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質疑応答200

【質問】


元会員の者です。
こちらの記事を拝見し、手元にあった改邪鈔をひもといてみましたが

「今の新義の如くならば、最も聖人の御名を載せらるべきか。
然るにその義なき上は、是れまた非義たるべし」

という一節があり、ん?となってしまいました。
(親鸞聖人のお名前を載せるべきだ、と私にはみえてしまったので)

清森さんはこの部分について、どのように解釈されていらっしゃるのか、
お教え頂ければ幸いです。



【回答】


 以前からお願いしておりますが、質問はコメント欄ではなく、メールにてお願い致します。


「今の新義の如くならば、最も聖人の御名を載せらるべきか。然るにその義なき上は、是れまた非義たるべし」

 この部分について説明します。


「今の新義」とは、ここまでに書かれている新しい教え、つまり、善知識が本尊に名前を書くという教えのことです。


「今の新義の如くならば、」→「善知識が本尊に名前を書くという教えの如くするのが正しいのであれば、」

「最も聖人の御名を載せらるべきか。」→「親鸞聖人も御名前を書かれたはずだ。」

「然るにその義なき上は」→「しかし、親鸞聖人がそのようにされなかったのであるから」

「是れまた非義たるべし」→「これは、非義(教えに反している)ということである」


 分かりやすく書きますと、

 本尊に善知識の名前を書くのが正しいのであれば、親鸞聖人も書かれたはずだ。しかし親鸞聖人が書かれていないのだから、これは間違いなのである。


 という意味になります。


※読者の方からご指摘があり「非義なるべし」→「非義たるべし」と修正しました。失礼いたしました。
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COMMENTS

瑣末(さまつ)な質問で恐縮(きょうしゅく)ですが

 瑣末(さまつ)な質問で恐縮(きょうしゅく)ですが
「是れまた非義なるべし」は誤字で
「 是れまた非義たるべし」 ではないかと

お久しぶりです

お久しぶりです ハンドルネームを「元会員」にしようかとも思いましたが、
元会員さんは多数おられますにで、「世親菩薩(てんじんぼさつ)」といたします
 
 こっち(清森問答などアンチのブログ)のほうが、色々勉強になります

改邪鈔(がいじゃしょう)久しぶりにひもときました

第7章ですね

「一(ひとつ)、本尊(ほんぞん)ならびに聖教(しょうぎょう)の下題(げだい)の下に願主(がんじゅ)の名字を
さしおきて知識と號(ごう)する族(やから)の名字(みょうじ)をのせおく、然(しか)るべからざること
 
 この條同(でうおな)じく前段(ぜんだん)の篇目(へんもく)に相同(あいおな)じきものか

 大師聖人(だいししょうにん)の御自筆(ごじひつ)をもて諸人(しょにん)に書きあたへ渡(わた)しまします
聖教を見たてまつるに皆願主(みながんじゅ)の名(な)を遊(あそ)ばされたり
 
 今(いま)の新義(しんぎ)の如(ごと)くならば、最(もっと)も聖人の御名(ごみょう)を載(の)せらるべきか。
然(しか)るにその義(ぎ)なき上(うえ)は、是(こ)れまた非義(ひぎ)たるべし


 これを案ずるに知識の所存に同行相背(どうぎょうあいそむ)かん時(とき)「わが名字(みょうじ)を載(の)せたれば」とて
せめ返(かえ)さん料(りょう)のはかりごとか

 世間(せけん)の財宝(ざいほう)を沙汰(さた)するに似(に)たり、もとも停止(ちようじ)すべし」
                           
                        改邪鈔 7章

停止(ちようじ)すべし 「やめなさい」と書かれていますね

真実開顕の絶好の機会だと思うのですが

アンチのブログ(さよなら親鸞会や清森問答など)は、コメント欄を開放しているのに対して、高森会(シンパ)のブログは、コメント欄を開放しているブログを私は知りません。 中には、コメント欄がないブログもあります。

 真実開顕の絶好の機会だと思うのですが、なぜブログのコメント欄を開放しないんでしょう
 悪事が露見する事を恐れ慄(おのの)いているとしか、思えません
コメント欄を開放している、高森会(シンパ)のブログあれば嬉しいのですが、
 もしあれば、教えてください

高森会(シンパ)のブログで 静かな劇場 4/19 沈黙
http://blog.goo.ne.jp/345shigure
にコメントしましたが UPされません
 
真実開顕の絶好の機会だと ワクワクしているのですが

愕然(がくぜん)としています

10年前ぐらい前 から 2ch に カキコ してきましたが

膨大(ぼうだい)な下劣なカキコ や AA(アスキーアート)を目にしてきました

最近は アンチのブログのコメントにも、見られます

あれは、高森会が組織だってやっていた という事を聞いて 愕然(がくぜん)としています

本当の事でしょうか

なぜ 親鸞聖人の教えに反することをするのでしょうか?

>本尊に善知識の名前を書くのが正しいのであれば、
>親鸞聖人も書かれたはずだ。しかし親鸞聖人が書かれていないのだから、
>これは間違いなのである。


高森会の本尊(名号)には 名号の左に 親鸞と書かれてあります なぜこのような 親鸞聖人の教えに反することをするのでしょうか?

改邪鈔

No title

親鸞会の本尊は私の知る限り大昔から親鸞と書いてありました。
当然そのことは清森さんもご存知でしたね。
清森さんは親鸞会講師部のなかでも特に教学熱心な方であったと思いますが在会中もその本尊を否定していたのでしょうかね・・。
それとも熱心だったのは単に親鸞会教学の世界だけの話で改邪鈔の中身を知らなかったのか?
はたまた知ってはいたが顕徹を盲信するばかりに言い出せなかったのか?
その部分をはっきりさせていただきたいですね。

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