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質疑応答204

【質問】


 今回の清森問答を読ませて頂いて、親鸞会の会員が「偽なる者」「虚なる者」ばかりであるならば、19願の善を勧めている親鸞会のやり方は正しいようにも思うのですが、どうなんでしょうか。



【回答】


 結論から言えば間違っています。

 まず、19願の教えは、少なくとも外道から離れた人に勧められています。親鸞会で教えられている「因果の道理」は、仏教で説かれている「因果の道理」と全く違いますので、親鸞会は基本的に外道です。

 ですから、19願の教えを説く対象とは言えません。



 また、親鸞会では、「必堕無間の一大事を解決するために」「信心決定するために」、善をしなさい、と教えています。

 このような善は、19願の善とは言いません。

 19願では、「発菩提心」と誓われていますが、菩提心とは、「仏になりたい」「他人を幸せにしたい」という心です。仏様の仕事は、他人を幸せにすることですので、この2つは本質的に同じ心です。(「医者になりたい」というのと、「他人の病気を治したい」というのは同じ心ですよね。)

 仏様は、苦しんでいる人を助けるために、喜んで地獄に行かれる方です。自分が地獄へ堕ちたくないから善をする、というのは方向が正反対です。

 龍樹菩薩も、十住論に『説法の中で、地獄の諸苦を説く時、このような苦しみを早くすべて尽くして、浄土に往生することが、わが身の利益であると説く人がいるが、これは、魔が説教者に化けているのであって、魔事である』と書かれています。



「信心決定するために」善をするというのも、おかしな話です。19願の善を修する目的は化土往生するためです。親鸞会では、化土往生を否定しているのですから、19願の善など勧める理由がありません。

 親鸞会の人は、「化土往生できないことが知らされるため(善が出来ないことが知らされるため)に、19願の善に励むのだ」と主張するかも知れませんが、お釈迦さまも親鸞聖人も、そのような説き方はされていないのです。



 そもそも、「善が出来ないことが知らされるために、善をやる」という教えは仏教にはありません。善をやろうとした結果、善が出来ないと知らされることはあるかも知れませんが、最初から出来ないと知っているなら、やらないでしょう。

 お釈迦様は、キサーゴータミーという女性に、「死人を出したことのない家から、ケシの実をもらってきたら、死んだ子供を生き返らせてあげよう」と仰いました。
 最初から、子供が死んだと納得できる女性であれば、このように言う必要はなかったのですが、キサーゴータミーは子供の死を認めることができなかったのです。

 この時に、お釈迦さまが「子供は生き返らないということが知らされるまで、死人を出したことのない家を探してこい」と仰ったら、キサーゴータミーは従ったでしょうか?これでは方便になりませんね。

 もし、親鸞会が、19願の善を勧めていると主張するのであれば、「善を修めていけば、阿弥陀仏が往生させて下さいますよ」と説かねばなりません。「化土往生はできない」とか「善が出来ないと知らされるために」などと言っていては、19願にならないのです。

 親鸞聖人は三願転入されたと仰っていますが、親鸞聖人は「善が出来ないと知らされよう」と思って善を修めておられたのでしょうか?
 親鸞聖人が善を修められた心と、親鸞会の人が善をする心が、まったく違うのです。



 最後に、親鸞会で教えられている「善」は、実態は親鸞会に都合のよい「人集め」「金集め」であって、仏教で教えられる善ではありません。悪になります。

 これについては、今まで何回も書いてきたことですので、詳しくは説明しませんが、親鸞会には、まずは悪をやめることから始めていただきたいものです。
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COMMENTS

さすがですね。
説得力があります。

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