は、すでに説明した通り、物理法則と合いませんので、モナド論を持ち込んでも、結果は一緒です。あんなことはあり得ません。残念でした。

 親鸞会の因果の道理を正当化するには、摩訶不思議なパワーが存在し、物理法則さえも曲げることができ、そのパワーが、良いことを行ったひとには良い結果をあたえ、悪いことを行った人には事故や災難を与える。こう考えるしかありません。

 だけど、この「パワー」を「神」と書きかえれば、親鸞会の人が忌み嫌う「神信心」と同じです。

 信仰するのは自由です。神社に賽銭を投げれば御利益があると信じるのを非難するつもりはありません。
 しかし、論理的には、それと同レベルの「親鸞会の因果の道理」を、さも科学的であるかのように装うのは、詐欺に近いと思いますので、このように申し上げました。
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COMMENTS

親鸞会的因果の道理は物理屋にとっては特に容認できない、矛盾に満ちたものなんですね。勿論私も容認できませんし、会員も次の例はまず受け入れがたいと思います。

「親鸞会が非難される」ことを結果としましょう。
彼らの言う因果の道理では、その因は親鸞会や親鸞会教義を説く会長にあるということになります。
そして非難する人は縁に当たるわけです。

しかしこの因縁果は会員はまず認められないでしょう。尊敬する会長や所属する団体が悪いということになりますから。
それで、本願寺の陰謀とか国家権力が動いているとして、自らの説く因果の道理を否定しているわけです。

それでいてこの因果の道理を信じよというのですから、全くもって無茶苦茶です。あくまで親鸞会が仏教とは似つかぬ外道の教えを説くのが原因であり、非難されるのは当然の事ですね。

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