スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

質疑応答34

【質問】


 なぜ親鸞聖人は、具体的な善の実践でなく、信後の世界のことを書かれたのでしょうか。

 親鸞聖人が信後の世界のことを教えられるのなら、それを学ぶのが普通ではないかと思ってしまうのですが、その点いかがでしょうか。



【回答】


 その点については、皆さん非常に関心のあることだと思います。
 信心決定するには、どうしたら良いのか、それ一つに悩まれた親鸞聖人が、なぜ信後のことばかりを書かれたのでしょうか?
 それが知りたいところだと思います。

 私が思いますに、まず、仏になるためには、その前の段階である阿毘跋致(アビバッチ)に至ることが必要になります。

 教行信証の中で、龍樹菩薩の「十住毘婆沙論」を引用され、阿毘跋致に至るためには難行道と易行道があり、難行道では阿毘跋致に至ることは難しく、易行道によってのみ阿毘跋致に至ることが教えられています。

 ここで間違えて頂きたくないことは、「信心決定=阿毘跋致」ではなく、信心決定した者だけが阿毘跋致に到達することができるのです。

 親鸞聖人は、信心決定した人も阿毘跋致の人だと仰っていますが、これは信心決定した人だけが阿毘跋致に至ることができるので、このような書き方をされているのです。

 本来、阿毘跋致の人とは、一切の衆生に差別なく接し、さらに、これらの人を平等に助けようと願う心の起きた人を言います。

 ですから、親鸞聖人が最も心血を注がれた教行信証も、

信心決定した人が

なぜ阿毘跋致に到達できるのか(行巻)

信心決定するとはどういうことか(信巻)

信心決定した人が、どのように仏になってゆくのか(証巻)

仏になるとはどういうことか(真仏土巻)

ということについて書かれています。


 ですから、一つには難行道によって阿毘跋致を得ようとしている人に、易行道を勧めるため、もう一つは、信心決定した人に阿毘跋致まで至る道のりを示さんがために、信後のことを多く書かれたものと考えられます。

 では、どうしたら、信心決定できるかという問題については、化土巻に教えられています。ですから信前の人が、一番に問題にしなければならないのは化土巻であると思います。

スポンサーサイト

COMMENTS

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。